17-4
(しゃあない。今回は幾分かこっちにも非があるし――)
牙谷は少し考えて、先生と叫ぶ母親の合間に入った。
「すみません。彼には自分からよく言っておきますので」
「あなたがあの問題児のお父さん?ああ、失礼。あの子父も母も居ないんでしたね。親戚の方ですか?」
父も母もいない。
その言葉を言った時、この女の顔は笑っていた。きっと泣かされた息子の仇のつもりなのだろう。だがその顔は牙谷からして邪悪に見えた。
「ええ。そんなところです。さ、坊ちゃん帰りますよ」
母に臆することなく、陸島に声をかける牙谷。
それに従って陸島はコクリと頷いて帰ろうとする。
「待ちなさい!逃げるのですか!!」
「やだなあ。帰るだけですよ」
騒ぎの中心が園児達からその二人に移る頃、視線は迎えにきた親達も増えたせいかさらに大きな騒ぎになろうとしていた。ある親はそそくさと我関せずの気で逃げ、ある親はその場でじっと見ていた。
「それに教育委員会でしたっけ?そこでしっかり話せばいいじゃないですか?」
「ええそうね。この子をぶった事、たっぷり謝らせないといけませんね」
「ええそうですね。この子に悪口言って嫌がらせして暴力振るったこと、たっぷり言わないといけませんね」
「ぐ……!減らず口を!人の子を泣かしておいて」
「まあ確かにそれに関してはこちらが悪いでしょうね」
「そうよ!そっちが悪い!」
――よし、乗った!
静かに牙谷は心で笑った。
その間に母親は攻撃を続ける。
「家が何かわかりませんが、よくも親のいない家で幼稚園に入ろうだなんて考えましたわね!」
「……はい?」
親のいない家。あまりにも訳がわからなかった。
仕掛けた牙谷も思わず固まった。
「だから人に暴力を振るうんです!たかが悪口くらいで――」
――悪口くらい?
ピクリと眉が動く。
その言葉に一瞬で牙谷は怒髪天を突かれる。
「ざけんじゃねえ!!」
大声で叫ぶ牙谷。
そこに確かに雷は落ちた。騒ぎを一瞬にして沈め、目の前の母親は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
陸島も飛び上がって驚いていた。
「我が子可愛さ大いに結構。だが『悪口くらい』たあどう言う事だアァ!?」
「ひっ」
怒声によって雷がもう一発落ちかける寸前。
既に相手は震え怯えていた。
(これでいいか)
頃合いとみた牙谷は陸島の方に向いて笑顔を見せる。
「さ、行きますよ坊ちゃん。こう言う輩は教育委員会がしっかりやってくれますから。ね?」
笑顔をより深くして母の方を見る。
固まって怯える彼女は首を縦に静かに振った。
母親登場からそれまでの間、牙谷は一歩も引かない姿勢だった。
騒ぎの輪はまるで二人を避けるように割れて二人は車で帰路についた。
当時の出来事を陸島はこう振り返る。
――怒鳴ったアイツの声もあってか、その日の出来事はよく覚えてるさ。いつも親のいない俺を揶揄う馬鹿どもがいた。でもその日、リーダー格の男の子がいなくなって泣いて、俺に突っかかってきたからとりあえずぶん殴って泣かせてそしたらアレだ。ヒスったババアが縮こまったのをよく覚えてるよ。ああそうだ。俺にとってアイツは父親だった。というかアイツは俺の父じゃないかと思う時はあったさ。訳ありで他人のふりして登場した父親……そんな気がしたんだ
牙谷がキレたその日の夜。
「信用ポイントマイナス十兆ー!!」
「ばべらっ!!」
牙谷が橘樹龍弦の書斎に入るや否や、彼は勢いよく殴り飛ばされた。
「ったくお前何をした?」
「え?ああ、アイスなら冷蔵庫に――」
「もう一発いくか?」
「すみません」
橘樹の怒りの要因はやはりというか幼稚園での騒動の件だった。
連絡したのは幼稚園の先生。牙谷と陸島が帰った後、相手の母親がパニックになって我が子を連れて逃げるように帰った。牙谷の叫びが思ったよりひびいたらしく近隣の住民から苦情を受けたり心配されたという。
「あのなあ牙谷、アイツはお前の子供じゃあねえ。だが大事な存在なのは間違いない。それでも乱暴はよくねえ。言葉の暴力でもな」
「すみません。相手の母親が思った以上の大物で」
「魔女だったのか?」
「いいえ。でも魔女の方がマシな部類でしたね」
「……そうかい」
牙谷の言葉で全てを察したのか、橘樹は白髪を掻き上げてため息を吐いた。
「いいか牙谷。多分お前の肩を持てるような状況だっただろう。だがそこは魔女の住まう世界とは違う。ほぼ、力による解決は不可能と思え」
「はい」
「巡り巡って、最終的に苦しくなるのは鉄明だ」
橘樹は悲しい目をしてその言葉を牙谷に伝える。
そしてそれは現実となる。
翌日、陸島鉄明は幼稚園の園児達から揶揄われたりすることはなかった。だが同時に相手にされなくなった。
――アイツの家には鬼がいる。怖い鬼が。怒らせたら大変だ
園児達は親達にそう教えられた。
その話を広めたのは牙谷と向かい合った母親。
――いいですか?陸島鉄明とその家には十分注意してください。あれはまともじゃない。無視しなさい。大丈夫です。私たちは先生じゃない。全部先生に任せて私たちは自分の子供のことだけ考えていればいいんです!
とても怯えた様でその日のうちに全員に広めたのだという。鉄明はというと一人でいることには抵抗感はなく、ただ幼稚園での日々をただ一人で過ごしていった。
そして小学校入学前の頃。
「牙谷。呪いの方はどうだ?」
太陽が昇っている昼頃。
外で車の掃除をしていた牙谷に橘樹が声をかけていた。
「え?ああ、魔女の方々に見てもらってんですが……もう少しこっちで解呪に当たっていた方がいいって」
牙谷は心臓の位置にスーツの上から手を当てる。
「そうか。その呪いが解けない限りはこっちにいてくれていいぞ。帰りたい場所にもおちおち帰れないのは問題だが死んでしまったら元も子もないからな?」
「ええ。しばらく厄介になります」
「おう。ああそうそう、実は相談があるんだが」
「何でしょうか?」
「呪いの方が解けたらお前は元の世界に戻れる。で鉄明が一人になっちまうんだわ」
「ああ、そうですね。親父さんも木下も忙しい方ですし」
「そこでだ。二名、部下をつけようと考えてる」
「部下?」
「ああ、知り合いの魔女の娘とその相方にな」
橘樹は慣れない手つきでスマートフォンを操作して、画面に映ったそれを見せた。
「名前は魔女の方が羽田。相方が爪島。どうだ?」
「これは……」
彼も画面を見る。
そこに映っていたのは二人の若き男女の姿。
魔女と紹介された羽田とその相方の爪島の二人の写真を見て牙谷は少し考える。
(坊ちゃんの事を後に任せるとして……この二人なら大丈夫か?会ってみないとわからないこともあるけどな)
「俺は良いと思ってる。牙谷、お前は?」
「大丈夫です。お願いします」
しっかりとした返答に橘樹は笑った。
そして陸島が一年生になる一週間前。




