17-2
「で、どうだった?あいつは?」
その日の夜。橘樹龍弦の書斎にて。
黒の和服を着た白髪の老人、橘樹龍弦が怪訝そうな顔で呼び出した牙谷と木下の前で今日の陸島について質問していた。すでに陸島は眠りについた後だった。
「はい。親父さんの事を小早川みたいな奴だと言ってました」
「え?何それどういうこと?」
全く知らぬという老人の顔に牙谷と木下の二人は顔を見合わせる。
「何かビデオ見ませんでした?関ヶ原の戦いに関する映像とか」
「え?ああみた。映画のやつか!ああそれで俺を小早川……え?わし、最悪の裏切り者扱い?」
「そんな事はないかと」
すぐに木下が否定する。
「小早川秀秋というのは確かに関ヶ原において裏切りをした者です。兵力と権力共に十分な武将で――」
「余計わしじゃん畜生ー!」
頭を抱えて悲しむ橘樹。
なお、小早川秀秋の裏切りについては諸説あり。悲しみ苦しむ橘樹を牙谷が宥める。
「ああでも大丈夫です。今後は俺が坊ちゃんの面倒見ますから。大丈夫です。意思疎通は取れましたよ」
「そう?こないだしばらく離れるって言ったらめっちゃ怒って泣いたよあの子?」
「ええ。でも今は落ち着いてるみたいですよ。ね、木下さん?」
牙谷は笑って木下の方を向く。
「ええ。大丈夫でしたよ。二人で親父さんの悪口言って大盛り上がりでした」
――二人で親父さんの悪口言って大盛り上がりでした
木下の放ったその言葉に周囲の空気が凍りついた。
眉間にしわを寄せて橘樹が牙谷に問い詰める。
「牙谷?どういうことだ?おい?」
「いや別に悪口なんてそんな――」
「妖怪白髪シワシワ」
「ぶふっ」
木下が呟いた妖怪白髪シワシワ。
これは牙谷が決めた橘樹龍弦のあだ名で陸島にえらく受けた。
「そこに直れ牙谷ー!!」
「ゴッファ!!」
親父の拳骨が勢いよく牙谷を吹き飛ばした。
「ったく。鉄明をグレさせる気か?追い出されたいか?」
「け、決してそんなつもりはござい……ません」
フラフラと立ち上がる牙谷。
「親父さん。その辺にしてください。牙谷さんも程々に。貴方の身柄はこちらで匿いますから」
「本当すみません木下さん」
牙谷が木下に向けてお辞儀をする。
それを見て落ち着いたのか橘樹は冷静な口調で牙谷に話しかけた。
「鉄明を頼んだぞ、牙谷。アイツは訳ありの子供でな。」
騒がしい日々は始まったばかり。しかし誰もがそこに悲劇があるとは思っていなかった。
それもとても残酷な悲劇が。
「ただいまー」
「おう、帰ったか鉄明。牙谷に送ってもらったか?」
牙谷が陸島の元についてから一週間後。
その日のおやつの時間に陸島は幼稚園から住んでいる屋敷の居間に帰ってきた。その居間は関係者でも一部のものだけしか入れない特別な部屋だった。
「うん。ついでにアイス買ってもらった!」
「ほーそうかー。……わしの分は?」
「おやじは『けんこうしんだん』あるからダメだって言ってた」
「そうかそうかー」
――あの野郎忘れやがったな
胸に静かな怒りを燃やしながらも、買ってもらったチョコレートアイスを食べる鉄明を眺めているうちにその怒りは何処かに向かった。
「鉄明、幼稚園は楽しいか?」
「ふつー」
「そうか普通かー」
しばらくして牙谷が部屋に入ってくる。
「ただいま戻りました」
「よし。ダッシュでアイス買ってこい。あの高いやつな!」
「ええー!?」
「あ、おれおかわり」
「おかわり!?」
いつの間にか食べ切っていた鉄明が手に持っていたアイス容器の空を牙谷に見せつけるように目の前で揺らす。思わず橘樹は笑った。
「ダメですよ坊ちゃん。夕飯食べられなくなりますよ?」
「えー……」
「残念だったな鉄明。で、わしの分のアイスは?」
「親父さん。健康診断あるんだし控えた方が良いかと」
「……お前まで木下みたいな事言うのか」
「まあそう言う訳です。坊ちゃんも我慢してください。夕飯はざる蕎麦らしいですよ?」
「ざる蕎麦!?食べる!!」
陸島は目を光らせて牙谷の方を向いた。
「それまではゲームでもしてくださいな」
「はーい」
返事の後に陸島は自分の部屋の方に向かって居間を出て行った。
去っていくその姿を見送ってから、橘樹は牙谷の方を見る。
「で、どうだアイツは?幼稚園で上手くやれてるのか?」
「それがちょっと問題があるみたいで」
牙谷は渋い顔で語り出す。
「友達があまりいないようで。家のこともあってかあまりよく思われていないんです。どこのどいつが言い出したのかわかりませんが、坊ちゃんは親がいないと馬鹿にしたと。金持ちの道楽だとか」
「ハァ!?なんだそりゃ?」
橘樹は出てきた単語にキレて大声を出す。
「全くです。最近の親は子供になんてこと吹き込んでるんだか」
「ああ。ちょっと調べてこい。軽く潰してやれ」
「竹月組をそんな私的に使うのはどうかと」
「ダメだ。けじめつけさせてやる。黙ったままじゃやられるだけだ。結局は戦わないとダメだ」
「……じゃあこちらでやっときましょう」
そして水面下で事は進む。
一週間後。陸島が通っている幼稚園でそれは起きた。
「今日はみなさんにお知らせがあります」
どこか悲しい目で幼稚園の先生は園児たちに向き合う。
「お友達の泥川君が今日、幼稚園を急に離れる事になりました」
「えー!?」
泥川と呼ばれた園児の親は陸島の事をよく思ってなかった。
送迎の車が良い車であることを。今は減ったが、いつも数人の護衛がついていることを。そこで周囲に悪口を広めた。結果として陸島は孤立する羽目になり、園児から作っていた粘土細工を壊される、叩かれるなどの嫌がらせを受けるようになった。
「なんでどうして!?」
「どろかわくんいなくなっちゃうのやだー!」
「ごめんね。急な事だったから」
――おかしい。何かがおかしい
先生は何かおかしいと思いながらもそれを具体的に口にはできなかった。それが陸島の家の、竹月組の仕業だと判明することはなかった。




