14
立ち上がった龍彦は、そのまま真っ直ぐ満乃に向かって頭を下げた。
「あんたと神無月副長官との出鱈目な噂を真に受けた。俺が未熟だったのが原因だ。そのせいで……あんたを泣かせちまった」
「龍彦さん……」
「でももう、あんたを泣かせたりしない」
顔を上げると、大きく目を見開きこちらを見据える満乃と視線が交わる。
「あんたがもう二度と理不尽に涙を流さないよう、これからは俺があんたを護る」
「……!」
「あんたには……笑った顔が一等似合うからな」
伝えたいことをどうにか伝え終えた瞬間、厨房の裏からひゃあっと歓喜に近い声が聞こえた。
どうやら花や他の女給が待機していたらしい。
どういう声だと怪訝に思っていると、対峙していた満乃がそっと口を開いた。
「結構です!」
「は?」
「ですから! 龍彦さんに護っていただかなくて、結構です!」
思いも寄らない返答に、龍彦は呆気にとられる。
「私を護るなんてそんなことどうでもいいんです! 私はただ、龍彦さんとこうして、お話しすることさえできれば……それでいいんです」
「……!」
「だからその、これからはもう、急にいなくならないでくださ……っ」
「満乃」
苦しそうに言葉を紡いでいた満乃の瞳が、はっと見開かれる。
思えば、その名を口にしたのはこれが初めてだった。
「わかった。約束する」
「……本当ですか?」
「俺もあんたに会いたいから」
「っ、ほんと、ですか……?」
「……ああ」
頬を赤く染めてこちらを見つめる満乃に、胸が妙な苦しさを覚える。
しかし、それは決して不快なものではなく、もっともっとと急き立てるような衝動に近い。
もっと、満乃のいろいろな表情を見ていたい。
その声を聞いていたい。
自分のことを見つめていてほしい。
彼女のその、曇りのない真っ直ぐな瞳で。
「俺は、あんたに惚れたみたいだ」
二人きりの食堂内に、龍彦の言葉がはっきりと響いた。
「……へ?」
「だから、これからは迷惑がられたとしてもここに来る。それであんたも安心だろう」
「え、あの、え? 今、なんて……」
「? だから、迷惑がられたとしても」
「その前です!」
「……あんたに惚れた。か?」
「──ッ!!」
瞬間、ぼんと湯気が立ったように満乃は顔を真っ赤に染める。
そして振り下ろされた盆が、龍彦の頭に直撃した。
「……っっ、痛ってえな!?」
「当たり前です! 急に! そんな! 何を言っているんですか……!?」
「あんたがもう一度言えと言ったんだろうが!」
「そういう意味じゃありません! もう……もうっ!」
ぷりぷりと怒りながら満乃は厨房へ戻っていく。
その顔はいまだに赤く、まるで以前定食で出されたトマトのようだ。
盆で叩かれた頭をさすりながら、龍彦は「あ」と短い声を漏らした。
「おい満乃。今日は前に約束したあの」
「コロッケ定食ですね! わかっています! 今作りますよ!」
「……おお」
被せ気味に返ってきた答えに、龍彦は小さく仰け反る。
「あー。それから」
「まだなにかっ?」
「そのリボン……付けてくれているんだな。よく似合ってる」
「……付けますよ。付けるに、決まっているじゃありませんか」
龍彦の言葉に、満乃の勢いがたちまちしぼんでいく。
盆で口元を隠してはいるものの、垣間見える満乃の頬はやはりほんのり赤い。
一本に括られた長い髪の根元には、鮮やかな赤と紫の花模様が浮かぶリボンが結ばれていた。
以前、龍彦が満乃に贈ったものだ。
そそくさと厨房に戻っていく満乃を、龍彦は静かに見送る。
厨房から時折漏れ聞こえる弾むような会話と調理の音は、龍彦の心を穏やかにしていく。
新たな赴任地で出逢うことになった、人生初の料理と特別な感情。
差し出された二度目のコロッケ定食は、以前に増してほかほかと温かな甘みが加わったように思われた。
おわり