第195話 行ってきます
馬車がゆっくりと止まり、石畳の上で車輪が短く軋んだ。
ふと窓の外に視線を投げると、積み上げられた石の壁が目に入る。
人の背丈をはるかに超え、装飾を抑えた直線的な構えは、見るだけで威圧感を与えてきた。
カイド大学、王国の最高学府だ。
御者が扉を開け、外気が流れ込む。
馬車から降りて改めてその建物を見上げる。
「大きい……」
ぽつりとアメリアは呟いた。
以前、実演会で訪れたことはあるが、あの時は迅速に案内され流されるように中へ通された。
立ち止まってじっくり見る余裕も、その場の空気を味わう余裕もなかった。
今は違う。
正門の前に立ち改めて見ると、その規模がはっきりと伝わってくる。
石造りの外壁は背が高く、近くに立つと首を大きく反らさなければ上まで見えない。
表面はところどころ色が変わり、雨や風に晒されてきた年月がそのまま残っているて、長い歴史を感じさせた。
構内は学生らしい若者たちが、書類を抱えたり本を小脇に挟んだりしながら、それぞれ違う方向へ歩いていく。
中には白衣を着た研究員らしき人も歩いていて、ここが他の施設とは違う、知が集積した教育機関などだと感じられた。
その時、隣に気配が増えた。 ローガンも馬車を降り、アメリアの前に立つ。
「ここまでだ」
送り出す言葉だったが、突き放す響きはない。
感情を混ぜれば揺らぐと知っているからこそ、余分なものを削った言い方だった。
「はい。お見送りありがとうございます」
そう言って、アメリアは一歩近づく。
すると、ローガンの腕が、自然に背中へ回った。
その腕の中で、アメリアは彼の外套をそっと掴んだ。
それから短く、唇が触れる。
確かめるだけの、静かな口づけ。
長くすれば、離れにくくなる。
それをしない選択が、ローガンの優しさだと思った。
少しだけ距離を戻して、彼は言った。
「無理に気を張る必要はない。やるべきことは、分かっているな」
問いかけるようで、確認でもある声。
「はい。目一杯、頑張ります」
アメリアはまっすぐ頷いた。
ローガンはそれ以上何も言わず、腕を離す。
その時だった。
「アメリア様!」
少し息の弾んだ声とともに、正門の内側からウィリアムが小走りで近づいてくる。
髪も乱れておらず、眼鏡の位置もずれていない。
慌てて駆けてきたはずなのに、迎える立場としての体裁を保っているのが分かった。
そのすぐ後ろから、もう一人の影が現れる。
護衛のリオだった。
リオはウィリアムほど急いではいないが、歩幅は大きく、周囲を確認するように視線を巡らせながらこちらへ向かってくる。
「構内の様子は、一通り見てきました」
門の近くまで来ると、リオは簡潔にそう補足する。
先に入り、動線や警備の位置を確認していたのだろう。
護衛として当然の行動だが、その用意周到さに、アメリアは小さく息を吐いた。
ウィリアムはアメリアの前で足を止め、姿勢を正す。
「お待ちしておりました。こちらへご案内します」
声は少し硬いが、学内に向けたものだと分かる張り方だった。
ウィリアムはローガンにも視線を向け、丁寧に一礼する。
ローガンは短く頷き返し、すぐにリオへ目を向けた。
「アメリアを、よろしく頼む」
命令というより、静かな依頼だった。
「お任せください」
リオは即座に答え、無駄な誇張もなく胸に手を当てて一礼する。
そのやり取りを見てから、アメリアはリオを見て言った。
「よろしくね。リオ」
堅すぎない声でそう告げると、リオは一瞬だけ表情を緩め、しかしすぐにいつもの調子に戻る。
「おおせのままに」
簡潔な返答だった。
それからウィリアムに連れられて構内に踏み出す。
少しだけ歩いてから、アメリアは最後に一度だけ振り返った。
ローガンは門の外に立ったまま、小さく手を振っていた。
石造りの門を挟み、距離ははっきりと分かれている。
決して拒絶ではなく役割の違いが作る距離で、今日からお互いに立つ場所が変わるのだという事実を静かに示していた。
(……行ってきます)
胸の中でそう告げてから、アメリアは歩く。
靴底に伝わる石畳の硬さがはっきりと届いた。
背筋を伸ばして歩こうとすると、胸元に感じる重みが少し増した。
背中が見えなくなる、その瞬間まで。
ローガンはその場を動かず、アメリアの背を静かに見送っていた。
◇◇◇
アメリアはウィリアムに先導され、少し後ろでリオに見守られながら構内を歩いた。
「まずは学長に挨拶をしに参りましょう」
というウィリアムの提案で、まずは学長室を訪れた。「こちらへ」
重厚な扉をウィリアムが開ける。
「失礼します」
一声かけてから入室する。
リオも続けて入ってから扉を閉めると、外のざわめきが嘘のように消え、室内には静寂だけが残った。
静かすぎるせいで、自分の呼吸や心臓の音まで耳に届いてしまう気がして、少しだけ息を整える。
視線を巡らせる。
机は大きく、表面はよく磨かれている。
書類は端正に揃えられ、積み上げられてはいない。
壁には年季の入った肖像画がいくつか掛けられていて、どれも落ち着いた色合いだった。
花は飾られていない。
その代わり、木と革、それから紙の匂いが混じった、乾いた空気が漂っている。
どれも派手ではないが、手入れが行き届いているのがすぐに分かる。
そんな部屋の奥に座るのは、カイド大学の学長、ハルディス。
「改めて――ようこそ、アメリア嬢」
学長のハルディスは椅子から立ち上がらず、机越しに静かに視線を向けた。
もう何度か顔を合わせはしたが、今までとは立場が違う。
今は客として迎えられているのではなく、これから関わる人間として見られている。
「先日は、大学側の不手際で危険な思いをさせてしまった。改めて、大変申し訳ない」
声は低く、淡々としている。
謝罪の言葉ではあるが、言い繕う響きはなかった。
起きたことを起きたこととして認め、その責任を自分の側に引き寄せる言い方だった。
「いえ、とんでもないです」
アメリアは小さく首を振る。
あの日が危険だったことは事実だが、それをここで詳しく語るつもりはなかった。
「あの時にアメリア嬢が示した判断と対応は、多くの者が目にしている。アメリア嬢の植物に対する深い知識、的確な洞察力、そして薬学の技量、それらを本学で存分に活かしてもらえることを期待している。本学に籍を置くことについて、私はこれを歓迎しよう」
ハルディスは続ける。
「本日より、君を研究員として迎える。通いは週三日。体調や学業との兼ね合いを見て、無理のない範囲で構わない」
机の上に書類が置かれる。
きちんと揃えられた紙の束で、署名欄だけが空いていた。
「配属は、薬草学部・応用調薬研究科」
その言葉に、アメリアはわずかに息を吸う。
「直属の指導役は――」
「私です!」
ウィリアムが一歩前に出て、勢いよく名乗った。
静かな室内に、その声だけが少し明るく響く。
アメリアは思わず瞬きをする。
ウィリアムらしい、とも思うが、ここが学長室であることも思い出す。
ハルディスは軽く咳払いをした。
「頼むぞ」
「はいっ!」
ウィリアムは背筋を伸ばして返事をする。
勢いはあるが、言葉は短く抑えられていた。
アメリアは姿勢を正し、一歩前に出る。
「よろしくお願いいたします」
声は落ち着いていた。
必要以上に力を入れず、それでいて曖昧にもならないように。
「こちらこそ」
ハルディスは引き出しから小さな木箱を取り出した。
角が少し擦れていて、長く使われてきたものだと分かる。
蓋を開けると、中には金属製の徽章が収められていた。
大学の紋章が刻まれているが、光沢は控えめで、装飾というより印だった。
「研究員の証だ」
差し出され、アメリアは両手で受け取る。
ひんやりとした感触と、思ったよりしっかりした重さが掌に残る。
胸元に留めると、布越しでも存在がはっきり分かった。
飾りではなく、役割を示すものなのだと実感する。
「期待しているよ、アメリア嬢」
軽い調子ではない。
だが、押し付けるようでもなかった。
「はい。精一杯、努めます!」
元気よくアメリアは声を張った。
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あらすじ
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ーーー
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