外伝 ソラネとマーズ・ウォーター社 01節
「……これがエウロパか。流石に衛星は大きいな。」
そう感想を述べるのは、伊達幕府第五王家石谷家当主であるタカノブ・イシガヤである。伊達幕府の版図は、日本協和国内の北海道及び仙台周辺地域、地球周辺軌道を回る宇宙要塞イザナギ、宇宙要塞イザナミ、火星圏資源採掘用アステロイドベルトの一部とそれに付随する居住用スペース・コロニー4基、木星圏の居住用スペース・コロニーの約半数とカリスト、エウロパ、イオの3衛星である。人口およそ3億6000万人。現代においては最大の版図を誇る国家である。この中でイシガヤ家はエウロパと、エウロパでの食糧生産などを行うマーズ・ウォーター社を有し、木星圏での商業を握るクリスタル・ピース・グループの株の過半数を保持している。これほどの経済力を握る石谷家であったが、現在の当主タカノブは僅かに16歳と若すぎる年である。その彼は両親が暗殺されたことから幼児期より家督を継いでいたのだが、久方ぶりに石谷家の本拠とも言えるエウロパ衛星に帰還したのである。木星圏に居たのは記憶も定かではない幼児期の頃であり、以降はずっと地球圏にいたため、彼の感覚としてははじめての木星圏訪問とも言えた。
「御屋形様、あれが食物プラントなのですか?」
そう訪ねるのは、12歳程と幼いが侍女として仕えるソラネと呼ばれる少女である。ニュートラルブラウンに染めた長髪を後ろの下の方で束ねているが、体格は年齢の割には小さく華奢である。
「みたいだな。クスノキはいるか?」
「ここに。」
今回の木星帰還に置ける護衛は、彼の兄貴分ともいえるマサノブ・クスノキが務めている。クスノキ家はイシガヤ家の譜代であり、古くはイシガヤ家の血を引いている。現代ではイシガヤ家の血族がほとんどいないため、遠縁のクスノキ家が一門扱いを受け私設工作部隊『黒脛巾』を束ねる立場にあった。彼自身もまだ20代半ばと若いのだが、タカノブの相談役としては年齢的に適任であると判断されたため、クスノキ家の家督を継ぎ、こうして彼に仕えているのである。
「家宰のオニワの爺に習ったが、あのプラントには都市と田畑がたくさんあるのだな?」
惑星間航行用の宇宙船窓から覗くのは、巨大な円筒群である。1基で約100万人分の穀物生産が行えるこの設備は、330k㎡程と名古屋市程の耕作面積を持つ。この設備が1500基程あり、内部では米、小麦、トウモロコシ、大豆などの穀物の他、保存しやすい野菜類が大量に生産され、形状の多少異なるタイプでは畜産や魚類の養殖などまで行われている。長年に渡る品種改良と設備開発によって、米なども二期作が完全自動生産される仕組みになっているためこの規模に抑えられているが、それでも日本の面積を遥かに超える規模となっている。まさに、これらプラントが建ち並んでいる様は壮観であった。
「専用プラントには都市はない。管理用などに居住用の小規模都市ドームはいくつか点在しているが、多くの住民は朱雀門区に固まって生活している。他の青龍門、玄武門、白虎門という宇宙港周辺にも小都市はあるが、朱雀門ほどは大きくはなく、基本的には周辺プラントと門の管理や貿易業務を行う従事者達が暮らしている感じだな。」
エウロパについては、代々そこに暮らしているという人々は少なく、多くは木星コロニーや他衛星都市から赴任してきている者達で構成されている。これは、そもそもエウロパ全域が石谷家の私有地であり、この権利を侵す恐れがある一般住民の定住を拒否しているからであった。
「確かに、集まって暮らしている方が商業的には効率がいいな。買い物が捗る。」
「そうだな。」
「あの専用プラントはどれくらいあって、どれくらい穀物を作れるんだったか?」
イシガヤが改めて聞くのは復習のためである。英才教育を受けてはいると言っても、まだ16歳という若年である。別段彼は天才というわけではないため、情報を詰め込まれたからと言って覚えきれているわけではないのである。
「私もあまり詳しくはないが、一つのプラントで100万人程の穀物が生産できて、エウロパには最大で12億人に供給出来る生産施設がある。実際には定期修理中の施設も多いから、6~7割稼働らしいが。他にも野菜や肉などのプラントも多い。」
「では、やはり木星の食糧はカロリーベースで当家が支配しているのだな。写真は後でセレーナに送り自慢してやろう。」
イシガヤは、同年齢で学友にもなっているセレーナという少女に自慢をしたいというのだから、年齢相応にまだ幼さを残しているのだろう。
「それと、あちらに見えるのが工業プラントの様だ。エウロパの水を利用し、水の電気分解からカセイソーダや塩素、水素をとりだし、あらゆる工業に役立てている。商業用開発が進んだ衛星カリストには劣るが、いくつもの製錬工場や樹脂、繊維工場も有している。基本的にはCPG傘下の企業が石谷家の土地を間借りして行っている素材産業だな。」
「土地は多くあまっていそうだが、企業もあまり誘致していないから案外ガラガラだな。まぁ、当家の土地であれば他人をあまり入れたくないというのはわかるし、こんなもんか。」
イシガヤがそう呟く。実際、人口を抱えてしまえば権益を侵される可能性も高まるが、同時に人々を食わせなければならない。石谷家は幕府王族の中では私設工作部隊という家臣団を抱え込んでいる上に、マーズ・ウォーター社という私企業の従業員を多数抱えている。これに加えて一般市民を多くその私有地に生活させるというのは、それぞれの生活環境を整え、働き口を確保しなければならないなど面倒が多いのである。
「そろそろエウロパの玄武門という宇宙港につく。ゲートは軍のものではなく、マーズ・ウォーター社や石谷家臣団のものになる。この船くらいであれば私のコードで開けられるから、タカノブはしばらく下がって家臣団と会う準備をしておけ。」
「わかった。ソラネはクスノキについてやり方を教えてもらっておけ。」
「承知しました。」
イシガヤはそうソラネに指示を与える。彼にとって、現状では彼女が一番信頼できる立場にいる人間であるため、彼の本拠地であるエウロパの門の開門方法を教えることは重要なのである。
宇宙世紀0271年6月
現在、世界は争乱の渦の中にあり、地球圏においては毎日のように何処かで戦闘が起き、終わり無き戦争の中で多くの人が死んでいた。しかし、この木星圏は伊達幕府がその地域の人口の半分を抑え、穀物や鋼材資源などの供給などで8~9割を占めるほどの圧倒的一強にあったことから、比較的長い平和が確保されている。無論治安が良い場所ばかりではなく、地球に向かう航路の途中には海賊が跋扈する地域もあったが、毎日のように世界のどこかで戦闘が繰り広げられている地球圏に比べれば、たいしたことが無い状況であるとは言えよう。
「御屋形様、こちらになります。」
侍女のソラネがイシガヤを先導する。木星圏エウロパのイシガヤ邸はしばらく当主が不在であったため、行き届いた管理がされていたわけではなく、そこら中に長年の歳月の埃がたまっていた。先導する彼女もそれには気が付いているのだが、現状ではまだ屋敷の図面を頭に入れるのが精々であり、細かい場所の掃除まで行えるわけでもなく、また、他の侍女に作業指示を下せるほどの立ち位置にいないのであった。
「タカノブ様、お着きです。」
客間の前にてソラネが室内に声をかける。それがタカノブであっても、いきなり中に入るには遠慮をせざるを得ないほどの人物たちであるのだ。
「お待ちしておりましたぞ。」
それは年老いた老人の声では有るが、良く通る声でもある。
「はいるぞ。」
イシガヤはいささか勢い余る様子で部屋の扉をあける。重要な家臣とはじめての面会である。幾らか傍若無人の気がある彼としても、緊張しないわけがないだろう。
「タカノブ・イシガヤだ。待たせたな。」
「イシガヤ家家臣、レイジ・モガミと申します。家老職を拝命しております。」
先ほどの声の老人が答える。柔和な好好爺の外観に見えて、その眼光は非常に鋭い。イシガヤ家家宰のオニワ長老が信頼する人物である。このモガミは幕府の独立戦争時代に自ら望んでイシガヤ家の家臣になった人物であり、その時勢を読む目を活かして現在の木星圏におけるイシガヤ家家臣団の中で幅を利かせてきたのである。しかしながら流石に同年代の隠居等が増えてきており、次世代の家臣団にその権力を奪われつつあった。
「私は譜代アークライン家のアークザラットです。CPGのエウロパ防衛隊を指揮しています。」
もう一人はまだ30代後半くらいの青年である。紳士然とした佇まいで、育ちの良さを感じられる人物だ。軍組織の指揮官には似合わない姿である。アークライン家は古くからイシガヤ家とは友好的な家であり、幕府独立戦争時代にもイシガヤ家を支援したことから、現代では譜代家臣の中で筆頭級に家名が上げられる存在である。彼はそのアークライン家の傍系ではあるのだが、能力の高さを認められこうしてアークライン家を代表する立場を担っているのである。
「木星圏での当家の管理、苦労をかけた。今日はお前たち二人だけか?」
同席するのは、モガミ、アークザラットに加えて、先に入っていたクスノキと、イシガヤに続いて入室したソラネだけである。
「御意。忠義に問題の無い家臣達はそれぞれエウロパで仕事をしておりますし、黒脛巾の者はここにおられるクスノキ殿に一任し、それぞれの任務についております。」
「……なるほど。それぞれ忙しい事はわかるが、つまり、家臣団はボロボロだと、そういうことかな?」
王族イシガヤ家当主の帰還である。華々しい出迎えがあってもおかしくはないところにこの惨状であるのだから、よほどのことである。家臣団にとって、自分たちの仕事の方が主君に会うよりも重要だ、というのと同じだからだ。
「ご明察の通りですな。」
「……そうか。」
モガミがそうあっさりと述べたことに対し、イシガヤは落胆しつつもそう応える。幕府内でも最大勢力を誇るイシガヤ家であっても、家臣団の統御が出来なくなってしまえばこんなものだ。
「若は顔に出過ぎですな。酷かも知れませんが、現状の説明をしても?」
「頼む。」
だが、いかに落胆する状況とはいえ、王族当主であるからにはそうそう逃げ出すわけにもいかないのである。
「それでは。先ず、御存知の通りCPGの役員は既にイシガヤ家に見切りをつけている者が多く、御当家の権利を侵す者達が増えております。5年ほど前までは私やこのアークザラット殿などを含め、御当家を御守りするつもりの者もおりましたが、社内人事によってそれらの者は閑職に追いやられた次第です。クラウン家や、スズキ家とバイブル家は静観している現状ですな。やはり、先代様がお亡くなりになり、イシガヤ家が木星圏に行使できる力が減少したことが大きいでしょう。名代のオニワ様は御一門ではなく、出来ぬことも多いでしょうからな。」
「なるほど。」
「私も本社にて取締役になっておりましたが、こうしてエウロパ事業部の管掌として飛ばされましたし、アークザラット殿は上に楯突いた結果、こちらの防衛隊指揮官として飛ばされたわけです。」
「……しかし、考えようによってはエウロパには信用できる家臣がいるわけだな?」
イシガヤは多少の期待を込めてそう言うが、
「それは若次第でしょうな。我々は先々代、先代には御恩がありますが、若にはまだありませんので。」
モガミ長老は、やはりあっさりとそう返すのである。
「世知辛いことだ。」
「世間とはそういったものですな。」
「……まぁいい。俺は先ずこのエウロパを完全に掌握したい。エウロパは木星最大の食糧庫だ。古来、何よりも先ず手に入れるべきものは食糧であって、兵でも武器でもない。」
「その通りです。」
イシガヤの言葉に、モガミもアークザラットも頷く。古代中国での戦いがそうであったように、まずは食糧が無ければ兵も民も養えない。これを確保することが何よりも重要である。兵が無くても、食糧を独占し、相手が飢えるまで耐えられるならば勝ちなのである。それを体現するかのように整備されたのが、このエウロパであって、イシガヤはそれを忠実に守り、そしてモガミとアークザラットもそれに同意するのであった。
「金は腐るほどある。出し惜しみしても仕方ないから、必要な武器の整備や施設の整備に使え。諜報資金の運用はクスノキに任せる。俺はしばらくマーズ・ウォーターの経営に力を入れつつ木星圏の事を勉強するつもりだ。社員の待遇が悪ければ改善をする必要もある。皆、力を貸して欲しい。」
「御意。」
モガミ、アークザラット、クスノキ、そしてソラネの一同が頷く。イシガヤが果たして優れた当主であるかは未知数だが、現状では無難な発言と思考である。それを受けて、モガミとアークザラットは、臣下として協力体制を維持することを決断したのであった。
モガミやアークザラットが帰った後、イシガヤは屋敷地下の応接間に籠り、マーズ・ウォーター社関連の書類を確認している。地上階にも応接間はあるのだが、地下を選んでいるのは防犯の上の理由である。現時点ではどれだけ信頼できる家臣がいるかはかりかねる状況にあり、安全を考慮したらこのようにせざるを得ないのである。
「このエウロパはまだマシだが、それでもだいぶ当家の勢力は低下しているのか……」
イシガヤが財務諸表や家臣名簿を見ながらそうなげく。これらは地球にいても見れたものであるが、現実にエウロパに来てから見れば、また見え方は多少なり違うものだ。
「御屋形様、お茶をお持ちしましたが……」
防犯に気を遣うイシガヤではあるが、このソラネに対してだけは無防備である。現状で寵姫というわけではないのだが、彼にとっては限られた忠臣である。何より、彼女がわざわざ彼を裏切る理由がない、というのが大きいだろう。
「ソラネ、お前もこっちにこい。」
来客に備えて急ぎで掃除を終わらせているため、この応接間は埃一つなく整理されているが、テーブルの上は彼の見る書類で滅茶苦茶である。
「お茶です。アールグレイで良かったですよね?」
彼は緑茶か、風味の強い紅茶を好む。特に少しイライラしているときなどは、風味の強い方を好むことを知っていての選択である。
「助かる、ありがとう。……ソラネ、これを見てどう思う?」
イシガヤは応接のソファーの隣にソラネを座らせて、肩の触れ合うような距離でそう尋ねる。それは親愛というよりも信頼の証である。
「……この10年で家臣が280人も減っているのですね?黒脛巾は微減で済んでいるようですが、経済官僚が激減してますね。財務はあまり変わらないようですけど……、これは?」
問われるソラネは、当年12歳にしては理解が速い。基礎教養科目程度は履修しているが、それ以上にオニワ長老から経済経営学について、特別に教育を受けていることが大きいだろう。彼女もまた幕府において信奉もされる女神の加護、つまり、巨大人型兵器サイクロプスの人工知能に対する適性はあるのだが、小柄過ぎて体躯に恵まれないため、パイロットや士官として軍事方面に進む将来を取ることが出来ない。そういった中でイシガヤの補佐をするとしたら、経済経営面での補助的な役割であろう。仮に側室にあがるとしても、その技能はイシガヤ家の統治に充分役に立つに違いない、そういった理由での教育は充分に受けているのであった。
「CPGからの出向者受け入れと、それらに対する賃金の負担をしているようだな。受け入れ自体は昔から多いようだが、この10年ほどは年々増えているし、人選がよくない。左遷3割、ポスト不足からの出向3割、研修2割、『こちら』をコントロールするための人材2割といったところか。」
イシガヤが出向者名簿を見ながら述べる。無論、これらのデータを集めてきたのがモガミやアークザラットなど親イシガヤ家派の家臣であることから、コメントなどを一定レベルで割り引いて考える必要もあるだろうが、疑って見ても仕方がないのである。何分にも、彼にはほかに頼れる家臣はいないのだから。
「『こちら』とは、マーズ・ウォータをですか?」
「そうだな。相対的に出向者への金銭負担が増えている。家臣が減った分の金はこれなどに流れているようだ。」
彼がそう指摘する。人件費の名目であるし、家臣が減ったところに出向者が補充されているのであれば、外観としてはあまり違いはわからないだろう。だが、内実はイシガヤ家の影響力が減少している証左である。
「CPGもイシガヤ家傘下ですが、マーズ・ウォーターは完全に私有ですよね?これだと将来的にCPGの影響が大きくなりすぎて、傘下企業になる道しかなくなりそうな気がしますが……。」
ここにおける違いは、マーズ・ウォーター・グループはイシガヤ家の私有会社として株式公開しておらず、全株式をイシガヤ家由縁のものが保持している点にあり、クリスタル・ピース・グループの方は株式公開をしており、イシガヤ家は50%以上の株式を保有してそれ相応の議決権を有している、という違いにある。マーズ・ウォーター社の方であれば社長としてどうとでも経営権を行使できるのだが、CPGについては人事権はあっても完全に自由に差配する事は出来ないのである。
「まぁ、そうなるな。このままではマーズ・ウォーター社はいずれ食われかねない。」
「宜しいのですか?」
「良いわけがない。CPGとマーズ・ウォーターは分けているからこそ、当家には力がある。CPGに権利を奪われては意味がない。」
「ですよね……」
「株主権限で強行するにしても、どうしたもんかな……」
対策は取らなければならないが、取れる方法が少ない。それに対してイシガヤは頭を悩ませるのであった。




