第02章 石狩会戦 05節
「ヤマブキが調子に乗って……」
野幌森林公園に陣取るヘルメス少佐が嘆息する。とはいえ、この戦線が支えられるのも、ヤマブキに敵の注意がそれているからでもある。
「ヘルメス少佐、敵の第2派、第3派がこちらへ……」
「迎え撃ちます。」
ヘルメスが指揮下の部隊に指示を与える。今までは味方陣地に被害が出ないように、陣地からの迫撃砲やロケットランチャー中心の攻撃ではあったが、いよいよ敵が迫ってくる状況では中距離から近接戦を行う準備を始めなければならない。同時に、被害を蒙るであろう各種野戦砲の砲手や工兵の撤収準備も必要である。撤退戦の準備もあるのだから、準備1つとっても多忙であった。
「カナン、民間人の避難は、後何分ですか?」
ヘルメスが民間人避難に必要な時間を問う。この被害甚大なる防衛戦を行うのは、総て民間人を逃がすためなのだ。
「うむ、あと20分だ。すまないが耐えてくれ。」
20分……後もうひと踏ん張りすれば稼げるであろう時間である。
「わかりましたわ。」
だが、生き残るためにはあまりにも長い時間であった。
今、戦火がこの戦場に渦巻き、
運命の炎は、その業火に飲まれ、
彼らの魂は、冥府へ向かい逝く。
我はヘルメス、冥界への先導者。
我が剣は折れ、鎧は砕け、
冥府は死神さえも吸い寄せるのか?
我が仲間を飲み込みて、勇者達の魂を無に還し
尚!
冥府の神、ハーデスよ!
汝が我を手招こうとも、
決して誘いには乗るまい!
地獄の業火に喉が渇き、
我が喉が甘き水を求めるようとも、
貴様のザクロなど受け取ろうものか!
たとえこの命貴様に奪われるとも、
我はヘルメス、盗賊の神。
我が命の炎、自ら取り戻して見せよう!
「……ふっ。女なのにヘルメスの名はおかしいと思っていたけど、私にはお似合いですわね。まさしく死神じゃない。」
砲戦の中でヘルメスが呟く。ヘルメスとは、商人や盗賊に崇められる神で、男神である。また、黄泉路を導く者としても怖れられている。そして、ヘルメス少佐の機体”フレイヤ”が灼熱の砲弾を撃ち放す。敵機を砕きパイロットを撃ち殺す、その機体の名が愛の女神の名前とは、皮肉でなくて何なのか。
「後、5分……」
ヘルメスが時計を確認する。あと5分で民間人の避難が完了する。でも、後5分もヘルメス少佐の隊は持ちこたえられないだろう。それだけ敵は進軍を早めて来ているのだ。既に多くを揚陸したロシア軍にとっては、圧倒的優勢なサイクロプス部隊の波で伊達幕府軍を飲み込んでしまえば良いだけである。気丈な彼女とて発狂しそうになる圧倒的不利な地獄の中、冷静さを保てるのは、せめて愛する夫であるカナンティナント・クラウンの眼前で死ねるであろう、という事があるに過ぎない。もっとも、彼女は”現代の巴御前”と称された程であり、簡単に死ぬものでもあるまいが。
「ヤオネさんが危ないわね……」
砲撃を受け続けるヘルメス少佐の野幌森林公園周辺陣地もさることながら、それより前面にあるヤオネ大尉指揮下のモエレ沼周辺に陣取る味方部隊への砲撃はさらに激しい。雨のように撃ちこまれる砲撃により周辺の土は舞い上がり、土煙が高くあがっている。サイクロプスはまだしも、戦車や野戦砲は尽く破壊され、操縦士は尽く死に絶えているであろう。ヤオネ隊が突破されればいよいよヘルメスの陣地である。ヤオネ隊も僅かな兵力でよく耐えたものである。
「……ヤオネ・カンザキ隊崩壊!全滅でこそありませんが、既に陣地を保てず壊乱しました!」
ヘルメス少佐指揮下の兵が大声を上げる。当然である。
「残機は覚悟せよ!家族同胞を守り抜きます!」
「ヘルメス少佐、しかしフレイヤの損傷が!」
致命打でこそないが、ヘルメス少佐のフレイヤも雨霰と降る遠距離攻撃を受けては、深刻ともいえる損傷を受けているのが悲しむべき事実である。
「構っていられますか!楯は砕けるまで守り抜くものです。たとえひび割れても、砕け散るまで守り抜いてこその楯です。そして……フレイヤはヴァルハラヘ死者を導くヴァルキュリアの頭目。たとえこの機体が砕け散ろうとも、ヴァルハラで再会するまで!」
ヘルメスが吼える。
「ヒラツカ隊壊滅!」
ヒラツカ中尉が指揮していた野戦砲部隊が壊滅する。
「逝きますよ!地面へ一砲撃後、敵陣へ一斉射撃!残機は敵陣に斬り込めぃ!」
ヘルメスの指揮で一斉に地面へ砲撃が加えられ、土埃が舞い上がる。単に突撃前の目くらましである。
「敵の方が圧倒的に数が多いです!」
「そうですわね。では、ヴァルハラの園で再会しましょう!同士討ちを避けるために敵陣に踊りこみます!」
ヘルメスのフレイヤが輝きだす。これはフレイヤに組み込まれたガディス・システムの輝きである。しかしながら、彼女の機体を輝かすものは死に行く兵達の魂では無いのだろうか。まるで悪鬼の如くフレイヤのライフルが咆哮を上げ、そのサーベルが敵を薙ぎ倒す。敵はヘルメスの前進に戦慄し、道を開け、血塗れの旋律が流れ出す。殺戮の饗宴、麗しい鮮血の舞踏……
「んっ?」
急に敵の殺意が減り、動きが鈍くなった事に不審を持ち、ヘルメスが疑問の声を上げる。
「ヘルメス少佐、敵が撤退していきます!」
「……なに?」
「いえ、敵が……」
ヘルメスにそう問われた兵にも、敵撤退の原因等判ろうはずが無い。
「そうか。解ったわ、追撃はするな。我が隊の残機は?」
「ヘルメス少佐と私の2機のみです。」
むしろ2機も残っているだけ凄いとしか言いようが無い。
「……そう。本陣のクラウン隊に合流します。続け。」
黒脛巾の工作か幕府諜報部の工作が功を奏したのであろうか。そうでなければ敵が退くわけが無い。
「クスノキ中尉から連絡です。タキ中将からの協力を受け取ったとの事です。読み上げます。」
黒脛巾"クロハバキ"は、イシガヤ家やバイブル家の家来筋の者達であり、企業グループCPG発祥の諜報部隊である。さらに遡れば、200年前に独立戦争を起こした宇宙側勢力の中で、月に拠点を持っていた将軍の工作部隊だったという伝承を残している。かつては違う名前だったと言われるが、戦国武将伊達政宗の隠密部隊黒脛巾から名前を取って久しく、かつての名前は亡失されている。そして、クスノキ中尉はその最高責任者である。遊撃隊旅団長を務める彼も百戦錬磨の指揮官でありパイロットであるが、黒脛巾頭領格としての価値の方が数倍高い。情報収集力、分析力は、戦略立案上、最高の価値を持っている。
「蝦夷地及び木星の半分を治める、親愛なる伊達幕府軍副司令・蔵運内大臣橘香楠庭南都へ。日本東国を治める東国鎮守府多喜左大臣源一氏は貴国の要請に従い、貴国の兵士及び貴国領仙台に住む民間人の亡命を受諾。また、軍事演習のため貴国海域函館沖へ進軍中なり。同胞の誼、もちろん許可して頂けると思う。」
通信兵がそのように読み上げる。タキ中将の統治する東日本の資源を支えているのは伊達幕府の火星領、木星領である。彼の領地は精密機械製品などを製造し販売する事が得意ではあるが、反面、日本列島という特性上資源供給に難がある。世界各国はこの戦乱で他国への資源供給に必ずしも協力的というわけではない。故に、タキ中将としても簡単に伊達幕府を見捨てるわけにも行かない、という事情もあるだろう。
「しかし……タキ中将の展開も速いわね。」
そうヘルメスが呟くのも無理な話ではない。伊達幕府とハーディサイト指揮下の東南亜細亜連合との開戦から約18時間。その間に牽制の小部隊を遊弋させるに加え、外交交渉もかなりしており、ハーディサイトとの不戦条約等の何かも取り付けつつあるに違いない。そうでなければ彼の戦力で当国への援護行為はかなり危険だからだ。それをしてのけるという事は、油断のならない手腕を有しているという事である。
「敵は逃げるわ!追撃する!」
敵が退く一方、ヘルメス少佐の通信機にヤマブキ曹長の声が響く。
「こちらヘルメス少佐です。ヤマブキ曹長、貴女の隊で残っている機体は?」
「私だけだよ!みんな死んじゃったよ!それがっ!!?何っ!!!?」
多くの隊士が戦死した上に、彼女自身死の恐怖と隣り合わせで戦ってきたのだ。冷静であるわけが無い。
「……き曹長、ヤマブキ曹長聞こえるか!?深追いは禁物です!いったん下がってください!」
通信機から切迫したような声でヤマブキを制止する声が聞こえる。
「その声はカタクラ大尉ね。現行の指揮官は私、ヘルメスです。余計な口出しは無用にしなさい。また、ヤマブキ曹長に告ぐ、直ちに戻りなさい。追撃は不要!」
ヤマブキ曹長が冷静さに欠けるのはいつもの事ではあるが、後方に居るカタクラ大尉ですら冷静さを失ってる状況……味方の被害がそれほどに甚大であるという事だろう。
「逃げる敵を追撃するのが兵法の定石でしょ!」
ヤマブキがそう抵抗する。
「ヤマブキ、あなたはカタクラの長老に何を習ったの?追撃もして良い時と悪い時がある。追撃をするなら隊列を整え、敵の半分が補給艦や空母に載ってから追撃するの。よろしいですね?」
「でも私は行くのっ!1機でも多く落として見せるんだから!」
彼女の駆るペルセウスは、狂将とも呼ばれるイシガヤ少佐の突撃戦仕様のサイクロプスである。やわな機体で押し止められるような性能ではない。
「みんなを殺しておきながら、逃げるなんて許さない!」
美しい彼女の顔は、いまや鬼気として狂気に染まっている。
「ヤマブキ曹長、危険です!ヘルメス少佐、この際ヤマブキ曹長を援護しましょう!彼女を危険にさらすわけにはいきません!」
崩壊したヤオネ隊ではあったが、どうにか彼女自身は生きていたのか。しかし、満足にレーダーが捉える事ができないというのは、彼女自身の撤退の鮮やかさもさることながら、機体の損傷がよほど酷いためであろう。
「ヤオネ、貴女の機体に戦闘能力はもうありません。堪えなさい。」
「しかしっ!」
「王族であっても家族友人であっても、ここは戦場です。一人のために全軍を危険には晒せません。ヤマブキ、貴女はさっさと戻りなさい!」
しかし逆上している彼女は止まらない。ただ幸いにして、敵は総て海上の輸送艦に逃れたようだ。ペルセウスには海上を走破する力は無い。
「くそぅ!逃げるなんて許さないんだからぁぁあああっ!!!!」
とりあえず、これ以上の追撃はできるわけがなく、ヘルメス少佐は状況の確認と撤退指揮を続ける。いつ攻撃が再開されるかわからず、既に国民の避難が完了しているならばさっさと逃げるに越した事は無い。
「こちら作戦司令カナンティナント・クラウン中佐である。総帥シルバー・スター大佐の指揮する第2次釧路沖会戦の経過は不明だが、石狩の敵はあらかたが撤退を開始したため、このチャンスに我が方も撤退する。残兵の一部と使用可能兵器類は仙台に移送し、その仙台自体をタキ中将にお預けする。すぐ宇宙に出られる者は、旭川・苫小牧のシャトルや脱出艇へ。いったん残存する者は、陸路空路で函館からタキ中将の青森伝いに仙台へ向かえ。」
本来地球に残したい指揮官や兵と、宇宙に上げたい指揮官や兵とは異なるが、ともかくも一旦は撤退させる必要がある。後の事は生き残ってから考えれば良いだろう。仙台に離脱する者は遊撃隊のクスノキ中尉とサナダ中尉が指揮を取る手はずになっており、ヘルメスやクラウンは宇宙に離脱しなければならない。一刻も早くだ。
「ちょっ!?まっ……まさか…………」
「どうしました、カタクラ大尉?」
珍しく素っ頓狂な悲鳴を上げて絶句したカタクラ大尉に、ヘルメス少佐が問いかける。仮にも参謀総長の彼が驚いたのだから、相当な事件があったに違いないのだ。
「緊急通信です。ヤマブキ・スター曹長が死亡しました…………」
「……はぁ?」
その答えにヘルメス少佐もまた気の抜けたような声を上げる。戦闘は一旦終わったはずである。ヤマブキ曹長のペルセウスは海上への追撃は不可能なため、岸壁で動きが止まったはずだ。それは確認している。そして、彼女の乗るペルセウスの分厚い装甲をもってすれば、たとえ海上から狙撃されたとしても、そう簡単に撃墜されるはずは無い。
「この戦況で撃墜されるなどありえないでしょう?なんであの子が死ぬの?」
「良く判りません。ヤマブキ様はコクピットを解放したようです。付近に居た敗残の友軍兵の話では海に向かって叫んでいたようですが……敵兵に射殺されたと…………」
「敵兵?歩兵が隠れているのですか?」
敵の揚陸部隊が隠れていたという事だろうか。
「いえ、脱出した敵パイロットだと思われます。」
歩兵ですら無い兵に、圧倒的な性能を誇る突攻機ペルセウスが行動不能にさせられるとは、何たる皮肉か。
「主筋のヤマブキ様を独り黄泉に送るわけには参りません。ヘルメス・バイブル少佐、今生の御暇を……」
カタクラ大尉がモニター越しに蒼白な顔でそう告げる。出撃して殉死するつもりなのだ。忠臣ではあろうがそんな状況ではない。
「カタクラ、貴方が死んでどうなるものでもない。あの子の黄泉路には多くの将兵が付いて逝きます。貴方は今後に備えなさい。」
「しかし……」
「貴方はシルバー大佐の腹心です。釧路沖の結果は解りませんが、彼女はまだ生きているかもしれません。主君を見棄てて逝っては不忠です。耐えなさい。」
「判りました……」
カタクラが肩を落としてそう答える。カタクラは主筋とは言うが、子供の頃から一緒に育ったも同然の彼女を失うという衝撃は、単に主筋というだけのものではない。
「それに……あの子が死んだ事と、一兵士が死ぬ事と何の違いがあるというのでしょうか?貴方も兵士達を沢山死地に追いやってきたのでしょう?撤退の総指揮は私が取りますから、カタクラ大尉も私に従いなさい。」
「はい……。」
「また、負傷者の保護とともに、諸兵の遺体は即時集めタグを回収してから埋葬しなさい。遺体を宇宙に持っていくわけにも行きません。急ぎなさい。軽傷者は仙台へ、重傷者は……従軍医師が残り、石狩基地で治療に当りなさい。従軍医師は、捕虜になっても捕虜交換の際に将士より優先して引き上げます。……それにしても無惨ですね。死者達が無事にヴァルハラに迎えられるように祈りましょう。女神の加護を……」
出来ることはそれくらい、である。