第09章 木星とエウロパ 05節
「シルバー閣下、お早いお着きで。ご無事で何よりです。」
エウロパの港にてシルバー一行を出迎えるのは、紳士然とした背の高い中年男性である。物腰の柔らかさに反して、眼光は鋭く深い知性を感じさせる瞳だ。
「最上義信……ヨシノブ・モガミ中佐、出迎えご苦労。」
モガミ中佐、彼は伊達幕府軍の木星方面軍を預かる方面軍団長であり、幕府軍の将校の中では、副司令であるカナンティナント・クラウン中佐、カナンティナントの父で木星方面軍を預かるマーク・クラウン中佐に続いて序列3位である。いずれの中佐にも言える事だが、彼もまた守勢にすぐれた指揮官であり、政治・経済に秀でている。
「いえ。入港時はお手間をおかけして申し訳ありません。」
さほど申し訳なくも思っていないような言い方でモガミ中佐は謝罪を述べる。
「お前がいながら、何故足留めを受けるのか?」
シルバー大佐の指摘はもっともなものである。必ずしもソラネに対する八つ当たり、というだけではない。事実確認も必要である。
「シロイシ殿が申し上げた通りです。」
それに対して、モガミ中佐は無難な回答でお茶を濁そうとするが、シルバー大佐はそれを赦さずに詰問を続ける。
「クオン曹長は妻ではあるが側室という立場、場合によってはわからなくもない。しかし、私はタカノブの正室だが?正室が家の拠点に帰還できないなどおかしいではないか。家宰格をもつとはいっても、側室のソラネよりは少なくとも立場は上のはずだ。」
厳密にいうと、タカノブは伊達家の婿であって、シルバーは石谷に嫁いだわけではないので、伊達家の正室ではあっても石谷家の正室かというと微妙なのではあるが、正室は正室である。
「はい、立場はシルバー様の方が遥かに上でございましょうな。お一人または少数の供回り程度であれば、入港を拒否するようなことは無かったでしょう。これはクオン様についても同じです。しかしながら今回は相当規模の軍勢を率いてらっしゃる。然るべき手続きまたは、権限を持つ方と同行でなければ、たとえ御一門であってもエウロパの門を閉ざさざるを得なかった、というのが実情です。事実、御一門であってもイーグル様は謀反をなされておりますからな。」
「なるほど……。」
「ソラネ殿は、若いながら石谷家家宰の任を亡きオニワ長老より引き継いでおられ、エウロパの拠点を有するマーズ・ウォーター社の役員であり、エウロパ防衛部隊を有するCPG社の非常勤役員でもあります。充分な権限を有していると言えましょう。艦隊にはクスノキ殿もいらっしゃいますが、流石にクスノキ殿の権限でもこれだけの艦隊入港は許可されなかったでしょう。軍属であれば、CPG名誉副会長職と石谷家宿老職のオニワ殿か、石谷家における地球方面を全権委任されているヤオネ殿程度へしか、無条件での入港許可は出なかったものと思われます。」
一門筆頭格であり、黒脛巾という石谷家の私設諜報部隊を率いているクスノキ中尉でダメならば、確かに権限は厳しいのかもしれない。
「ではモガミ、貴官はどうやって入港したのだ?」
シルバーが問いかける。
「ご質問は尤もですな。私は入港に関してそれなりに監査を受け入れておりますが、比較的円滑に入港は叶いました。私自身は石谷家家臣ではありませんが先々代の石谷友信様より『信』の一字拝領し義信を称しており、この拝領文字は鬼庭家、楠家にしか与えられておりませんでしたので、石谷家に対する影響力は並の家臣以上です。そして、それ以上に父は石谷家家臣の中でも宿老格を与えられおり、オニワ長老亡き今ではソラネ殿に続いて序列二位です。軍属ではありませんがこの父を伴いましたので、円滑に入港する事が叶いました。」
モガミ長老は高齢ではあるが、それだけに伊達幕府独立戦争の頃からCPG社に勤めていた古参である。当時は重職を勤めていたわけではないが、過去を知る生き字引でもあり、勤続年数を重ねるにあたってCPGの重職を歴任してきている。幕府成立後はいち早く石谷家家臣に納まっており、エウロパという圧倒的に優越した底力を有する石谷家において辣腕を振るってきた、抜群の先見性がある人物であった。現在では第一線を退いてはいるが、タカノブが当主となった際に専横により旧臣達の一部が討滅されて以降、木星における石谷家とCPGの橋渡しは事実上モガミ長老の権勢下にあると言っていい。
「なるほど。お前の父は確かにイシガヤの宿老であった。」
その説明にシルバー大佐は納得する。伊達家においても通字を与えることは重要な意味を持つし、宿老の立場というのは非常に重いものだからである。伊達家における通字を与えられる宿老クラスと言えば、同家を陰に日向に支え続ける片倉家や真田家であるから、それに匹敵するのであれば軽視できるわけがないのだ。
「それで、私の名で艦隊の収容はできるか?」
モガミの問題がとりあえず片付いたのであれば、次に重要なのは艦隊の事である。いつまでもソラネの指揮下で軍を動かしているわけにはいかないのだ。
「はい。ソラネ様から権限委譲の形を取らせていただきます。マーズ・ウォーター社の緊急取締役会を明日にも開催予定ですので、緊急の問題が無い限りにおいては、エウロパ港内にて軍事兵器は待機させておいて頂きたく。」
実質的には、会社を有するタカノブの代理として全権を委任されているソラネが、あらゆる許可を下すための会議でしかないのだが、手続き上は必要なものだ。
「わかった。他に私のする事は?」
「ございません。マーズ・ウォーター社にて貴賓室をご用意しております。しばらくお休みください。」
「そうか。後は任せる。」
「承知しました。」
シルバー大佐は総司令であるから、入港に伴う細かい事務や調整などはする必要は無い。そのあたりは細かい事情を知っているマーズ・ウォーター社や木星方面軍に任せればいいのである。
「シルバー様ぁ!貴賓室はこっちです!」
貴賓室に向かう途中で声を上げるのは、カリスト・ハンター大尉である。またカリスト大尉にはクオン・イツクシマ曹長が同行している。カリスト大尉はシルバー大佐にラフな発言をしてはいるが、彼女たちは歳も近く友人と言っていい程度には仲がいいので、作戦行動中でなければ特に問題は無かった。
「カリストにクオン、貴女達も一緒に休憩しましょうか。」
「そうですね!部屋めちゃくちゃ広くて豪華ですよ!」
クオン曹長の方は淡々と部屋に入ろうとする一方で、カリスト大尉が割とはしゃいでいる。対照的にも見える彼女達だが、いずれも兵站線確保に優れた戦術参謀の才能を持っている。クオン曹長の方には統率能力は無いが反面戦術判断能力は高く、カリスト大尉は兵を動かす統率にも優れており副軍団長を務める程度の能力はあった。
「これは……、タカノブにしては豪華ですね。」
シルバー大佐が感嘆の言葉を漏らす。彼女の夫であるイシガヤは節約家ではないが、屋敷を飾る事に全く興味が無いため、王族にしては質素な作りの建屋や部屋を用意している事の方が多い。曰く、飾りが戦や政の役に立つのか、何時壊れても気にしない程度のもので良い、単純に邪魔、などである。客から貰ったものなどは専用の応接間に飾っていたりするし、訪問先への手土産や家臣や妻などへの贈り物は然るべきものを用意するので、単純に自分のものに興味が無いというだけであった。
「シルバー様、美術品についてもどれも比較的良いものが多いですが、大半がタカノブの趣味ではないので、単純に贈り物を飾っているだけかと。」
華やかな画風の油彩を眺めながらクオン曹長が言及する。彼女はイシガヤに目を付けられて側室にされた上に軍人となっているが、元々は芸術家になるのが夢であり油彩水彩を問わず絵を描くことを趣味としているので、絵画についてはある程度の見識はある。流石に部屋の正面に飾られている絵画は億単位はする然るべき画家のものであったが、他は数十万から数百万程度の贈答用に使われるような感じの絵画であった。イシガヤの趣味で選ばれていたらならば、華やかなタッチの絵画はあまり置かれないであろう。
「マーズ・ウォーター社は5代前のイシガヤ家当主が、当時独立戦争をして敗れた国家の人員を従業員とし、火星に逃げ延びた彼らの仲間へ水や食料などの物資を送るために作った私有企業で、同時に表で活動したCPGと並んで歴史が古いですからね。それなりの応接間が必要なのかもしれませんね。」
宇宙世紀0080年頃、今から遡れば200年も昔の話である。当時のイシガヤ家当主はその敗北した国家の女将軍指揮下の諜報員を務めていたが、敗戦のどさくさに紛れてその人員や一定の資産を引き継ぎ、元々親族から相続していた企業を拡大し、CPGとマーズ・ウォーター社を創り今に至る。石谷家の有する工作員部隊『黒脛巾』はこの諜報員達が集まって作られた歴史を持ち、戦時工作から産業スパイまで多岐に渡って任務を務めるが、この資金を供給するための企業が前述の2社であった。また、幕府の王族はいずれもその女将軍の指揮下に居た者達であり、伊達家が最高階級として大佐であるのは、当時の階級に敬意を表しての事であるとも伝わっている。
「この騎士リアの女騎士像はどこにでもありますね。それとこの『北宋の壺』という題名の置物は変な形ですね……。価値が判りません。」
「シルバー様、それはどうもそこそこ古く作られたもののようですが、何かを題材にした記念品のレプリカか何かのようですね。価値は無いかと。」
割と大事そうに展示されていた謎の置物について、クオン曹長はばっさり切り捨てる。実際、題名と違って置物は北宋時代の壺の形をしていないし、何なのかはこれを知っているものしかわかり得ないようなものだ。価値などない。
「なるほど。ところで、私たちはこうして休憩しているものの、部下達の宿舎などはあるのでしょうか?エウロパの入港でこう揉めるようでは、しばらく艦内生活を続ける必要があるのかどうか……。眼前にそれなりの都市があるのに、兵達の士気が心配になります。」
シルバー大佐が若干憂いた表情で述べる。入港時にエウロパから防衛行動を取られたのであるから、充分な受入準備ができているかと問われると、いささか期待薄である。一方で、地球圏から離脱してきた幕府将兵は疲労が溜まっており、可能であれば早めに陸の宿舎などで休みたいのが心情であろう。そんな中で都市を眼前にすれば、士気の低下は免れない。イーグル・フルーレとの戦闘を控えて、それはあまりいいことではなのである。
「シルバー様、それについては先ほど確認しましたが、既に10万人程収容可能な宿舎が新造されているようです。当艦隊が2万人程度、避難民を入れても8万6千人程度ですので、問題は無いかと思われます。衣服を含む日用品の供給についてはエウロパ単体ではそれほど余裕がある様には見えませんが、エウロパ在勤者にはなるべく遠慮をして貰えば、差し当たっての物資は確保できるようです。食料は、エウロパ自体が最大の食糧生産地なので、贅沢品や嗜好品はともかく、飢えることはあり得ないですね。」
エウロパの平時の人口が100万人程度に対して、追加で10万人分というのはかなり大規模な工事となる。実際には木星帰還の時点でイシガヤが指示を出し、ある程度の下準備は整えていたのた。新造したものは10万人分程度ではあるが、組立可能な簡易建築物の材料は多く確保されており、集団生活にはなるが多人数を収容可能な設備も多く建設済みである。いずれも、本質的にはイシガヤ家がエウロパに籠城するために用意されたものではあるのだが、そのあたりの政治的な事までは彼女らは思いつかないのであった。
「部屋割りも確認したのですが、少尉未満が2DKの個室、少尉以上は3LDKの個室が用意されているようです。宿舎からは2〜4kmくらい離れますが、従来の市街地もありますので買い物等にも特に問題は無いと思われます。移動手段は用意されているとの事でした。」
クオン曹長が追加情報を述べる。
「えらく広いね!でもそれならのんびりできるしよかったなぁ。集団生活だと兵達も大変だし、私も気を遣って嫌だしねぇ。」
それに対して、カリスト大尉がソファーに埋まりながら気分よさげに言う。広いのは、元々家族向けに用意した物件であって、それを軍属に回したからだ。今の所エウロパへ避難している木星圏住民は限られているので出来る対応である。
「なるほど。クオンさんありがとう。ところで、窓の先に見えるあの屋敷は何かしら?そこそこ立派な屋敷に見えますけど。警備を考えると私たちまで宿舎というわけには行かないでしょうし、必要最低限には執務を執り行える規模の建物が必要なので、どこか接収する必要があるのですが。」
シルバーが述べる。軍務に関する話はしているが、既に気分は休息モードである。流石に彼女も疲れているのだ。
「イシガヤ家の別宅のようです。」
流石に参謀としてクオン曹長の調査に抜かりはない。対して何もしていなかったカリスト大尉は若干慌てるが、今更どうにかできる事でもなく、おとなしく会話に参加せずに眺めている事に決めたようだ。
「では、私たちもそちらへ?」
シルバーの質問は尤もである。彼女たちはイシガヤの妻でもあり、また身辺警護の事まで考えると、一般宿舎とは離れた方が良い。艦内生活においてはそもそも安全と信じている兵士達と一緒であり、他にどうしようもないが、都市に出てしまえば別である。
「いえ……。モガミ中佐から頂いた名簿によると、現時点では私達も兵達と同じ場所の宿舎が割り当てられているようです。場所などは流石に考慮されていますが……。また、あちらの屋敷にはソラネが入っているようで、名前が記載されていますね。」
「…………。」
クオンの報告にシルバーが黙る。空気が、重い。実質正室のシルバーや、側室としては格上のクオンを差し置いてソラネが屋敷に入っており、彼女たちは兵達と同じ宿舎が割り当てられている。もちろん、ソラネはイシガヤ家の家宰であるから屋敷の管理責任はあるのだが。カリストは流石に目をそらしながら会話に巻き込まれないように気配を消そうと努めるが、既にこの部屋にいる時点でそれは遅いのだ。当然ながらシルバーに目を付けられ話を振られる。
「カリスト、貴女はどう思いますか?」
この場から逃げ出したい、そうは流石に言えない。何がどうなのか、問題はそこである。果たして屋敷の事なのか、ソラネの事なのか、イシガヤの事なのか。聞いていませんでした、というには、回答しにくい問題を再度質問されたときに厄介である。政治的に機微に疎い彼女であっても、女である。女性同士の会話における地雷、というのは、流石にある程度は察しはつくのだ。少なくともこの3人の中では、カリストが一番女性らしいのだから。
「あはは……。屋敷の事なら、イシガヤさん色々伝え忘れてたり考えてなかったりするんじゃないかな……。あの人だいぶうっかりしているし、ソラネさんに丸投げしてますよねそういうの……。」
戦場を伴にする事も多く、カタクラ長老に直接学んだ同門という事もあって、カリストもまたイシガヤの事はかなり知っている。まぁどちらかというと、彼にクオン曹長やヤオネ大尉のような参謀が付いていない場合、うっかりの後始末をさせられたせいではあるのだが。
「……あり得ますね。」
「……あり得る。」
シルバーとクオンが残念な顔をしつつ頷く。幸い、上手い事衝突は回避されたようだ。今ここで権力を持つソラネを非難しても良いことは無い。イシガヤなら非難したところでこの場にはいないし、それがバレたところで笑われるだけだからセーフだ。
「失礼します。」
カリストが安堵したところで、部屋の扉が叩かれる。メイドだ。可愛らしいメイド服を着ているが、それは趣味なのかと言うと、趣味なのかもしれないが、基本的には屋敷の中で身分をはっきり区別するためのものである。
「ソラネ様からお言付けを預かって参りました。」
「よろしい、入れ。」
「はっ。」
シルバー大佐が姿勢を正す。流石に王族とだけあって、こういう場合の切替は早い。それが出来ない王族当主が2名ほどいるが、それはそれこれはこれ、である。
「要件は何か?」
「ではお伝えいたします。シルバー様とクオン様は、館の本館をお使いください。宿舎では警備にやや難がありますので。とのことです。本館につきましては見通しの良い人工の台地の上に、口の字型をして建設されております。屋敷の表層側は来客用、240mm砲やビーム砲程度であれば防ぐ事が出来る装甲壁を挟んで内側に生活区として奥方様や、使用人の居住区がございます。採光等は中庭から取れますが、市街地等は来客用の区画に行かなければ見れません。上面防御は対ビームフィールドは常時展開しておりますが、実弾攻撃を完全に防ぐ事はできません。屋敷は基本的に市街地など陸地からの狙撃対策用のものになります。上空に敵機が居るという状況は既に防衛隊と戦闘中と思われますので、その場合には人工台地の中にある地下隔壁室への退避等お願い申し上げます。地下隔壁室には巡洋艦相当の通信室、索敵室、3年程度は居住に耐え得る資材、強襲揚陸艦、防衛隊のサイクロプスのカスタム機が数機、ガディス・システムを搭載した量産機「ニンフ」が1機配備されております。」
釧路本拠の石谷屋敷に比べてやや大掛かりな仕掛けであるが、同系統の内容である。釧路の場合には平地の広大な砂利庭の中央に防御壁で囲った和風屋敷を構えて、銃弾の飛距離から守ると同時に高い場所に立地しないことで狙撃する場合の狙いをつけづらいようにする意図がある。地下は同系統の構造だ。このエウロパにおいては元々住民が居住していた釧路よりも大規模な造成工事が可能であったことから、大掛かりな仕掛けになっている。勿論、エウロパ側の屋敷の方が頑丈である。
「承知した。それでソラネはどうするのか?」
「屋敷の名前の事ですか?あちらの屋敷はタカノブ様の屋敷になりますので、奥方様それぞれのお部屋を用意しております。ソラネ様も御側室ですので用意しております。ただ、ソラネ様は本館横に私邸もお持ちですので、タカノブ様ご不在の昼間はそちらでCPG関係の執務を取られるとの事です。」
「私邸……」
シルバーが呟くが、それは軽い嫉妬である。警備を考えれば本館の方が安全なのだが、私邸を与えられている、というのがちょっと癪に触っただけだ。
「本館には護衛を兼ねて侍女が居りますので、ソラネ様がいらっしゃらない間も、それほどご不便はお掛けしないものと思われます。侍女については信用に値する黒脛巾の者やその子女を充てますので、ご安心ください。」
「わかった、と、伝えよ。」
「承ります。要件は以上になります。」
「では下がれ。また、ついでに紅茶3人分の用意を頼む。」
「承知しました。シルバー様付きの侍女に伝えます。」
「お前は?」
シルバーが疑問を呈す。彼女自身が侍女なのであれば、わざわざ別の者に伝言しなくても良いはずである。
「私はソラネ様の家臣になりますので。それでは、失礼いたします。」
「…………。」
立ち去るメイドをシルバー大佐は無言で見つめる。
「……シルバー様、籠の鳥、というのは、あまり気分が良くないですね。」
クオンがシルバーに述べる。所作からみても、先のソラネの家臣というのは黒脛巾の工作員である。それだけ屋敷は厳重管理されており安全性は高いという事ではあるのだが、反面、それは彼女達の行動は把握されている、という事で相違なかった。まさに籠である。
「……クオン、しばらく待ちましょう。ソラネはヤオネほどは手に負えなくはないですし。」
「まぁ、それもそうですね。」
二人の会話にカリストは口を挟まない。実際、ソラネは礼儀正しく優しくはあるのだが、かなりの権限を持つだけに敵対しても面倒なだけだからだ。ただ、ソラネは経済中心にイシガヤ家の家内業務についてはヤオネより実務経験は多いが、ヤオネと比べれば政治的影響力や軍事的才腕は明らかに劣る。経済面や家内業務については実務経験が少ないだけで適性が無いわけではないので、そういった意味ではヤオネの方が遥かに手に負えない、というのは事実だ。
「シルバー様、失礼します。飲み物をお持ちしました。」
指示から数分と経ってはいない。
「よろしい、入れ。」
特に疑念を持たずに入室を許可したシルバーであったが、入ってきた人物を前に若干の動揺をする。もっとも、普段から冷静冷徹な彼女であり、その動揺も親しい人物にしかわからない程度の所作ではあるのだが。
「シルバー様、クオン様、手に負えるソラネが飲み物をお持ちしました。」
手に負える、という事は室内の会話が聞こえていたという事である。飲み物も戻ってから準備するには到着が早いのだ。
「ソラネ、壁が薄いのは関心できません。」
シルバーが苦言を呈す。
「壁はライフル程度であれば防げる程度に厚いです。防音も完璧で床下・屋根裏もありません。ただ、盗聴器があるだけですね。シルバー様も、入室時には盗聴器などにお気をつけください。私が申し上げるのもあれですが、不用心かと思います。」
それに対して、若干の嫌味はあるがソラネが忠告する。実際、長旅を終えて自分の夫の勢力下に入っているのだ。気が抜けていたというのは事実である。艦内や軍事施設内であれば部下たちが十分気を付けているし、屋敷内であれば身内ともいえる黒脛巾が十分気を付けているのだが、ここはあくまでもマーズ・ウォーター社の来客室である。
「わかりました。」
「どうぞ。」
シルバー、クオン、カリストの3人に飲み物が配される。3人とも比較的好みの銘柄の紅茶である。流石にこういった面でソラネは気が利くのだ。
「ソラネ、貴女が来たからには何か理由があるのでしょ?」
それはさておきシルバーが問う。忙しいはずのソラネが来たのだから、重要な話題に違い無い。
「はい。まず権限のことです。すでにシルバー様の権限で、エウロパにある幕府木星軍サイクロプス500機とCPG防衛隊の1400機、他主要戦闘艦360隻、小型サイクロプス3600機を動かせます。それ以外は自衛のため貸し出しません。また港湾や基地については、朱雀門、青龍門の白虎門の第2整備区画まで使用可能です。玄武門全区画とそれ以外の第3区画以降は商船利用のため使用禁止です。」
「わかりました。」
「それと館のことですが、既に警備体制も整えました。屋敷内外に黒脛巾の護衛を複数配置しております。譜代や古参の特に信用できる者たちから選んでおりますので、ご安心ください。」
「盗聴器もですか?」
シルバーの疑問は尤もである。別段嫌味というわけではないのだが。
「いえ。そのような物を置くと意図せぬ者にも情報が漏れる心配がありますので。盗聴器やカメラなどの設備は一切配備しておりません。」
通信機器をジャックするのは元々はイシガヤ家のお家芸であった技術であり、特にそういった設備には十分な警戒をしているのである。緊急連絡以外は割とアナログな手段を取るが、故に電子戦を仕掛けられる恐れも低い。
「わかりました。それで、他に何か?」
「ありません。こちらの片付け等は侍女が行いますので、宜しければ屋形でおくつろぎください。私の方はしばらく業務を行う必要がありますので、失礼されて頂きます。」
「わかりました。ソラネ、また夜にでも相談相手になりなさい。政治・経済・兵站に関して質問事項があります。」
そういった面で、シルバー自身、知見が少ないことはよくよく承知している。タカノブが居ない現状においては、ソラネに質問する事が一番早く確実で、且つ影響力があるのだ。お互いにそれなりに思惑があるにしても、同じ男を夫として一蓮托生の身にある現状、協力する方が都合がいいに決まっているのだ。
「承知いたしました。それではしばらく失礼いたします。」
ソラネが退出する。さしあたってはCPG関連の業務を一通り終わらせなければならない。タカノブが居ない以上は彼女が代理であるからだ。無論、木星に侵入しているタカノブが重要なやり取りをする担当ではあるのだが、エウロパまで安全に連絡をする事は至難の業である。彼女が意を汲んで指示実行するしかないのだ。責任重大であり、まだ18歳と年若い彼女にとっては重圧ではあるが、幼少よりオニワ長老からそれらの業務を叩き込まれているため、どうにか業務を回せそう、という所であった。無論、エウロパのイシガヤ家家臣団の協力があっての事ではあるが。
「では、私たちは紅茶を飲んだら屋敷へ行きましょう。カリスト、貴女も来なさい。簡単な軍議します。」
シルバーがお茶を飲みながらカリストに伝える。事実上の命令である。
「えぇ……。あのシルバー様……私、有給休暇取得してます……。流石に遠征業務で疲れているんで。」
実際、帰還艦隊の総指揮を代行していたのは、作戦参謀本部をまとめていたカリスト大尉である。他の提督が指揮をとれないというわけではないのだが、主要業務は航路の確認、物資の配給振り分け、乗員達のメンタル管理等の戦闘指揮からは離れた業務が多い。これらは通常参謀部が補佐運営するものであり、そのトップを任せられていたカリスト大尉に、この数ヶ月負担が集中していたのである。
「有給休暇申請は、今ほど却下しました。イーグルとの戦闘があるにせよ、数日の余裕位はあるでしょう。明日以降の休みを許可するので、今日はあきらめなさい。明日はいずれにしても挨拶周りや設備のメンテ確認等で終わりますから、モガミに任せればいいでしょう。」
「えぇ……。」
「クオンも良いですね?」
「承知しました。」
シルバー大佐一行が到着したイシガヤ邸で、彼女達は侍女達に迎らえる。黒脛巾の工作員出身者もいるとの事だが、教育は万全であり、通常の侍女との見分けは付きようがない。一般人からすれば薄気味悪いかもしれないが、安全について考えれば万全であるし、そういったことには王族であるシルバー大佐も、側室のクオン曹長も慣れているので支障はなかった。
「さて、先だってセレーナに相談したところ、イーグルとは早期決戦に持ち込むことが良い、ということになりました。」
シルバー大佐が単刀直入に結論を述べる。雑談?そんなものは必要ない、という態度である。実際、気の知れたクオン曹長やカリスト大尉相手であれば、雑談をしながら様子を伺うなどという面倒はしなくても問題は無い。彼女達は必要なら直言してくるし、軍議において顔色を窺った発言をする事もなく、また裏切る心配は微塵もない。それ故の言動である。
「わかりました。」
それに対してカリスト大尉が意見を述べずに了承する。セレーナ少佐の政治判断力は、この3人より遥かに上である。単純に戦術だけみれば短期決戦をする必要もないのだが、セレーナ少佐が敢えてそういうからには重要な政治判断があるのだ。それに口を挟んだところで意味はないのである。
「しかし、早期決戦と言ってもまともな兵力はあるんですか?」
少なくとも幕府軍単独での兵力では、反乱したイーグル率いるCPG社の軍勢より遥かに数で劣る。CPGの戦力を徴発したとして、戦力としてはどの程度か、という疑問はあった。少なくとも正規兵よりは練度で劣るのは確実である。
「CPG社の戦力を利用します。兵の質には問題ありますが、それはCPGの戦力を接収したイーグルにしても同じ。特筆する不利にはならないでしょう。」
「シルバー様、兵力ですが1900機とおよそ360隻の艦艇となります。接収できる艦艇はサイクロプス輸送艦中心となり、戦闘用艦艇にしても幕府の旧式を払い下げたものも多く、正規軍に比べると戦闘能力は1世代程度劣ります。サイクロプスについては幕府軍量産機クラスですので、そちらは問題ありません。」
CPGの自衛戦力については、幕府軍用機を安定供給するため、同一規格の機体を建造している。この自衛機で製造ロットが保たれるため、幕府軍は性能に対してコストを抑えた調達が可能になっている。型落ちした機体はバラして再資源化するか、比較的安定的な火星方面軍や、民間作業用機として武装を外し性能を落として販売している。一方で艦艇について旧式が目立つのは理由がある。CPGの自衛部隊は、主に拠点防衛用であり遠征や侵攻を企図していない。地球圏などへの商業用輸送艦隊の護衛艦隊分については流石に海賊対策用の装備として十分な装備を施しているが、拠点防衛部隊については拠点から普段は動かない為、修繕等の為に輸送する程度の艦艇があれば十分であるし、その際の護衛は同行させるサイクロプスで十分なのである。このため、貧弱な艦艇を中心に運用することで、幕府やその他勢力に対して侵攻の意図はない、と見せているのだ。
「うむ。艦艇については装甲板の追加など、可能な限りの強化を実施させる。巡洋艦だけは別に機動性を確保するが、他は艦隊速度が落ちても防御力の強化を優先しよう。」
大規模兵力での決戦となれば、戦闘宙域は限られるため、そこまで強力な艦隊速度は不必要であろう。そうであれば、戦闘で散乱する被弾破片類での損傷を防ぐ対策を取った方が効果的だ。幸いな事にエウロパには一定の金属精練・加工工場もあるため、簡易な金属厚板程度であればある程度の調達をする事は容易であった。
「クオン曹長、CPGの兵力は総勢4000機でしょ?なんで1400機程度しか動員できないの?半分以上こっち側でしょ?」
クオン曹長の説明に対してカリスト大尉が疑問を投げかける。2000機の動員は難しくてももう少し動員できないのか、という事だ。
「他は、エウロパ及び他衛星都市やコロニー都市の防衛に充てなければなりません。また、地球や火星への護衛船団は、それなりに維持する必要があるためですね。」
「でも、勝利を一挙に決するなら、最大限の兵力を投入しないと。」
戦力の集中運用は基本である。使える戦力ならかき集めて投入した方が良い、というのは極めて常識的な判断だ。
「木星圏の諸国は、虎視眈々と我らの衛星都市を狙っています。イーグルに負けたとしても、国民のためにこれらを他国に奪われるわけにはいきません。また、輸送艦隊を損耗した場合、地球圏や火星圏の戦力維持が難しくなる恐れもあります。このため、相当数の戦力確保は必要かと。エウロパには1000機以上の襲撃にも十分耐えられるように、従来通り300機程度は籠る見込みとの事です。」
「でも負けたら終わりじゃん。しかもイーグル様が決戦にでてくるかどうかは……」
カリストが言い捨てる。実際軍人としては優れている彼女からすれば、戦争というのは先ず勝たなければ話にならない。戦争に負ければ一族郎党殺戮され尽くされる事もまた、歴史的にはよくある事である。仲間の命を助けるためには、少なくとも勝たざるを得ない、というのが彼女の思考であるし、実のところシルバー大佐もそれは同じである。
「カリスト、政権を得るよりも国民の安寧を優先するべきです。勝つべきですが、それは絶対ではないでしょう。これはあくまでも内戦ですから、対外的な備えを怠るわけには行きません。そして、それはイーグルもわかっているでしょう。それに、年寄りの彼には時間がない。決戦は彼にとっても望ましい方法です。我らも政権奪還に時間をかけるわけにもいきませんしね。」
とはいえ、シルバー大佐の言葉はセレーナ少佐の受け売りでしかない。
「まぁわかりました。」
あまり納得していないようではあるが、カリスト大尉も同意する。実際、シルバー大佐やクオン曹長の理解もカリスト大尉と同程度であるのだから、それを追求したところで意味は無いのである。二人ともシルバー大佐の発言がセレーナ少佐の入れ知恵であることはわかっているので、そこはスルーだ。
「しかし、問題は将ですね……」
シルバー大佐が呟く。兵士はどうにか集まるだろう。CPGから供出させるまでだからだ。しかし問題は各部隊を動かす将の不足である。
「シルバー様、よろしいでしょうか?」
「ん?ソラネですか?」
打合せをしている会議室に音声伝導管を通してソラネの声が届く。入口の扉の先からの連絡であるが、室内外の音は相互に漏れることは無いように作られており、かつ電子機器による音声伝導も避けたレトロな器具による防諜対策の結果である。同様にシルバーもまた伝導管を通してソラネに応答する。要はただの糸電話みたいなものである。この扉越しの短距離では細工をする事も出来ない為、盗聴される心配もない。
「はい。モガミ様、ハラダ様、ゴトウ様、クキ様、リ様、シロイシが到着しました。」
木星方面軍方面軍司令モガミ中佐、木星方面軍衛星防衛軍軍団長ハラダ少佐、木星方面軍軌道防衛軍ゴトウ少佐、地球方面軍海軍軍団長クキ少佐、地球方面軍空軍軍団長リ少佐、CPG防衛軍司令シロイシの6名である。幕府軍は最高階級が低くわかりにくいが、他国で言う所の大将〜中将の格の者達であり、ハラダ、ゴトウ、クキ、リの4人については、少佐位の中でも提督ないし将軍の号を称する事を赦されている上級少佐の格になる。
「早いですね。」
「モガミ中佐の指示で、諸務はニッコロ中尉がお引き受けになったとの事です。いち早く合議をしたいとのお話でした。」
シルバーの問いにソラネが答える。
「ニッコロなら安心でしょう。わかりました、ここに連れてきなさい。」
「はい。」