第09章 木星とエウロパ 04節
広大な宇宙
流浪の艦隊
休息のオアシスは遠く
それすらも安寧をもたらさぬ
ただ、一人の叛徒の為に
凱旋の門は鎖され
嗚呼……
地球圏から数ヶ月、伊達幕府木星帰還艦隊は、長旅を終え、ようやく目的地衛星エウロパに到着した。
「旗艦朝凪、入港準備開始します。」
艦隊を指揮するカリスト大尉が報告する。全艦隊の入港は時間が掛かることから、先ずは旗艦他数隻を入港させ、エウロパ側との受入折衝を完了させる予定である。イーグル軍に襲われる可能性もあった事から、エウロパを管理する、イシガヤ家のマーズ・ウォーター社とは事前擦り合わせなどは実施していない。同社はCPG傘下にはあるが、資本関係はなくイシガヤ家個人所有の会社である。元々は約200年程前に、イシガヤ家の資産管理と火星圏への密貿易を行うために設立されていた会社であったが、幕府独立戦争時にイシガヤ家が得た木星の権益も併せて同社が管理している。
「入港完了まで、指揮はカリスト大尉に任せます。」
伊達幕府発祥の地、エウロパ。人口は約100万人で、豊かな水源とそれを利用した膨大な発電施設があり、木星圏における最大の農水産物プラントを持つ。さらに周辺からは言うに及ばす、火星圏や木星周辺宙域から鉱物資源を輸送し、精錬するプラントもまた多く存在する木星の重要拠点だ。CPG社の軍事プラントもまた、ここに併設されている。基本的には出稼ぎ労働者の都市であり、この衛星に定住する人間は無く、いずれも転勤ベースで一定の期間常駐するような都市設計の衛星であった。あくまでもイシガヤ家の私有地、という前提があるためである。
「それにしても、この穀倉地帯をおさえるとは流石ですね。」
シルバー大佐が呟く。エウロパでは、人口約11億人の木星圏に流通する、約9割の穀物や多くの飲料水を工業的に生産している。これを抱え込んでいる限り、敵も簡単には手を出せない。もし、エウロパの人口が数億を数えれば、その食い扶持を賄うために焦土戦を展開することは出来ないが、エウロパの人口は僅か100万人。自棄になってプラントを焼かれてしまったら、三年以内に木星圏の貧民層の人々の多くは餓死するだろう……。これだけの人口の穀物を他で代替するなど不可能である。他の何をおいてもこの衛星を切り取って、そして今まで運営してきているイシガヤ家の戦略眼は流石であった。
「エウロパ朱雀門より入電。識別コードを提示せよ、です。」
入港準備中のカリストが報告する。こういう場合は、やはり最上位の人間のコード等を使用するのが通例である。
「征東将軍伊達銀、コードG02590418DE00010001」
「……朱雀門より返答ありました。入港を認めず……」
だが、幕府最高位のシルバー大佐のコードをもってして、入港拒否である。コードの間違いなどではない。当然ながら朝凪がイシガヤ家に隠匿されていた艦艇だというのはエウロパ側は周知のことであるし、それが現在の木星帰還艦隊旗艦であることも分かっているのだ。その上で、ある。
「……征東将軍伊達大納言銀の名の下に開門を命じなさい。」
シルバー大佐はややイラつきを露にしながらそう命じる。
「朱雀門のレーザー砲が稼働!」
挑発ではない。カリスト大尉の報告に、彼女はやや冷静さを取り戻しながら状況を整理する。最悪の事態は、エウロパが既にイーグルの手に落ちている可能性である。
「各艦、宙域からの離脱及び戦闘準備を。クオン曹長、コードは?」
「いえ……知りません。」
シルバー大佐が近場に居るクオン曹長に尋ねる。クオン曹長もまたイシガヤの側室であり、コードや状況を知っている可能性もゼロではないからである。が、クオン曹長からの回答はその通りで、どうにもならない。こうなっては、状況把握のために一時離脱を実施し、エウロパの偵察及びイシガヤ家の情報確認をせざる得ない。
「失礼します。石谷家家宰の石ヶ谷空音です。宜しいでしょうか?」
艦橋のシルバー大佐の席に通信が入る。
「ソラネ、今は忙しい。急ぎでなければ後にしてください。」
「急ぎです。エウロパにお伝えください。コードCPGAX7009SI02M。」
シルバー大佐は、ソラネの伝えたコードを取り急ぎエウロパに送信する。
「……朱雀門より映像通信入ります。」
「CPG防衛軍司令官のシロイシです。御一門衆で石谷家家宰、CPG非常勤役員、マーズ・ウォーター取締役の石ヶ谷空音様のコードを確認しました。艦隊の入港を許可します。」
通信に応えるのは、CPG防衛軍総司令官のトウゴ・シロイシである。40歳中頃とまだ若い方であるが、CPG社で抜擢され同司令官を務めている。社内役職的には事業部長クラスで役員レベルには達していない。多大な責任を伴い、長期間の艦内生活を強いられるため、給与は下手な役員より遥かに多いが、基本的には成り手のいない役職であった。朴訥で真面目という評価について特筆して高い事を買われての人事であり、シロイシはそれには充分に答える人材であった。
「シロイシ、何故私のコードを無視したか?」
シルバー大佐は先の件を詰問する。幕府総司令の命令を面と向かって拒否し銃口を向ける司令官など、軍には存在しないからだ。
「エウロパはイシガヤ家の私有地です。例え幕府元帥たるシルバー様であっても、無断で艦隊を入港させる訳にはいきません。私はシルバー様の部下ではなく、あくまでもCPG社員であり、イシガヤ家の有するエウロパの防衛を任されているものです。」
シロイシが断固とした口調で応える。現実的な問題として、シルバー大佐もクオン曹長もイシガヤの妻ではあるのだが、二人ともイシガヤ家の家財やCPG、マーズ・ウォーター社への経営関与は全くしていない。ソラネについてはイシガヤ家の家財や家臣団をまとめる立場でもあり、先の通り経営に関与できるかなり強い権限を有している。ヤオネについても、婚姻こそしていないが正妻格として扱われており、伝令役として石谷家宿老、CPG、マーズ・ウォーター両社の秘書室顧問の役を与えられていた。これらは寵愛の度合いというよりも、シルバーについては伊達家当主である事と経営能力が無い事から、クオンについても経営能力が無い事と本人が余計な仕事をしたくないから、という事によるものである。エウロパの門が開かないのは当然であったし、自業自得なのであった。
「わかった。その方は忠義者である。」
シルバーはシロイシに対してそう答え賞賛を送るが、言葉には若干の怒気が含まれる。もちろん、主君の命令を受けていない場合、誰であっても断固として入港させない、というのは流石であり賞賛されるべき事である。たとえ主君の主君からの命令であったとしても、主君を飛ばして行動しない事は大事だ。シルバーの怒気はシロイシに対してではなく、ソラネに向けられたいわゆる嫉妬の感情であった。
「お誉めに預かり幸いです。」
が、そんなことは露ほどにも考慮せず、シロイシは賛辞を受け取る。人の顔色に左右されない態度というのは美点でもあるが、一方で気も効かないという事ではあった。
「カリスト大尉、艦隊入港急げ!」
シルバー大佐が急かす。哨戒部隊は展開しているものの、入港時は戦闘陣形をとれないため非常に防御力が下がる。怒気を孕んでいるような感じはあるが、これについては他意があるわけではない。幕府の領域内ではあっても、内乱の発生している状況下では安心するわけにもいかないのだ。
「はいっ!」
カリスト大尉が全艦隊の入港準備にかかる。現在彼女は参謀本部の兵站部門の総参謀長役であり、行軍に関する一切を指揮監督している。勿論奇手奇策も苦手ではないが、当たり前のことを当たり前に処理する能力が、「神速」と仇名されるほどに早い彼女をしての配置であった。
「ソラネさん、作戦行動中です。軍人ではなく『侍女』の貴女は、用が済んだらさっさと通信を切りなさい。」
その一方で、現在戦術参謀長及び、艦隊規律を管理しているクオン・イツクシマ曹長が苦言を呈す。二人の仲が悪いという事は無いが、妻としての序列はシルバーやクオンの方が上であるにも関わらず、開門コードを知っているのがソラネだけだったことに対する嫌味が含まれているのは事実だ。
「イツクシマ様、申し訳ありませんでした。開門コードは、然るべきイシガヤ家の者のコードである必要がありましたので。」
それに対してソラネもまた皮肉を返す。ソラネの場合は、家臣団筆頭の家宰の格を与えられる以前から、石谷家の家政補佐を担うに当たって一門衆に準ずる扱いを受けており、石ヶ谷の名字を使用している。もっとも、元々は名字不詳の孤児だった事も理由の一つではあるのだが、いずれにしても準一門格として有事に石谷を名乗れるのはクスノキ家のみであり、公に許可してはいないが一門格として石谷家を名乗ってもかまわないし相応の権限を有しているのはヤオネくらいなので、ソラネが常用する石ヶ谷の名字はかなり強い一門としての意味を持つ。実のところクオンも石谷を名乗って悪いわけではないのだが、CPGの雑務に関与したくなかったために当時自分で不要と述べており、厳島姓しか使用していなかったため、側室としての格はソラネよりも上でも、今回の件においては権限がほぼ無いのであった。ソラネの発言は、そこを突いた嫌味である。
「…………。」
言外に、家の事に関してはノータッチである事を非難されている事を察し、クオンは押し黙る。まさに『ぐぬぬ……』といったところか。
「ではイツクシマ様、ソラネ・イシガヤこれにて失礼致します。エウロパの権限関係についてはタカノブ様に代わって承りますので、何かありましたら私迄ご連絡ください。それでは。」
決して仲が悪いわけではない。だが、『侍女』と表現されたことに対する最大限の反撃であった。勿論、侍女長の肩書も持っており、タカノブが彼女を同席させる場合には侍女の仕事をさせることもあり対外的にそう表現する場合もあるので、必ずしも間違っているわけではないのだが、今現状における彼女の役割は、イシガヤ家の家産を管理する家宰であり、CPGの非常勤役員であり、エウロパの主要権限をイシガヤ家から預かるマーズ・ウォーター社の取締役なのである。個人的な感情は勿論あるにせよ、政治的には侍女の有する権限ではなく、ゆめゆめ忘れるな、という事であった。なお、分が悪いと判断したシルバーは会話に参加せず、カリスト大尉他の艦橋の士官は、嫌味の応酬を聞かなかったことにして、粛々と入港準備を進めているのであった。




