第32章 スターライトメモリー
「おばあ様、もっとお話聞かせて!」
暖炉の前で椅子に腰かける老婆に、小さな幼女が可愛くおねだりする。
「おばあ様はすごかったのね!ちんじゅうしょうぐんってすごいの!?珍獣ってどんな動物?」
まだ幼い子供には難しい単語だ。怪獣や恐竜に興奮するような歳なのだから、そう勘違いするのも無理な話ではない。
「難しい言葉を覚えていて偉いですわね。でも、珍獣ではありませんわ。鎮守です。」
「ちんじゅ?」
こてん、と、小さな頭を傾げながら、不思議そうにその単語を口にする。
「みんなを守るという意味ですわ。」
「おばあ様が守ってくれたのね!ありがとう!」
小さな幼女は感謝の言葉を口にして老婆に抱き着く。子供の素直な言葉に老婆は穏やかな気持ちになり、その髪を優しく撫でる。この子とて、老婆が守ってきたものの一つなのだ。
「じゃあ、このタカノブって人が悪い人なのね!」
その子が挿絵に描かれた小柄な男性を指さしながらそう述べる。悪い人を懲らしめようとでもしているのか、ただの子供の感性なのか、鼻の部分を指でぐりぐりとしながらそう言う仕草は、とても愛らしいものだ。
「……そうですわね。タカノブさんは悪い人だったかもしれませんわ。……でも、わたくしのお友達でもあったんですわよ。」
「じゃあ善い人だったの?」
「……善い人、ではなかったですわね。」
既にあの戦乱の時代は過ぎて、今はもう平和な時代だ。あの当時、日本協和国の外の国において、泥水を啜り、ボロ切れを纏って生きていたような多くの人々も、もはや限られた貧民層の中にしかいないだろう。それだけ時代が進み、かつてのあの頃の人々の評価がされているが、未だに誰が善くて誰が悪いかなど、決めることはできず、これから先も決めることはできないだろう。それは、幕府を担い多くの人を殺し、そして平和への道筋を創り、そして最期に反乱を起こしたタカノブ・イシガヤもそうであるし、イーグル・フルーレ、ナイアス・ハーディサイト、フェドラー准将、アーサー王、そしてシルバー・スターなど、その時代に勇名を馳せ、そして滅んでいった多くの英雄達に総じて言えることだ。
「じゃあ、おばあさまが悪い人だったんだ!」
老婆は幼い孫にそう言われ、だがしかしそうであろうな、と、少しばかり寂しい気持ちになる。彼女とて、多くの人々を守るために、多くの人々を殺してきたのだから。だが、彼女は後悔などしていないし、だからこそ子供に対して遊び心でこう言うのだ。
「ふふふ、怖いか。」
「怖いー!」
キャー!と、笑いながらその子が逃げ始める。そうはいっても所詮は部屋の中のことだ。小さな身体を家具の隙間に隠し、ちらちらと彼女を見てくる可愛らしい姿は、見ていて癒される。
「セレーナ、またそれを読まされていたのか。」
ふらっと部屋に現れそういうのは、その老婆の夫である。若いころには美丈夫だったのであろう面影を残す老爺だ。
「そうですわね。……マール、代わりに読んであげてくれませんか?さすがに疲れてきましたわ。」
子供に急かされながら、かれこれ児童書を1時間繰り返し程読み続けていたのである。小さい子供は同じ絵本を読むのが好きだから良いのだろうが、大人からしたらそろそろ飽きてくるのは致し方ない。
「『星光記』はセレーナを題材にした本じゃないか。せっかくだから当事者が孫に読んでやるのがよかろうよ。」
星光記は、かつて陸軍軍団長まで務めたニッコロ・クルスの著作で、セレーナ・スターライトと呼ばれる伊達幕府の英雄と、その周辺人物を題材にした戦記である。多少の誇張はあるもののノンフィクションベースで書かれたその作品は一大ベストセラーになり、現在では漫画や児童書などにまでされているものである。彼女が読み聞かせていたのは、低年齢向けの絵本バージョンだ。表紙はどれも特注品で、老婆の戦友であり、タカノブの妻でもあるクオン・イツクシマによって描かれた、銀星降る夜の黄金色の海のような水田の風景である。
「逃げましたわね?」
「海賊は逃げるのは得意でね。」
「そうですわね。逃げ切りました。」
「どうしたんだ?ぼーっとして。」
その老婆は窓の外に広がる雪景色を眺める。それはまるで真っ白なカンバスのようなものだが、クリスマスの赤い電飾に照らされて、真っ赤な血で描いたような模様が一面に広がっている。だがそれも、今となってはお祭りを祝うのに必要な、ただの幸せな時間を示す模様に過ぎない。そう、あの誰かはこうして民と祭りを楽しむ余裕もなかったのだろうが、老婆はこの歳になってなお、家族や民と祝うことができるのだ。逃げ切ったというのは、あながち間違いでもない。
「……何でもありませんわ。」
益体もないことだ、とでも言いたげに老婆は言い切る。
「そんな顔で何でもない、ということも無かろう?」
老爺は入れたての紅茶を彼女の前に置きながらそう問いかける。インドの現王から下賜された、やや渋く味わい深いダージリンのセカンドフラッシュの茶葉の香りが、部屋の中にかすかに広がる。
「そうですね。……いろんなことがあったな、と思って。」
「…………そうだな。いろんなことがあった。」
老婆はそんなダージリンを口にしながら、過去の戦場に思いを馳せる。時にセカンドフラッシュであったり、オータムフラッシュだったり、あるいはアールグレイや緑茶だったこともあるが、既に亡き英雄達と、そしてまだ生きる英雄達と、老婆は茶を伴にしながら戦い抜いてきたのだ。死んだら何も残らないというが、茶葉の微かな香りと同様に彼らは老婆と伴にあるし、同じく戦友であったニッコロの手によって作品とされ、死してなお、こうして彼らの生きた証が遺っている。言葉によって綴られた墓標は、その十字架によって安寧の居場所を定められたのだ。
「だが、これからも色んなことはあるさ。」
老爺は、星光記を老婆の膝に置きながらそう言う。題材とされたこの老婆もまた、いつか死んでなお、書籍の中で久遠の刻を生きるのであろう。遠い未来から見れば遥かに過去、そんな今から見れば遥かに未来、そういった久遠の世界において、これまでも、そして、これからも。
「おばあ様、おじい様、私もう帰るよっ!」
現れた幼女の両親が、彼女を抱えながら老婆に会釈する。老婆は孫の子守も好きなのでもうちょっとゆっくり来てもいいのにと思わなくもないが、老爺との二人での生活も気に入っているので挨拶をした幼女に軽く手を振って見送る。
「そうですわね。来てくれてありがとう。またお菓子とお茶を用意して待っていますわ。」
「おばあ様!またね!すぐ来るからね!明日もね!」
「はいはい。毎日待っていますから、いつでもいらっしゃい。」
流石に明日は来れないだろうなと思いながら、愛らしい孫に老婆はそう返す。すでに戦乱の時代は終わり、穏やかな時間はこれからも過ぎていくのだ。
「……それでは、ごきげんよう!」
忘れ草 記憶の野辺に 繫るとも 勿忘草は 尽きるものかは
※完結32章のセリフはメモリーズオフ詩音編EDをオマージュしており、従前より作中のキャラ名や艦名、行動や思想の一部にも同様の影響はありますが、仕様です。




