誰よりも、幸せに。
※暴言的表現が含まれた文章がございます。
※苦手な方はお控えください。
「それからは、知ってる通り。自暴自棄になって、
汐に話をした次の日に道具を全て燃やした。
兄妹はもちろん、汐も避けて、
学校も最低限しか行かなくなった。
そんな俺に、声をかけてくれたのが社長。」
「…ま、真琴、」
「今まで、なんて言われようと気にしてこなかった。
誰に、何て思われようが、嫌われようが。
どうでも良かった。…のに、あの日は…。
言葉が、何より重くて、消えなかった。」
汐の俺を呼ぶ声は、今にも泣きそう。
想像以上に、親からの言葉というのは重い。
その内容に軽いも、重いもなく、
残酷な程その人の底の方に根付いてしまう。
それは良い意味でも、悪い意味でも。
言葉は時に呪い、辛い鎖となる。
本当に何気ない一言ですら、鋭い刃物になってしまうのに。
精神的余裕のなかった俺を折るには、
充分過ぎた言葉だった。
「社長には、感謝してる。あの人のおかげで、
好きなものの近くで仕事が出来たから。
けどもう、絵は描かない。決めたから。」
「〜っっ!!」
紫乃さんは何かを言おうとして、やめた。
俺の落ち着き様に、何かを感じたらしかった。
でも諦め切れない様で、必死に言葉を探している。
俺はそんな姿を、見る事しか出来なかった。
……?玄関の方で音がする。
「お〜、部屋何処だっけ?こっち?」
「ちょっと、靴くらい並べてください。」
「…は?照汰郎さんに、誠治さん?」
「あれ〜!!名前で呼ぶなんて珍しいっ!」
嬉しそうに声を弾ませながら、部屋に入って来る。
そんな2人に続いて入って来た、諒と実。
2人とも、気まずそうな顔をしている。
頭の先から、血の気が引いていく感覚がする。
「…なんで、連れて来てんですか。」
「え?そりゃ役者は揃ってないと、
話は進まないじゃん。」
悪意のない笑顔の照汰郎さん。
当時の怒りや、辛い景色がフラッシュバックする。
気持ち悪い感覚が、腹の底から湧き上がって吐きたい。
2人があの日、俺を訪ねて来なければ。
父親と、話さなければ。思う事はたくさんあるし、
恨んでないのかと言われると嘘になる。
ただ、何もかも2人のせいかと言えば、違う気がした。
だって、"この出来事"がなかったら、
こうならなかった。とは言えないから。
もしかしたら、遅かれ早かれこうなっていたかもしれない。
その可能性を思うと、感情的に怒鳴れなかった。
ずっとあった親子間の歪みは、根深く複雑なもので。
ただ、偶然、こいつらがきっかけになってしまった。
そう、分かってるはず、思ってるのに。
顔を見てしまえばやっぱり、責めたい俺が居て。
何もかもを、ぶつけて楽になりたい俺が居る。
言いたい事ばかり喉につかえて、
何も言えないまま黒く濁っていく。
何が正解かなんて、ずっと分からない。
「なぁ〜に、我慢してんだ。」
「は、?ちょっ、何っ、」
「何のために全員揃えたと思ってんだ。
言え、全部。ぶち撒けていいから。」
照汰郎さんは出会った当時から、
頭を撫でるのはすごく雑。
けどそれが、この人の優しさなのだと思う。
だってその手から伝わる温度は、苦しいくらい優しい。
座り込んだ俺に目線を合わせて笑う照汰郎さん。
すると誠治さんも、
照汰郎さんの隣に座った。
スーツなのにあぐらをかいて、ジャケットは脱いで床に置く。
いつもは照汰郎さんがそれをして、
すごく叱ってた。なのにまるで、気にしてない様で。
ネクタイも外して、シャツのボタンも緩めていた。
俺を見て、微笑んでくれる。
仕事モードじゃない、プライベートの誠治さん。
誠治さんは出会った頃からずっと、
実の兄の様にたくさんの事を教えてくれた人。
照汰郎さんと同じくらい、感謝してる人。
言っていいのか、本当に。
兄妹が居て、紫乃さんも、汐も、
宮丘さんも橘さんだって居る。
面倒事に巻き込んでる、これ以上は…。
今まで、誰にも言ってこなかった。…言えなかった事。
照汰郎さんは、気付いていたのかもしれない。
気付いた上で、聞かないでくれていた。
そんな人が今、俺の話を聞こうとしている。
…俺の、為なんだろう。言えない俺には、
聞く事が最善だと判断したんだ。
俺はいつまでも、この人に敵わないんだろうなあ。
「照汰郎さん、」
「おう。」
「…誠治さん、」
「うん。」
「…。」
…今まであった事、思った事。言い出せば、キリがない。
俯くと、泣いてしまいそうになる。
拳と口元に力を入れて、ぐっと堪える。
「…認められたい訳じゃない、肯定して欲しかった訳じゃない。
…放っておいて欲しかった。
好きなのに、続ける事が、辛くなって、
苦しさに、耐えられなかった。」
「…まこ兄。」
「描きたいだけなのに、
それすら出来ないのかって、絶望した。」
突っ立ったままだった実が小さく呟いて、
誠治さんの少し後ろに座った。
諒も黙ったまま、座る。
2人の顔を見て思うのはきっと、
“普通”の家族に向ける感情とは程遠いもの。
「家が、お前らが、嫌いで。今でも、ずっと変わらない。
家を出た事を後悔した時間は1度だってない。
むしろそれが正解だと思ってる。
だから、ムカついた。余計な世話で、
お前らのせいで、お前らが居なければと思った。」
「…うん。」
「でも、お前らがあいつらに気に入られている事で、
俺は絵が描けたから。反抗しないで、良い子ちゃんやって。
それがあったから、当時は、見逃されてた。
だから、感謝とまではいかないけど、有難くは思ってた。
まぁ俺の進路が近付くとそれも無効だったけど。
俺の中で、“家を出る”のは絶対事項だった。
いつ決めたかなんて忘れてしまうくらい、
ずっとずっと前から準備をして、
決行できる日を待ち望んでいた。
…望むものと望まれるものが同じのお前らが、
期待に全力で応えられるお前らが、
本当に、憎くて嫌いだった。」
「うん、知ってた。」
諒は悲しげな表情で頷く。
実の兄に悪意を向けられても、真っ直ぐ受け止める。
素直で、真っすぐに育った2人。
好きなものを好きと言い、その為に努力の出来る2人。
当時の俺はそんな2人を、視界に入れなかった。
"無視"は当時の俺にとって、唯一の防衛方法。
他に、やり方が分からなかった。
目を瞑るとすぐそこに、あの光景が浮かぶ。
強烈で、最悪な記憶。
「…俺が、家を出た日。」
「確か、兄さんが改まって話があるからって
俺と実は、リビングから追い出されて。
少ししてすごい音と、父さんの怒鳴り声が聞こえて…。」
「パ、パパが何て言ったのかは、聞き取れなかった。」
「……。『絵なんて描いたところで何になる。
命を、時間を無駄にし過ぎたお前はろくな死に方をしない。
何のために生まれてきた、これ以上何を無駄にするつもりだ。』」
「っ!?パパがそんな事言うなんて…」
「電話をした日、あの時の“あいつ”は、
お前の言う“パパの姿”だったか?」
「そ、それは…」
「いい加減、分かるだろ。お前らと、俺は違う。
俺になら、平気で言えるんだよあいつは。」
俺は頭にきて、父親に掴みかかった。
父親も頭に血が上っていて、
俺の胸ぐらを掴んで殴り合う寸前。
母親は必死にやめてと叫びながら止めに入ったが、
父親が腕を振り払った反動で机にぶつかり倒れた。
その時の大きな音が、2人が聞いた音だろう。
父親に顔を殴られドアに叩き付けられた瞬間、
諒がドアを開けたタイミングが重なり廊下に飛び出た。
勢いよく出てきた俺に驚いたが、反射で避けたらしい。
俺は勢いそのまま、大きな音を立てて床に倒れた。
追い討ちをかけるように父親は俺に向かって、
リビングに飾ってあった物を投げつけた。
頭近くに落ちて破片が飛び、額に当たって切れてしまった。
きっとその時、俺の“最後の何か”が弾けた瞬間だった。
実は倒れて痛がる母親を見つけ、
駆けつけて身体を支えていた。少し、泣いていた気がする。
諒は驚きながらも、俺に駆け寄った。
額から大袈裟に流れる血に気付き、
俺よりも青い顔をしていた様な気がする。
見えていた景色はもう、よく覚えてない。
「…父さんと掴み合いになってた兄さんからは血が出てて、
全身から血の気が引く感覚だった。
それなのに兄さんは、笑ってて、」
「…『お前の思い通りにだけは、生きない。
俺はあんたらの都合の良い道具じゃない。
死に方だ?こんなとこに居るんじゃ、
死んでるのと変わらない。
どんな死に方をしようが、ここじゃなければ至高の人生だ。
無駄だなんて、あんたらが決める事じゃない。
俺の価値は、俺が決める。』
他にも、たくさん言いたい事をぶちまけた。
言った事は覚えてる、今でもそう思うから。」
「お前らって言うのは…」
「父さん、母さん。それに俺や実を含めて、
お前ら、です。紗浦さん。」
戸惑う紫乃さんに、笑って答える諒。
今思えば、あの頃の俺に笑顔なんてなかったなと思う。
笑えなくても良かった、絵が描けるなら。
諒の言う通り。
俺の人生に、“家族”はいらない。
優しさだとか、愛情だとかに魅力を感じない。
多くが欲しい訳じゃない、ただ関わらないで欲しい。
それだけ、それだけだった。
そんなに、難しい事だったのかと今でも思っている。
「分かっていて、ここに来たのか。」
「うん、ごめん。それでも、
伝えたい事があった。」
「…。」
昔から、苦手だった。
年下のはずなのに、どこか余裕があって。
全てを分かりきっている様な表情が俺を見る。
話せば、関われば、自分がどんなに惨めで愚かか。
…小さい自分が、嫌いだった。
「ま、まこ兄が、私たちを嫌いって。
知ってたけど、それでも、わ、私の、
お兄ちゃんは…まこ兄と、諒くんだけなのっ…。」
「実、泣いてちゃ伝わらない。
ちゃんと、言うんだろ?」
「っ、う、うん。やっと、やっと会えたんだもん。
言いたい事、いっぱいあるっからっ、」
泣き出す実の背中を、優しく押す諒。
…俺が出来なかった、兄の姿が、そこにあった。
実はしっかり者で、明るいが少し内気。
それに昔から少し、涙腺が弱い。
実の泣く姿で思い出す記憶は、はるか昔。
理由なんて覚えてないが、面倒だと思った記憶がある。
すると父親が来て、事情も聞かず俺を叱った。
父親が去った後、
実はまた泣きながら俺に謝った。
俺は、何も言わなかった。
正直、羨ましく思った日もある。
泣けば問題が解決する実。
ずっと、不快だった。俺は絶対、簡単に泣かない。
それからだろうか。
弱さは悪、俺の中で出来上がった固定概念。
塵のプライドが、気付かぬうちに大きな塊となった。
くだらないと知っていながら、捨てられなかった。
実の様に素直に感情を出せていたらと、
思わなかった訳じゃない。
もう今更、何と言おうと無駄だろうけど。
「まず、ごめんなさい。あの日、
まこ兄とパパを仲直りさせたくて、会いに行った。
…パパには、止められてたの。
見つけても勝手に会いに行くなって。
まず報告しろって、言われてた。
だからパパに内緒で、諒くんと頑張って探した。
会いたい気持ちが強くて、会いに行った。
会えば、何か変わる気がして、
まこ兄の気持ち、全然考えもしないで。
悪化させて、ごめんなさい。
まこ兄を思えば、会いに行くべきじゃないって、
分かってたはずなのに。で、でも会いに行った事だけは、
諒くんとお話して、謝らないって決めた。」
「随分、自分勝手だな。」
「…うん、そうだよね。けどあの頃みたいに、
泣いてるだけの子どもじゃない。
こう言われたから、とかやめようって。
2人で相談して、私が、諒くんが、
どう思ったかを考えて、決めたの。
"自分たち"がどうしたいかなんて、考えた事もなかった。
ただ褒められる事が嬉しくて、楽しかったから。
今は弓道が大好きだけど、きっかけは"ママがやってた"から。
諒くんも、“パパがやってた”からだって。
まこ兄を見て初めて、自分がしたい事ってなんだろうって考えた。
まこ兄は“好きだから”、絵を描いた。じゃあ私たちは?って。
…そこで、気付いた。私も諒くんも、
そんなもの、1つもなかった。…そしたら途端に怖くなった。
だってこんなの、お人形さんと変わらない。
意思がないのも同じ。…"死んでる事"と変わらない。
まこ兄の言葉に、はっとした。」
溢れる涙をぐっと堪えて、話を始める実。
昔は、泣いてばかりで、よく目元を腫らしていた。
俺がまだ小学校低学年くらいの頃は、
よく泣く実の目元をタオルで拭いてた。
今考えるとその頃はまだ、兄をやっていたのかなと思う。
「私ね、まこ兄の絵が好き。パパになんて言われても、
好きな事に真っ直ぐなまこ兄を、かっこいいって思った。
ずっと、ずっと自慢の、憧れのお兄ちゃんなの。」
「小さい頃はよく、絵を見せてくれて、
色んな事を教えてくれた。成長してからも、
兄さんの背中から、たくさん学んだ。
勉強が全てじゃない事、好きな事を貫く強さ。
"自分の色"は自分で決める大切さ。
兄さんは、そうは思ってないかもしれないけど、
紛れもなく、兄さんは俺たちの兄さんだった。」
「家に、居づらくしてしまったのは、
私たちのせいだから。戻って来てなんて、
もう言えないけど。
好きな事を、絵を描く事を、我慢しないで欲しいの。
意志を持つ、主張する強さを教えてくれたまこ兄は、
好きな事で笑っていて欲しい。
家で、笑えなかった分。
まこ兄にはたくさん、笑ってて欲しい。」
「兄さんの背中を見たから、俺たちは考える事に気付いた。
兄さんが居なかったら、今も全部父さんの言いなりだった。
意志のない人形同然の自分に、気付かないまま、一生。
それが普通なんだと、勘違いしたまま。
そう思うと、自分が怖くなる。
でも最近、やっとやりたい事が出来た。
父さんと喧嘩もするけど、
意見を言う事は“悪”じゃないって知ったから。」
「まこ兄の歩いて来た道は、“悪”じゃない。
パパが否定する分、私たちは肯定し続ける。」
「俺、結構ガタイもしっかりしてきたでしょ?
父さんくらいならもう、勝てるんじゃないかな。
兄さんに手なんて、出させないよ。」
「今日まで迷惑かけちゃった分を、返したいの。
まこ兄。かっこよくて、ちゃんと前を向いてて_」
「好きな事に誰より真剣で、
本当は、誰より人を思いやる兄さんは_」
嫌いだった、2人とも。
けどそれは自分の事でいっぱいで、気付かなかっただけ。
憧れてくれた、認めてくれた、2人の存在。
本当に嫌いだった。
好きを楽しむ大切さを、真っ直ぐ生きる強さを、
2人に教えられない。
兄になれなかった、俺が。




