先輩の言葉。
十数日かけて今ある作品の手直しをして、今日から完全新作の作品作り。
と言っても絵に関しては手伝い様がなく、
紫乃さんの頑張りを見守る他ない。
その間俺たちが暇かと言えばそう言う訳でもなく、仕事は山程あった。
ひとまず紫乃さんは家に引きこもり、その間は俺や宮丘さん、
橘さんの3人で身の回りの世話をする事になった。
俺と橘さんは本社でしか出来ない仕事や外での仕事があるので、
日用品や食品を買い込んで運ぶ担当。
宮丘さんは泊まり込みで居て貰い、家事等をお願いした。
宮丘さんにして貰っている文章作成や案出しはパソコンや電話でやり取りをする。
必要なら本社に来て貰ったり、俺たちが家に行く事になっている。
「まずは会場だけど、知り合いに当たって良さそうなところを選出した。
目を通してみて、さらに重視したい点があれば言ってくれ。」
交通面や予算的問題を考慮しながら打ち合わせを重ねる。
紫乃さんには、俺や橘さんに大まかな部分は任せると言われた。
だがどうしても確認すべき事項は、テレビ電話や宮丘さん伝いで連絡する。
俺も橘さんも第1に思う事は、
出来るだけ紫乃さんの希望に沿う展覧会にする事。
だから時間は惜しまず、連絡は欠かさない。
しかし時間が掛かると思っていた会場選びは、予定よりスムーズに進んだ。
すごく駅に近い訳ではないが、遠過ぎる訳でもない。
橘さんのおかげもあって、人が出入りしやすい良い会場を抑える事が出来たと思う。
橘さんは想像していた以上に色々な場所に顔が効く。
また宮丘さんが出版した時にお世話になったらしい方々が声を掛けてくださり、
力をお借り出来る事になった。本当に多くの人が、この展覧会に協力してくれている。
今まで助手という形で展覧会に関わる事はあったが、主となって担当するのは初めて。
初めての仕事で、とても良い現場に恵まれている。
紫乃さんや、ベテランのスタッフさん達。
俺が力不足など、百も承知。ここでの経験は必ず糧になる。
気後れする暇も、凹んでる暇もない。
全てを吸収するつもりで、喰らい付く勢いで働かないと…。
せっかくの自分を伸ばせるチャンス。無駄にはしたくない。
「すみません、展示の際の…」
「ここはこっちの案の方が良い。これはもう少し照明の改善が…」
橘さんには圧倒的な経験値がある。
悔しい気持ちもあるが、俺は今比べられる土台にすら立ってない。
圧倒的差を前に、自分の無力さを感じるばかり。とにかく今は俺の目線から、
新しいアイデア出して、動いて。みんなの良いところを吸収する。
改善方法や対処の仕方、仕事の進め方。盗める技は全部盗む。
きっと橘さんはそれに気付いている。だから容赦ない。
時には全否定されて心が折れそうになる、それでも喰らい付く。
どれだけきつい事を言われても、折れてる暇はない。
橘さんは性格は悪いが、意地悪で言ってる訳ではない。
全スタッフが高い経験値を全力で俺にぶつけてくる。
それでいい、そうじゃないと良いものは創れない。
「…。あの、 真琴さん。」
この日 宮丘さんは進行状況の報告、
宣伝や作品解説文章の作成など細かな打ち合わせの為に本社を訪れていた。
いざと言う時のために紫乃さんの元には、物資補給ついでの橘さんが居る。
頼んだ時はちょっと嫌そうな顔をしていたが、見て見ぬふりをした。
「はい、何か気になるところでも…。」
「最近、寝ていますか?」
会場の進行状況をまとめた冊子を見て貰いながら、別の資料作りをしていた時。
パソコンから宮丘さんに視線を切り替えた時、少し視界が暗く歪む。
ずっと画面を見ていたせいだろうか。いや、そんなにパソコン見てたかな。
突然の問いかけに、思わず頭が真っ白になってしまった。えっと、?寝てるかって?
即答出来なかった俺に宮丘さんは苦笑い。
「忙しいのは重々承知ですが、睡眠時間は削ってはいけませんよ。
身体が持ちません。今は資料に目を通してるので、少し寝てください。
読み終わったら起こしますから。」
「え、いやでも…。」
「 真琴さん。サボりと休息は違います。休んでください。」
あまりに力強く言われてしまって、何も言い返せなくなった。
まぁこの資料も急ぎではない…し、少しくらいならいいか…?
近くにあったタオルを枕代わりにそのまま机に頭を置くと、
身体が異常に重かった事に驚いた。すると見かねた宮丘さんが
会議室の椅子を綺麗に並べてくれ、簡易ベットなるものを作ってくれた。
何処から持って来たのかブランケットまで。
しっかり首までブランケットを掛けてもらったところで、
横になるのは何日ぶりだったろうと気付く。
「焦る気持ちも、頑張りたい気持ちも分かります。…僕もそうでした。」
「… 宮丘さんが、ですか?」
「はい、その時は1冊目の出版の時でした。
周りに追い付こうと必死で、なのに焦って周りなんて見えてなかった。
だから、自分が皆にどう見えてるかなんて。考えもしなかった。」
宮丘さんは横になった俺の近くに座って、
ぽんぽんと一定のリズムで寝かしつけ始める。
そのリズムが気持ち良くて、うとうとまぶたが重くなっていく。
宮丘さんの声は優しくて、とても安心する。
「…ぼろぼろで、危なっかしくて。そんな僕を止めてくれたのは、
他でもない文仁だった。」
「たち…ばなさ、ですか…?」
「うん。その時はこんなもんじゃなかったよ?後ろから殴られてねぇ、
強制的に寝かしつけられた。あれは本当にびっくりしたなぁ。」
殴って寝かしつけって…。 宮丘さんが呑気に言っているけど、
奇襲と変わらなくないか?まぁ本人は笑ってるし、今では良い思い出なのかな。
何とも橘さんらしいというか、不器用な感じは昔からなのか。
ゆっくりと滲んでいく視界の中で、思考は意外とはっきりしている。
「だから今度は僕が、止めなきゃなぁって思った。休む事は悪じゃない。
むしろ頭がクリアになって仕事の効率も上がるよ。」
「そう、ですかね…。」
「うん、だから今だけでも。ゆっくり休んで。」
まぶたの重さに耐えられなくなって、ゆっくり意識を手放した。
あれしなきゃ、これしなきゃって考えてたせいか。こんなにも疲れていた事に、
全然気付かなかった。そんなに俺、危なっかしかったのかなぁ。
気を遣わせたかな。でも俺なりだったけど、どうにか役に立ちたくて。
頑張ってるつもりになってただけだったのかな。
もっと上手く立ち回らなきゃ、もっと早く仕事をこなさなきゃ。
紫乃さんだって、しばらく顔も見れてないけど、頑張ってるから。
応えたい、期待以上のものを返したい。そう、思ってたんだけどなぁ。
無意識にそこに居た、焦りとプレッシャー。
それからどれ程たったか、目が覚める。明るかった会議室は少し薄暗くなっていて、
静かにキーボードの音だけが聞こえてくる。
身体を起こすと、重かった身体が少し軽くなった気がする。
音のする方を見ると宮丘さんは居なくて、
橘さんが俺の座っていた場所でパソコンを操作していた。
傍観しているとゆっくり思考が起きてきて、今の状況に疑問が浮かぶ。
…あれ宮丘さん、というか今何時だ俺どれだけ寝て…。
走り出した思考は加速し、次第に焦りが膨らんでいく。
え、この状況なに?
「たっ、 橘さ、あの宮、 宮丘さんは…?え?」
「あぁ、やっと起きたか。」
橘さんは特に顔色を変えず、パソコン作業に疲れたのか首を回して関節を鳴らしている。
慌てて時間を確認する。…えあれ?ちょっと待って俺2時間も寝て…?
寝起きのせいか情報処理が遅く、
2時間寝ていたという事実だけがぐるぐると頭の中を回っている。
少しのつもりが、めっちゃ寝てるじゃんか。
「これ、資料作っといたから目通しとけ。
創静はもう帰った。そこ、伝言。」
橘さんの指を差した先には付箋が付いていて、優しい字が並んでいる。
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お疲れ様です。これからはちゃんと自分で寝てくださいね。
体調を崩してしまっては大変ですから。
起こすと約束したのに、帰ってしまってすみません。
作っていた資料は文仁が作れるらしいので頼みました。
余計なお世話だったら、ごめんなさい。
ですがせっかくスタッフもベテラン揃い。頼る・学ぶは新人の特権です。
自分でやる事ももちろん大切ですが、
分担してみんなに仕事を回す事もあなたの仕事である事を忘れないで。
資料有難うございました。
こちらでひと通り文章を作ってから後日改めて送信します。
今日は有難うございました、ゆっくり休んでください。
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宮丘さんの優しさや、 橘さんの気遣いが心を解いていく。
ゆっくりと肺に酸素を送り込む。冷静に、なれ。ここで立ち止まる俺ではない。
みんなに仕事を回す、考えた事もなかった。
しかし言われてみればその通りで、俺が助手をしていた時あれこれと指示を受けて動いていた。
当たり前にして貰っていた事なのに、全然気が付かなかった。
橘さんに頭を下げ、パソコンに向かい直す。
いつも何かしら怒鳴っている橘さんも今日ばかりは呆れ顔。
…まぁいつも怒鳴っている原因は、俺のせいなんだけど。
「…おい、体調は大丈夫なのかよ。」
「え?あ、はい。寝たらすっきりしました。」
にっこり笑ってみせると、さらに呆れた顔をされた。
しかしそれ以上は何も言わず、手元の荷物をまとめて部屋から出る様だった。
視界の端にパソコンの画面が映る。あ、そうだ。
橘さんも忙しいのに俺の代わりに資料を作ってくれたんだ。
資料はとても丁寧に作られていた。大変な仕事を多くやってくれているのに、
それを自慢したり恩着せがましくなんてしない。ただ何も言わず平然とやってのける。
こういう人を、“デキる男”って言うのか…?
「あのっ!資料と、迷惑かけてすみませんでし…。」
「はぁ、お前さ。」
痺れを切らしたとばかりに扉の前まで行っていたのに、俺の目の前まで戻って来た。
じっと俺の顔を見下ろす。かと思うと突然、でこぴんを喰らった。
……え、でこぴん?額には確かに、ひりひりと痛い。
「こっちは謝ってもらうために、やってるんじゃない。」
「あ…。」
橘さんはそれ以上何も言わず、大きめのため息をついて扉の方へ歩き出した。
俺が今、言うべき事…。
「あ、ありがとう、ございます!!」
「…いーえ。」
1度止まったが振り向きはせず、そのまま行ってしまった。
まだまだ仕事への姿勢は新人のままだと、改めて自覚する。
このままではだめなのに、こんな事では紫乃さんを支えられないのに。
改善点は早急に対処する、視野は広く、感謝の気持ちを忘れない。
深呼吸をして、気合いを入れ直す。
「…っしゃ。」
パソコンに向かい直す。各所へ進行状況の確認と、明日と明後日の日程確認の連絡をする。
立ち止まってる暇はないが、学習した事を身に付けられず落としてしまう暇もない。
全て身に付けられて当たり前。みんなはとっくにやっている。
新人上等。
全てに全力で、喰らいついてやる。




