第1話 お義母様、ぶっ飛ばす!
「……ついにやっちゃったわ」
私は目の前の光景に、我ながら呆れ返ると同時に大きな溜め息をひとつ吐いた。
白目をひん剥いて、口から少しばかりの血を流しながら仰向けに倒れている女性の意識を確認する為に、「おーいおーい」と言いながら、彼女の頬をピシャンピシャンと叩いてみるも、やはり反応はない。
「かんっぜんに気絶してるわね……はあ、どうしようかしら」
言いつつ、私は少しだけ現実逃避しようと溜め息混じりに廊下に飾られている近くの鏡に目をやる。
そこには流麗なプラチナブロンドの髪に大きく澄んだ琥珀の瞳によく似合う、細身の令嬢、つまり私がいた。
「……あなたみたいなか弱そうで華奢な女性が、こんなことしちゃ駄目なのよ」
私は鏡に映った『私自身』に対して呆れるようにそう言った。
この目の前で倒れている女性は、この私、リアナ・メヴィウスの義母であり、その名をアマンダ・リンドバーグと言い、私の旦那様であるルドルフ様の実母である。
アマンダお義母様がこうなってしまったのは単純明快。
私がぶっ飛ばしたからだ。
「でもまさか、たったのビンタ一発で伸びちゃうなんて思わないわよね、ふつー」
そのビンタだって、私はやられたからやり返しただけなのだ。
先に手を出したのはこのアマンダお義母様の方からだし。
しかもその理由もまたふざけていて、彼女の息子、つまり私の旦那様であるルドルフ様の不貞について不問にしろと詰め寄ってきたからなのだ。
栄誉あるリンドバーグ家のご令息が不貞行為を起こしたなどと広められたくないのが本音なのだろうが、そのくらい許容してあげるのが高潔な淑女たる者の器なのだという、わけのわからないトンチキ理論を唱え出したのである。
当然、私が反論すると彼女が「生意気なのよあなたは!」と言って突然ビンタを喰らわしてきた。
私はそこでぷっつんして、お返しに「いってぇなクソ馬鹿がぁッ!」って、やったらこうなった。
「でも、どうしようかしら。さすがにこれ見られたら不味いわよねえ。アマンダお義母様をどこかに隠して、私は知らないフリでもするしか……」
などと、私が悩みつつ右往左往していると。
「ア、ア、アマンダ奥様!? これは一体……!?」
あっけなく屋敷の侍女に見つかる。
そうして、この話はすぐに屋敷中に広まり、あっという間にその晩、家族会議となった――。
「……リアナ。お前の言い分を改めて聞こう」
リンドバーグ家の者が集められたダイニングで、難しい顔をしながらリンドバーグ家の当主、伯爵位を持つラファエル・リンドバーグ様がそう言った。
「ですから先ほども端的に述べさせてもらったように、私はこのルドルフ様に浮気をされました。だから、離縁したいと申し出たら――」
「そうしたらこの暴力女に突然殴られたのよッ!!」
私の言葉を遮り、アマンダお義母様が激昂している。
「あなたがやったことは大変な重罪よ! 高位貴族に対する不敬罪! 暴力罪! 陛下に陳情すればあなたなんて死罪確定よッ!」
アマンダお義母様は血管がはち切れんばかりに顔を熟れたトマトのごとく、真っ赤にして怒鳴っている。
「たかが貧乏男爵貴族の小娘がこの由緒正しきリンドバーグ家の伯爵夫人に楯突いたのよ!? 下級貴族のあなたをルドルフちゃんが気に入ったというから仕方なくこの縁談を我慢して飲んでやったという恩も忘れて、よもやわたくしにこんなことを……ッ!」
アマンダお義母様の言う通り、私のような貧乏貴族が宮廷貴族にも顔がきくほどの伯爵家のご令息に見初められるなんて正直運が良いとは思う。
ルドルフ旦那様の浮気なんて多少目を瞑り、粛々と大人しくこのリンドバーグ家で過ごせばもしかしたら安泰な未来が待っていたかもしれない。
「だいたいあなたみたいな生まれも育ちもゴミ屑みたいな女なんて、その家ごといつでも没落させられるのよ!? わかっているのかしら!?」
貴族の娘に生まれ、煌びやかな生活環境の中で素敵な殿方と運命的に出会い、やがて結ばれ、幸せな結婚生活を送る――。
私はそんな夢のような世界に生きることを望んでいたのを思い出していた。
私には……物心ついた頃くらいから前世の記憶が色濃くあった。
前世での私はこんな世界を、今の自分の立ち位置を喉から手が出るほど焦がれ望んでいた。
貴族の娘に生まれて、異世界での甘く蕩けそうな恋愛に憧れていた。
でもそんなもの、例え現実世界であっても叶うわけがないと思っていた。
そもそも色恋沙汰自体、程遠い存在であった。
何故なら私は……あたしは……。
あたしは、ガチヤンキーだったんだから。
レディースの八代目総長、泣く子も黙る鬼の里亜奈。
それが前世でのあたしだったんだからッ!
あたしは複雑な家庭環境の事情から、気付けば関東でも有名なレディースに属して、仲間と悪さばっかりしていた。
けれど本当のあたしは、小説や漫画に出てくるようなファンタジー世界の色恋沙汰に憧れていたのである。
そんな中、バイクの事故であたしは死んだ。
そして気づいた時、あたしはこの世界で貴族の娘、『リアナ』としてメヴィウス家に生を授かったのだ。
無論、前世の記憶があることをあたしの両親はおろか、誰一人この世界で知る者はいない。
この異世界では華麗に立ち回り、夢にまでみた貴族恋愛の末に幸せな結婚をしようと考えた。
だからあたしは前世の自分を決して表には出さないように、メヴィウス家では模範的で貴族らしく上手に奥ゆかしく生きてきた。
その甲斐あって、リンドバーグ家に嫁入りできたわけだが、もうとにかく……とにかく色々限界だったッ!
それが今日ついに露呈した。
この世界で初めて他人に手をあげてしまったのである。
そしてそれをきっかけに『私』は『あたし』になってしまい、結果――。
「黙れよババア」
「……は?」
「あたしはさぁ、曲がったことがでぇッきれぇなんだよ、このクソババア」
手だけはなく、ついに啖呵まで切ってしまったのである。




