10 【傷のなめ合い】
それは僕が勇者様と旅をして、ひと月半ほどが経った頃の事だった。
「……ノト君の故郷って、どんな所なんですか?」
ちょっと目を離した隙に野良ウサギから危ない病気を貰ってきたフレディ君のために特効薬を煎じる勇者様の姿を見た僕は、あまりにも何でも出来すぎる彼のルーツが知りたくなってその質問をした。
「ん~?」
勇者様は手を動かしながらゆっくりとした口調で答えてくれた。
「バハティエっていう……何でも作ってる、豊かな農村だね」
豊かな農村なんていうものがこの世には存在するのか。強く興味を持った僕はまだ見ぬ理想の地の名前を深く頭に刻み込んで、ぼんやりとその姿を思い描いた。僕が想像したバハティエでは田畑と果樹園にこれでもかというぐらいに作物が豊かに実っていて、その中にはあくまでもその時の僕が想像するへんてこな薬草畑の姿もあった。
「何でもって、薬草なんかも作ってるってことですか?」
「うん。薬草は村に住んでいるお姉さんが育てて、その人に少しだけ教わった」
「えっ……その人って、もしかして?」
勇者様の口から初めて出た僕以外の女の気配に嫌気がさした。でも、詳しく聞きたいという欲求に逆らえなかった僕は身を乗り出して彼の返答に耳を傾けた。
「いや、魔女じゃなくて普通の人だよ?」
勇者様はその日も僕の言葉の意味を違う意味でとらえた。
「でも、その人はボクが子供の頃からずっとお姉さんなんだよね。見かけが」
魔女なのではないかと思った。実際に本人と会った時の僕はもう一度同じことを思った。でもそれは見た目だけの話で、フォリアさんの中身は年齢相応に落ち着いた素敵な人だった。
「よし、できたぁ」
鍋の中身は焚き火でぐつぐつに煮込まれていた。熱々のこの状態で、果たしてフレディ君は薬を飲んでくれるのだろうか。
「これ、どうやって飲ませるんですか?」
「あ……そうだねぇ。薬の作り方は教わったけど、飲ませ方までは教わってなかったなぁ」
勇者様は座ったまま腕を組んで考え込んでしまった。肝心なところで抜けているこの可愛さがたまらない。鈍感すぎる所もあるけれど、そんな勇者様が大好きな僕はやってきたチャンスをものにしようと獣使いとして名乗りを上げた。
「僕、薬のあげ方を知ってます。まずは薬とご飯を混ぜていただけますか?」
「アリーがやってくれるのぉ? どうもありがとう。わかった」
勇者様はお得意の乳鉢と乳棒を使って、僕の言ったとおりに動いてくれた。早いだけではなく、とても丁寧な彼の仕事は、薬入りご飯に理想的な粘り気を生み出してくれた。
僕はフレディ君の全身をボロで包んだ。コツは前足が出ないようにすること。僕の生まれ育った村では、犬でも猫でも薬をあげる時は最初に同じことをする。動物が暴れたりして余計な事故を増やさないようにするためだ。
次にフレディ君のお尻を自分の体側に向けて膝と膝の間で挟む。この時に注意することはできるだけ優しく扱う事。ウサギというのは骨がもろくて、気をつけないと簡単に折れてしまう。見た目通りの繊細な生き物、それがウサギ。フレディ君の場合は心も繊細なので、僕は優しく声をかけてあげた。
「大丈夫だよ。お利口だね……勇者様、僕の代わりにフレディ君をあやしてください」
「わかった。フレディ君は、今日も可愛いなぁ」
最高。僕が言われたと思うことにしよう。
『アリーは、今日も可愛いなぁ。ボクと結婚してくれるぅ?』
はい、喜んで。やる気が出たところで本番に入る。本当だったら道具が欲しい所だけど、今回は自分の指を使って強制的に薬入りご飯をあげる方法を取ることにした。
ご飯をすくった人さし指をフレディ君の前歯の裏に擦りつける。そうしたかったけれど、フレディ君の場合は他の個体と違って前歯が2列になっていて与え辛かった。僕は計画を変更して、ご飯を擦りつける場所を頬の内側に変えた。擦りつけた指は噛まれないようにすぐに引っ込めて、その指でまたご飯をすくう。ここまでを終えた僕は、一度フレディ君の様子を見守った。
「結構、食べるんだねぇ……その薬、苦いでしょう? 吐き出したりしないのかなぁ?」
上手くいってくれた。口をもごもご動かすフレディ君の様子を見ながら、勇者様はのんびりと僕に質問をしてきた。僕は作業を続けながら答えた。
「はい。ウサギって吐き出すことができない動物なんです」
その性質によって誤飲で命を落とす時もある。飼育環境には十分に気をつけないといけない。
「へぇ~。知らなかった。アリーは物知りだなぁ」
「えへへ……」
好きな人に褒められるというのはこの世で最高に気持ちがいい。僕はその味に酔いしれた。
「イデェッ!!」
油断したところでフレディ君に指をかじられた。急いで引き抜いた指先には血が滲んでいた。
「大丈夫!?」
勇者様は素早く動いて袋から取り出した瓶を僕の指先に傾けた。めちゃくちゃ傷口にしみる謎の透明の液体が僕の血を洗い流してくれた。
「あっつ……こ、これぐらい、大丈夫です。でも……」
指先の燃えるような感覚に苦しむさまを顔に出さないようにしながら僕は考えた。このまま続けても傷口が広がってしまうし、フレディ君に良くないものまで与えてしまう。かといって慣れていない他の指を使っても、いらない怪我を増やす可能性を高めるだけだ。勇者様が使ってくれた液体は凄い痛いし、何か代用の道具が作れないものか。
周囲を見回しても使えそうなものは何もなかった。その時、勇者様が小さな木製のスプーンを見せてきた。
「良かったら、これ使うけ?」
それは大人が使うにしては小さすぎるスプーンだった。旅に役立つとも思えない道具を見た僕は不思議に思って尋ねた。
「何でそんなもの持ってるんですか?」
「これは子供の頃、ボクが使ってたスプーンなんだ。旅に出る時、フォリアさんが持たせてくれて」
「フォリアさん?」
「さっき話した、薬草に詳しいお姉さんの名前。フォリアさんて言うんだ」
ドクンと心臓が鳴った。もしかして、彼は僕と同じ痛みを抱えた人なのではないか。もしそうだとしたら、傷のなめ合いができる。彼との関係がぐっと縮まること間違いなしだ。僕は気持ちを高ぶらせて禁断の領域に足を踏み入れた。
「……勇者様のご両親って?」
「ボクが生まれる前に、おとさんは流行り病で。おかさんは僕を産むと、すぐに」
やっぱりそうだった。でなければ、子供の頃に使っていたスプーンを近所の姉ちゃんが持っているわけがない。僕は自分の境遇を最大限に利用することを考えながら、勇者様が旅立つまで大事にスプーンを持っていた女のことを警戒した。
「そのフォリアさんっていう方は、勇者様にとって……どんな人なんですか?」
聞いちゃった。怖い。でも、もう聞いちゃった。僕は心の瞳だけを閉ざし、一度も瞬きをせずに勇者様を見つめた。
「村の教会に預けられたボクの面倒を一番見てくれたのがフォリアさん。ボクの本当のお姉ちゃんみたい人なんだ。これも何かの縁だと思うから、使ってくれる?」
はい、お姉ちゃん。お姉ちゃんなら、もう大丈夫。貴族だったらそんなの関係ないって話を聞いたこともあるけど、僕たちは田舎の民ですから。そういう関係には絶対発展しない。安全確認を済ませた僕は、体から力を抜いて勇者様からスプーンを受け取ろうと手を伸ばした。
「あっ……」
力を抜きすぎた僕の手が勇者様の手に触れた。勇者様は触れた手をしっかりと握りなおして僕の指先を心配そうに見ながら口を動かした。
「傷は大丈夫ぅ?」
大チャンス。僕はダメ元で直接的にアプローチをした。
「……ダメみたいです。舐めてくださいますか?」
勇者様は迷うことなくご自分の唇を僕の指先に当てた。生まれて初めて味わう快楽が全身を突き抜けた。あまりにも甘くて快い感覚に意識が飛ばされそうになる中、僕は鈍感な彼を攻略するための糸口を見出していた。




