第8話:泥中に咲く花
聖都エリュシオンの街外れ、北側の城門付近に、神聖騎士団の屯所が立ち並ぶ。
戦争中は血と汗の臭いが入り混じる、街で一番騒がしく過ごしにくい場所だった。
今では、ほとんどの屯所が無人となり、ただの物置と化している。
そんな屯所の中で、数少ない現役の施設が第四部隊の屯所だ。
現役といっても、いわゆる『たまり場』になっているに過ぎないのだが、そんな雑多な場所も今日は若干華やいでいた。
北方での「メルクリウス救出任務」に対して、国から謝礼が出たのである。
加えて、騎士団本部からも報奨金があり、その支給日が本日というわけである。
「やはり、金なんだよなあ。全てを癒してくれる」
ヴァルグが、銀貨の詰まった革袋を放り投げ、嬉しそうに呟く。
バルガスは無言で、新調した高級な砥石を斧の刃に当てていた。
一方のカミラは、いつもの軍装を解き、少しだけ柔らかい生地の私服に身を包んでいた。
「少し出かけてくるわ。今日は戻らないから」
カミラはそう言い残し、誰に急かされるでもなく屯所を後にした。
「さて、俺も行くわ。バルガス、戸締まり忘れんなよ」
ヴァルグはそう言葉だけ残し、同じく屯所を後にした。
屯所には、斧を磨く音だけが響いていた。
聖都の西区、日の当たらない細い路地の先に、一軒の古びた孤児院がある。
カミラがその門をくぐると、すぐに無邪気な子供たちの声が爆発した。
「カミラお姉ちゃんだ!」
「お姉ちゃん、また来たの? あそぼう!」
戦場では一撃で人の頭部を砕くその手が、今は優しく子供たちの頭を撫でている。
カミラ自身、この孤児院の出身だ。
「百年大戦」の戦災孤児であり、物心ついた頃には既に両親はいなかった。
どこで生まれたのかも、名前も、何もかもわからない。
彼女を育てたのは、この場所を預かる年老いたシスターたちだった。
カミラという名前も、彼女たちに付けられた名だ。
この孤児院は、カミラにとって故郷であり、帰るべき場所である。
「いつも助かるわ、カミラ。あなたが送ってくれる寄付金のおかげで、この子たちの冬の衣類が揃えられる」
シスターが深く頭を下げると、カミラは困ったように視線を逸らした。
「いいのよ。どうせ汚いお金だし、ここで使ってもらった方がお金も喜ぶわ」
カミラが今回持参したのは報奨金の「全額」である。
カミラは生活費以外のお金を、全てこの孤児院に寄付していた。
孤児院の奥へ進むと、そこにはカミラのいた頃よりも遥かに多い子供たちが、窮屈そうに身を寄せ合っていた。
「……また、増えたの?」
「ええ。戦争が終わってから、皮肉なことに色んな都市で貧困が進んでいるみたい。富は全部国のお偉いさんが持って行ってしまうからねえ。食べていけなくなった親が、夜中にこっそり子供を置いていくのよ……」
戦争は、良くも悪くも、物事を動かすものだ。
街道沿いの町は宿場町になり、山沿いの町は鉱業と製造の町となり、海沿いの漁業と海軍の町となった。
平和は、安定と停滞をもたらす。
動きを失った町は死に、多くの失業者を生み出した。
停滞による富は、国の特権階級が独占している。
シスターの溜息に、カミラの胸の奥がチリと焼けた。
この子供たちが貧困に喘ぐのと引き換えに、神聖騎士団の本部が豪華になった。
何とかしたい。
そうは思うものの、一介の兵士であるカミラには、こうしてお金を送ることしか出来ない。
憧れの眼差しで自分を見つめる子供たちを、カミラはどこか悲しげな瞳で見つめ返した。
「シスター、今日は子供たちに甘いものでも出しましょうよ。買ってくるわ」
「えぇ。悪いわよ。いつも……」
「いいのよ。子供たちに、うんと元気になって欲しいもの」
孤児院を出て、複雑な思いを抱えたまま大通りへ向かうと、カミラは意外な人物と鉢合わせた。
「……ヴァルグ?」
「げっ、カミラ……。何だよ、孤児院に行ったんじゃなかったのかよ」
そこにいたのは、いつもの着崩した外套ではなく、少し小洒落たシャツに袖を通したヴァルグだった。しかも、その手には彼の獰猛な気質にはおよそ似合わない、淡い色をした花束が握られている。
「行ったわよ。今は買い物にいくところ。例の彼女のところ?」
「……ああ。今日は体調がいいらしいんでな」
ヴァルグはバツが悪そうに視線を泳がせた。
彼の『彼女』――エレナは、聖都の大きな病院に入院している。
『彼女』といっても、別に告白などをした訳ではない。
要するに、片思いである。
魔族との戦闘がまだ続いていたころ。
とある北方の戦場で、大規模な作戦があった。
片田舎の村に魔族が堅牢な陣地を構築し、侵攻の足掛かりを作ろうとしていると情報が入った。
当時はまだ第7機動部隊に所属していたヴァルグは、先鋒としてその陣地に突撃した。
タイマン戦闘ではクラウスよりも強いと言われたヴァルグは、真っ先に敵魔族の長を打ち取り、あっという間にその村から魔族を撃退した。
一息ついたその時、ヴァルグは瓦礫の下で、苦しそうな声を上げるエレナを見つけたのだ。
魔族の鮮血で真っ赤に染まった大地。
自らの手。
そんなヴァルグにとって、エレナは天使に見えた。
一目惚れである。
必死の思いで救出、エレナは一命を取り留めたものの、そのときより体の免疫が低下し、今では病院から出ることが出来ない。
また、運の悪いことに、戦後になって彼女の兄は、騎士団の反主流派に属してしまった。
悪いことではない。
そもそも反主流派とは、腐敗した神聖騎士団を嫌悪し、王権の復活を掲げる騎士たち集団だ。
立派な正義の味方であるが、現体制からすれば彼らはただのテロリストだった。
エレナは関係者の親族として処刑される寸前だったが、ヴァルグがその自らの功績をもってヴァレリウスに嘆願し、処刑を中止を実現させたのだ。
「ヴァルグ、嘘はほどほどにね」
「うるせえ」
病院の窓際、エレナはベッドの上で春の陽光を眺めていた。
ヴァルグが入室すると、彼女は花が咲いたような笑顔を見せた。
「あら、ご機嫌よう、ヴァルグさん。今日も早いのね」
「商売が早く片付いてな。ほら、今日はいい花が手に入ったんだ」
ヴァルグは優しい手付きで花を瓶に生けた。
エレナは、ヴァルグの本当の仕事を知らない。彼は自分を「各地を旅する商人」だと偽っている。
エレナは、兄は死んだと思っている。
兄は、今テロリストと呼ばれているなどと、ヴァルグにはとても言えなかった。
結果、既に戦争で他界したと嘘をついたのだ。
彼女の兄を死へ追いやった神聖騎士団。
それと同じ神聖騎士団所属だと、彼女に知られるのがヴァルグは怖かった。
ましてや、今はその兄と敵対する立場であるから、なおさらである。
「今日は、どこのお話を聞かせてくれるの?」
「ああ。……最近は北の、グラキリスの方へ行ってきた。空が真っ白で、吹雪が止まないところだ。だがな、雲の切れ間から見える星は、聖都の何倍も綺麗だったぜ」
血飛沫と悲鳴に満ちた処刑場の話を、ヴァルグは穏やかな旅物語へと変換していく。
エレナは楽しそうに相槌を打ち、彼の嘘に耳を傾ける。
ヴァルグは、天使の髪をそっと撫で、彼女を愛おしく見つめた。
エレナは、そっと瞳を閉じる。
ヴァルグの顔が、ボウッと火を噴く。
「あ、そ、そうだ。お、お茶。とってくる!」
ヴァルグは、慌てて立ち上がる。
エレナは「意気地なし」と言わんばかりの表情を浮かべるが、直ぐに笑って手を振った。
今のヴァルグにとって、エレナは唯一の正義である。
『エレナを守る』
そのためならば、どんな不条理な命令も受ける。
どんな泥水も、誰かの反吐も飲み込んでやる。それが自分の魂をどれほど汚そうとも。
面会時間が過ぎ、エレナに別れを告げる。
病院を後にしたヴァルグの横顔は、再び「猟犬」のそれに書き換わっていた。




