第7話:不条理の円卓
聖都エリュシオン、南区。
魔術協会でも穏健派とされる『セーニャ派』の首領、アルゴスの私邸は、静謐な香りと豪奢な装飾に包まれていた。
だが、その部屋の空気は氷原グラキリスよりも冷たく、澱んでいる。
「災難でしたな、メルクリウス殿。しかし、助かってよかった」
アルゴスが、慈悲深い聖者のような笑みを浮かべ、声をかける。
その視線の先には、車椅子に深く沈み込み、全身を包帯で巻かれたメルクリウスの姿があった。
かつての傲慢な執行官の面影はない。
その瞳は焦点が合わず、時折、隣に立つクラウスの影が動くだけで、獣に怯える小動物のように肩を激しく震わせている。
「……う、う、……む」
メルクリウスは憔悴しきっていた。
全身の裂傷だけでなく、声帯まで潰れており、声というより音を出すのもやっとの状態だ。
そんな重体のメルクリウスがこの場にいるのには、訳がある。
一体、グラキリスで何が起こったのか。
聖王国の重鎮が襲撃されるなど、あってはならないこと。
大重罪である。
その原因を速やかに究明し、解決する必要があるからだ。
神聖騎士団総長ヴァレリウスが、書類を優雅に繰りながら口を開く。
「……さて。改めて確認させてもらおう。士は北方の視察中、終戦後に神聖騎士団より離反したテロリスト――いわゆる『反主流派』の襲撃を受けた。そこを、偶然にも調査任務に就いていた第四部隊に救われた。……相違ないな?」
「……」
メルクリウスは、ただ黙って頷く。
「第四部隊の尽力に感謝しており、先日の不手際もすべて不問に付す。……そうだな?」
「……」
返事はない。
メルクリウスを支える側近も、声なく項垂れるだけである。
もはやメルクリウスはヴァレリウスの言葉をなぞるだけの、壊れた人形のようだった。
ヴァレリウスは「やれやれ」という表情を浮かべると、応答を待たずに発言を続けた。
「第四騎士団の功績というわけだ。謹慎処分の身でありながら、国家への貢献はさすがだ」
クラウスは、無表情に軽く首を垂れた。
なんの感情もない。ただの儀式である。
「さて……」
ヴァレリウスの瞳が、爬虫類のような冷たさを帯びる。
「北方の魔石採掘権は引き続き、クリスト派のものだ。だが、過激な反主流派の襲撃が続いている現状では危険すぎる。そこで提案だ。安全が確保されるまで、採掘作業はすべて我々神聖騎士団の管理下で行うこと。どうかな? 良い提案だと思うのだが?」
その瞬間、メルクリウスの瞳に、絶望を超えた驚愕と怒りが宿った。
神聖騎士団の管理下でのみ採掘を行うこと。
それはすなわち、採掘には全て神聖騎士団の許可が必要ということに他ならない。
「そ、それは……」
メルクリウスの側近たる魔術士が、驚愕の声をあげる。
当のメルクリウスが万全ならば、今頃激昂しているだろう。
だが、多くの戦力を失い、憔悴したメルクリウスには、ただヴァレリウスを睨みつけることしか出来ない。
ヴァレリウスは、その視線を歯牙にもかけず、言葉を紡ぐ。
「なあ、クラウスよ。お前も士の警護であれば、光栄だろう?」
ヴァレリウスは、クラウスに視線を向ける。
クラウスは、ただ黙って、メルクリウスを見つめた。
氷原での絶叫、爪の間に食い込む刃の感触。
メルクリウスの脳裏に焼き付いた恐怖が、彼の僅かな闘争心を砕いた。
「クラウス、士は君に心から感謝している。謹慎も解けた。これでまた、仲良くできるな?」
ヴァレリウスの白々しい問いかけに、クラウスは答えない。
ただ、無言でメルクリウスの瞳の奥を覗き込んだ。
メルクリウスはガタガタと全身を震わせ、白目を剥いてそのまま崩れ落ちた。
「おやおや。いけない、怪我人に無理をさせてしまったようだ」
ヴァレリウスは、倒れた男には目もくれず、茶を啜る。
アルゴスが手下の魔術士たちに、メルクリウスを医務室へ運ぶよう促した。
その去り際。
「それにしても……」
セーニャ派の若手魔術士、バラモスが吐き捨てるように、しかし意図的に声を漏らした。
「……メルクリウス様は、伝説のイフリートを召喚できる石板を使用されたとか。それを駆逐できるほど、反主流派の連中は力をつけているのですねぇ。恐ろしいことだ」
その言葉を聞いた、クリスト派の魔術士たちが、一斉に侮蔑の表情をバラモスにぶつける。
(そうではない……)
そう言いたげな表情を浮かべた側近たちであったが、何も答えずメルクリウスを連れて部屋を出て行った。
重い空気と無言のヴェールが、部屋を包む。
アルゴスがバラモスを軽く制すると、ヴァレリウスに詫びを入れた。
「失礼した。身内の不作法だ。……ヴァレリウス殿、これで北方の魔石も安定して供給される。聖都の平穏も守られるというものですな」
アルゴスが、ヴァレリウスに握手を求める。
「失礼とは、何がですかな?」
「あ、いや……」
ヴァレリウスはスッと立ち上がると、アルゴスの握手を無視して部屋を出て行った。
「クラウス、いくぞ。アルゴス殿、またの機会にゆっくり話すとしましょう」
ヴァレリウスとクラウスが退室し、重厚な扉が閉まる。
残された部屋で、アルゴスが口を開く。
「ふぅ……血の気が引いたわい。しかしまあ、これで北方の採掘権も、実質的には神聖騎士団のもの。ヴァレリウスについている我がセーニャ派も、ようやくクリスト派を出し抜くことが出来る」
アルゴスは腰が抜けたのか、勢いよくソファーにもたれかかった。
そのアルゴスに、バラモスはそっとお茶を差し出した。
「しかし……、よろしいのですか?」
バラモスの目が、先ほどまでメルクリウスが座っていた場所を見つめる。
「何がだ?」
「……クリスト派がこのまま引き下がるとは思えません。一個師団戦力で討滅がやっとのイフリートを駆逐するなど、反主流派にできるはずがない。第四騎士団の仕業だってことは、なんと言おうとクリスト派の連中は気が付きます」
「そうだろうな。何らかの動きはあるだろうが……」
アルゴスは、険しい表情をバラモスに向ける。
「……それ以上は言うな。命が惜しければな」
アルゴスが冷たい表情を浮かべる。
「真実など、この聖都では何の価値もない。あるのは、誰が勝ち、誰が利用されたか、それだけだ」
一方、騎士団本部への帰り道。
クラウスは馬車の窓から、雨に煙る聖都を眺めていた。
自分の剣で誰かを葬った記憶など、もうどこにもない。
この反吐が出る負の連鎖はいつ終わるのか……。
得体の知れない虚しさが、雨と共にじんわりと広がっていた。




