第14話:鉄血の狂宴
ゴルゴダ砦を見下ろす荒野は、嵐の前の静けさなどという生易しいものではなく、既に死の臭いが漂う異様な空間であった。
それもそのはずである。
人馬のみならず、無数の異形の集団が埋め尽くす平原。
かつて百年戦争であった光景が、今まさに再現されている。
両軍の兵士たちが発する熱気と、互いの肺腑を食い破らんとする殺意が、大気の循環すらも阻害し、重苦しい鉛色の空気となって、大地を押し潰そうとしている。
街道の要衝として高い城壁に囲われたゴルゴダ砦。
その城壁には、ゲールハルト師団の精鋭たちが、蟻の這い出る隙間もないほどに展開していた。
彼らの手にあるのは、騎士の誉れである剣ではない。
ドワーフの地下技術と現代魔導工学を悪魔的な発想で融合させた長銃身の魔導ライフル、そして巨人の筋力でなければ引けぬほどの剛弓である。
ただの砲兵ではない。
一騎当千の砲兵である。
『必殺』のクオリアを纏った数々の魔導武器は、禍々しい瘴気を放っていた。
さらにその背後、城壁内部後方の広大なスペースには、クリスト派の魔術士たちが色とりどりの杖を天に突き上げ、詠唱を開始していた。
通常戦闘の様な効率的な術式構築は必要ない。
術式を練り、その都度魔石を練りこみ、練りに練り上げ、強力な魔術をより強力なものへと昇華させる。
彼らの頭上には、魔力の奔流が渦を巻き、どす黒い積乱雲を形成しつつある。
渦巻いた魔力が、それぞれ構築された術式へと注がれる。
石板を媒介とする召喚魔法。
高威力・超弾速の迎撃魔法。
そして、ゲールハルト師団への強化魔法。
攻城戦は、守備側が圧倒的に有利と言われる所以である。
対する神聖騎士団とセーニャ派の連合軍は、地平線を埋め尽くす黒い染みのように展開していた。
全軍の前方から中央部に布陣し、大部分を占めるのは、セーニャ派が召喚した異形の群れ。
腐臭を放つオーク、皮膚の剥がれ落ちた合成魔獣やアンデッド、そして城壁のごとき巨躯を誇る戦象。
続々と数は増え続け、今では数万に達しようとしていた。
全軍の両側に配置された巨大な魔方陣。
そして、全軍のはるか後方よりセーニャ派の魔術士たちが聖都より無限に供給される魔石を糧に、魔方陣に向けて召喚魔法を詠唱し続ける。
魔方陣を守るは、鉄壁を誇る第一師団である。
張り詰めた空気が、臨界点を迎えた。
「始めよう……」
ヴァレリウスが、バラモス、そしてバルトロメウスへと合図を送る。
バラモスが、まずは手を上げる。
それに呼応するように、異形の軍勢に配置されたジェネラル・オークが異形の言葉を大声で発する。
何をしゃべっているのか、他の種族には聞き取れない。
だが、意味はわかる。
なぜならば、これはかの『百年戦争』で魔族軍が使っていた号令だからだ。
だんだんと言葉が短くなる。
「ギル! ギル!」
魔族語で、殺せ、という意味だ。
数万のオークが装備した甲冑を鳴らし、手に持った槍で地面を打つ。
大地が割れんばかりの地響きとなる。
まさに、魔族との合戦そのもの。
偶然の事象ではない。
これはバルトロメウスの策である。
かつての百年戦争を想起させることで、ゲールハルト師団の兵士たちを動揺させるのだ。
無論、この程度で揺さぶられるものは少ない。
だが、必ず効果はある。
テンポが早くなる。
開戦が近づく。
「総員、構え!」
ゲールハルト師団の隊長たちが激を飛ばす。
城壁に布陣した兵士たちが、ライフルや剛弓を構える。
ゲールハルト師団の新兵。
彼は、今日が初陣だった。
訓練ではいつもトップ。鳴り物入りで、一騎当千師団の入隊テストに合格した。
だが、彼の心は震えていた。
目の間を埋め尽くす、異形の大軍勢。
彼のクオリアが濁る。
息が詰まる空気に耐えられず、息を大きく吐き出す。
そのときだった。
――ビュンッ!
彼の剛弓から発射された矢が、1体のオークを貫く。
ピタリ、と全軍のドラムが止む。
そして……、
「グオオオオ!」
怒り狂ったオークが、一斉に進軍を開始する。
凄まじい殺気と地響きが、ゴルゴダ砦に迫る。
「――放て! 慈悲などいらぬ。大地ごと耕してやれ」
砦の司令塔で、ゲールハルトが冷酷に指揮杖を振り下ろした。
呼応し、全軍の隊長が、そしてクリスト派の魔術士たちが一斉に攻撃を開始する。
刹那、太陽が失われた。
数千、いや数万を超える矢と魔弾が、暴風雨となって虚空を埋め尽くし、光すらも遮断する。
それはもはや射撃と呼べるものではなく、物理的な質量を持った「死の天蓋」そのものであった。
耳をつんざくような風切り音さえ置き去りにし、鉄と魔力の豪雨が、攻め手側の前衛へと降り注ぐ。
逃げ場など、どこにもない。
先頭を走っていたオークの集団が、一瞬にして挽肉へと変わる。
四肢が弾け飛び、胴体が破裂し、血と臓物が赤い霧となって舞い上がった。
さらに、クリスト派の魔術士たちが放った上位爆裂魔法が着弾する。
大地が悲鳴を上げ、めくれ上がり、巨大な火柱が幾本も立ち昇る。
熱波が生き残った魔獣たちの皮膚を焼き焦がし、その絶命の叫びすらも爆炎がかき消していく。
だが、オークは止まらない。
彼らに、恐怖という概念は存在しない。
味方が倒れればその屍を踏み潰し、ひたすらに前進する。
爆裂魔法で出来た穴は、オークの死体で埋まり、踏み固められ、新たな道となった。
バルトロメウスは正確に戦場を把握し、損耗部分を的確にバラモスへ伝達する。
バラモスは、その情報を元に、新たな召喚を指示する。
最前線は、既に死体で舗装された道と化していた。
魔術による絶対的な隷属が、彼らに死への行進を強制する。
矢が眼球を貫こうと、足が吹き飛ばされようと、後ろから押し寄せる同族の波に押され、ただひたすらに前へと進む。
もはや、腐肉と泥でできた土石流が、砦に向かって逆流しているかのようなおぞましい光景だった。
砦側、既に回復したメルクリウスが魔術士たちに激を飛ばす。
「召喚いくぞ。異形共を焼き払え」
魔方陣を戦場に設置していたのは、セーニャ派だけではない。
クリスト派が城壁前に設置した巨大魔方陣。
魔方陣が強い光を発すると、マグマや氷、雷と言った様々な元素を固めたような巨人たちが這い出してきた。
巨人たちは砦の城壁と同じ高さを誇り、古代の神話を再現したかのような災厄の化身であった。
巨人たちの胸が開き、禍々しいコアが高速回転を始める。
そして、コアから扇状に放たれた光が、戦場を薙ぎ払った。
射線上にいた数百のオークたちが、悲鳴を上げる間もなく蒸発し、黒い彫像となって崩れ落ちた。
風に舞う灰が、雪のように戦場へ降り注ぐ。
圧倒的な火力。
これこそが、最強の矛と謳われたゲールハルト師団と、個の火力を極めたクリスト派が融合した姿だった。
止まらない軍勢の侵攻を、一切許さない。
まさに熾烈な攻防が展開されていた。
この煮詰まった状況を見て、バルトロメウスが次なる指示を飛ばす。
その地獄絵図の中央において、巨大な影が進撃を開始する。
身長五メートルを超えるオーガたちが、全身の筋肉を軋ませながら鎖を引いている。
破城用の超巨大バリスタ。
鋼鉄の杭を装填したその兵器は、まさに神を殺すための処刑台のようにも見えた。
車輪が大地を削り、地響きを立てながら、一歩、また一歩と城壁へ進む。
当然、砦側の標的となる。
雨あられと降り注ぐ魔弾と、巨人の放つ砲撃がバリスタへと集中する。
鉄塊すらも瞬時に融解させる熱量が、バリスタを包み込もうとした瞬間。
「総員、構えッ! 我らは盾! 不抜の鉄壁なり!」
アイゼン師団長の裂帛の気合と共に、バリスタを取り囲む重装歩兵たちが一斉に大盾を掲げた。
彼らの纏う『対魔鋼』の鎧が、青白い燐光を帯びる。
それは魔力ではない。彼らの魂から溢れ出る「信じる力」――クオリアである。
『我らは砕けない! 不滅なり!』
揺るがない鉄壁の意志。
この1点のみが群を抜く、最強の防御壁である。
物理法則を無視した不可視の障壁。
着弾する爆炎。
煮えたぎる熱線。
それらが障壁に衝突し、激しく飛散する。
周囲の空間が熱で歪み、地面がガラス状に溶解していく中、アイゼンと兵士たちだけが、まるで時間が止まったかのように微動だにしない。
硝煙が晴れた後、そこには煤一つついていない銀色の甲冑が、整然と並んでいた。
「なっ……馬鹿な! あの火力を無傷だと!?」
砦の上の弓兵たちの一部が、ざわめき動揺する。
百年戦争当時、アイゼン師団とゲールハルト師団はよく模擬戦を行っていた。
いつも互角の勝負を展開しており、最強の矛と盾はまさに矛盾した状態であった。
だが、時代は流れている。
その模擬戦のことを知らない兵士も、既に多くいた。
その彼らにとって、攻撃に絶対の自信を持っていた彼らにとっては、常識では計り知れない現象が、目の前で起きたのだ。
物理的な盾ではない。
概念的な拒絶。
彼らは「焼かれること」そのものを拒否したのだ。
「今だ! 落ち目を狙え!」
その一瞬の隙を見逃す第三師団ではない。
第一師団が作った盾の隙間から、第三師団の選抜狙撃兵たちが身を乗り出す。
第三師団の兵士達の最大の武器は、優れた「目」だ。
彼らの目は、クオリアの乱れを見逃さない。
彼らが構えるのは、クオリアをダイレクトに伝達できる長距離ライフル。
「目」で見たものを、構えることなく意志の力のみで狙撃できる。
亜音速の弾丸が、戦場の喧騒を縫って走る。
城壁に立ち並ぶゲールハルト師団の兵たちが、まるで糸が切れたように次々と崩れ落ちる。
ある者は眉間を、ある者は喉を、正確に射抜かれる。
元々、攻撃に特化したゲールハルト師団の兵たちの防御に関するクオリアは高くない。
それが、動揺によってさらに低下したのだ。
もはや、防御は無いに等しい。
正確無比なロングレンジ射撃。
最強の盾に守られながら、神聖騎士団の「目」が、敵の戦力を削ぎ落としていく。
だが、これだけではない。
計略の第三師団が、ただの狙撃で終わらない。
当然、弾丸には仕込みがあった。
超高純度の魔石が仕込まれ、落下の衝撃をキーに起爆するように仕込まれた小型爆弾。
城壁から後方スペースに落下した兵士が、急造爆弾と化し、クリスト派の魔術士たちを襲う。
複数の巨人が動力を失い、土くれに戻っていった。
一進一退の攻防。
だが、物量は嘘をつかない。
無限に湧き出るセーニャ派の肉壁と、神聖騎士団の連携により、戦線はジリジリと、しかし確実に砦へと近づいていった。
死体の山がスロープとなり、後続の兵士たちがそれを駆け上がっていく。
血の海を泳ぐように、軍勢が城門へと殺到する。
そしてついに……。
オーガの引く巨大バリスタが、城門の目前、決定的な射程距離へと到達した。
「放てぇぇぇッ!!」
大気を震わせる轟音。
太い丸太のような鋼鉄の杭が射出される。
それは音速を超え、衝撃波を纏ってゴルゴダ砦の城門に激突した。
落雷のような破壊音が響き、鋼鉄の扉に巨大な亀裂が走る。
蝶番が悲鳴を上げ、鉄屑が飛び散った。
城門が歪んだ。
眼前の光景に勢いづいたオークたちが、雪崩れ込もうとした、その時だった。
耳鳴りのような、不快な高周波の共鳴が戦場を支配した。
誰もが本能的な恐怖を感じ、動きを止める。
音の発生源は、砦の中央。
三つの巨大魔石を抱いた新型砲台が、禍々しい紅蓮の光を収束させていたのだ。
その光は、太陽よりも眩しく、そして血よりも赤い。
「充填完了。……消し飛べ」
砲台の横で、ゲールハルトが虫を払うかのように腕を振り下ろした。
世界が白く染まった。
一発目。
放たれた極太の熱線は、城門に取り付いていた巨大バリスタを、それを守る第一師団の兵士ごと飲み込んだ。
第一師団の兵士たちは、鉄壁のクオリアを展開した。
だが、そのクオリアを熱戦は貫通した。
クオリアが通じなかったのではない。
何らかの干渉を受け、クオリアの壁が無理やり溶かされた。
圧倒的なエネルギー質量は、肉体を原子レベルで分解し、蒸発させた。
悲鳴を上げる暇すらない。
光が過ぎ去った後、そこに残っていたのは、地面に穿たれた巨大なクレーターとガラス化した大地から立ち上る陽炎だけであった。
最強の盾は、存在ごと抹消されたのだ。
そこにあったはずの命が、最初から存在しなかったかのように消え失せた。
二発目。
砲身が駆動音を立てて僅かに上を向く。
放たれた光弾は、美しい放物線を描き、戦場の遥か後方へと着弾した。
そこは、セーニャ派の召喚士たちが安全圏だと思い込んでいた本陣だった。
大地が隆起し、巨大なキノコ雲が成層圏まで立ち昇る。
衝撃波が数キロメートル先まで広がり、数百の魔術士が一瞬にして消滅した。
供給源を断たれた前線の魔獣たちが、糸の切れた操り人形のように次々と泥人形となって崩れ落ちていく。
そして、三発目。
その冷酷な銃口が向いた先は、戦場全体を見渡す丘の上。
ヴァレリウスやバルトロメウスがいる司令部である。
灼熱の光線が、司令部を直撃する。
岩盤すら溶解させる熱量が、天幕を包み込み、全てを無に帰す――誰もがそう確信した。
だが。
「なるほど、精神干渉魔法との複合とは、考えたな……」
もうもうと立ち込める土煙と水蒸気。
その中心に、一人の男が立っていた。
バルガスだ。
彼は司令部の前に仁王立ちし、愛用の巨大斧を盾のように構えていた。
その全身から、金色のオーラが噴き出している。
バルガスの固有スキル『金剛不壊』。
絶対不可侵の鋼の意志。
バリスタを守る第一師団が防げなかった理由。
それは、発射前に感じた共鳴音にあった。
新型砲台は、各属性に応じた砲弾を発射するだけではない。
同時に、高レベル精神汚染魔法を対象に発射することが出来たのだ。
強制的にクオリアに干渉され、その防御を飛散させる。
まさに、対神聖騎士団を想定して造られた兵器である。
「ふむ……、さすにが王将は無理か。それにしても、恐れ入る」
砦から金色のオーラを眺めていたゲールハルトは、新型砲台の方へ目を向けた。
正確には、新型砲台を守るヴァルグであるが……。
「第四部隊、恐ろしいものよ。味方になれば、頼もしいがな。さて……」
ゲールハルトは即座に戦場へと向きなおし、追撃の指示を送る。
既に異形の軍勢は半壊しており、新たな補充もされない。
守備兵たちは勝利を確信し、次々と攻撃を発射した。
「ここまでだな。撤退だ! 全軍、退却!!」
バルトロメウスの号令が、戦場に響き渡る。
アイゼンを始め、生き残った前線の兵士たちが一斉に退却を開始する。
残されたオークたちが肉の壁となり、兵士たちを守る。
だが、敗北・退却時の精神状態ほど、脆弱なものはない。
多くの兵たちが、背後からの狙撃に命を落とした。
砦側からは割れんばかりの勝ち鬨が上がった。
「ゲールハルト様万歳! メルクリウス様万歳!」
勝利の美酒に酔いしれるゲールハルト師団とクリスト派。
城壁の上では、兵士たちが互いに肩を叩き合い、逃げゆく敵の背中に嘲笑を浴びせた。
安全圏まで撤退したころ、バルトロメウスはヴァレリウスに耳打ちする。
「首尾よくいきましたかな?」
ヴァレリウスは、口元についた煤を拭いながら、誰にも見えぬ角度で、ニヤリと口角を吊り上げた。
「……ああ、作戦通りだ」




