後日談 奇跡の巫女と祭司によるワールドツアー セヴァーン編
短い間でしたが拍手として掲載していたものです。
拍手、10回分ですから長いです。
いつも申し訳ありません。
『奇跡の巫女と祭司』ワールドツアー
STAGE 1 ティモール王都セヴァーン神殿
王族と並んで神殿の貴賓席に座るランドマーク公爵は傍らの夫人にそっと囁いた。
「アレがルイスか?」
祭事に巫女や祭司が神を讃えて詠う場所では、今、アンナとルイスが二人だけで『奇跡の咏』を詠っている。
「そうだ。彼が何か?」
長年行方知れずの妹の傍に居る男性に対して不信でも感じているのか?と思って夫人は訊ねたのだが。
「いや、やっぱ祭司だけあって上手いなぁと思ってさ」
感心する夫に、余計な考えだったのか?それとも天の邪鬼な夫が素直になれないでいるのか?と量りかねている公爵夫人に聞こえて来た言葉は。
「あいつもいつの間にこんなに咏が上手くなったんだ?ガキの頃はヘタクソだったのに」
妹に再会出来て、嬉しさを照れ隠ししようとしている様な公爵の言葉だった。
「シャノンで姉に教わったと言っていた」
公爵夫妻はその後、二人の咏を黙って聞き入った。
咏はクライマックスを迎え、二人の白い巫女服と祭司服が光り輝き、観客へとその光が散って行った。
奇跡のコンサートはティモールの人々に大きな歓声と拍手を持って受け入れられた。
STAGE 2 神殿の控室にて
「お義姉さま!」
両手を広げてアーニャに抱きついたアンナは、抱きつき返しても来ないアーニャに冷たい声で返された。
「何の猿芝居だ」
コンサートが終わって、ティモールの公爵夫妻が、主役の二人を控室に訪ねると、ヒロインからの熱烈歓迎を受けたのだが、夫人にはあまりウケなかったらしい。
「折角の感動の再会なのに、お義姉さまってば相変わらず冷たいのね!第一『お義姉さまと呼ぶように』って手紙に書いてよこしたのはお義姉さまの方でしょう?」
自分なりに考えた演出を猿芝居と酷評されて、アンナは不貞腐れた。
「冗談を本気にするな。今まで通りで構わない」
怒っている訳でもなく、笑うでもなく、アーニャは昔と変わらず淡々と喋る。
着ている服こそ、ティモールの貴族らしい豪華なドレスだが、中身が全くと言っていいほど変わっていない事にアンナは感激に近いほど感動していた。
「では、改めて・・・アーニャ、久し振りだね!会いたかったよ!」
改めてギュッと抱きついて来たアンナをそっと抱きしめ返したアーニャはポツリと呟いた。
「ああ、元気そうだな」
そんな二人の様子を、ランドマーク公爵は面白そうにニヤニヤと笑って見守っていた。
一方、ルイスは控室の隅で膝を抱えて一人、羞恥心と戦っていた。
「どうしてハドソン村の奴等が来てるんだ?今日は王侯貴族だけじゃなかったのか?おまけに観客の1/3は祭司服を着てた・・・クレンスだけじゃなく、ヘンリーもアーサーもジョージの顔だって見えたぞ!あいつら絶対に笑ってる!俺の事を笑ってるんだぁぁ!」
頭を抱えて悶絶しているルイスに、その場の視線が集中したが、幸いな事に彼は気づかない。
「・・・いつも、ああ、なのか?」
アーニャが小さな声で尋ねるとアンナは頷いた。
「始めてからもう2年以上も経ってるのに、ルイスってば本当に諦めが悪くって。今回は特に彼がずっと居た神殿だから、顔見知りも多いらしくって」
始める前から酷かったんだよ、とぼやいたアンナと共にアーニャは憐れみの視線をルイスに投げ掛けた。
STAGE 3 ランドマーク公爵邸にて・兄と妹の会話
「それにしても、アンナ。お前ももう19だろ?全然、成長してねぇな」
久し振りに再会したアーニャは変わっていなかったが、それよりも更に久し振りに再会した兄はそれ以上に言動が変わっていなかった。
「フレデリックお兄様こそ、公爵になって宰相まで務めていらっしゃると言うのに、未だにそんな言葉遣いをなさっていらっしゃるなんて・・・リチャード大叔父様がいらっしゃったら、ただじゃ済まされませんよ?」
本人が密かに気にしている成長不足を鋭く指摘されて、アンナは慇懃無礼な口調で無礼な兄に対応した。
「クソジジィはとっくの昔に墓の下だ。お前こそ何だ?その薄気味悪い喋り方は?さっきアーニャと話してた時と随分と違うじゃねぇか?」
妹の窘めに少しも堪えない兄をアンナは睨みつけた。
「あたしだって、お偉い方達と話す時にはTPOを考えて話し方を変えてるんです!いつまで経っても成長しない誰かさんとは違って!」
ツンとそっぽを向いた妹が次第に砕けた口調になっている事に気づいてフレデリックはクスクスと笑いながら訊ねる。
「へえ~?アーニャだって公爵夫人でお偉い方じゃねぇのかよ?」
「アーニャは友達だもん!」
兄の言葉に今日の訪問の真意を思い出したアンナは、フレデリックに凄い勢いで問い詰め始めた。
「ハッ!そうよ!どうして二人は結婚したのよ?いつから?どこで知り合ったの?アーニャってば全然教えてくれないんだから!」
アンナの言葉にアーニャは顔色も変えずに黙ったまま静かにお茶を飲んでいる。
そう簡単に口を割りそうにもないアーニャを見て、アンナは目標を兄に変えた。
「お兄様!この際だから、キッチリ白状して!二人が知り合ったのはいつ?どこで?」
鬼気迫る勢いの妹に公爵は苦笑して、チラリと動じない妻を見てから両手を挙げた。
「判った、判った・・・知り合ったのは俺が帝国に行った時だ。確か、もう4年前になるのか?」
記憶をたどる様に呟いたフレデリックの言葉にアンナの目がキラリと光る。
「4年前・・・やっぱり、あたしと再会した時には知り合ってたのね・・・黙ってるなんて酷いわ!アーニャ!」
キッと義姉を睨みつけると、アンナは再び兄に飛び掛るように訊ねる。
「それで?お兄様は何て言ってアーニャと付き合える事になったの?」
その勢いに仰け反りそうになりながらも、フレデリックは不満げに眉を顰めた。
「どうして俺からだと決めつけるんだ?」
「だって、アーニャは絶対に自分から告白なんてする訳ないし、フレデリックお兄様は軍に入ってから結構派手に遊んでお盛んだって、ソフィアお姉様やコンラッドお兄様も言ってたもん」
この場に居ない姉と兄の言葉を聞かされてフレデリックは舌打ちをするしかなかった。
「あいつら・・・ガキにナニ教えてんだよ」
「でも、嘘じゃないんでしょ?」
無邪気な妹の問いに返す言葉が無い兄だった。
さらに追い打ちをかけたのが妻の一言だった。
「そうなのか?」
「あ、いや、それはだな若気の至りと言うか、何と言うか、その・・・」
静かにじっと、夫を冷静な視線で問い詰める妻に、焦って墓穴を掘りそうな兄を見詰めていたアンナは二人から離れ、ルイスに囁いた。
「アーニャってば、すっかりお兄様を尻に敷いてるのね・・・驚きだわぁ~!あんなに慌ててるお兄様なんて初めて見たかも!」
「仲が良いんだろ」
コンサートのショックから立ち直りつつあるルイスは興味がなさそうにそう呟いた。
STAGE 4 ランドマーク公爵邸・客用寝室にて 義姉と義妹の会話
「二人の馴れ初めについて、じっくり聞こうと思ってたのに。何だか上手いことアーニャに誤魔化されちゃったな」
フレデリックが結婚すると同時に、公爵家の子供達の部屋は全て片付けられてしまったので、客用寝室に泊まる事となったアンナは、案内してくれたアーニャに愚痴るように呟き、彼女から話して欲しい、と熱意ある思いを無言で送っていた。
「お前は本当にその手の話が好きだな」
呆れたようなアーニャの言葉にアンナはちょっと拗ねる。
「だって・・・興味あるし」
「私の事より、お前はどうなんだ?ルイスと」
お喋りなアンナから逃れるには、こちらから話題を振れば一番効き目がある事をアーニャは理解していた。
「ルイス?やだ!アーニャってば!あたし達は別に・・・ルイスは祭司だし、祭司は結婚しちゃダメなんだよ?」
ずっと一緒に居る二人は・・・と思っていたアーニャはアンナの言葉に驚かされた。
「そうなのか?」
てっきり、もう二人は・・・だと思っていたので。
「そうだよ。あたし達はアーニャとお兄様達とは違うんだよ」
少し寂しそうなアンナの表情に、アーニャは表情に出さずとも少し焦りを感じた。
「何の約束もしていないのか?」
アーニャの低く静かな問いに、アンナは心配をさせてしまったのかと無理矢理笑顔を作り出して答える。
「ずっと一緒に居てくれるって言ってくれたんだよ、ルイスは。あたしはそれだけでも十分だと思ってる!」
それはある意味プロポーズでは?
そう思ったアーニャだったが、祭司の立場を順守しようとしているルイスの考えを重んじて、黙っていた。
ルイスがこのワールドツアーに消極的なのは、恥ずかしいからだけではなく、祭司の立場から外れてアンナと共に生きていこうとしているからではないのか?とも思える。
きっと、やる気のアンナの傍に居る為に、祭司の身分のまま傍に居て、恥ずかしいツアーにも参加しているのだろう。
フレデリックであれば、祭司であろうとなかろうと立場も何も考えずに行動を起こしていただろうが、ルイスは案外、忍耐強いのかもしれない。
アーニャはいつか、アンナとルイスが幸せな家庭を作れる日が来る事を祈った。
STAGE 5 ランドマーク公爵邸にて ボーイズ・トーク
「それにしても派手な舞台だったな、アレは」
客用寝室に引き上げた女性陣から取り残されたフレデリックとルイスは、客間で静かに酒を酌み交わしていた。
「ええ、猊下は派手な事がお好きですので」
その上、若造りで、腹が黒くて、陰険で、強欲で、ホント、どうしようもない方ですよ。
ルイスの色々と恨みの籠った言葉にフレデリックは、深酒させると拙いかなと思いつつ、苦笑するしかなかった。
「で?成果は上がってんのか?」
コンサートの目的は『魔物の必要性と存在を認めさせ、排斥を止める』事にある。
「どうでしょうか?実際の処、俺には判り兼ねます」
観客の反応は悪くない。
だが、コンサートの成功が必ずしも目的達成に繋がるのか?と言えばそれは難しい。
「ま、気の長い話になるんだろうな」
フレデリックはそう呟いてから、グラスを干した。
「でも、こうしてアンナが正々堂々と家に帰れただけでも無駄な事じゃなかったと思います」
魔物は排斥されるが故に、隠れ里へと子供の頃に連れ去られて、生きて家族と会える事など諦めていた彼女に、ただ一人生き残った兄だけとはいえ、再会が叶ったのだから。
そして使用人達の歓迎振りときたら・・・凄まじいの一言に尽きた。
エルベの祭司長が色々と取り計らってくれても、アドリアを出てティモールに来るまでに2年も掛かったのだ。
「ああ、そうだな・・・俺もまさかアンやマーガレットが生きてるとは思ってもみなかった」
フレデリックは誘拐されたと聞かされた妹達の為に軍の情報部に入って二人の行方を捜していたが、生存については諦めかけていた。
真実はすぐ側に居た父が把握していたとはいえ、無駄な事をしていたもんだと過去を振り返ると笑うしかないフレデリックだった。
「お前は魔物じゃないんだろ?アンが怖くはないのか?」
アンナと一緒に咏を詠って不思議な力を披露していると言うのに、ルイスは魔物ではないと言い張る。
そんな彼が、どうしてアンナと行動を共に出来るのか?
力が弱くなったとはいえ、魔物である妻を持つフレデリックにとっても純粋な好奇心が働く。
「それをあなたに聞かれるとは解せませんね」
苦笑して答えるルイスにフレデリックは視線を鋭く向けて、再度問う。
「アンナに惚れてるからか?」
肩を竦めて、公爵の追及をかわすルイスに、再度投げ掛けられた質問は、笑いを含んでいた。
「やっちまったのか?」
流石にこの質問にはルイスも気分を害したらしく、フレデリックを睨み返して来た。
「おや?まだなのか?なにやってんだ、お前」
ゲラゲラと笑い出したフレデリックにルイスはポツリと呟いた。
「祭司は未婚が信条です」
「そんなモン!今どき、誰が信じると思ってんだよ?まさか、お前も綺麗な身体ですとか言うんじゃねぇだろうな?」
ムスッと黙ったままのルイスにフレデリックは更に大きな声で笑い出した。
「マジかよ?こりゃ、傑作だ!アンも大したヤツを捕まえたモンだな!」
ヒーヒーと腹を抱えて笑うフレデリックに何も言い返さずに、ルイスは黙々とグラスを傾けた。
「それとも、アンが初過ぎる所為なのか?罪作りなヤツだな」
グーッとグラスを空けたルイスを憐れんだのか、フレデリックは宥める様に新たに酒を注いだ。
「ま、アンの事といい、コンサートといい、お前は良く耐えてるよ」
俺にはとてもじゃないが、真似出来ねぇと感心したように呟いた。
STAGE 6 ランドマーク公爵邸・客用寝室前にて 兄の気遣い
「何をしている?」
アンナに宛がわれた客用寝室から出て来たアーニャは、ルイスの腕を肩に抱えて引き摺りながら運ぶ夫に呆れた様な声を掛けた。
「見ての通り、飲ませ過ぎた」
顔を真っ赤にして酔い潰れてしまったルイスはブツブツと何やら呟いている。
「ルイスは真面目なんだ、余り揄うな」
アーニャはそうフレデリックを窘めて、彼に手を貸してルイスをアンナの隣の部屋に運ぼうとしたが、彼は黙って首を振り、アンナの部屋のドアを開けた。
「フレデリック!」
声を潜めて夫を非難するが、フレデリックはニヤニヤと笑って酔ったルイスを、灯りが消えて真っ暗なアンナの部屋に放り込んだ。
「悪ふざけは止めろ!」
妻の批難に、フレデリックは静かにするように唇の前に指を立てた。
「これは親切な兄貴からの気遣いだよ」
STAGE 7 ランドマーク公爵邸・客用寝室にて 酔った勢い
ドサッとベッドに掛かった重みに、ウトウトとしていたアンナはぼんやりと目を覚ました。
「ん・・・なに?」
部屋はまだ暗いままだが、誰かが傍に居る気配がする。
「だれ?メアリ?」
7年振りの再会に滂沱の涙を流していた公爵家の侍女に思い当ったが、ベッドの上の影からは酒の匂いがした。
「・・・ルイス?」
部屋を間違えたのか?と思い、慌ててベッドの傍にある灯りを燈した。
案の定、赤い顔をしたルイスが酩酊状態で眠っている。
「お兄様ってば、どれだけルイスに飲ませたんだろ?」
ルイスは神殿に居た頃から、酒は余り嗜まなかったらしい。
だが、ツアーに出てからは誘いも多く、鍛えられてはいるのだろうが。
見れば熟睡しているらしいルイスを彼の部屋まで運ぶ事はアンナにとって困難を極めそうだ。
ここは素直にベッドを譲って自分は彼の部屋へ移る事にした方が良さそうだと判断した。
「ルイス!寝るならちゃんとベッドに入って!風邪ひくよ」
ベッドに倒れ込んだだけのルイスに必死で布団を掛けようとした。
「ん~ああ、アンナ」
揺り起こされて、目を覚ましたルイスはヘラリとアンナに笑いかけた。
「どぉしてここにいるんだぁ?ああ、夢かぁ?」
ムクリと上半身を起こしたルイスはトロンとした目つきでアンナをじっと見詰めた。
「公爵のヤロォにぃぁあんな事ぉ言われたぁからかなぁ?」
首を傾げて語尾が妙に延びてるルイスが酔っている事は判っていても、アンナは気になってつい「何を言われたの?」と聞いてしまった。
「んん~?別にぃ・・・からかわれたぁってのはぁ、判ってるんだがぁ・・・俺達がぁ・・・やったとかぁやらないとかぁ・・・余計なぁお世話ぁだぁってぇの!」
「なにを?」
何をやるとか、やらないとか言われたのか?心当たりが無いアンナは首を傾げる。
すると、ルイスはケタケタと笑い出した。
「ほぉらなぁ・・・お前にはぁ判らなぁいだぁろ?」
笑って身体を揺らしたルイスはそのまま、またベッドに倒れ込んだ。
「あ~!ツアーはぁ、いつぅ終わるかぁ判かぁんねぇしぃ、リアードォでぇゆっくりぃ出来るぅのはぁ、いつにぃなんだろぅなぁ」
嫌がるルイスに無理強いして、ツアーに参加させているアンナとしては心苦しいものがある。
「ごめんね、ルイス」
コンサートで神経をすり減らしている彼を見るたびに、申し訳ないとは思っている。
「んん~!いいんだぁよぉ・・・俺だぁって、やんなきゃぁいけねぇ事だぁとはぁ、思ぉってぇいるんだしぃ・・・約束ぅしたもんなぁ・・・ずぅぅっとぉ一緒ぉだぁって」
ルイスの目はすっかり閉じてしまい、言葉も怪しげになってきている。
「アンナぁ・・・ずぅっと・・・一緒ぉってのはぁ・・・死ぬまでぇってこと、なぁんだよぉ」
判ってんのかぁ?と呟く声は小さくなっていったが、アンナの耳にはちゃんと届いていたようだ。
「うん・・・判ったよ」
寝息を立て始めたルイスにアンナは顔を真っ赤にしながら小さな声で答えた。
STAGE 8 ランドマーク公爵邸・食堂にて 朝食の風景
ルイスは目覚めると、頭を動かす度にガンガンと響く頭痛と、自分がいつの間にかアンナと同じベッドで寝ていた事実に衝撃を受けた。
記憶を遡ろうにも、公爵と酒を飲んで以降の記憶がない。
アンナは爽やかな笑顔で「おはよう!ルイス」と明るく挨拶するだけだし、後悔するような真似をしなかったのは確かなようだが、嬉しそうなアンナの態度に、自分は何か恥ずかしい事でも口にしたのだろうか?と不安になる。
朝食を取る為に食堂へ出向くと、公爵がニヤニヤと笑いながら頭に響くような大きな声で挨拶をして来た。
「おはよう!ルイス!よく眠れたか?」
コイツが元凶か・・・ルイスは犯人を捜し当てた。
「おかげさまで」
妹をダシに遊んで楽しいのかよ!と殺気を振り撒きながらも、ルイスは頭痛を抑える様に額に指を宛てたまま席に着いた。
テーブルにはフレデリックとアンナ、それにルイスの三人しかいない。
「アーニャは?」
不在の公爵夫人について訊ねたアンナに、給仕をしていた侍女のメアリが答える。
「奥様は最近では余り朝食に下りていらっしゃれないのですよ」
ニコニコと嬉しそうに、暫くの間だけの事でございますよ、と付け加えた。
「具合でも悪いの?」
それでも心配そうなアンナの言葉に、思い当ったルイスがポツリと呟いた。
「悪阻だろ?」
昨日は元気そうだったし、夕食は普通に食べていたが、酒は飲まなかったし、朝食を取らないとくれば考えられる事は一つだけだ。
ルイスの推測にメアリはニコニコ笑ったまま頷き、フレデリックは苦笑して「まあ、そう言う事だ」と呟いた。
「え?え?ええ~!悪阻って、悪阻って・・・おめでたなの?」
アンナの絶叫に、二日酔いのルイスは耳を塞いで顔を顰めたが、メアリはニコニコしたまま嬉しそうに語った。
「来年の春にはお嬢様も叔母様でございますよ。楽しみでございますね」
年配の侍女は浮かれて足取りも軽い。
「うわっうわぁ・・・赤ちゃんが生まれるのかぁ」
衝撃のニュースに呆然とするアンナに、ルイスは平然と突っ込む。
「夫婦なんだし、結婚してんだから、やる事やってりゃ出来んのは当たり前だろ?」
下品な物言いに給仕していたメアリは眉を顰めたが、黙ってサーブを続ける。
フレデリックも笑っているだけだったが、アンナだけはルイスの言葉に顔を真っ赤にした。
「やることって・・・」
あまりにも純情な彼女の反応に、言ったルイスまでもが顔を染めた。
「お、おい!その年になって、まさか『知らない』とか言うなよ?」
「ち、違うよ!そうじゃなくて!昨夜、ルイスが言ってた事ってこの事だったのかと・・・」
アンナの言葉に、記憶のないルイスは焦り、フレデリックは目を輝かせ、メアリは何十年振りかで派手な音を立ててトレイを床に落とした。
「「「昨夜って?」」」
一斉に問い質されたアンナだったが、耳朶まで真っ赤にしたまま、俯いて何も答えなかった。
お陰で、ルイスは昨晩の酔った自分が何を言ったのか?不安を拭い切れず、フレデリックは自分の気遣いが功を成したと喜び、メアリは婚姻前の男女の付き合い方についてお嬢様にお教えするのは遅過ぎるだろうかと気を揉んだ。
ちなみに、朝食の席に現れなかった公爵夫人は、この話を嬉々とした様子で語った公爵に対して、軽蔑するような冷たい視線を向けて言い放った。
「ルイスはお前とは違う」
STAGE 9 公爵夫妻の夫婦喧嘩
「お兄様ったらどうしちゃったの?」
朝食の席ではご機嫌であった兄が、王宮へ出仕する際には酷く不機嫌に変わっていた事に驚いたアンナは、うろたえる事もなく見送ったメアリに訊ねた。
「オホホホ、いつもの事でございますよ」
「いつも?」
首を傾げるアンナに、メアリは訳知り顔で頷いた。
「朝食の後、フレデリック様は奥様のお部屋に行かれましたから、きっと奥様と喧嘩でもなさったのでしょう」
何事もなかったかのように平然とお茶を煎れているメアリが告げた言葉にアンナは驚いた。
「え?あの二人はいつもケンカしてるの?」
兄とアーニャの組み合わせを聞かされた時は、あまりにも意外で驚かされたアンナだったが、並んでいる二人を見れば絵になる様な似合いのカップルで、詳しい馴れ初めを聞けなくとも納得出来る程であったのに。
そんなに頻繁に喧嘩をしているとは、アーニャのお腹の中には子供までいると言うのに、二人の仲は上手く行っていないのだろうか?と不安になる。
「ええ、日常茶飯事でございますよ」
だが、日頃から二人の傍に居るメアリが、大して気にも留めずにニコニコと平気な素振りを見せているのだったら大丈夫なのだろうか?
「大丈夫でございますよ、お嬢様。そうでございますねぇ・・・遅くとも明日の朝までには仲直りをなさっていらっしゃいますから」
心配顔を続けるアンナを安心させようと、メアリはいつもの成り行きを話して聞かせた。
「え?そんなに早く?」
宰相を務める兄が戻るのは夕食の後になる事も多いと聞いている。
そんな状況で、明日の朝までとは?
メアリの言葉に頻りと首を傾げるアンナに、年老いた侍女は、まだまだ彼女が幼い事に気づいて少しだけ安堵した。
「夫婦喧嘩は犬も食わないと申しますでしょう?一晩経てば直ぐに仲直りをなさいますよ」
アンナの心配は杞憂だと伝えたメアリだったが、アンナの疑問は解けない。
「それにしても何がケンカの原因なのかな?」
昼近くになって悪阻が治まったアーニャが部屋から出て来た。
アンナはこれ幸いと、義姉を捕まえて、問い詰めようとする。
「ねえねえ、アーニャとお兄様っていつもそんなにしょっちゅうケンカしてるの?今回のケンカの原因はなに?」
慌てると幾つもの質問を投げかけて来るところは兄妹共によく似ているな、と冷静に分析をしながら、アーニャは端的に答えた。
「いつも勝手にフレデリックが腹を立てているだけだ」
「お兄様ってばそんなに怒りっぽかったかな?今回もそれが原因なの?」
フレデリックは腹を立てていた様子だったが、アーニャは平然としている。
感情豊かな兄とは対照的に、無愛想に感じる程表情を変えない義姉の事も知っているアンナは彼女は内心、とても気に病んでいるのでは?と心配になった。
「さあな」
訂正、義姉は普段からとても冷静な人だった。
「じゃあ・・・」
「それより、お前は喧嘩をしないのか?ルイスと」
自分達の喧嘩について追及したがる好奇心旺盛な義妹に、アーニャはさっさと話題を変えさせた。
「え?ルイス?ケンカねぇ・・・ルイスはよく怒ってるけど、何に対して怒ってるのか、あたしがよく判んないうちに自分で納得して怒らなくなってるから、ケンカになったりはしないかな?あたしが腹を立ててもルイスはあんまり相手にしてくれないし」
アンナの言葉に、その状況が手に取る様に判ってしまったアーニャはルイスの忍耐に深い尊敬の念を感じた。
「フレデリックはルイスの爪の垢でも煎じて飲んでみるべきだな」
アンナはそんな事を言ったアーニャの真意を測りかねたが、彼女から聞き出すのは無理だとよく判っていたので、年配者であるメアリに相談する事にした。
全ての経緯を聞かされたメアリは、したり顔で頷くと、アンナの疑問を晴らしてくれた。
「そうでございますねぇ。お話を伺うと、奥様とルイス様は真面目で大変賢くていらっしゃる所がよく似ておいでのようですねぇ」
おっとりとアンナにお茶を入れながら、メアリは分析した。
「多分、フレデリック様は奥様がルイス様をお褒めになったのを耳にされて、やきもちを妬かれたのではありませんか?」
微笑んでアンナにお茶とお菓子と一緒に、夫婦喧嘩の原因を差し出したメアリに、アンナは驚かされた。
「ええ?ルイスに?」
確かに、アーニャとルイスの仲は悪い様には見えない、リアードへ向かう旅の途中で二人はよくアンナには解らない事を話し合っていたし。
けれど、それは恋愛のように甘いものとは程遠い様な関係に見えた。
「オホホ、フレデリック様はああ見えて奥様にぞっこんでいらっしゃいますからね、奥様が自分とは違うタイプの男性をお褒めになった事にご気分を悪くされたのではありませんか?」
そんな事で腹を立てるのか?と、繊細な男心に疎いアンナは疑問を深くした。
「お兄様ってば心がせま~い!」
憮然と呟いたアンナを見て、メアリは苦笑して溜息を吐いた。
「お嬢様もそろそろ殿方のお心を推察する術を身につけられた方がようございますねぇ」
『殿方のお心』って何なの?と思いながらも、アンナは思っていたよりも兄が妻を熱愛しているのだと聞かされて、兄夫婦は自分の両親とは違うタイプながらもバがつくカップルなのだと安心した。
STAGE 10 公爵夫妻の仲直り
「お兄様!あたしはお兄様の方がルイスよりもカッコイイと思ってるわ!なんてったって金髪だし、乗馬も弓もお上手だし、女癖が悪かったのも過去の事だと信じてるし、今では立派な公爵になって宰相まで勤め上げられていらっしゃるんですもの!ルイスを気にする事なんて全然ないから!じゃあね!」
帰って来るなり、妹にそう捲し立てられた上で取り残されたフレデリックは、唖然としたまま、出迎えた妻に訊ねた。
「なんだ?ありゃ」
アンナが昼間、メアリから色々と聞かされて導き出したらしい結論について容易に推測出来たアーニャだったが、それを持ち出しても話がややこしくなるだけだと知っていた彼女は夫に説明しても意味が無い事を知っていた。
「さあな」
そして、妹の奇行について首を傾げているだけのフレデリックに訊ねた。
「もう機嫌は直ったのか?」
その言葉に、朝の腹立ちを思い起こしたフレデリックはムスッとした顔を取り戻したが、実の処、もうそんなに腹を立てている訳ではなかった。
だが、冷静な妻の態度に、あっさりと機嫌を直してしまうのも癪だった。
「どうせ俺はルイスのヤローみたいに真面目でも忍耐強くもないからな!お前の好みからはかけ離れてるんだろ?」
今朝の話しを再び持ち出して、子供の様に拗ねてしまったフレデリックにアーニャは呆れた様な溜息を吐いた。
「バカなことを・・・」
「どうせ俺はバカな道楽息子だよ!兄貴達ほど優秀でもないしな!」
これ以上、フレデリックのコンプレックスを刺激するのは拙いと感じたアーニャは、そっと彼の頬を包んでキスをした。
「私が一緒になりたいと思ったのはお前だけだ。いつまでも埒もない事で腹を立てるな」
妻からのキスと言葉に、拘りを解いたフレデリックは素直に自分の欲望に従って、彼女を抱きしめて熱烈なキスを返した。
「あんまり俺を怒らせんなよ」
熱い吐息と共に離れた唇から、窘めるような言葉を吐いたフレデリックをアーニャは潤んだ瞳で見上げながら、頷き返した。
夕食の席で、ご機嫌になりながら甲斐甲斐しく妻に椅子を引くなどの気遣いを見せたフレデリックを、アンナは唖然となって見詰めながら、給仕するメアリが『申し上げた通りでございましょう?』とばかりに寄越したウインクに頷き返した。
「お兄様ってば、単純」
もしかしたら自分の慰めが効力を発揮したのかしら?と思ったアンナだったが、その言葉を聞き咎めたルイスに突っ込まれた。
「よく似た兄妹で結構な事だな」
「それってあたしも単純だって言いたいワケ?」
ルイスの言葉にアンナが素早く反応する。
「頭の回転が速くて結構だな」
「もしかしてバカにしてるの?」
「もしかしなくてもそうだ」
激昂するアンナにルイスは淡々と言い返しているが、フレデリックとアーニャもメアリも恋人達の喧嘩の仲裁が結局は惚気に中てられるだけだとよく知っていたので、誰も二人の邪魔をする者はいなかった。
微笑みをかわす公爵夫妻に元気な声が飛び交うテーブル・・・メアリは自分が望んでいた形とは少し違ってはいるが、公爵家の食卓に賑やかさが戻って来た事を喜ぶ事にした。
「長く生きておりますと、願いは叶うものでございますね」
セブァーン編、とあるので他にも追加されるのか?と思われるのも当然ですが、場所がチラリと浮かんでいるだけで、何も形になっていませんから未定です。