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アブノーマルが一番?  作者: 大崎 音
3/3

夥しいほどの灰













みんなクズばっかりだ。おれ以外はクズだ。

世界はおれ中心に動いているとは言わないけど、

 少なくとも、おれ以外のクズが動かしているとも思わない。

 心の拠り所?そんなものはいらない。

 みんな腐れ。腐れ。腐れ。腐れ。腐れ。

















 雨が降っている。雷も鳴っている。風も吹いている。雪は降っていない。曇天の空は轟々と音を立ててこちらへ向かってくる。おれはそれに背を向けたりはしない。真っ直ぐ一歩ずつ音の鳴る方へ向かっていく。雨に濡れても関係ない。風に吹かれても関係ない。雷に打たれたら――さすがに嫌だな。これだけ聞いたら勇敢な男に見えるかもしれないが、おれはただの人を見下している人間不信の男だ。

 おれに変化などいらない。変化を求めている人間には虫唾が走る。そんな奴は来世で生まれ変われと思う。

「ねえ、了聞いてる?」

「あー、ごめんごめん。なんだっけ?」

「了って、たまに考え込むことあるよね?」

「考え込むことなんてないよ」おれはそう言うと、隣で寝ている裸の女に優しくキスをする。名前もよく覚えてない女と二回戦をはじめる。

 馴れ馴れしくおれの名前を呼ぶな。おれを紳士だと思っている女。おれのことを何も知らない女がおれを語るな。

「了ってほんとエッチ上手いよね。実は私だけじゃなかったりしてー?」この女、馬鹿のくせに勘の良い奴だ。

「何言ってんだよ。お前だけだよ」おれは真顔で答える。嘘だと思わせないことが大事だ。全てが演技だけど、演技だと思わせない演技。それが人を一番騙せる。嘘を真実にすることこそが、本当の真実だ。もちろん、付き合っていると思わせている女は大勢いる。

「うん。わかってるよ」単純な女で助かる。

「もう寝るよ。おやすみ」おれは女の唇にまた優しくキスをして、ゆっくり瞼を閉じる。



「やめて。やめてよ」まただ。またこの夢か。もう何年も経っているのに、いまだに夢に出やがる。おれは毎日午前三時に目が醒める。魘されてうなされて、体中が汗でびっしょりと濡れている。無意識に手を首元に当てる。その手を徐々に上へ進ませ顔全体を覆う。

「よかった。あった」

「どうしたの了?今日もうなされてたよ」女は目をこすり、おれの顔を覗き込んでくる。

「なんでもないよ。心配かけてごめんね」おれは女の頭を撫で、偽りの笑顔で微笑んでみせた。それから、女が眠ったのを確認して、ゆっくりと部屋の外に出た。

 煙草に火を付ける。十月下旬の外の風は、少し肌寒い。煙草の煙が風に揺られながら上へ上へ昇っていく。そして消える。おれの脳裏に居座っているあの記憶も煙みたいに消えればいいのに。消し去れよ。木端微塵に消し去れよ。



 電信柱の陰に隠れる。目と鼻の先に旭夕夜と星崎月奈がいる。なぜ、あの二人が逢っているんだ。なんで、白昼堂々抱き合っているんだ。なんで、おれが隠れなきゃいけないんだ。なんで、おれじゃなく旭なんだ。なんで、星崎月奈だけ手に入らない。おれに手に入らないものなんてないんだよ。あさひ。アサヒ。旭。旭。旭!

 後ろにただならぬ気配を感じる。振り向く。だれもいない。気のせいか。前に視線を戻すと、抱き合っていた二人の姿も見当たらなかった。

 おれは道端に落ちているつぶれた缶を勢いよく蹴り上げる。むしゃくしゃする。あいつはこの事を知っているのか。知っているとしたらなぜ動かない。あいつには復讐がよく似合っている。おれの掌で踊り狂え。



 おれが。いや、その頃の第一人称は僕か。両親と僕は三人で生活していた。幸せな家庭だった。父は普通のサラリーマンだったけど、休日には一緒にキャッチボールをしてくれる優しい人だった。母もいつも屈託のない笑顔をしていて、美味しい料理を作ってくれる優しい人だった。近所でもおしどり夫婦って言われていたらしい。その頃の僕はおしどり夫婦って言葉が何を意味しているか全くわからなかった。でも、なんだか嬉しかった。両親が褒められているようで嬉しかった。自慢の両親だった。

でも僕は、あの事件が起きるまで知らなかったんだ。あの人たちの本性を。

 僕が小学一年生のとき、あの事件は起きた。

 それは普段となんら変わらない平凡な一日に突然起きた。朝起きて、学校に行き、勉強して、学校から帰宅して、家族三人で夕飯を食べ、九時に寝る。今日も何も変わらない日だったと思いながら眠った。だけど、深夜三時に目が醒めた。僕は不思議だった。今まで一度だって、この時間に起きたことはない。地震があったわけでも、騒音があったわけでもない。本当に自然と目が醒めてしまったんだ。幼いながらに気味悪さを感じた。僕は部屋を出て階段を降りる。僕の部屋は二階にあり、両親の寝室は一階にある。今日は母と一緒に寝ようと思って、一歩ずつ階段を降りる。僕は異変に気付く。妙に静かで、雨と風の音だけが反射して耳に届く。リビングに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。凍えるほど寒いけど、哀しみと怒りが混在したような空気だ。そこには銀色の光だけが部屋を照らしていた。ただならぬ雰囲気に僕は後悔した。激しく後悔した。なぜ、この時間に起きてしまったのか。なぜ、下に降りてきてしまったのか。

 ギシッと言う音が鳴る。僕の足から放たれたその音は部屋中に轟いた。

「来るなーーーーー」聞き覚えのある声だ。

 僕は何を思ったのか、リビングの電気を点けてしまった。あまりの眩しさに一瞬目を閉じる。目を開けたら、そこには幸福とは真逆の景色が広がっていた。息が荒々しく鬼の形相の父。手には銀色に光る刃物。床には無機質に寝そべっている母と赤くドロドロとした液体。母の身体には何ヵ所も穴が開いていた。僕は目の前で何が起きているのか把握することができなかった。

 ゆっくりと父が近づいてくる。近づくにつれて、銀色のはずの刃物が赤く染められていることに気付く。僕は動けない。身体が言うことを聞いてくれない。動け。動け。動け。と脳に命令しているのに、僕の足は無視しつづけている。

「なんで、起きてきちゃったんだよ、了」

「やめて。近づいてこないでよ」辛うじて声は出せた。

「そんな悲しいこと言うなよ。お父さんだよ?怖くないよ」不気味に笑っている父は何よりも怖かった。

「やめて。やめてよ」

「ここに来なきゃ、了も死ぬことなかったんだけどね」父はおもむろに禍々しく光った刃物を手から離した。そして、僕を壁に押し付け首を絞めだした。

「やめ・・て」

「せっかくの一人息子だからなー。自分の手で殺さないと実感湧かないしなー。刺した感触より手で絞め殺した感触の方が良い肴になりそうだよなー。なあ、了?どうよ、実の父に殺される気分は?」父の眼は血走り、息は荒々しく、僕の首を絞めている手は猛々しかった。

「やめて・・やめて・・やめろよ」脳がやっと命令を受諾し、足は命令に従い、思いきり振り上げられた。すると、僕の首を絞めていた手から力が抜け、父は倒れ込んだ。股間をおさえながら悶えている。父の悶えている姿は滑稽で少しだけ笑えた。僕には確実に父の遺伝子が組み込まれていることを初めて実感した。こんなことで実感したくはなかったけど。

「このガキ・・ぶっ殺してやるからな」その言葉とは裏腹に身体は反応しきれていない。

 僕は、この人を父と認めないように脳に言った。さっきとは違い、脳はすんなりと受け入れた。こいつの股間と顔を思いきり蹴り、家を飛び出した。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ。走れ。走れ。走れ。あいつは絶対追ってくる。僕を捕まえて殺す気だ。僕は死にたくない。死にたくないんだ。夢を叶えるためには生きなきゃ。

 雨風は勢いを増す一方で、僕の足をしばしば止めようとする。神は僕に死ねと言っているようだ。パジャマのままの僕に、雨風は容赦なく撃ちつけてくる。体温は下がりつづけている。後ろからの足音は、雨風の轟音で遮断され全く聴こえない。もしかしたら、すぐそこまで来ているのかもしれない。どこかの物陰に隠れた方が良さそうだ。

 僕は水の張った田んぼにダイブした。この暗闇と雨で僕と田んぼは同化する。もし、見つかったときも、田んぼなら泥濘があるから、あいつは手間取るだろう。どこかの草むらよりもずっと安全だ。

 田んぼに浸かってから何分何十分が経っただろう。雨風は弱まり、探しやすくなったはずなのに、あいつは一向に現れない。現れないのは嬉しいことなのだが、このままでは僕が待てずに凍え死んでしまう。そう考えていると、近くで、カサカサッっという音が聞こえた。僕は、顔に付いた泥を拭い、よく目を凝らした。すると、そこにはあいつの後ろ姿が見えた。草むらを懸命に探していたが、僕の視線に気付いたのか急に身体の向きを変えはじめた。僕の方に一筋の光が向けられた。もう終わった。もう僕の人生は終わった。

「見~~つけた」

 暗くてもわかる。きっとあいつは満面の笑みを浮かべている。



 清々しい風が吹き、暖かい光を与えてくれる太陽が昇るなか、松本未来が現れた。

 アパートの前に立っている松本未来は、どこかイライラしているような面持ちで貧乏ゆすりをしていた。ちょうど女がいない時間帯で安心する。おれはジャージのまま外に出る。

「なにか用?そんなに眉間に皺寄せたら可愛い顔が台無しだよ」

 松本未来とは大学で知り合った女だ。おれと和田と旭の三人グループが出来上がっていた時に、和田と旭と仲が良かった松本未来がグループに入ってきた。可愛い顔をしているのに気取らない性格だったのですぐに仲良くなった。お互いの家も知っていて、大学時代はよく四人集まって、誰かの家で鍋パーティーをやっていた。もちろん表向きなおれだ。

「そんな冗談はいいから!なんで、夕夜くんと月奈先輩が付き合ってんの?」

「は?なんのこと?そんなのおれが知るわけないじゃん」

「知らばっくれないで!私見たんだから。あの二人が抱き合ってんのを後ろの電柱から見てる名久井くんを」

「っていうか、なんで、おれが月奈先輩と知り合いなの知ってんの?」

「SNSとか。あらゆる手段で調べつくした」

「えー。きもい。きもいよー」

「あんたの方がきもいし性格悪いでしょ。なんで、友達の浮気現場の写真撮ってその彼女に送ってんのよ」

「なんで?ってー単純に面白いから。その後、どう展開されていくのか楽しみじゃん。ちなみに、未来ちゃんの浮気現場も和田に送っといたから」自然とニヤニヤしてしまう。

「はー?でも、久は全然そんな話・・しなかったよ」松本未来の顔は、忙しない感情の変化に間に合わず、表情が定まっていない様子だ。

「それは、あいつの優しさなんじゃないか」

「ひさし・・」ようやく憂いの表情でおさまってきた。

「ってことで、おれ帰っていい?」

「いや、ダメでしょ。話がしたいから、早くあの二人をここに呼んで!」

「えー。なんで?旭はともかく月奈先輩は働いてるし」だんだん面倒くさくなってきた。これ以上イライラすると裏の顔が出てきそうだ。

「復讐するの!月奈先輩に同じ屈辱を味わってもらう。月奈先輩はいま働いてないから大丈夫だよ」そういうことならありがたく協力させてもらうよ。おれの標的は旭だが、まあいいだろう。



 僕の目の前であいつは死んだ。

 僕と目が合った瞬間、あいつの姿は視界から消え一台のトラックが通り過ぎた。僕は急いで田んぼから道路へと駆けのぼり、あいつを探した。周囲を見渡すと男が血まみれになって倒れている。僕はゆっくりと近づき、あいつの前に立ち、蔑むような目で見下した。

「死んだ。死んだ。死んだ」僕は何回も同じ言葉を繰り返し言った。その顔にはうっすらと笑みが零れていた。

 それからの人生は地獄だった。両親がいなく、父親が犯罪者ということで、学校では虐められ、親戚にはまるで空気扱いされた。一か月分のお小遣い一万円が、毎月一日に自室の机に置かれる。最初は嬉しかった。自室をくれて一万円もの大金をくれるこの家が好きだった。けど、自室も一万円をくれるのにもちゃんとした理由があった。僕との時間を――関係を遮断するためのものだった。自室は隔離するために。一万円は、一か月分の生活費のため。僕はこの家族と時間を共有してはいけないのだ。食事の時間もリビングで寛ぎながらテレビを観る時間も一緒にいてはいけない。朝晩は外食で済ませ、昼は給食。家には寝るためだけに帰ってきていた。帰ってきて、「ただいまー」と言うが、もちろん期待している言葉は返ってこない。その場の空気が悪くなるだけだ。夢を語る場所もなくし、どんな夢だったのかも忘れてしまった。この頃から第一人称はおれに変わった。そうしておれの人格は形成されていった。少しずつ少しずつ歪み、元から歪んでいたのも合わさって、もう正常の形状には戻らないほどにまでなってしまった。あの父親の遺伝子が入っている時点で、異常な人格者なのだ。

 高校の卒業式が終わり、監獄に帰ってきたおれは包丁を手に取り、叔母に刃を向けた。

「今日この監獄から出る。東京に一人で暮らす。その前に、死んだ両親について教えろ」

「・・・・」

「黙ってんじゃねーよ。殺すぞ」

「お金はあるの?」叔母に怯えている様子は感じられない。

「あ?なんで、あんたが質問してんの?」おれは叔母を睨みつける。

「金ならあるよ。早くここを出るために必死こいてバイトしたからな。大学の学費も奨学金でなんとかなる」

「そう。あなたの父親のことはよくわからないけど、妹のことはわかるわ。香代・・あなたの母親は、昔から浮気症があったの。何人もの男をとっかえひっかえだったみたい。その中の一人の男があなたの父親。でも、結婚しても子どもを産んでも直らなくて、たびたび夫婦で喧嘩していたらしいわ。香代の浮気がバレては喧嘩しての繰り返し。そのうち、純さん・・あなたの父親はヒステリックになって狂ってきちゃったみたい。それであの事件が起きた」

「待てよ。喧嘩しているとこなんて見たことないぞ」

「子どもの前では見せたくなかったんでしょ?実は優しい純粋な人だったんだから二人共」

「うそだ。うそだ。うそだ。あいつらが優しい?純粋?認めない。おれは絶対認めない。おれを殺そうとしたあいつが優しいわけがない。幼いおれを残して身勝手に死んだあいつらが優しいわけがない」

「わたしもね、本当はあなたにあんな仕打ちしたくなかったんだけど。夫が関わるなって言うから。ごめんね」

「うるせー。夫のせいにして自分を正当化してんじゃねーよ。お前もお前の息子たちも共犯だよ。一度でもおれの名前を呼んだことあるのか?覚えているか?覚えているわけないか。おれと面と向かって話したのはじめてだしな」

「・・・・」

「ほら言えない。じゃあな。もう二度とここには戻ってこない」おれは乱暴に包丁を投げ捨て、家から出た。かつての家に一瞥もくれぬまま去るおれを、叔母は追いかけては来なかった。



 松本未来の復讐のため、おれは旭と星崎月奈を呼び出した。

 星崎月奈は松本未来がいるとは思わなかったのか、目が合った瞬間旭の背中に隠れた。

「ミクミク・・」星崎月奈は怯えている。

「今日はね、復讐したくて呼んだの」

「呼んだのはおれだけどね」

「いいから今は黙ってて」松本未来はおれのボソッと言った呟きに喝を入れた。

「えーっと、ここにおれ居ていいのかな?」旭は戸惑いを隠せないようだった。

「夕夜くんも黙ってそこにいて」はーい。というやる気ない声が飛んだ。

「復讐って何する気なの?」星崎月奈はなおも旭の背中に隠れている。

「あなたに同じ屈辱を味わってもらうの。いまから夕夜くんとヤっていい?」

「えっ、おれと?」旭の顔は筋肉が綻び、にやにやが隠せていなかった。

「なに満更でもない顔してんのよ」星崎月奈は旭の頬をつねる。

「あの、この話おれいる?」おれは早くも飽きてきてしまった。

「いるでしょ!あんたが私にあんな写メ送るから、こうなったんでしょ!」

「名久井が送ったの?わたしと和田の写メ?なんで?」

「そうですよ。だって面白そうだったから」

「そっかー。確かに面白そうだよねー。ってそれで終わらせられないでしょ」旭が言った言葉に星崎月奈が賛同する。

「もうやめた。ばかばかしくなっちゃった」

「えーーー」旭は残念そうにしゅんっとしている。星崎月奈はまた旭の頬をつねる。

「ほんとわね、私も浮気してたの。自分にも非があるのに、月奈先輩を責めることで、自分を正当化していたの。ごめんなさい」

「そうだったんだ。わたしの方こそごめんね。いずれはきちんと謝ろうと思ってたんだけど、勇気が出なくて。ミクミクは強いね。わたしより先に謝らせてごめんなさい」

「もちろん、全部許せたわけじゃないけど、もう少し時間経ったら許せると思う。だから、また[kukka]に戻ってきてください」

「うん。必ず戻るから。ごめんね。本当にごめん」泣いている。あの星崎月奈が泣いている。おれは見たことがないぞ。

「ねえ、[kukka]ってなに?」旭が訊く。

「フィンランド語で[花]って意味よ」星崎月奈が答える。

「いや、そういうことじゃなくてさ」

 あー、うざい。うざい。うざい。復讐とか言って、仲直りしてんじゃねーか。屈辱味わってもらう。とか言って和解してんじゃねーか。だいたい復讐って、本人目の前にしてこんな堂々とやるものなのか?陰で旭を逆レイプして、おれがその写真を星崎月奈に送ればよかったんじゃないだろうか?あの二人の夫婦漫才にも腹が立つ。ラブラブぶりを見せつけやがって。星崎月奈はもっと棘棘しかったはずなのに、すっかり丸くなってしまってつまらない。松本未来はくその役にも立たなかった。こうなっては仕方ない。自分の手は汚したくなかったが、おれが直々に裁いてやるよ。カス。旭の本性を焙りだしてやる。

「仲直りしたことだし、帰ろっか?」旭の問いかけにみな賛同し、帰ろうとした。

「ちょっと待ったー」どこからともなく声がした。声の主を探して、みんな周囲を見渡すが誰もいない。

「ちょっと・・あそこ」旭が見つけた。旭が指差す方をみな一斉に見る。

ビルの二階の窓からモヒカン頭の男が顔を出している。俺たちを呼び止めたのはあいつだろうか。それにしても知らない顔だ。だれかの知り合いだろうか。早く帰りたい。面倒くさい。

「スタッ!いたっ!」男は豪快に二階から飛び降り、見事な着地を――決められるはずもなく足を挫いたようだ。男はモヒカン頭に恰幅の良い――いや、デブな体型。黒のハットにグレーのパーカー、デニムパンツにスニーカーといった至って普通のいでたちだった。

「えっと、だれか知ってるこの人?」みな一斉に首を横に振る。

「あのー、人違いじゃないですかね?おれたち帰るので」おれたちは男に背を向け歩き出した。

「ちょ・・おれだよユウ。ゼンだよ。央木然翔だよ」

「ユウってことは旭の知り合いじゃないか?」おれは旭に促す。

「ゼン・・央木然翔・・。うーん知らないなー。やっぱり人違いじゃないですかね?ごめんなさい。もう帰らなきゃ」

「えーー。ちょっと・・待ってよ・・」もうだれも振り返らない。

「せっかく変人になるために修行してきたんだよ。鵠正大学の理学部の春夏冬教授からは、怪しげな薬をもらって、急激に太って、ナルシストな部分も治った。画家の東海林先生からは独創的な表現力を学んだ。映画監督の小遊鳥先生からは――何も学べなかったけど、一週間とちょっとで頑張ったんだから」央木然翔という男は、なにやら叫び続けている。

「変人になる修行・・。あっ、だめだ。思い出しそうだったけど、やっぱり無理だ」旭の身体が一瞬ピクッと反応する。

「おれの場面少なすぎー」央木然翔は今日一番の声で叫んだ。その声は果てしなく遠くまで響き渡ったような気がした。

「あの人なんだったんだろうね?頭おかしいよね。あんまり関わり合いになりたくないよね夕夜」星崎月奈は、まだ付き合って間もないのに、旭のことを夕夜と呼んでいるみたいだ。

「うん。そうだね」旭は笑顔だった。



 おれはこんな大人にはならなかったはずなんだ。父親のせいだ。母親のせいだ。おれを虐めた学校の奴らのせいだ。おれを空気扱いした叔母たちのせいだ。何も変えようとしなかったおれのせいだ。腐った世の中。腐った世界。腐った社会。腐った人間。腐った両親から産まれたおれ。こんなのおれも腐るに決まっている。おれは腐敗のサラブレットだ。腐敗の連鎖には抗えない。

 おれはこんな大人にはなりたくなかった。父のように狂った価値観を持ち、母のように浮気を繰り返す大人にはなりたくなかった。両親のように、違う自分を演じるような大人にはなりたくなかった。もっと真っ当な大人になりたかった。何事にも真摯に誠実に取り組み、人の役に立てるような大人になりたかった。もう無理だ。もうダメだ。もう変われない。長い年月をかけおれという人格は形成されてしまったんだ。無理に変えようものなら、簡単に崩壊してしまうだろう。二人の遺伝子が纏わりついて離れようとしない。離れろ。離れてくれ。剥がれろ。剥がれてくれ。

 そうだ。死のう。死ねば離れる。死ねば剥がれる。おれの遺伝子を残してはいけないんだ。



 ここはいつも心地よい風が舞っていて気持ちいい。街の喧騒から離れて、心地よい風に全身包まれて、鳥のさえずりで全身癒されて、飛び降りたら気持ちいいだろうなー。

「どうしたんだよ名久井?こんなところに呼び出して?」旭が来たみたいだ。

「懐かしいよなー。よくここで昼飯一緒に食べたり、講義サボったりしてたよな」

「まだ一年経ってないけどなー。懐かしいな。和田と三人でよく来てたよな。だれかが好きな女子に振られたときとか」

「振られてたのお前だけだけどな」おれは鼻で笑う。風の音で旭には届いていない。

「そうだったっけ?」

「で、何の用?っていうか、そんなとこに居ちゃ危ないだろ。早くこっち来いよ」

 おれは、明浄大学の屋上の柵を飛び越えた先にいる。あと一歩踏み出したら、十m下にある石畳に向かって真っ逆さまだ。

「実は話があって来てもらった。おれは、いまから死のうと思っている」

「は?まじで?止めとけって!名久井、最近変だぞ」旭は動揺しているみたいだ。

「おれはまじだ!最近じゃない。おれは産まれたときから変なんだ」

「産まれたときから変・・?」

「そうだ。おれは、犯罪者の父と浮気症の母との間に生まれた根っからの変わり者だ。父親に殺されかけ、学校で虐められ、親戚に虐められた。性格は歪み、価値観も狂っていった」

「・・・・」

「何も答えられねーよな。お前は両親の愛情を一身に受け取っていたんだろうし」

「でも、大学の頃のお前は、明るくてみんなの人気者だったじゃないか?」

「そんなの演技だよ。裏では、カス呼ばわりしてた。旭のことを友達と思ったことはないし、早く死ねばいいのにって思ってたよ」

「和田とか未来ちゃんのことも?」

「あー。カス。カス。カス。ってね」

「お前、そんな奴だったのか?友達だと思ってたのに・・」

「思ってたのはお前だけだよ」

「見損なったよ。なんで、最後おれを呼んだのかわかんないけど、勝手に死ねよ」

「ずっと心残りだったんだ。おれの本性を知らないで、勝手に友達扱いしてくるお前のことが」

「最低だな。死ねよ。カス」

 やっぱりだ。この偽善者め。目の前で人が死のうとしているのに助けない。これが本当のお前なんだよな。友達だと思っていた奴に裏切られたとしても助けるのが友達なんじゃないですかね?しっかり録音させていただきましたよ。旭くん。これをばら撒けば、お前の評価はガタ落ちだ。同時におれの評価も落ちるが、そんなことはどうだっていい。

「ははは。やっぱり偽善者だったんだなー。おれはずっと独りで生きていく」旭は振り向きもしない。

 心地よい風が、急に牙を向き、強風が吹き荒れた。おれの身体は完全に持っていかれ、足を踏み外し落下した。

 瞳には雲ひとつない青空が映っていた。その矢先、血で真っ赤に変わるんだろうと思っ

た。思った刹那、白い肌の手が視界の隅に現れ、おれの身体は止まった。

「なんで?」

「身体が勝手に動いちまった。お前は独りじゃない。おれも和田も未来ちゃんも月奈さんもいる」

「最後、綺麗事かよ(笑)」

 でも、ありがとう。最後に人を信じられてよかった。でも、さようなら。おれは生きていちゃいけない。おれは、そっと旭の手を離した。

 その刹那に思い出した。おれの夢は立派な父親になることだった。変わる前の父のような立派な父親になることが、おれの夢だったんだ。



「了・・死なないで。了」聞いたような声が聞こえてくる。

「だれ・・?」頭がぼーっとする。おれの名前をだれかが呼んでいる。

「よかった。目覚まして。わたしだよ。咲だよ。死なないで、了」

「さ・・き・・?」身体がいうことをきかない。さきってだれだろう?

「いま、お医者さん呼んでくるからね」

「待って・・もう少しそばにいて」

「うん。ずっとそばにいるからね」

「ありがとう・・」暖かい手のぬくもりを感じる。独りじゃないことを感じられる。

 さきちゃん――咲ちゃん。そうだ。福井咲ちゃんだ。今頃名前思い出してごめんね。馬鹿で単純な女って思っててごめんね。

 これから幸せになろうね。おれたちで幸せな家庭を築こうね。










まずは、私のような者の小説を読んでいただきありがとうございました。

 当初は全体的にコメディー寄りにしようと思っていたんですが、

書き進めていくうちに無くなっていき困りました。

[アブノーマルが一番?]は『普通』をテーマに書きました。居酒屋で三人が出会い、男子トイレで可愛い女の子と出会うという構想だったのですが、なぜか星崎月奈のようなキャラになってしまいました。ちなみに、お気づきの方もいるかと思いますが、旭が一番変人です(笑)

[迷子の迷子の女の子]は『迷走』をテーマに書きました。もっと星崎月奈の可愛らしい部分を出せれば良かったなと今更になって思います。

[夥しいほどの灰]は『狂気』をテーマに書きました。名久井くんに共感する人が現れないことを祈っています。

最後に、辻褄が合わない部分や至らない部分が多々あったと思いますが、処女作ということでお許しくださるようお願いいたします。



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