迷子の迷子の女の子
なんで、わたしは、こんなにきれいなの。
でも、なんで、わたしはさびしいの。
こんなわたしをすきになってくれるひとはいるの。
しんじているけどしんじられない。
ねえ、だれかわたしをだきしめて。
さむい。なんで、まだ十一月にもなってないのに、こんなにさむいの。まだ、日差しがあれば暖かいのに。はやく冬を通り越して春になってほしい。そんなことを考えていると、後ろから「せんぱーーーい」という鬱陶しい甲高い声が聞こえてきた。
「朝っぱらから元気だねー。ミクミクは」わたしはテンションについていけない。
「お久しぶりです。朝からテンション上げていかないと、顔にしわ寄っちゃいますよー」ミクミクは可愛らしく両手を顔に押し当ててしわをつくる。
松本未来。通称ミクミクは、わたしが働いているアパレルショップ[kukka]に半年前に配属されたはじめての後輩だ。あまり構ってないのに、なぜだか懐かれている。いつもわたしには着られないガーリーな服を着ていて、心底うらやましい。なぜ、大人きれいめカジュアルのわたしとガーリーなミクミクが同じショップで働いているのか不思議でならない。
「久しぶりって一昨日会ったばかりでしょうが。あんたみたく若くないんだから、朝からテンションあげあげだったら仕事する前に疲れちゃうよ。ちなみにしわには気を付けているから大丈夫」わたしは呆れながらも歳の差を感じられずにはいられなかった。
「えーー、月奈先輩だってまだ二十七歳じゃないですかー。まだまだ若いですよ。しかも、先輩すごい美人だしー」ミクミクは嬉々とした表情と羨望の眼差しでわたしを見る。
可愛い甲高い声。無意識に伸びる語尾。ガーリーな服を着こなせる高いポテンシャル。そして、かわいらしい顔に黒髪ショート。モテる要素がいっぱいだ。
やめてくれ。そんな目でわたしを見ないでくれ。
わたしのことはだれも知らない。だれにも知られてはいけない。わたしですら本当の自分がわからない。わからない。わからない。職場。男。友達。だれに見せている星崎月奈が本当の星崎月奈なの。職場では、普通のどこにでもいる女を演じてしまう。男には、どうしても高飛車で口の悪い女になってしまう。友達には甘えん坊な月奈になってしまう。ありのままの自分はどこにいるの。はやく姿を出してよ。楽になって幸せになりたい。
「先輩。ところで、店名の[kukka]ってどういう意味なんですか?」わたしの表情など気にせずミクミクは会話を続けてくる。
「わたしも詳しくは知らないんだけど、真木店長の話では、フィンランド語で[花]っていう意味らしいよ。なんで、その店名にしたかは店長もわかんないらしいけど」
「ふ~~~ん」ミクミクはいかにも興味なさそうに前髪を指でくるくる巻いている。
「興味ないんだったら聞くなっつーの」ハッ。しまった。心の中で留めるはずの言葉が思わず口から出てしまった。思ったより低い声で。
「せんぱい・・こわい・・」ミクミクは怯えている。そんな、小動物のように震えている姿に愛らしいと思う。と同時に虫酸が走る。割合でいったら、八割が嫉妬で二割が愛好。つまりほとんどは嫉妬だ。なんで、こんな女がモテて、わたしがモテないの。なんで、こんな女に彼氏がいて、わたしにはいないの。男みんな目が腐ってんじゃないか。守ってやりたくなるのかね。わたしは殴りたくてしょうがないけど。
「ごめん。ミクミク」わたしは棒読みでなるべく心を込めないで謝る。
「もー、先輩棒読みですよー」ミクミクはわたしに微笑みを見せて言った。よかった。単純な女で。でも、この子は良い子だ。きっといい子だ。
今日も客は少ない。いくら表参道の一角に位置しているとしても、平日の一時ともなると客はどうしても疎らになる。はっきり言って眠い。ランチ食べたばっかりだし。わたしの後ろで、ミクミクと真木店長が話している。わたしは聞き耳をたてる。そんなことしなくても地獄耳のわたしにかかれば、どんなひそひそ話でも聞こえてしまうのだが。
「店長ー。今日仕事終わったら飲み行きませんかー?ちょっと彼氏のことで相談があるんですー」わたしは彼氏という言葉にピクッと反応してしまう。
「仕事中は私語厳禁だよ、未来ちゃん」さすが店長。普段はおっとりしているけど仕事中はちゃんとしている。
真木店長は、もう三十六歳にもかかわらず、見た目は殆どわたしと変わらないぐらい若い。二人のお子さんのお母さんだ。それでいて、旦那さんは七歳年下のモデルときた。その柔らかでゆったりしているところが男から愛されるのだろう。今日のコーディネートも、ネイビーのミモレ丈スカートにダスティピンクのニット、そこに黒のレザージャケットを羽織り、首元には大きめのネックレスという完璧な甘辛ミックスで職場にきた。こんな若くておしゃれなお母さんがいて子どもはなんて幸せなんだと思う。
「ごめんなさーい・・」ミクミクはしゅんとしている。
「飲みには行ってあげるから。そんなに落ち込まないで」店長は優しく諭す。ミクミクはその返事を聞いた瞬間、目を輝かせて、「お仕事がんばります」と小声で言って、お客さんの元へと駆けていった。
なんで、わたしは誘ってくれないのミクミク?
わたしは、あなたのことが嫌いだけど、あなたはわたしのこと大好きでしょ?
わたしには、彼氏がいないから用がないってこと?
三十六歳と二十二歳じゃ話合わないんじゃない?
ミクミクの彼氏の話なんて興味ないけど、行ってあげてもいいんだよ?
今度は誘ってね。全力で断ってあげるから。
でもね、さびしいから今日は下僕を呼んで飲むことにするよ。
はい、だめー。だめー。だめー。わたしは下僕ちゃんが連れてきた男どもを品定めして、ひとりずつ指を差す。どれもこれも普通以下だ。わたしは一気に焼酎を飲みほす。
もちろん、隣にミクミクと真木店長はいない。
わたしは合コン?がはじまって三十分経って、名久井を個室の外へ呼び出す。
「名久井、もうちょっとマシな男連れてこいよ」
「しょうがないじゃないですかー。月奈さんいつも急なんですもん」
「急にさび・・飲みたくなったんだよ。最近ヤってないし」
「今日はヤれる相手いなそうですね。おれとかどうですか?」名久井は冗談とも本気とも取れる態度で言った。わたしは名久井のことを下僕だと思っているが、名久井は自分のことをそうとは思っていないようだ。
名久井とは、大学時代アルバイトをしていたアパレルショップM&Iで知り合った。わたしが働いてまもなくして、メンズ展開することになり、アルバイトを募集したところに名久井が飛び込んできた。アパレルに勤められるだけあって、容姿は多少イケメンだし多少おしゃれだ。だが、なにぶん気に入らない。わたしと同じ匂いがするから癇に障る。同族嫌悪。一ヶ月後、調子に乗ってわたしに告白してきやがった。わたしは「下僕としてなら相手してやるよ」と言い放つと、いいっすよー、という軽い返事がきたので呆然としてしまった。
「お前とはヤらないって毎回言っているだろ。下僕とセックスするほど落ちぶれてないし、溜まってもいない。今日はもう帰るわ。これでせいぜい楽しんでいきな」わたしは二万円を名久井のポケットに乱暴に詰め込む。ひとつだけ嘘をついた。溜まっている。セックスしたい。したくてしょうがない。
「あざっす。お気をつけてー」名久井はターダーザーケーと口ずさんで颯爽と目の前の個室に消えていった。ふん。要領のいい腰巾着は嫌いだ。ただ、さびしいときは助かるが。
うん。トイレ行ってから帰ろうかな。トイレに向かう途中、ちょうど帰るであろう長身の男がこっちに向かって歩いてくる。
いい男みーっけ!
わたしは走る。駆け寄る。跳びつく。抱きつく。おもいっきりキスをする。最初から舌を出して。後ろにいる店員の視線なんて気にしない。男の逞しい腰に手をまわし、キスをする。逃げられないように。わたしの魅力に気付かせるように。ぬくもりを感じるように。
「ねえ、きみ。いま帰るところー?もうちょっと飲んでかないー?」わたしはミクミクの真似をして可愛い声を出して誘ってみる。
「・・いや、もう帰らないとなんで・・」そう言いつつ眼はとろ~んとしている。これはもうちょっとすればオチるな。わたしは胸を男の腕にわざとらしく押し付ける。男なんてみんなどうせ巨乳に弱いんだから。ほら、男の視線が胸に凝視されているのがわかる。
「ねえ、気持ちよくなりたいでしょ?」
「・・はい・・」男はもう抵抗できないほどわたしに夢中になっているのがわかる。
男ってなんて単純な生き物なの(笑)
「あんた、名前は?」わたしは憤っている。
「・・和田です・・」和田という男は脱力感で溢れていた。
「ひとつ忠告しといてあげる。乱暴すぎる。そんなんじゃ気持ちよくないし、ただ痛いだけなんだよ。お前だけ気持ちよくなってんじゃねーよ。でかいから余計痛いわ。これじゃあ、彼女が可哀想だよ」
「・・・・」和田は反論する気力もないようだ。
「まあ、あんたに彼女がいるかどうかなんてわかんないし、心底興味ないけどね」わたしは個室の外の音を確認し、そ~っと戸を開ける。三人の男が用を足していた。そ~っと戸を閉める。無造作に落ちていたメガネを架け、もう一度外を確認する。
「じゃあね・・」わたしはおもいきり力を込めて大便の戸を閉める。
今日は最悪の日だった。ミクミクには飲みに誘われないし。いい男見つけたと思えば乱暴なだけの下手なセックスする男だったし。最後にあった三人組には連絡先教えちゃったし。なんで教えちゃったんだろう。イケメンでもなんでもない普通の三人組だったのに。変わりたい、っていう強い意志が見えたからほっとけなくなったのかな。あいつらが変われるんだったら、わたしも変われるんじゃないかな。暗く冷たい部屋の中で、わたしは大きなため息を吐いた。すると、一瞬目の前だけが暖かくなる。しかし、その温かい空気は徐々に残酷にも冷たい空気に押し潰されていく。わたしはその一連の行為を何回も何回も続けた。まるで、世間に飲み込まれる個人みたいだ。出る杭は打たれるのだ。とわたしは無意識に嘲笑していた。
わたしも変われるのだろうか。
翌日。わたしは仕事を休むことにした。こう言っては社会人失格だと思うが、仕事をする気分ではない。それに頭も多少痛い。ほんのちょっとだけ痛い。痛い気がしないでもない。朝七時。わたしは身支度を整える。
電車を乗り継ぎ、青梅にある御嶽山まで来ていた。無性に山に登りたくなった。
人生が変わる気がした。
たかが標高千メートルくらいの山を登ったくらいで、人生が変わるわけない。そんなことは分かっている。でも、なにかが変わる気がするんだ。
さむい。まだ標高三百メートルも登ってないのに、こんなに寒くなるものなのか。日頃運動もしていないから、少し登ったくらいでも息が上がる。苦しい。くるしいよー。
登山なんて独りでするもんじゃない。頂上からの景色を見て、独りで達成感に満たされるなんて寂しいだけじゃないか。登山好きな奴らはどうして苦しい思いをしてまで登っているんだ。あーーー。つらいーーー。わたしはそんな思いを掻き消すようにがむしゃらに登り続ける。
通りすがりの、おはようございます。という言葉も耳に入ってこない。だいたい、なんで、山だと挨拶するのに、街中じゃ挨拶しないの?山は特別なの?じゃあ海は?いや、海では挨拶しない。山だけだ。山だけは特別。
わたしも特別なのよ。
違う。それじゃあ、変わらない。
変わるために来たのに。
大丈夫。わたしは変われる。
わたしは出来るだけ見知らぬ人たちと挨拶を交わした。それが変化するための第一歩だと思ったのだ。自分の魅力に抗うものがとにかく嫌いだった。しかし、山はわたしの魅力など微塵も気にしていない。山という存在はわたしを遥かに凌駕している。自分がミジンコ以下の存在のように思えてくる。いや、ミジンコは凄いのだ。人間よりも凄いのだ。ゴミクズのような人間と偉大なるミジンコ様を比べること自体間違っている。詳しくは知らないが、なにかの本で読んだことがある。なにかってなんやねん!という言葉が頭に響く。なぜか関西弁になってしまったツッコミがこだましている。
着いたーーー。わたしは人目も憚らず叫んだ。なんだこの解放感と達成感は。仕事終わりのビールよりも一夜限りのセックスよりも気持ちいい。これが山の魅力なんだな。この達成感を味わうために山に登るんだな。わたしはしみじみそう思った。前方には雄大な景色が広がっている。わたしのくすみきった心が洗われるようだ。
わたしも単純な人間だな(笑)
前方の景色に魅入っていると、急に後ろから肩を叩かれた。わたしは身体がビクッとなってしまい、恥ずかしくなりながら、ゆっくりと後ろを向く。そこには見慣れた顔の男が立っていた。
「名久井・・」わたしは何も悪いことをしていないのに、少し尻込みする。
「月奈さん・・なんでここにいるんですかー?」名久井は疑問を持った目で見てくる。
「お前こそ、なんでここにいるんだよ?」
「たまーに来るんです。ははは。ちっさいなー。ここから見る景色は最高ですよー。人がゴミみたいに思えるし、街とか簡単に踏み潰せそうに思える。だから、スッキリしたいときは来るんです。もしかして、月奈さんも同じですか?」
「わたしはそんなんじゃない。それより、お前、そんな性格悪かったんだな。考え方、ミジンコ以下だな」いや、偉大なる崇高なミジンコ様に失礼だ。
「アメーバ・・ミドリムシ・・キロドネア以下だなー」
「なんで、そんな微生物ばっかり。しかも最後の知らないし」名久井の目はずっと死んでいる。
「なーんだ。月奈さんもおれと同類だと思っていたのに残念。自分以外の人間みーんなクズ。ってさ」
「・・・わたしはそんなこと思ったことない」核心を衝かれて一瞬目が泳いでしまった。
「ふーん。まあバレバレだけどね。はじめて会ったときから同じ匂いしていたし。あー、わかったー。なんで月奈さんみたいな人がここにいるのかわかっちゃったー。変われると思ったんだろ?性格も価値観も一変すると思ったんだよねー?心が洗われるとか思ってたりしてー?山登ったぐらいで変われるわけないっしょ。そしたら、みんな変わってるっつーの。人のこと下僕扱いしていた奴が簡単に変われたら奇蹟だよ。奇蹟」
「・・・・・」名久井の怒涛の口撃に声を出すことすらできない。
「あっ・・おれ月奈さんの下僕卒業しまーす。これからは本気で好きになりますから。ひとりの男として見てください。おれたち合うと思うんですよー。性格と価値観一緒だし。フィーリングってやつ?まあ、考えといてくださいよ」そう告白し終わると振り返り、こちらに一瞥もくれぬまま下って行った。
「・・・・・」わたしは突然の告白にただ唖然とし呆然とし驚嘆するしかなかった。
そんなただ立ち尽くしているわたしを気に留めるものは誰もいない。
蒼天の空も。山を見上げる街の喧噪も。目の前の景色に魅了されている人々も。
誰もわたしを見ていない。
それが、今では心地よい感覚に襲われている。不思議と心の荷が下りたように思える。それが、山に登ったからなのか。街を離れ、悪臭から逃れられたからなのか。名久井と酷似している思想が許せないからなのか。それは自分でも分からない。心の煤がほんのちょっと払拭できたような気がする。気のせいでは――ないよね。
相変わらずの暗い部屋。無機質で暗い部屋。負のオーラが漂う暗い部屋。自分の足音だけが響く暗い部屋。
ただいまーーー。わたしはだれもいない部屋に木霊するぐらいのただいまを言った。もちろん誰からの返事もない。迎えてくれるのは、嘲笑している冷気だけだ。冷気から、おかえりって言われたような気がし、わたしは耳を疑った。気のせい――かな。そして、わたしも嘲笑する。冷気の声が聞こえるって完全に痛い子だなー。
中に入り、電気を付ける。闇から光へと支配が変わる。嘲笑している冷気から光耀とした暖気へと支配が変わる。つかれたーーー。今日は早く寝よっと。
わたしは光に匡済を求める。
わたしは光に輔弼を求める。
わたしは光に佑助を求める。
わたしは闇に允許を乞う。
わたしは闇に宥恕を乞う。
わたしは闇に寛恕を乞う。
いい気分だ。いつもなら鬱陶しい朝日も今日は爽やかに受容できる。二時くらいに掛かってきた、変わった男からの電話も不思議と許せることができた。鬱陶しい朝日も身に沁みる十月下旬の冷たい水も通勤前の忙しない時間も許してあげるよ。みんな許してあげるよ。
――わたしは変わってきているから。
通勤途中、前方にミクミクの姿が見えた。わたしは急いでミクミクに駆け寄る。
「おはよーー」わたしにしては明るく高い声で挨拶をする。自分から挨拶をするのは初めてだ。
「・・・・・」ミクミクは普段と違い、暗い顔をして俯いている。心なしか怒っているようにも見える。
「聞こえている?ミクミク?」
「せんぱい・・今日は機嫌良さそうですね」声に抑揚がなく、表情にも覇気がない。こんなミクミクは見たことがない。
「ミクミク、今日元気ないね」
「・・・・・」ミクミクは沈黙を保っている。哀憐の表情と怒気の表情が複雑に混在しているのがわかる。
「これ・・」そう言うと煌びやかに飾られたスマホが目の前に差し出された。見てくださいと主張する明るい画面が急に現れ目が眩む。
「これ・・先輩ですよね?」スマホにはわたしと思われる女性とその女性とキスしているガタイの良い男性が写っていた。
「多分・・わたしだけど?」この写真を見せられてわたしは何を思えばいいんだろう。わたしがどんなことをしていようとミクミクには関係ないはずだ。そう――それがミクミクの彼氏でもないかぎり。脳裏にその仮定が植え付けられる。そんなこと有り得ない。有り得ない。その仮定はどんどんと膨れ上がっていく。
「この男の人・・」膨張。
「わたしの・・」膨張。膨張。
やめてくれ。やめてくれ。それ以上口を開かないでくれ。これ以上わたしを苦しませないでくれ。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。
「彼氏なんです・・」爆発。
仮定が現実になった瞬間、仮定は脳を突き破り爆発した。それと同時に一粒の泪が頬を伝えるのがわかった。
なんで、わたし泣いているの?
なんで、わたし哀しいの?
なんで、わたし辛いの?
わたしは光に匡済を求める。
わたしは光に輔弼を求める。
わたしは闇に允許を乞う。
わたしは闇に宥恕を乞う。
「はあ?なんで先輩が泣くの?こっちが泣きたいんですけど?大好きな彼氏には裏切られて、大好きな先輩にも裏切られて。もう人とか信じられない。先輩だいっきらい。許さないから。ぜっったい許さないから」ミクミクは今にも泣きそうな顔だったが、きちんとした足取りで前へ前へ歩いていった。
どうか、わたしを許さないでくれ。罵ってくれ。蔑んでくれ。嘲てくれ。
わたしを甘やかさないでくれ。
でも、助けて。でも、許して。でも、愛して。
わたしは何も変わってない。変わってない。
変わろうとすることを闇は許してくれない。
旭夕夜だけは許してくれるだろうか?
今日は仕事休もうかな。さすがに、いまさっき「許さない」と言われた相手と一日一緒に仕事なんてできない。そんな強靭な精神力は備わっていない。わたしは触れただけで割れてしまいそうなガラスのハートの持ち主だから。気まずい。気まずすぎる。どっかの少女漫画みたく、甘酸っぱい理由で仕事を休んでみたい。
明日ミクミクは休みだから、辞表を出しに行こう。ミクミクは何も悪くない。わたしが全部悪いんだ。ミクミクには快く仕事をしてもらいたい。わたしがいることで不快にさせてはいけない。悪者は姿を見せることなく去ることにしよう。苦しむのはわたしだけで十分だ。口の中には、気持ち悪いえぐみだけが残っていた。
遅いなー、旭。わたしは乙女のように気になる人を待っている。なんで、気になるのかわかんない。けど、寂しくなったとき旭が一番早く頭に浮かんだ。わたしは旭に助けを求めているのかもしれない。なんで、わたしはあいつに助けを求めているのかもわからない。
「おまたせしましたーー」旭は手を振って笑顔で近寄ってきた。
なんだ、その笑顔は。救われるじゃないか。泣きたくなるじゃないか。冴えない男の笑顔で、わたしに答えをください。答えを翳してください。
わたしはセックスしようって言った。でも、旭はいやだって言った。
ほんとはね、ただ話したかっただけなんだよ。
でも、ほんとのことって恥ずかしくて言いづらいから。
自分をプライドの鎧で守ってないと不安だから。
ほんとは脱ぎ捨てないといけないこともわかっている。
わたしは微塵も変わってなんかいない。
でも、旭は好きって言ってくれた。嬉しかった。
身体目的の好きじゃない好き。
待っていて。わたし変わるから。
時間をちょうだい。変われるって信じて待っていて。
「おはようございます。店長」
「おはよっ。なんで昨日無断で仕事休んだの?」店長は優しい口調で怒ってないように見せているが、いつもより声のトーンが低い。明らかに怒っているのをヒシヒシと感じる。
「そのことは置いといて、今日は大事な話があって・・」
「なんで無断欠勤のことは置いとくのよ?そこ大事でしょ。それよりも大事な話ってなによ」店長はどんどん冷静さを欠けていっている。顔に皺が寄りはじめているのがその証拠だ。
「実は・・これを・・」わたしは店長の目の前に辞表を差し出す。
「どういうこと?なんで辞めるの?昨日の無断欠勤と関係あるの?昨日の未来ちゃんの態度と関係あるの?ただでさえ人が少ないのに。なんで辞めたいの?なにか理由があるんでしょ?」
「それは・・その・・」わたしは店長の質問責めに躊躇ぐ。理由が理由だけにお茶を濁して答えるしかなさそうだ。それでも、わたしが言い倦んでいると先に店長が発した。
「わかった。今は言えないのね。でも、時期が来たらちゃんと話してよね。なにか悩み事があるのは知っていた。一週間休みをあげるから、自分で答えを見つけてきなさい。それまで、この辞表はなかったことにしとくから。独りで見つけられなかったら、いつでも私に相談して」店長の口調は、子どもをあやすような優しいお母さんの口調になっていた。
「店長・・すいません。ありがとうございます」店長の優しさに泣きそうになってしまった。泪を堪えるので精一杯だ。
「じゃあ、今日はもう帰りなさい。急だけど、バイトの理紗ちゃんに来てもらうから」
「本当にすみません。それと一つ質問があるんですけどいいですか?」
「なーに?」
「ここの店名って店長が考えたんでしたっけ?よかったらその経緯教えてもらってもいいですか?」
「なんで、いきなりその話し。なんでこの店名にしたかって?オーナーが店名決めていいって言うから私が決めることになったの。なんとなくかなー。なんとなく綴りがよかったの。なんとなく『花』っていう意味がよかったの。なんとなく北欧の言葉がよかったの。その頃はほんとなんとなく生きてたからね」
「なんとなく――ですか」
「うん。なんとなく。なんとなくって大事だよ。なんとなくって楽だよ。甘えてるとかじゃなくて逃げでもない。なんとなく」
「なんとなく――ですか。ありがとうございます。失礼します」価値観が違いすぎて話がよくわからなかった。
店長は店長なりに苦労があって、このゆるくて優しい店長が形成されていったんだと思う。ゆっくりゆっくり時間をかけて形成されたんだ。
「来週待ってるからね」静かに背を向けたわたしに店長は優しい声をかけてくれた。その声を聞いた瞬間、光に包まれた感触を覚えた。
一週間。短いようで長い。長いようで短い。そんな微妙な期間。それが一週間。そんな一週間で答えを出せるのかな。色んな人にけじめをつけなければ。ひとつずつ片付けていこう。周りの人に正直になることが答えを見つける近道になる。きっとそう思う。
翌日。まずは名久井からだ。
「いきなり呼び出してごめんね」
わたしの目の前には名久井がいる。いざ謝るとなると緊張してきた。仕事以外で誰かに頭を下げたことなんかない。まして下僕と思って接してきた男に頭を下げるときが来るなんて思いもしなかった。頭を下げる角度って何度だったっけ?30度?45度?60度?もうわかんないよ。
「どうしたんですか?急な呼び出しなんていつものことじゃないですか」名久井は怪訝そうな目でわたしを見てくる。
「まあ、そうなんだけど・・」
「あっ、もしかしてデートっすか?」
「違う。今日は謝罪と告白の返事をしたくて呼んだんだ」
「謝罪?気持ち悪いなー。月奈さんらしくないですね。どうしたっていうんですか?だれかに毒されちゃったのかなー。可哀想な月奈さん」
「いいから聞いてくれ」わたしは名久井の言葉を遮る。
「そんなにひどいことをした記憶はないが、下僕と思っていたのは本当だ。悪かった。もっとお前をひとりの男として見てあげてればよかった。そしたら、お前もこんな薄汚い人間にはなってなかったと思う。それと、告白の返事だけど、ごめん。いま気になる人がいる。確証は持てないけど、多分気になっていると思う。だから、ごめん」
「あのさー、薄汚い人間って。謝ってんだか貶してんだかどっちだよ。それと、自惚れんな。おれは生まれたときからこういう性格なんだよ。まあ、この顔の方はあんたにしか見せてないけどね」
「・・・・」こわい。こわい。はじめて人に恐怖を感じた。自分がまともに思えてくる。
「要はあれね。おれ振られたのね。あーー、くそビッチに振られたーー。どうせ、気になる男とも一回で終わるんだろ。ビッチだもんねー。一回ヤったら飽きるよねー。そいつもどうせ身体目的だよ。そしたら爆笑もんだなー。抱腹絶倒ってやつ(笑)」なにが可笑しくて笑っているのか、わたしには見当もつかない。ただイライラする。
「まあ、おれは諦めないけどね。ぜったい」ボソっと小さく呟いた声が聞こえてしまった。地獄耳じゃなければ聞こえずに済んだのに。狂気に満ち満ちた声だった。
疲れた。体力的にではなく精神的に。こんな贖罪だか懺悔みたいなことを続けていたら身がもたない。壊れてしまいそうだ。でも、自分が壊れたとしても続けなければ。そうだ。名久井は特別変だっただけだ。他の人はそこまで変ではないはずだ。そう祈りながらわたしは床に就いた。
朝起きたら、上田円からラインがきていた。ちょうどいい。こちらから連絡する手間が省けた。
上田円[好きです。おれと付き合ってください。付き合ってくれないと多分おれ死にます。]
あー、ダメだった。祈りは通じなかった。あー、面倒くさい。神様はいじわるだなー。まあ、神様なんて信じてないけどさ。わたしが信じているのはミジンコ様だけだから。崇高なるミジンコ様。どうか面倒くさいことが起こりませんように。
弱いなーわたし。けじめつけるって豪語していたのに、面倒事を避けようとしている。面倒事にも立ち向かわなきゃ。
うん。どうかしていた。なにがミジンコ様だ。なにが崇高なるミジンコ様だ。頭狂しすぎる。自分で笑けてくる。わたしはわたし自身を信じる。ついでに旭を信じてやってもいい。
わたしは決意を胸にしまい込み、上田円を呼び出すことにした。
上田円はすぐに待ち合わせ場所の公園にやってきた。公園の中心には桃太郎の銅像が建っている。
「まず、ラインで告白とかありえないから」わたしは開口一番で言い放った。
「ごめんなさい。でも、会って告白する勇気がなくて」
「だったら最初から告白なんてするなよ」
「ごめんなさい。でも、気持ちは伝えたくて」
「まだ、一回しか会ってないのに告白とかどうなの?」
「ごめんなさい。でも、好きになっちゃって」
「せめて、振られたら死にます、とか言うなよ」
「ごめんなさい。でも、そのぐらいの気持ちなんです」
「前のわたしだったら、勝手に死ねよ!って言ってたけど、今のわたしは、そういうの重く受け止めちゃうから。死なれたら後味悪いの」
「ごめんなさい。でも、それでもいいかなって」
「良くない。生きなさい。悩みは誰にだってあるの。生きてれば幸せなこともある。って綺麗ごとはあんまり言いたくないけど、幸せにしてくれる人がきっと現れるから。わたしじゃなくて。わたしじゃ、あなたを幸せにさせることはできない」
「ごめんなさい。でも、月奈さんがいいんです」
「あーーー。まず、ごめんなさいを止めろ。でも、も止めろ。イライラする。我慢してたけど、もう無理。言葉遣いもいつもより優しくしたのに。わたしは他に気になる人がいるの。だから、ちゃんと断りに来たの。わかった?あなたとは付き合わないの」
「ごめんなさい。でも・・でも・・」上田円はすごく怯えていて小動物のように震えていた。
「うるさい。ずっとそこで、でもでも言ってろ。そして死ね」わたしは頭に血が上り言ってはいけないことを口走ってしまった。
だめだ。なんでいつもこうなる。ネガティブな人に「死ね」なんて言ってはいけないことなんて重々分かっているつもりなのに。
「はい。わかりました」上田円は視線を地面から離さないでいる。まるで、地面の先の先にある地獄を見据えているように。
「ごめん。言い過ぎた。ただ、あんたの気持ちには応えられない」言った後に気付いた。あー、わたしは今にも死にそうな相手に止めを刺したんだなと。
それから何分が経っただろう。いや、何十分が経ったんだろう。その後、上田円の口からは何も発せられていない。ずっと地面を凝視している。わたしもその場から一歩も動けないでいる。負のオーラが障壁となり、足を動かすことはおろか全身が凍っているように冷たいし動かない。いつまでこの状況が続くんだ。
わたしは光に・・・
なんだっけ・・忘れちゃった。
もういいよ。だいたい光とか闇とかわけわかんないし。
光に匡済を求める。とか、闇に允許を乞う。とか。
いたたまれない比喩力だわ。
光とか闇とかもうどうでもいいよ。
気が付くと、目の前にいたはずの上田円は忽然と姿を消していた。視線を下に移すと、地面が数センチ凹んでいた。それが何を意味しているのかわたしには分からなかった。漠然と、上田円の視線で重力が増して凹んだのだと思った。そんなこと有り得ないのに。そう思った方が楽だと脳は判断したみたいだ。何時間意識を失っていたのか、すっかり暗くなっていた。わたしは何事もなかったように帰路につく。
はあ~~~~。自然と溜息が出た。名久井と上田円の二連発はきつかった。精神的にきつい。ただ、謝罪と告白の返事しただけなのに、こんなに疲れるなんて。やっぱり変人はきつい。普通な人がいちばんだ。旭がいちばんだ。早く会いたいけど、まだ会えない。まだ謝罪する相手は二人いる。けど、和田という男の連絡先は知らないからどうしようもない。ミクミクは――ミクミクは無理。きっと時間が解決してくれる。それじゃあ、けじめつけたことにはならないけど、もう少し待ってほしい。
一週間までまだ時間はある。あとの五日間は身を清めることに時間を費やそう。
高尾山。七代の滝。華厳の滝。袋田の滝。龍神橋でバンジージャンプ。下呂温泉。鬼怒川温泉。最後は禊だか観光だか区別つかなかった。
わたしは鏡を見ながら化粧を整える。あいつが好きそうなナチュラルメイクで完璧に虜にさせてやる。もっと惚れさせて、いっぱい茶化してもらいたい。わたしを茶化してくれるのはあいつしかいない。対等に接してくれるのはあいつしかいない。だから好き。特別好き。
旭だ。旭が近づいてきた。緊張する。胸がドキドキする。こんな緊張久しぶりだ。今すぐ抱きつきたくてしょうがない。でも、プライドが許さない。でも、抱きつきたい。
「おまたせしました。月奈さん好きです。おれと付き・・」旭が言い終わる前に、わたしは旭に抱きついた。
わたしは店長の言葉を思い出す。
「なんでこの店名にしたかって?」
「なんとなく」
――なんとなくかー。
わたしもなんとなく生きていけば、いずれ答え見つかるかも。
ねえ、旭。
わたしはもう大丈夫だよ。
なに、あんただけ幸せになろうとしてんのよ。
聞こえる。そんな声が聞こえるような気がする。
背筋が凍るような視線を感じる。
後ろを振り向くとそこにはだれにもいなかった。




