アブノーマルが一番?
僕らの出会いは不思議だった。
うん。不思議だった――のかな。偶然だったのか必然だったのか。
でも、偶然だったとしてもそんなのは関係ない。
君が何を想っていたとしてもみんなで君を好きでありつづけるよ。
おれは行きつけの居酒屋に向かっていた。着くころには既に和田久が居酒屋[Kiijima]の前に立っていた。
「遅いぞ!まあ旭のマイペース具合はもう慣れっこだけどな」と和田は溜息まじりで苦笑を忍ばせながら言った。和田とは千葉の大学の入学式で知り合った。おれが入学式で寝ていて椅子から落ちそうになっていたところを助けてもらった。それから仲良くなり、毎週のように飲みに行く仲になった。
和田はワイルドとインテリを併せ持ったイケメンで面倒見が良く気遣いもできる。長身痩躯だが、なかなか筋肉もある。所謂細マッチョというやつだ。低身長のおれには着られないチェスターコートを綺麗に着こなしている。
「ごめんごめん。今日はちょっとバカでかい外国人に決闘申し込まれちゃって遅れちゃった」旭は申し訳なさそうに且つ笑みを浮かべながら謝った。
「はいはい、それで勝ったの負けたの?」いつもの冗談をいつものようにめんどくさそうにノッてくる。でも、いつもくだらない冗談をノッてくれる和田はとてもいい奴だと思う。
「もちろん負けたよー。あんなでかい外国人にホットドックの早食いで勝てるわけないよ(笑)」おれは満面の笑みで答える。
「決闘って早食いかよ!しかも、今から飲むのにホットドックって!」と間髪入れずに鋭いツッコミが飛ぶ。そのツッコミがおれの求めていたものでちょっと嬉しくなる。
「そういえば名久井はまだ来てないの?」一通りボケとツッコミが終わって満足したおれは話題を変える。
「なんか連絡しても全然返事ないんだよ。先に店入ってようか!」和田はそう言うと再び溜息をもらし、言い終えるころには既に店の中に入っていた。おれと名久井はいつも和田を振り回している。そんなおれらをめんどくさそうに優しく見守ってくれる和田は常々いい奴だと思う。
「早くかわいい子紹介してよーー!」
店に入って一時間。おれは早くも軽く酔っ払っている。そして、毎回同じ台詞を吐く。名久井から連絡はまだない。
「毎回同じこと言ってよく飽きないな。おれが紹介しなくても大丈夫だよ」
「和田はイケメンだし、モテるし、彼女いるからいいけど、おれは三年いないんだよ」おれはジントニックを一気に飲み干して言った。
「旭だってかっこわるくはないよ。ただ――普通なだけで」
「いやいや、普通とかフォローになってないし。そこは優しいとか面白いとか褒めてくれてもいいじゃん」
「自分で優しいとか面白いとか思っちゃうあたりダメだよなー。言っとくけど、優しいかもしれないけど、面白さは普通だからな」和田は梅酒をちびちび飲みながら言った。
「また普通って言う・・・」おれは口を尖らせる。
「いいか?人間、顔だけじゃない。顔が普通でも体型が中肉中背でも、低身長でも面白さが普通でも絶対好きになってくれる人はいる。旭のタイプの年上の茶髪のショートの女じゃなくても、ちょっとでも良さ気だと思ったらとりあえず口説け。彼氏がいたとしてもタイミングが良いときもある。友達で彼氏がいる女口説いて成功したの何人かいるぞ」
「出たー!イケメンで可愛い彼女がいるくせに、人間顔じゃない発言!」おれは面白可笑しく笑った。
「・・・・・明日も朝早いし帰ろうか」不意にスマホに目を落とす和田の口元にはいつの間にか梅酒ではなく赤ワインのグラスが運ばれていた。グラスに半分以上残されていた赤ワインを一気に飲み干した。
和田は大学を卒業後、だれもが知っているであろう高級ホテルに半年勤めている。そのため決まった休みはなく、朝も早い。
「・・え・・ごめん・・怒った?」
「別に――怒ってないよ。とりあえずもうすぐ電車の時間だから」怒ってないというが明らかにムッとした表情をしている。
「わかったよー。名久井はおいといて帰ろっか。その前にトイレ行ってくるね」
「会計済ましとくから先帰るわ。マジで急がないと間に合わないから。じゃあ彼女作り頑張れよー」和田は手を振りながら足早に去っていった。
おれは小さく手を振り和田を見送った。
トイレへ急ぐ。すると、扉が開いている個室から手招きされていることに気付く。おれは自分を指差し「・・おれ・・?」と見知らぬ者たちに尋ねる。見知らぬ者たちはこくりと頷くとおれの手を引く。「おれたち飲み足りないんだけど一緒にどう?」 同じく飲み足らなかったおれは「うん・・」と頷き個室に入った。
おれと見知らぬ者たちは瞬く間に意気投合した。同い年。同じ就職浪人――ニート。同じ彼女なし。上でも下でもないまさに普通の容姿。おれと彼らはあまりにも酷似していた。性格と価値観以外は・・・
「なんで、おれたち彼女できないんだろう・・・」上田円が不意に口を開いた。
「そりゃ普通だからでしょ・・・なあ、ユウ?」央木然翔が答える。
旭が入室してから一時間経った。早くもあだ名が付いている。おれは旭夕夜だからユウ。央木然翔はゼン。上田円はエンというあだ名になった。最初は、朝夕夜があって昼がないから、[ヒルナイ]というあだ名になりそうだったが、おれは、そんな春夏冬みたいなあだ名やだよ。といって断固拒否した。だいたい名前より長いし。
「普通・・普通言うなって!おれらにだって個性はあるだろ?性格だって・・おれは人見知りだけど楽観的。エンは悲観的で猜疑心の塊。ゼンはナルシスト。ほら、みんな個性的な性格している。」おれは篤く二人に問いかける。
「この一時間でよくおれたちの性格理解できたな。自分だけ棚に上げているのが気に食わないけど」ゼンは納得している。エンは若鶏の唐揚げを貪りながら頷いている。
「女の好みだって違うだろ?おれは年上の茶髪ショートの包容力がある人が好き。ゼンとエンは?」
「え・・まったく一緒だけど・・」エンは唖然とする。隣で「おれも・・」という言葉が流れる。呆然――沈黙――沈黙。
「おれトイレ行ってくる」おれが沈黙を破りトイレへ向かおうとすると二人も付いて来る。おれもおれもと付いて来る。どうやらずっと我慢していたようだ。用を足すタイミングすら同じだと恐怖すら覚える。そんな恐怖が心地よい。
三人並んで用を足す。相変わらず沈黙のまま。後ろから音がするのも気にせずに――長い間。後ろのドアが開く。ガチャっという大きな音が聞こえる。三人はようやく後ろを振り向く。そこには一人の女が手招きしてこちらを見ている。じっと――見ている。三人も目を離すことができない。声も喉に詰まって出すことができない。女は一旦ドアを閉め、メガネをしてドアを開けて出てきた。三人に一瞥をくれると、首を横に振って何事もなかったように男子トイレから出て行った。三人は顔を見合わせ、話すことも手を洗うことも忘れて女を追いかける。いち早く女に追いついた旭が勇気を出して声をかける。
「あの・・・男子トイレでなにを・・?」息を切らしながら問いかける。酔った身体に全力疾走は毒である。二人もようやく追いついてきた。
「なにって・・セックスだけど!適当なイケメン捕まえてヤったんだけど、大して上手くなかったわ。あいつ、ただ激しくすれば気持ちいいと思っているから質悪かったし。それで、ちょうど終わった頃に、あんたらが入ってきたからヤりなさそうと思ったけど、よく見たらイケメンじゃないし普通だったから止めた。リアクションはつまんねーし、童貞臭漂っているし、いちばんヤりたくねーわ」女は三人の気持ちなど全く気にすることなく言い放った。
「おれら童貞じゃねーし」ゼンが必死に声を出す。その声は掠れ震えている。
「童貞臭って言ってんだろ。臭いんだよなー」女の怒気は増していく。
「じゃあ、童貞臭なくなったら、普通――じゃなくなったら、変人になったら、おれらの相手してくれますか?」おれは興奮しきった口調で言い放った。おそらく、二人の意思も同じだろう。
「まあ考えてやってもいい」女の口調は大分落ち着いてきた。旭の言葉に驚いた様子でもあった。
「じゃあ、名前と連絡先教えてください。おれは旭夕夜です。右の少し肉付きがいいのが上田円で、左の背が低くてイケメン風なのが央木然翔」
「星崎月奈。二七歳。ラインのIDはtukihoshiね。じゃあねー、チェリーボーイたち(笑)」
カーテンの挟間から零れる陽射しがうっとうしい。光たちが目を開けさせようとしている、気がする。そんな光たちに対抗したくなる。おれは布団を覆いかぶさり光を闇へと変貌させる。だが、眠気は光たちのせいで消え失せている。いい夢を邪魔された光たちのせいで。あの女、星崎月奈と笑顔で話している。話の内容からして付き合っている様子だった。ハロウィーンに魔女とゾンビの仮装をして六本木を闊歩していた。そのあとにホテルに向かっているところで夢は途切れた。憎き光どもめ。もうすぐでヤれたのに・・
ふわあ~~~~~~と大きなあくびをして、邪魔な布団をひっぺがえす。カーテンを開け、トイレに行き、歯を磨き、顔を洗い、ベッドにダイブし、スマホをいじる。毎日同じことの繰り返し。平凡な日常。何事もない日常。変化のない日常。昨日は久々に興奮した。非日常の出来事、日常が変わる風景を垣間見た。上田円に央木然翔、そして星崎月奈。おれは普通という悪夢から脱却する。いざ、普通から変人に!
時間は一一時をまわっていた。ライン♪という妙に明るめで癇に障る音が鳴る。アプリを開くと、四件もきていた。
名久井了【昨日行けなくてごめん。先輩から合コンの誘いがあって断れなくて(笑)】(笑)付けている時点で反省する気ゼロだろこいつ。合コンだったら、おれも誘えって。
上田円【今日の三時に荻窪駅に集合。作戦会議をします。ユウは強制です(笑)】強制って、まじっすか。用事ないからいいけど。和田からは二件の着信があった。おそらく、飲み代の請求だろう。どれもこれも既読無視っと。和田には夜電話してみようかな。
三時十五分。荻窪駅。松戸から荻窪まで電車で揺られて一時間。二人はまだ来ていない。時間にルーズな奴らだ。そんな奴は嫌われる。あっ、おれもか。
十五分後、エンとゼンは手を振りながらゆっくり歩いて来た。悪びれる様子は皆無だ。まるでピンクのベストを着た芸人みたいにゆっくり歩いて。エンの格好は昨日と同じ全体的にモノトーンでまとめている。地味だがそれなりにキマっている。ゼンはというと見るに堪えないコーディネートだ。ミリタリーの短パンにボーダーのインナー、チェックのジャケット、ストライプのリュック、ドットのスニーカー。ダサいとしか言いようがない。もはや、柄という柄だいしゅうごう~~。これで自分のことイケメンだと思っているのが質悪い。っていうか、もう立派な変人だよ。だって一緒に歩きたくないもん。マジすごいっすゼンさま、変人さま。
「ふたりとも遅いよ。おれ沖縄県民じゃないから三十分の遅刻許せないよ」おれはちょこっとだけイライラしている。エンの目を見て話す。
「だって時間どおり来るのって普通じゃん?ところで、なんで沖縄県民は遅刻しても怒らないの?」エンは首を傾げる。
「変人の意味はき違えてるから。時間守るの当然のマナーだから。ちなみに、沖縄県民はマイペースが多いから遅刻しても平気ってテレビで見た」
「なんだ、テレビの情報かよ」ゼンが横やりを入れてくる。おれはゼンを直視できない。
「それで、作戦会議ってどこでやるの?」
「・・ラブホテル」エンは自分で言っていて恥ずかしそうだ。
「はあ・・・・ちょ・・・頭おかしいだろ。そんなの普通じゃ・・ん・・普通――じゃない!いや、けど男三人でラブホって。ゲイじゃあるまいし。普通から脱却するにしてもなー」おれは煮え切らない態度をして拒否しょうとする。
「ユウが星崎月奈に言ったんじゃん。変人になったら相手してくれますか?って」
「うん・・」おれは渋々了承した。こいつらマジだ。マジで変人への道を一歩ずつ歩んで行く気だ。そんなに星崎月奈に惚れているのか。確かに超が付くほどの美人だった。モデルのような整った顔立ちにメガネをかけていた。白い肌。髪型は明るめのペールロングで大人っぽく色気を感じさせる。推定Fカップであろう胸。括れた腰。スラっと伸びた脚。まさに完璧な女だった。ただ、その反面、性格と口は悪い。いうなら淫乱ドS魔女。小悪魔がよっぽど可愛く思える。はっきり言ってタイプとは真逆だ。包容力は欠片もない。
なぜか惹かれてしまうのはなんでだろう。
おれは無言でラブホに向かう。右からゼン・エン・おれという順番で並んで歩いている。男だけでラブホに行くのに抵抗があるのもダサいゼンの隣にいたくないのも、おれは普通の人間なのだと思い知らされる。
早く帰りたい・・・
「二時間休憩2980円・・普通の値段だな」言ったあとにおれは後悔した。普通という言葉に二人が過敏に反応する姿を見たからだ。
「いや、全然普通じゃない。こんな値段設定おかしい。変だよ絶対!」おれは慌てて訂正する。
「変なのか?なら入ろうか」ゼンはすんなり納得して、未知なる建物の中に軽やかな足どりで進んでいった。エンもゼンのあとに付いていく。[StrawberryCherry]っていちごとさくらんぼどっちかにしろよ。
こいつらラブホの相場もわかんないのかよ。絶対童貞じゃん。でも、二十二で童貞って普通じゃなくていいのかも。おれは漠然とそう思った。
「おれさー、変人にならなくていいやー」
おれは淡いピンクのベッドに座り【人妻不倫セックス】を観ながらぼやいた。
「だって、変人は生まれたときから変人だと思うわけ。そうじゃなくても、長い年月をかけて、人の影響とか環境の影響で変化していったんだと思う。短期間で変人になろうとしてもそれは偽物だよ。そんな器、叩いたら脆く崩れ去るよ。星崎月奈にはさ、ありのままの自分を好きにさせようよ。普通のおれらで星崎月奈を惚れさせよう。好きな気持ちを伝えよう」
「はい、今日は一旦解散~~~」おれはパンっと手を叩く。
「わかった・・・今日一日考えさせて」エンはふかーい溜息をつく。その溜息は安堵の表情を忍ばせているように思えた。エンも無理したのだと今更になって気づく。
「おれは変人になって、絶対星崎月奈と付き合うからな」ゼンは躍起になっている。すかさず、おまえもう立派な変人だから。とつっこむおれを無視するゼン。
和田から電話があったのは二人と別れて三時間後。家に着いてから約一時間後のことだった。「ちょっと相談があるから十一時に[kijima]に来て」と言うと電話は途切れた。今日仕事のはずだけど。十一時からって、終電なくなるし朝までコースじゃね。っていうか、おれの都合みんな考えてなさすぎだろ~。暇だからいいんだけどさ。
ニートですから。
「おれ、彼女と別れた・・」和田は俯きながらぼそっと呟いた。
「・・え・・未来ちゃんと別れたの?なんで?」おれは驚きを隠せない。
松本未来ちゃんとは、ゼミで一緒になり和田と三人で遊んだりもした。目もとがパッチリして背が低くて可愛らしい子だ。二人が別れるのは、相談に乗ったりしていた恋のキューピットとしてはバツが悪い。
「仕事忙しくてあんまり話せないのと昨日したのがバレた」
「昨日した?何をしたん?」
「・・逆レイプされた。ここで・・・」
「和田久・・イケメン・・逆レイプ・・[kijima]・・星崎月奈・・」点と点がはっきりとつながる音が頭にひびく。口から泡を吐きそうだ。その泡で昨日の出来事を包み込んで、濁流で全部洗い流したい。あとは気持ち悪い濁りだけ口に残して、罪悪感を噛みしめたい。
「なにをぼそぼそとつぶやいているの?」悲しい目をして和田は言う。よかったー、聞こえてなくて。
「大丈夫だよ。同意の上でヤったわけじゃないから、ちゃんと理由を言えば許してくれるよ。未来ちゃんもきっと和田と別れたくなかったと思うし。とりあえず今日はとことん飲もう。乾杯!」おれはなるべく明るく乾杯の合図をとる。和田は今にも泣きそうになっている。イケメンの泣き顔はまさに滑稽だなと心の中でほんの少し思ってしまう。自分のどす黒いものが出ていることに気付き、慌てて首を横に振る。
「お前が友達でよかったってはじめておもった・・」テーブルに伏している和田から意外な言葉がでてきた。
「はじめてかよ!和田が未来ちゃんと付き合えたのも、おれのおかげなんですけどー。ぼやぼやしてると未来ちゃんもらっちゃうよー」おれはしんみりした空気を吹き飛ばし冗談で場を明るくしようと努める。
「それは無理。未来はおれのだから・・」ちょっとは元気になったみたいだ。そんなことわかっている。百も承知だ。それに、友達の元カノに手を出す度胸なんてない。
普通だからさ。
深夜二時。会計は和田の分もおれが払い、和田はタクシーで颯爽と去って行った。明日も朝五時起きだそうだ。おれ最近振り回されすぎじゃないか。和田にゼンとエン、さらには星崎月奈。おもむろにスマホを取り出す。1コール・・2コール・・3コ・・出た。
「もしもし。おれです、一昨日居酒屋で会った旭夕夜です。月奈さん、覚えてますかー?」あらかじめラインで番号を聞いといてよかった。酔っているせいか語尾が微妙に上がってしまった。
「何時だと思ってんだくそガキ。しかも、いきなり名前で呼んでんじゃねーよ。月奈はもう寝る時間だ」電話の向こうでハッとする姿が安易に想像ついた。
「二時ですよー。あれー、月奈さんほどの人間だったら起きてると思ってたんだけどなー。っていうか、第一人称自分の名前なんですね。ギャップありすぎてウケる。可愛くてますます惚れそうです」酔っているから今ならなんだって言えそうだ。ただ、和田の件は切り出すことはできない。
「・・お前変わったやつだな」月奈さんは眠そうな声で言った。
「・・え・・もう一回言ってください」もちろんまるっきり聞こえている。
「お前は普通のつまらない奴じゃなくて変人だ!って言ったんだ」おれは意味もなく走りだした。なんだこの快感は。いままで味わったことがない――快感。スマホから、おい、おい、という声が聞こえてくる。おれはその声に耳を貸すことなく家まで走って帰った。
家に着くころには当然のように電話は切れていた。ツーツーツーという音だけが部屋を支配している。暗い沈黙の部屋に蔓延る電子音。心地よい。静かにスマホを耳に近づけ月奈さんとの会話の余韻を楽しむ。今日はいい気分で熟睡できそうだ。
「お前変わったやつだな」何回も頭の中で言葉を反芻する。
朝十二時。もはや昼と朝が区別つかないほど、おれは時間という概念を失っていた。半年もニートだとそうなってしまう。スマホを確認する。
上田円【おれはネガティブなりに普通の人として星崎月奈に告白しようと思う。ダメだったら死ぬかも。多分一ヶ月は部屋に籠ってるかも】お互いがんばろうとだけ送る。
星崎月奈【変人くん今日逢おうか?夜七時に[kijima]で】嬉しすぎて手が震える。了解です、がぼやけて見える。送信っと。まさか月奈さんから誘われるとは思ってなかった。にやけが止まらない。ん、待てよ。今日も[kijima]だったら。三日連続じゃん。どんだけ自分暇人なんだよ。ゼンは何しているんだろ。変人の修行してたりして。それかストーカーだな。さーて、夜までひまだしなにしようかな。名久井にでもラインしようかな。
【この前の合コンどうだったん?】送信。
名久井了【途中で先輩が帰っちゃって困ったよ。ろくな男いないから帰るって言いだしてさ。先輩がセッティングしろっていうからしたのに】すぐに返事が来るあたり名久井も暇なようだ。
【その女がろくでもないな】暇つぶしにしては面白い話題で助かる。
【ほんとだよ。美人だからいいけど、これでブスだったら殺してやりたいわ(笑)】名久井は殺すという文字を(笑)で中和する。
【今度紹介してよ。その性格悪い美人さん(笑)】おれもすかさず(笑)で応戦する。
【いいよ。男に飢えているみたいだから(笑)三十手前で焦ってると思うよー】
【あざーす。じゃあ今度紹介よろしく】そこで会話は途切れ、名久井が既読したのを確認すると急に眠気が襲ってきた。おれは意識を手放した。
起きる頃には五時をまわっていた。急いで用意して行かないと待ち合わせ時間に間に合わない。いま自分ができる最高のおしゃれをして、おれは駆けだした。
[kijima]の前にはすでに月奈さんが立っていた。あいかわらず美しいの一言だ。特に黒縁メガネが知的さと色っぽさを増幅させている。メガネフェチにはたまらない。待ち疲れてイライラしている姿も素敵すぎる。おれは変態でもMでもないが、そう感じてしまう。彼女の魅力にはだれも抗えない。おれはめいいっぱい手を振って月奈さんの視線をいただく。
「遅い!こんないい女普通待たせるか?」舌打ちまじりで自分を棚に上げて話す。
「ごめんなさい。普通じゃないので。自分でいい女って言っちゃうあたりだめですよねー。ちょっとぐらい謙虚になった方がモテますよ」おれはもう月奈さんに対して物怖じしなくなっていた。
「うるさいボケ!私はこのままでいいんだよ。このままで・・いたいんだよ」はじめて言葉を詰まらせた月奈さんを見た。まだ会って二回目だけど。
「とりあえず、中入りませんか?」
「ホテル行く?二日ヤってないから溜まってるんだ。あんた、よく見たらかわいい顔してるし」白い吐息が月奈さんの口から顔を出す。その口を両手で覆う姿を見ただけで、おれのは反応してしまっている。
「・・ありがとうございます・・」おれは間をあけて、でも、と続ける。
「そういうことなら帰ります・・」
「・・は・・お前、私とヤりたかったんじゃないのか?」月奈さんは訝しげにこちらを見ている。
「月奈さんとセックスしたくてたまらないですよ」
「じゃあ・・なんで」
「おれはあなたが好きです。好きでしょうがない。だから、ただ一回セックスして終わる関係なんて嫌です。三回目のデートで告白して、付き合って、手をつないだりキスしたりして一緒に幸せになりたいです。エンとゼンも同じ気持ちだと思います。おれらはあなたがどうしようもなく好きです。だから、あなたのために変わろうとした。でも気付きました。ありのままの自分を好きになってもらおうって。普通ってことは常識があるってことだ。平凡だけど、そこには些細な幸せがある。あなたのありのままの自分も見せてほしいのです。全部含めての星崎月奈を好きであり続けます」自分で言っていて恥ずかしくなる。酔ってないから尚更だ。
「・・・・」月奈さんは少し考えて、
「なっがいわ!」あの告白を聞いて、第一声がそれとは――この女恐れ入る。
「まず、三回目のデートで告白して。ってもう告白してるし。ふたつめ、エンとゼンってだれだ?みっつめ、月奈の誘いを断ったのはお前がはじめてだよ」月奈さんは細くて長い指をひとつずつ立てながら頭を整理していく。
「エンとゼンは、月奈さんとはじめて会ったとき、おれの両隣にいた二人です。上田円と央木・・」
「そんなことはどうだっていい。よっつめ、月奈のことを何も知らないくせに知った風な口を聞くな」おれの言葉を遮りくい気味に言った月奈さんの顔は悲しみのような怒りのような何ともいえない顔になっていた。
「これから少しずつ知っていくんですよ」おれが言い終わるころには、月奈さんは静かに踵を返し、無言で立ち去っていった。おれは大きな声で「またね~~~~~」と叫ぶが、月奈さんが振り向くことはなかった。
あっ、名前のこと茶化すの忘れてた。
もう一週間が経つのか。何事もない平凡な日常が異常な速度で進んでいく。だれからも連絡はない。自分からもしていない。あの三日間のアブノーマルな日々は夢だったのか。おもむろに頬をつねる。
痛い。夢じゃない。夢なんかじゃない。
エンは月奈さんに告白したのかな?ゼンは変人の道を究めているのかな?和田は未来ちゃんと仲直りしたのかな?名久井はちゃんと性格悪い美人さんを紹介してくれるのかな?月奈さんはほんとうの自分を見つけているのかな?おれの頭の中は疑問符で溢れだしはち切れそうになる。
でも、きっとみんな上手くいっている。だって、みんな恋しているんだから。月奈さんは誠実な恋をするために。エンとゼンは好きな人を振り向かせるために。和田は未来ちゃんとの関係を修復するために。名久井はよくわからない。きっと、性格悪い美人さんが好きで紹介してくれないんだ。名久井も多分頑張っている。
おれもゆる~く頑張らないとな。
星崎月奈【今日、いまから空いてる?話したいことがあるの旭】不意に鳴るスマホ。
おれは、はじめて名前を呼んでもらったのにも気付かずに、カーテンを開けて、太陽の光を身体に吸収させる。一週間溜まりに溜まった暗くて淀んでしまった空気をおもいっきり外に吐き出し身体を極限まで軽くさせる。
おれはたった三日間のアブノーマルな日々を取り戻すために、勢いよく玄関の戸を開けて走り出した。
ん、名久井の言っていた性格悪い美人って月奈さんかも。
まあ、いっか。
早く。急いで。好き。って伝えたい。




