第二話 修祐くん鵙藤寮管理人体験始まる
翌週、月曜日。修祐は自宅へ一旦帰ったあと普段着に着替え、自転車を利用して夕方六時半頃に鵙藤寮の玄関前へやって来た。石段の両側には自転車も走行出来るバリアフリーの通路があり、ここまで辿り着くことが出来たのだ。
上手くやっていけるかなぁ?
専用の駐輪場に自転車を置いた修祐はわくわくしながらも恐る恐る、玄関入口横のチャイムボタンを押した。修祐の心拍数は高まる。
数秒後、住民の誰かによって扉がガラガラッと開かれた。
「!!」
修祐の心拍数はさらに高まる。
「おう、修祐ちゃん、いらっしゃい」
出て来たのは、ハルさんであった。
「いらっしゃーい、修祐くん。私、首を長ぁくして待ってたよ」
「いらっしゃいませ、修祐お兄さん」
「……いらっしゃい」
寮生の三人もすぐ後ろ側にいた。修祐を温かく迎え入れる。
ミャーン。
三毛猫の文治郎も、歓迎の言葉を述べてくれたような気がした。
「あっ、きょっ、今日から、お世話になります、財田修祐です。皆さん、よろしく、お願い致します」
修祐がかなり緊張気味に挨拶すると、
「修祐ちゃん、そんなに畏まらなくても」
「修祐くん、もっとリラックス、リラックス」
「こちらこそよろしくお願いしますね、修祐お兄さん」
ハルさん、佐奈江、ヤスミンは優しく微笑んだ。
「修祐ちゃんが実家から送った荷物はもう届いてるよ。そのままの状態で修祐ちゃんのお部屋で運んでおいたから」
「お気遣い、ありがとうございます」
「修祐ちゃん、今から玄関前で鵙藤寮をバックに記念撮影するよ」
ハルさんはそう告げて、デジカメを修祐の前にかざす。
「俺、写真はあまり……」
「まあまあ修祐ちゃん、そう言わんと」
「修祐くん、真ん中に並んでーっ」
「わわわ」
戸惑う修祐は佐奈江に腕を引っ張られ、玄関出て少し進んだ所に並ばされた。
ハルさんは鵙藤寮の全景が写る位置まで移動し、デジカメを構える。ハルさんから見て修祐の右隣に佐奈江、左隣にヤスミン。ヤスミンの左隣に柚香。佐奈江は文治郎を抱きかかえている構図だ。
「そんじゃ、撮るよ。はいチーズ」
ハルさんはそう告げてから約三秒後にシャッターを押した。これにて撮影完了。
「すごくきれいに撮れてるね。さすがお婆ちゃん」
佐奈江はハルさんの側へ駆け寄り、保存された画像を見て感心する。
佐奈江と文治郎は爽やかな笑顔。他の三人は普段通りの素の表情であった。
「おら、最新式の機材も難なくこなせるからね。さて、もうすぐ夕飯時だ。修祐ちゃんのために、出前を取っておいたよ。近くの〝ウリ坊寿司〟っていうお店で」
「ありがとうございます。俺のために」
ハルさんの計らいに、修祐は深く感謝した。
すでにダイニングテーブルの上に夕食が並べられてあった。
大きな舟形のお皿に乗せられた鯛やマグロ、イカ、ウニ、貝柱、伊勢海老などの刺身盛り合わせ。他に、大皿に盛られた中華料理、オーストリアの郷土料理で牛肉とタマネギ、パプリカなどを煮込んだシチュー【グーラシュ】。小麦粉とジャガイモ、パン粉などを混ぜて丸めて茹でた【クネーデル】。
デザートにアップルソースが添えられ粉砂糖が塗された、干しぶどう入りパンケーキ風の【カイザーシュマーレン】、ザッハトルテも用意されていた。
「私の故郷の郷土料理オンパレードのうち、ザッハトルテは近所のケーキ屋さんで買ったものですが、グーラシュとクネーデルと、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世のために初めて調理されたと言われているカイザーシュマーレンはわたしの手作りです。ハルお婆さんもかなり手伝ってくれましたけど」
ヤスミンはちょっぴり照れくさそうに伝えた。
「そうなんだ。めっちゃ美味そうだ」
物珍しさも相まって、修祐はヤスミンの手料理に目が釘付けになる。
時計回りに修祐、佐奈江、ヤスミン、柚香、ハルさんという座席配置で、修祐と柚香が向かい合う形となった。
文治郎は床に並べられた鯖缶と市販のキャットフードの前に座る。
「それでは手を合わせて」
ハルさんがそう告げると、寮生の三人はすぐに両手を合わせた。
「あっ……」
修祐はワンテンポ遅れてしまった。
「修祐ちゃん、そう慌てんでもええんよ」
ハルさんは優しく微笑む。
「ではおあがり」
「「「いただきます」」」
こう告げると寮生三人、
「いっ、いただき、ます」
ミャーォン。
そして修祐と文治郎、ハルさんも食事に手をつけ始める。
「修祐ちゃん、遠慮せずにどんどん食べな」
「はっ、はい」
俺、女の子達に囲まれて食事をするのは人生初体験だよ。
そんな理由からか修祐はやや緊張していた。
「修祐お兄さん、これどうぞ」
ヤスミンは、修祐の前に並べられていた小皿に餃子とシューマイをよそってくれた。
「あっ、どうも」
修祐は軽く会釈する。
「修祐くん、大トロだよ。すごく美味しいよ」
佐奈江もよそってくれた。
「あっ、ありがとう」
えっと、刺身醤油。あっ、すぐ前にあった。
修祐は左手を伸ばし、刺身醤油の瓶を取ろうとした。
「あっ、ごめんね」
そのさい、同じく取ろうとしていた柚香の手の甲に触れてしまい慌てて謝る。
「!!」
柚香はびくっとなって、反射的に手を引っ込めた。さらにその子は俯いてしまった。
どうしよう、嫌われちゃったかな?
修祐はとても気まずい気分に陥った。
「修祐ちゃん、飲み物どれでも好きなのを選んで飲みな」
「はい」
ダイニングテーブルの上には烏龍茶、オレンジジュース、メロンソーダ、レモンサイダー、コカコーラのペットボトルも置かれてあった。
修祐は慎重な動作で烏龍茶のペットボトルを手に取り、コップに注ぎ入れる。
「ねえ修祐くん、今彼女はいるの?」
「いや、いないよ」
佐奈江からの突然の問いかけに、修祐はびくりと反応し慌てて答える。思わず烏龍茶をこぼしそうになった。
「意外だね。修祐くん格好いいのに」
「いや、そんなことないと思う」
これは佐奈江ちゃんからの私と付き合って下さい告白フラグか? いや困るよ。俺、女の子とどう付き合っていいか分からないし。
修祐は戸惑い意識を移そうとウニの刺身に手をつけた。
「修祐お兄さんは、大学は東大か京大狙いですか?」
今度はヤスミンが質問してくる。
「いや、俺そこまで狙えるほど成績良くないよ。この間の中間も三百人ちょっとのうち五〇位台だったし、阪大か神大に入れればいいかなくらい」
「それでも素晴らしいと思います。なんといっても星菖より偏差値10以上は上な淳高でも上位層ですし」
「そっ、そうかな?」
尊敬されたようで、修祐は少し照れてしまった。
「やっぱり修祐くんは淳高の中でも賢い人だったね。私の目に狂いはなかったよ」
佐奈江もかなり嬉しがっているようだった。
修祐はこのあとも緊張気味に、ハルさん、佐奈江、ヤスミンと会話しながら食事を進めていった。
ハルさんはよく噛んで食べていたためか、みんなの中で一番後に食べ終えた。食後の煎茶を啜って一息ついて、
「では手を合わせて」
この合図。寮生の三人はすぐに手を合わせる。
「あっと……」
修祐はまたもワンテンポ遅れてしまった。
「修祐ちゃん、慌てんでもええよ。ごちそうさま」
ハルさんはにこやかに微笑みかける。
「「「ごちそうさまでした」」」
寮生三人、
「ごちそうさま、でした」
修祐もワンテンポ遅れて食後の挨拶。
文治郎はすでにどこかへ消えていた。
「じゃあ、お皿持っていくね」
佐奈江は使った食器類を何枚か重ねて両手で持ち、台所の流し台へ運んでいく。ヤスミンと柚香も同じようにした。
夕飯後の食器洗いは、いつも寮生の三人が担当しているそうだ。毎日美味しい料理を作ってくれるハルさんに感謝の意を込めて、という理由らしい。
「俺も、後片付けを手伝います」
「おう、気が利くね、修祐ちゃん」
修祐は今回、出たゴミをポリ袋に捨てる作業を担当した。
「あっ、あのう、俺、見取図を確認して疑問に思ったのですが、ここには、男湯は、ないのでしょうか?」
それを終えた後、修祐は恐る恐るハルさんに尋ねてみた。
「おう、今は女湯オンリーさ。旅館だった頃は、男湯もあったんだけどね。寮にするさい女湯にまとめて広くしたのさ。ついでにトイレもね。だから修祐ちゃんも気兼ねせずに堂々と女湯を使いな」
ハルさんは大きく笑う。
「……」
修祐はこの寮が女性専用に改築されている点を、当然のように不安に思った。
「修祐くん、お風呂先にどうぞ。廊下突き進んで一番奥の別館だよ」
佐奈江はロビー奥を手で指し示す。
「寝巻きも用意してあるよ。脱衣場にタオルとセットで置いてあるから」
ハルさんは伝える。
「ありがとう、ございます。俺、寝巻き、持って来ているのですが」
「まあ、今日はあれを着な。荷解きはあとにして」
「はい」
修祐はやや重い足取りで廊下を突き進み、別館の大浴場へと向かっていった。
おう、蛍だ! 山が近いだけはあるな。
途中、中庭の前を通りかかった所で何匹か光っているのを見つけ、ちょっぴり感激。
庭園灯が灯されていたため桜や梅や松の木、花菖蒲、紫陽花などなどが植えられた和風な中庭の装いと、別館の外観もぼんやりとした明るさで窺うことが出来た。岩を囲った人工池で錦鯉も飼われていた。
中庭も雅な雰囲気だな。
感心気味に別館の出入口を通り抜けたあと、
本当に、入って、いいんだよな?
女湯と書かれた暖簾の前で一旦立ち止まり、ゆっくりとした動作で恐る恐る脱衣場に足を踏み入れる。
脱衣場には全自動洗濯機も設置されており、洗面台も三つ並んでいた。脱いだ服は、洗濯機横に置かれてある籠に入れるようにと張り紙に書かれてある。
修祐は脱ぎ終えると手ぬぐいで大事な部分を隠し、ガラガラッと扉を引いて浴室に入り、シャワー手前の風呂イスに腰掛けた。休まずシャンプーを押し出し、頭を擦る。
その最中、
「修祐くん、お背中流してあげるよ」
入口扉がガラガラと開かれた。
「うわっ! あっ、あの……」
佐奈江が浴室に入って来たのだ。彼女は服を着たままだったものの、修祐は当然のように慌てる。
「私、実家でもお父さんによくやってたよ」
佐奈江は手に持っていたハンドタオルにみかんの香りのボディーソープを染み込ませると、修祐の背中に押し当てごしごし擦っていく。真剣な表情だった。
「……」
修祐の頬はだんだん赤みを増していき、心拍数は急上昇する。
早く出て行って欲しいな。と心の中で思っていた。
「修祐くん、気持ちいい?」
「うっ、うん」
「ここのお湯は温泉成分も入ってるから打ち身、切り傷、捻挫などにもよく効くよ。じゃぁ修祐くん、ごゆっくりくつろいでね」
佐奈江は修祐の背中にお湯をかけると、こう伝えて嬉しそうに浴室から出て行った。
やっ、やっと出て行ってくれた。
修祐はホッと一安心する。
その後も、また戻ってくるかもしれない。と警戒し、大事な部分は手ぬぐいで隠したまま髪の毛を洗い、佐奈江の残していったハンドタオルで体を擦り洗い流していき湯船には五分ほど浸かった。
浴室をあとにすると、そそくさ体を拭きトランクスを穿いてTシャツを着た。休まずハルさんが用意してくれていた藍染め浴衣の寝巻きを着込み、ロビーへと戻っていく。
「修祐ちゃん、サイズもピッタリだね。とってもよく似合ってるよ」
ハルさんに微笑み顔でじーっと見つめられ、
「そっ、そうでしょうか?」
修祐は少し照れてしまう。
「修祐お兄さん、お風呂上りの一杯どうぞ」
ヤスミンは冷たい麦茶を用意してくれていた。
「ありがとう」
修祐は軽くお辞儀する。
「修祐くん、湯加減どうだった?」
佐奈江からの質問に、
「最高だったよ」
修祐は満足げな表情を浮かべて答えた。
「それはよかったよ。じゃ私達も入ってくるね」
「では修祐お兄さん、またのちほど」
自室にいる柚香を呼びに行き、寮生三人大浴場へ。いつもいっしょに入っているのだ。
「修祐ちゃん、覗きに行かないのかい? 絶好のチャンスだよ」
ハルさんはにこにこ顔で問い詰めて来た。
「すっ、するわけありませんよ」
修祐は慌て気味にやや強く主張する。
「おう、おらの思った通りの紳士だねえ」
ハルさんはハハハッと笑う。
「俺、荷物の荷解きをして来ます」
修祐は居た堪れなくなったのか、早足に彼に割り当てられた204号室へ向かっていった。
机、布団、収納ケースといった必需品は元から用意されてあったため、彼が持って来た荷物は中くらいのダンボール三箱分だけで済んだ。そのため引越し業者に頼まず、宅配便で済ますことが出来たのだ。主に衣服と書籍、学用品が詰められてある。
制服とその他の小さな荷物は通学鞄に詰めて修祐が自分で運んだ。
五分ほどで荷解きを済ませたあと、イスに腰掛け一息つこうとしたら、
「修祐ちゃん、ちょいとお盆片付けるのを手伝ってくれないかい?」
階段下からハルさんの叫び声が聞こえて来た。
「分かりました」
修祐はすぐに返事をし、ロビーへと向かう。そのあとハルさんに台所へ案内された。
「修祐ちゃんは背ぇ高いし、これをあそこに置いてくれないかね。おらじゃ、手が届かないんでね」
ハルさんは食器棚を見上げながらお願いする。彼女の背丈は一四五センチほどだった。
「俺、小柄な方ですよ」
修祐は照れくさそうに言いながらお盆を受け取り、床からの高さが一八〇センチほどの所にある収納スペースにしまってあげた。
「さっぱりしたー、アイス、アイスーッ」
ちょうどその時、風呂から上がった佐奈江がここへ駆け寄ってくる。
「うわぁっ!」
修祐は思わず目を背けた。
「こりゃこりゃ佐奈江ちゃん、バスタオル一枚で歩いちゃいけないよ」
ハルさんはにこにこ微笑みながら優しく注意した。
「あっ! いっけなーい。今日からは修祐くんがいるんだった」
佐奈江はてへりと笑い、くるりと踵を変えて脱衣場の方へ戻っていく。
「うわっ!」
修祐はとっさに視線を床に向ける。佐奈江の桃のようなぷりんっとしたお尻が丸見えになっていたのだ。
☆
「さっきはごめんね、修祐くん」
二分ほどのち、パジャマに着替えた佐奈江は再び戻ってくる。
「修祐お兄さん、佐奈江さんがご迷惑をおかけしたみたいで申し訳ないです」
「……」
ヤスミンと柚香もそれからすぐに台所にやって来た。この二人は最初からパジャマを着込んでいた。
なんか、女の子特有のいい匂いが……。
寮生三人の体から漂ってくる、ラベンダーやミントのシャンプーや石鹸の香りが、修祐の鼻腔をくすぐっていた。
「修祐くん、ここの寮には、とっておきの場所があるの。私について来て」
「べつに、いいけど……」
修祐は佐奈江に招かれるままに大浴場へと足を進める。
大浴場の浴室には、修祐はさっき入浴したさいは特に気にならなかったが裏庭へ通じる横開きの扉があったのだ。
修祐と佐奈江は出てすぐの所に並べられてあった草履を履いた。
「裏庭もけっこう広いんだね」
「旅館時代はここに露天風呂があったらしいよ」
「どうりで」
「修祐くん、前方に石段があるでしょ。あそこを上っていけば、神戸の夜景が見られる絶景スポットに辿り着くの。近所の人の散策コースにもなってるよ」
佐奈江は手で指し示す。浴室を出てさらに二〇メートルほど北へ進んだ所にそれはあった。
佐奈江を先頭に一段ずつ登っていく。数メートル置きにある外灯が足元を照らしてくれているおかげで、二人は夜道を難なく歩くことが出来た。
「ハァハァ……なんか、登山、してるみたい。勾配がきつい」
二百五十段くらい登った頃には、修祐はかなり息が切れていた。
「六甲山の中だからね。もうあと少しだよ。頑張って修祐くん」
佐奈江はまだ余裕の表情だった。体力はけっこうあるらしい。
「さあ着いたよ、修祐くん」
三百段ちょっと上がった所に、休憩所兼展望台があった。
「わっ! これ、和菓子の形になってるんだね。なんか芸術的だ」
「本当に食べれそうでしょ? ここは近所の人の散策コースにもなってるけど大評判だよ」
そこに建つあずまやはなんと、屋根が栗饅頭。四本の柱がみたらし団子、花見団子、草団子、きな粉団子。円卓がどら焼き、長方卓が菱餅、間を挟む二基の長椅子が梅羊羹と最中を模っていた。
二人は南方向を向いて立ち止まる。
「……すごい。神戸の夜景、写真では何度か見たことあるけど、本物は違うなぁ」
修祐はハッと息を呑んだ。
眼下に広がる宝石のように煌く街並み。右手には赤色に光り輝くポートタワー。正面遠くには人工島群が見え、その一つ、神戸空港に飛行機が着陸していく様子も確認することが出来た。東遠方には大阪方面の夜景も窺えた。
「ここは私のお気に入りスポットなんです。寮のお部屋からも一応見えるけど、ここの方がずっと見晴らしが良いので」
佐奈江はとても嬉しそうにそう言うや、修祐の手をぎゅっと握り締めた。
「あっ、あのう……」
修祐はびくりと反応した。彼の頬は瞬く間に赤みを増し、心拍数もどんどん上がっていく。
「風がすごく気持ちいいね」
「そっ、そうだね」
「修祐くん、この素晴らしい夜景を眺めると、疲れも吹き飛んだでしょ?」
「まっ、まあ、確かに……」
「夜景もいいけど、昼間の景観もすごく良いよ」
「そっ、そう?」
「それじゃ、そろそろ寮へ戻ろう」
「うっ、うん」
修祐と佐奈江は手を繋いで並ぶようにして歩き、石段をゆっくりと降りていく。
俺にこんなにも快く接してくれた女の子は、初めてだよ。
修祐は嬉しさ七割、照れくささ三割といった気分だった。
*
鵙藤寮ロビーに帰り着くと、
「修祐ちゃん、神戸の夜景は美しかろう?」
ハルさんからさっそく感想を訊かれる。
「はい。写真で見るのとはまた違って、絶景でした」
修祐は満足そうな表情で答えた。
「私は修祐くんとデート出来てすごく楽しかったぁっ♪」
佐奈江は満面の笑みで嬉しそうにハルさんに伝える。
「デッ、デートって……」
修祐の表情はやや引き攣った。
「そうかい、そうかい。ところで佐奈江ちゃん、キスはしてあげたのかい?」
ハルさんは囁くような声で佐奈江に耳打ちする。
「あっ、忘れてたよ。ごめんね修祐くん。私とデートしてくれたお礼だよ」
佐奈江はそう言うと修祐の側へずいっと寄り、何の躊躇いも無く修祐のほっぺたに、チュッとキスをした。
柔らかい感触が一瞬、修祐の頬に伝わる。
「…………あっ、あの、こっ、幸岡さん……」
修祐の頬は瞬く間に熟れたいちごのごとく真っ赤になり、併せて心拍数も急上昇する。あまりに突然のことで放心状態になってしまったようだ。
「この様子じゃ修祐ちゃん、女の子にキスされたのは初めてだったようだね」
ハルさんはにんまり微笑む。
「私も、男の子にしたのは、修祐くんが初めてかな。ヤスミンちゃんや柚香ちゃんには何回かしたことがあるけど」
佐奈江はてへりと笑う。
「おーい、修祐ちゃーん」
「……えっ、あっ、なっ、何でしょうか?」
ハルさんに大声で呼ばれ、修祐はようやく我に帰った。
「修祐ちゃんに鵙藤寮管理人としての適性能力を測るために、一つ重大な任務を与えるよ」
ハルさんから突然告げられる。
「どういった、任務なのでしょうか?」
修祐の心拍数は依然高いままだった。
「そうだねえ……これは、佐奈江ちゃんから発表した方がいいかな?」
ハルさんがそう言うと、
「修祐くん、お勉強お助けしてね。私、勉強大の苦手なの。高校入ってからはますます成績下がっちゃって。私、この間の中間テスト数学と化学で赤点採っちゃったの」
佐奈江は照れくさそうに打ち明けた。そのあと、一学期中間テストの個人成績表を自分のお部屋から持って来て修祐に手渡す。そのプリントには各科目の平均点と個人の得点と偏差値、学年順位が記載されていた。
「化学が平均56点の27点。数Ⅱが59の28点、Bが63の24点か。もう数ⅡB習ってるんだね」
「星菖では、数学と英語については中学三年生から高校課程に入るんです。わたし達の学年で数学ⅠAを習ってますよ」
つい先ほどトイレから出て来たヤスミンが伝える。
「やっぱ中高一貫だから進度が速いんだね」
「そうなんだよ。私、授業速過ぎてついていけないよう」
佐奈江は悲しげな表情で嘆く。他の科目についても世界史Aと現国以外は平均点を下回っていた。
「大学受験のことを考えると、早めに全過程を済ませるに越したことは無いと思うけど。俺も高校の数学は中学卒業する頃には独学である程度マスターしたよ」
修祐が爽やか笑顔でこう伝えると、
「それはますます頼もしいよ。さすが淳高生だね」
佐奈江の顔にホッとした笑みがこぼれた。
「というわけで修祐ちゃん、佐奈江ちゃんが期末テストで赤点を回避させることが出来るように、勉強の手助けをしてやってくれないかね」
「はい、分かりました。俺もすでに数ⅡB、よほどの難問でもない限り解けるので」
修祐は引き受けるも、
俺に、幸岡さんに勉強教えることなんて出来るのかな? 今まで人に勉強教えた経験なんてないし。
脳裏に一抹の不安がよぎった。
「ヤスミンちゃんは、すごく頭良いんだよ。これ見て」
佐奈江は、ヤスミンの先日行われた中間テスト個人成績表も見せてくる。
「あっ、こら、佐奈江さん。勝手に持ち出したらダメでしょ」
ヤスミンは優しく注意する。ヤスミンの中間テスト総合得点は、五〇〇点満点中四九七点。もちろん学年トップだ。国語が九七点で、他の四教科は全て満点だった。
「すご過ぎる……」
それを見て、修祐は驚愕した。彼も学年トップというのは、公立中学時代にある一教科だけでしか取れなかったのだ。
「ヤスミンちゃんは私が中学の頃、九〇〇点満点の期末で取ってた点数よりも高い点中間テストで取ってくるんだよ。私もヤスミンちゃんの天才的頭脳が欲しいよぅ」
悔しそうに嘆き、佐奈江はヤスミンの頭をなでる。
「わたしはちゃんと真面目に勉強してるもん。佐奈江さんは、勉強量が全然足りてないと思うの」
「そうかなあ? 私、一日三〇分は机に向かってるよ」
疑問を浮かべる佐奈江に、
「少な過ぎ。高校生の自宅での勉強量は学年プラス三時間が基本よ」
ヤスミンは呆れ顔で再度指摘する。
「そんなに出来ないよぉ。あっ、もう十時過ぎてるのかぁ。今日は眠いからもう寝よ。修祐くん、いっしょに寝よう。私、いつもヤスミンちゃんと柚香ちゃんといっしょに同じ部屋で寝てるんだ。毎日が修学旅行気分ですごく楽しいよ」
「俺、それは、無理だな」
佐奈江の要求を、修祐は即、かたくなに拒んだ。
「お願い、お願い、修祐くん」
「でっ、でもね……」
「修祐ちゃん、いっしょに寝てあげな」
ハルさんは修祐の肩をポンッと叩き、笑顔で説得する。
「いや、でも……」
「修祐お兄さん、親睦を深めるためにも私達といっしょに寝ましょう!」
ヤスミンも強く要求してくる。
「柚香ちゃん、修祐くんいっしょに寝てくれる方がいいよね?」
「……」
佐奈江からの問いかけに、柚香はこくりと頷いた。
ミャーォン。
文治郎もなぜか鳴き声を上げた。
「ほらね、修祐くん。ヤスミンちゃんも柚香ちゃんもいっしょに寝たいって言ってるよ」
「…………分かった」
佐奈江ににこにこ顔で言われ、修祐はとうとう引き受けてしまった。
「やったぁ!」
佐奈江は大喜びで修祐のお部屋へ駆け込み、押し入れに仕舞われてあったお布団を取り出し自分のお部屋へ運び入れる。
お布団は出入口付近から、一番奥の窓際に向かって一列に四枚並べて敷いた。昨日までは川の字に敷いて柚香を真ん中、その両隣に佐奈江とヤスミンが挟む配置にしていたらしい。
「俺は、一番端っこで」
「ダメだよ、修祐くん。修祐くんはここっ!」
佐奈江は強制的に、窓際から二番目の布団を指定する。
「佐奈江お姉ちゃん、あたし、ここ」
「修祐くんのお隣がいいんだね?」
佐奈江が確認すると、柚香はこくりと頷いた。柚香は、廊下に近い方の布団を指差したのだ。
「……」
修祐はどう反応すればいいのか分からなかった。
「わたし、窓際ね」
「あーん、私も窓際で修祐くんのお隣がいいっ!」
ヤスミンの希望に、佐奈江も譲らず。
「修祐お兄さん、わたしと佐奈江さん、どちらにお隣になって欲しいですか?」
「……えっ、えっと……」
修祐は返答に窮する。
「修祐くん、私だよね?」
「わたしですよね?」
佐奈江とヤスミンに腕を引っ張られる。修祐は今、両手に花の状態だ。
「あの、布団を、一列に並べるんじゃなく、山の字に敷けば、いいんじゃないかな? それで、俺が下側の一の字の部分に寝れば、みんな平等に俺の隣になるかと……」
「それはいいアイディアですね」
「修祐くん、天才! さすが淳高生だね」
修祐のとっさの思いつきにヤスミンと佐奈江は大賛成した。佐奈江が布団を並べ替え、事態はあっさり収まる。昨日までの配置の枕元に修祐の布団を横向きにして敷くという配置だ。
幸岡さんのお部屋、やっぱ女の子らしいな。甘いお菓子の香りもぷんぷんするし。
この部屋をよく見渡してみて、修祐はそんな第一印象を抱いた。
白地ピンクの水玉カーテン、本棚には少女マンガなどが合わせて二百冊ほど。学習机の周りには鯛焼き、お団子、羊羹、ケーキ、ドーナッツ、アイスクリーム、いちご、みかん、バナナなんかを模ったスイーツ&フルーツアクセサリー、ゆるキャラ系の可愛らしいぬいぐるみ、着せ替え人形、オルゴールなどがたくさん飾られてあり、女子高生のお部屋にしては幼い雰囲気だった。
「おやすみーっ、修祐くん」
「おやすみなさい、修祐お兄さん」
「……」
寮生三人がお布団に潜ったあとに、
「おっ、おやすみ」
修祐は長い紐を引いて電気を消してあげ、自身もお布団に潜り込んだ。
それから三〇分ほどして、
「……眠れない」
修祐は天井を見つめながら硬い表情で呟く。
寮生三人はもう、すやすや寝息を吐きながらぐっすりと眠っていた。
修祐が眠り付けたのは、布団に入ってから一時間半以上が経ってからだった。
ともあれ、修祐の鵙藤寮管理人体験初日の夜は静かに平和に更けていく。
☆
翌朝、午前六時半頃に自然に目を覚ました修祐は、まず自分のお部屋に向かい、実家から持って来た私服に着替えた。次に脱衣場へ向かい顔を洗ってから台所へ。
「おはよう、ございます。おばあちゃん」
先に起きて朝食の準備をしていた白割烹着姿のハルさんに、緊張気味に挨拶する。
ハルさんは、いつも五時頃には起きるそうだ。
「おはよう修祐ちゃん。昨夜はよく眠れたかい?」
「いやぁ、それほどは。朝起きたら、クースタスさんが俺の布団に潜り込んでいて、かなり焦りました」
修祐は一度あくびをしてから打ち明けた。
「ハッハッハ、あの子、一番しっかり者だけど、案外甘えん坊さんだからね。今でも一人じゃ寝られないんだよ。まだ柚ちゃんが来てない頃、佐奈江ちゃんが野外活動へ行っていない時なんか、おらといっしょに寝てたんよ。まあ、これからもあるだろうけど、そのうち慣れてくるさ」
ハルさんは大きく笑いながら言う。
「そうでしょうか? 俺は不安です。あの、おばあちゃん。俺も何かお手伝いしましょうか?」
「おう、やってくれるのかい。本当に修祐ちゃんはいい子だねえ」
「いえいえ」
修祐は謙遜した。
「そんじゃあ、これをつけてくれないかい」
ハルさんは黒の割烹着を手渡す。
「分かりました」
修祐はすぐに装着した。
「よう似合ってるよ」
ハルさんは優しく微笑みかける。
「そうで、しょうか?」
「修祐ちゃん、卵焼きは作れるかい?」
「まあ、一応は……」
修祐はそう言うと、調理台に出されてあった卵をボールに割り入れ、塩、コショウをまぶし菜箸でかき混ぜる。続いてガスコンロに火を付けて四角いフライパンにサラダ油を引き、溶き卵も垂らしていく。
「なかなかいい筋をしてるね、修祐ちゃん」
ハルさんは並行して他のメニューも作りながら、楽しそうに観察していた。
「いえいえ。俺、家庭科かなり苦手でしたから。調理実習の時も女子に任せきりで」
修祐はまたも謙遜する。
卵焼きは六人分完成させた。佐奈江のお弁当の分も作っているからだ。中学部では給食があるため、作る必要は無いとハルさんは説明する。
二人で協力して、出来上がったメニューの数々をお皿やお茶碗、お椀に盛り付け、ロビーにあるダイニングテーブルへと運んでいった。
ハルさんは文治郎の朝食メニュー、鯖の缶詰も蓋を開けて床に並べた。
ミャーォ。
すると蓋を開ける音に反応したのか、すぐさま文治郎が管理人室から飛び出して来て駆け寄って来た。文治郎が夜寝る時は、ハルさんと同じ管理人室にいるらしい。
食事と、お箸とスプーンも並び終えほどなくして午前七時、鵙藤寮での起床時刻となった。佐奈江のお部屋からヒンカラカラカラ♪ ヒンカラカラカラ♪ と駒鳥の鳴き声な目覚まし時計の鳴り響く音が聞こえてくる。
「佐奈江さん、起きてーっ!」
その音が止むと、すぐさまヤスミンの声がこだました。
「まだ眠いよぅ。あと一分だけでもぉー」
「ダメ、ダメ。柚香さんはもう起き上がってるよ。ほらっ!」
「あーん」
佐奈江がぐずっている様子が、ロビーからも分かった。
「確かにクースタスさん、しっかりしていますね」
修祐は感心する。
それから数分のち、
「おっはよう、修祐くん、お婆ちゃん」
「おはようございます。修祐お兄さん、ハルお婆さん」
「おはよー」
三人とも身支度を済ませてロビーにやって来た。
「おう、おはよう」
「おはよう、ございます」
ハルさんと修祐は挨拶を返す。みんなは昨日と同じ配置で椅子に座った。
「あっ、あの、菰池さんは、今日は、学校お休みなのかな?」
気になったことがあり、修祐は柚香に、少し緊張しながら初めて話しかけてみた。
「!! うっ、うん。中学部の二年生は、今日はお休みなんだ」
柚香はびくっと反応した。制服姿の佐奈江とヤスミンに対し、柚香は私服姿だったのだ。
「違うでしょ、柚香さん。修祐お兄さん、この子は今、不登校になっちゃってるの。一年生の二学期頃からほとんど教室へ行ってないのよ。二年生になってからは始業式の日に行ったきりで」
ヤスミンは困り顔で伝える。
「そうなんですか……」
修祐は訊いてはいけない事を訊いてしまったのだという罪悪感に駆られた。
「まあまあ、ヤスミンちゃん。柚ちゃんも時たまは保健室登校してるんだし。では、おあがり」
昨日の夕食時と同じくハルさんからの食前の挨拶があり、朝食タイムが始まる。
「柚香ちゃんも何とか教室まで行けるようになれるよう努力してるよ。そういや今日の卵焼き、いつもと少し味が違うような。お婆ちゃん、お塩多めに入れた?」
佐奈江はきょとんとした表情で突っ込んだ。
「今日の卵焼きは、修祐ちゃんが作ってくれたのさ」
ハルさんは伝える。
「まあ、ほんの、少しだけだけど……」
修祐は照れてしまったのか下を俯く。
「そうなんだ! 修祐くん、お婆ちゃんに匹敵するくらいすごく美味しかったよ。また作ってね」
「修祐お兄さん、ぜひともお願いします」
「うっ、うんっ」
佐奈江とヤスミンに褒められ、修祐の頬の赤みはより一層増した。
「それじゃ、お婆ちゃん、修祐くん、柚香ちゃん、文ちゃん、行って来まーすっ!」
「行って来ます」
佐奈江とヤスミンは午前八時頃に鵙藤寮を出た。ここから学校へは約一キロ、徒歩十五分ほどらしい。
「では食器洗いを始めるかね。修祐ちゃんは、脱衣場に置いてある洗濯物を洗濯機に入れて回してくれないかい?」
「はい」
修祐は返事をすると、足早に脱衣場へ向かっていった。
「あっ、あのう、おばあちゃん。ちょっと、困ったことが……」
しかし数十秒後、すぐに戻って来た。台所でお皿洗い真最中のハルさんに伝える。
「柚ちゃん、あとはやってくれないかい?」
「はーい」
柚香は笑顔で対応した。
こうしてハルさんも脱衣場へ。
「あれ、なのですが……」
修祐は洗濯籠を指し示す。
籠の中には、動物の絵柄がプリントされたものと、水玉模様のショーツが入れられてあったのだ。そして真っ白なブラジャーが二枚。さらに汗がいっぱいしみ込んだ夏用体操服上下も一着あった。それはヤスミンのものであることがゼッケンから分かった。
昨晩最初に風呂に入った修祐の洗濯物は、一番下に埋もれてしまっていた。
「ハッハッハ、修祐ちゃんも男の子だねえ。さすがに女の子の洗濯物はまずいかね」
ハルさんはそう言うと、寮生三人の他、修祐の分も合わせて洗濯物を両手で抱え込み、洗濯機の中へ入れた。そしてテキパキとした動作で洗剤を入れ蛇口を回し、スタートボタンを押す。
「ありがとう、ございました」
修祐はその手際の良さに舌を巻きながら、お礼を言った。
「こりゃ悪かったね。でもあの子達、きっと修祐ちゃんに触られること全然気にしてないだろうから、修祐ちゃんも堂々と触ればいいさ」
ハルさんは笑顔で言い張る。
「いえいえ、そのようなことは絶対出来ません」
修祐は照れくさそうに宣言した。
「紳士だねえ」
ハルさんは再び笑う。
同じ頃。
「おはようございまーすっ、幸岡先輩、ヤスにゃん」
通学路を進んでいた佐奈江とヤスミンは、茉子に挨拶された。面長でおでこが広く、ポニーテールに束ねたしなやかな黒髪が特徴的な子だ。
「おっはよー、茉子ちゃん」
「おはよう、茉子さん」
佐奈江とヤスミンは爽やかな声で返す。茉子と通学途中で会うことはわりとよくあることなのだ。
「ねえ、昨日新しい管理人さん来たんでしょ。幸岡先輩とヤスにゃんとユズちゃんのとこって、すごくこぢんまりとした寮だから賑やかになったんじゃない?」
「いや、ほとんど変わってないわ。財田修祐さんっていうお方なんだけど、おしゃべりな感じでもなかったので」
「そっか。身長はどれくらい?」
「一六〇センチ台半ばくらいかな」
「ワタシ一六四やからいっしょくらいかぁ。お歳は?」
「十五歳で高校一年生よ」
「そうなんや。幸岡先輩と同学年なんやね。肉食系か草食系かでいったら、やっぱ草食系になるんかな?」
「まあ草食系ね」
好奇心旺盛に尋ねてくる茉子の質問に、ヤスミンは淡々と答えていく。
「なんか純粋な人っぽい」
茉子は目をきらきら輝かせた。
「当たってるよ。修祐くんはとても純粋な人だよ」
佐奈江はにこにこ顔で言う。
「お会いしたいなぁ」
茉子は二人のお顔を交互に見つめ要求してくる。
「もちろんいいよ。ぜひ会いに来てね」
「わたしはべつにいいんだけど、修祐お兄さんがどう思われるかな?」
快く承諾した佐奈江に対し、ヤスミンは少し躊躇いがあった。
「やったあっ! おめかししていこっかなぁ」
それをよそに茉子は大喜びする。行く気満々な様子だ。
☆
八時五〇分頃、鵙藤寮。
脱衣場の洗濯機からピー、ピー、ピーと、終了を知らせるアラームが鳴り響く。
「修祐ちゃん、これをハンガーにかけてくれないかい?」
ハルさんは蓋を開けると寮生三人の下着類を中から取り出し、修祐の目の前にかざす。
「おっ、おばあちゃん、それは、ですね……」
修祐はとっさにそれから目を背けた。
「本当に純粋な子だねぇ。でも修祐ちゃん、これが触れないようじゃ、ここの寮の管理人は務まらないよ。気にせず触ってごらんよ」
ハルさんは修祐の目の前に近づけ、笑顔で勧めてくる。
「わっ、分かり、ました」
修祐は強い罪悪感に駆られながらも、恐々と手に掴んだ。
「――っ!」
瞬間、彼の心拍数は急激に上がった。ここの管理人候補になるまでずっと女の子とは無縁の人生を歩んで来た修祐にとって、刺激がかなり強過ぎたようである。
「顔、赤くなってるね」
ハルさんは笑顔のまま指摘する。
「そりゃ、なりますって」
修祐は機敏な動作でそれらをハンガーに吊るしていった。
その間にハルさんは寮生三人の靴下など他の洗濯物、自分の分と修祐の分をテキパキと吊るし終えていた。
このあと裏庭の物干し竿に掛けていく。もちろん柚香とハルさんも手伝ってくれた。
「今日はいい天気だねぇ」
ハルさんは澄み切った青空を見上げながら柔和な表情で呟く。
「そうですね。それに、けっこう、暑いです」
修祐はやや緊張気味に反応した。
「あっ! そろそろ始まる時間だ」
柚香はスカートポケットから携帯電話を取り出すや否やそう呟いて、裏庭からロビーへ駆け寄る。
ソファーに座り込むと、座卓上に置かれてあったリモコンを手に取りテレビのスイッチを入れ、チャンネルを合わせた。
テレビ画面左上には、8:59という表示。何かの番組のEDが流れている最中だった。それが終わり九時ちょうどになると、今度は乳幼児向けの教育系テレビ番組が始まった。
柚香は瞬きもほとんどせず、熱心に見入る。
「あのう、菰池さんは、こういう番組が好きなのかな?」
「うん! 大好き♪」
ロビーへ戻って来た修祐が話しかけると、柚香はえくぼ交じりの笑みを浮かべ、嬉しそうに答えてくれた。
「そっか。俺はこういう系の番組見たの、十年振りくらいかも」
修祐もソファーに腰掛け、視聴してみることにした。
*
たまには、こういうアニメもいいな。最近は深夜アニメばっかり見てて、こういう子ども向けの絵柄のやつは見なくなってたし。
十五分ほどの番組を見終えて、修祐はそんな心境に陥る。先ほどやっていた番組は、擬人化された果物や野菜やお菓子などが登場するクレイアニメだった。
「ねーえ、修祐お兄ちゃん」
「!! なっ、何かな?」
いきなり柚香に甘えるような声で話しかけられ、修祐は少し動揺した。
「あたしのお部屋に来て」
柚香は服をぐいっと引っ張ってお願いしてくる。修祐は招かれるままに柚香のお部屋へ足を踏み入れた。
出入口引き扉側から見て一番奥、窓際に設置されてある学習机の上はきちんと整理されていて教科書やプリント類、ノートはきれいに並べられていた。サンタクロースのお人形さんやビーズアクセサリー、クマやウサギ、コアラ、リスといった可愛らしい動物のぬいぐるみもたくさん飾られてあり、カーテンはピンク系の水玉模様。女の子のお部屋らしさが佐奈江のお部屋以上に感じられた。
本棚には幼稚園児から小学生向けの少女漫画誌や少女コミック、児童図書、絵本、アニメ雑誌、ラノベなどが合わせて二百冊以上は並べられてある。普通の女子中学生が好みそうなティーン向けファッション誌は一つも見当たらなかった。
「菰池さんは、読書が好きなんだね?」
修祐はお部屋を見渡しながら尋ねてみた。
「うん。読むのも大好きだけど……じつはあたし、趣味で小説を書いてるんだ。あたし、ちっちゃい頃から物語を作るのが大好きで」
柚香は俯き加減で、照れくさそうに打ち明けた。
「そっ、そうだったんだ」
修祐は意外に思ったようだ。
「おかしいかな?」
「いやいや、そんなことないよ。じつは、俺も……」
「えっ!? 修祐お兄ちゃんも小説書いてるの?」
柚香は目を大きく見開いた。
「うん、時々気が向いたら書いてる。ラノベの新人賞にも中学の頃一度だけ応募したことがあるよ。一次であっさり落選したけどね」
修祐が苦笑いして打ち明けると、
「そうなんだ。あたしの書いた小説、ちょっとだけ見せてあげるね」
柚香は満面の笑みを浮かべて、マイノートパソコンを立ち上げた。
「これ、先月の童話賞に投稿したやつ。エビさんと、天敵のタコさんが、仲良くなっていくお話なんだけど……」
マイドキュメントに保存されていたテキストデータを開き、照れくさそうに伝える。
「素敵なお話だね。とても面白いよ」
修祐は全ページ目を通してみて、率直な感想を述べた。
「ほっ、本当? お世辞じゃない?」
柚香は上目遣いで尋ねてくる。
「うん、俺にはこんなに良い作品は書けないから。菰池さんはすごい文才があるよ」
「ありがとう、修祐お兄ちゃん。あたしが小説書いてること、褒めてくれて嬉しい。学校ではバカにしてくる子も多かったから。修祐お兄ちゃんは、あたしの書いた小説を褒めてくれた小学校の時の先生に似てるの」
柚香はそう打ち明け、修祐の背中に抱きついた。
「そっ、そうなんだ」
修祐はちょっぴり焦る。
「あたし、お絵描きも大好きだよ」
柚香は続いて学習机の本棚からB4サイズのスケッチブックを取り出し中身を見せてくれた。ライオン、ゾウ、キリン、ウサギ、リスといった動物の絵を中心に、メルヘンチックに描かれていた。
「とっても上手だよ」
修祐はじっくり見て褒めてあげる。
「ありがとう、修祐お兄ちゃん」
柚香は急に照れくさくなったのか、スケッチブックをパタリと閉じた。
「修祐お兄ちゃんも絵、描くの好き?」
そのあと照れ笑い顔で質問してくる。
「うん、めっちゃ好きだよ」
修祐は爽やか笑顔で答えた。
「ますます嬉しいな♪ あたし、今度はラノベの新人賞に初めて応募するつもりなんだ。長編小説に初挑戦するの。まだ四百字詰め原稿用紙換算で、三百枚以上も書ける自信は無いけど。修祐お兄ちゃん、何かいいアイディアない?」
柚香はやや興奮気味に問いかける。
「うーん、ラノベにおいて学園物やファンタジーバトル物、退魔物、VRMMO物、異世界転移転生チーレム物はありふれ過ぎてるし、吸血鬼、ゾンビ、ドラゴン、ゴーレム、妖精、勇者、魔王魔女、亜人獣人、神様、生徒会、執事、探偵、メイド、アンドロイド、異星人美少女キャラなんかが登場するってのもまた使い古されてると思うし、主人公の設定も俺TUEEEな男子中高生で、ツンデレ風の幼馴染ヒロインと、やたらからんでくる男友達がいるっていうのは、定番過ぎると思う」
「確かにそうだよね。そういう設定は使わない方が無難だよね」
「いやぁ、そういうのがダメってことはないけど、似たタイプの作品が多いってことだから受賞するにはかなりハイレベルなクオリティが求められると思うなぁ。俺は独自性を強く出すことが重要だと思う。今までのラノベには見られなかったような、新しいタイプの作品を生み出すことが新人賞では有利になるんじゃないかな。主人公に関しても中高生向けだからといって中高生を主人公にしなきゃいけないっていう決まりはないと思うよ。まあ、その場合も読者が感情移入しやすい、共感を持てる、憧れを抱けるキャラクター像であることが大切だろうけど」
修祐は生き生きとした表情で楽しそうに長々とアドバイスしてあげた。
「つまり、斬新なアイディアを出して、今までに無いようなタイプの作品を書くことが、受賞への近道なんだね。九月末締切りのやつを目指して頑張るぞぉーっ!」
柚香は投稿用次回作に向けて考えを廻らせる。
「じゃ、邪魔にならないように、俺はこれで……」
「見ててもいいんだけど、気を遣ってくれてありがとう」
「いやいや、どういたしまして。頑張ってね」
修祐はエールを送って静かに柚香のお部屋から出て行き、自分のお部屋へ。
菰池さん、こういう一面もあるんだな。俺のこと嫌ってなくてよかったよ。俺と趣味も合うし、今後も嫌われないように気を付けなきゃな。
ホッとした気分で机に向かい、英語の課題プリントを片付け始める。
数分のち、彼のスマホ着信音が鳴り響いた。
「母さんからか」
修祐は三回目で通話アイコンをタップする。
『修ちゃん、管理人のボランティアは楽しくやれてる?』
「うん、管理人さんはとても良い人だし、寮生もみんなすごく良い子達ばかりだったから、めっちゃ楽めてるよ」
『この弾んだ声の調子だと、本当に楽しめてるようね』
母はホッと一安心して喜んでいるようだった。
☆
正午過ぎ。
「柚ちゃん、修祐ちゃん。お昼ご飯出来たよ。食べに来なー」
一階からハルさんの声がかかると、自室にいた修祐と柚香は同じようなタイミングでロビーへ降りていく。
ダイニングテーブルに、親子丼が三皿並べられていた。
向かい合って座った修祐と柚香、
「ではおあがり」
「いただきまーすっ!」
「いただきます」
ハルさんからの合図で箸を手に取り、食事を進める。
「あっ、菰池さん。ほっぺたにご飯粒が」
「あっ、いっけない」
修祐に指摘されると柚香は照れくさそうに呟き、自分の手で取った。
「柚ちゃん、いつも以上にいい笑顔だね。修祐ちゃんのこと、好きかい?」
「うん! 大好きぃーっ!」
ハルさんの問いかけに、柚香はとても嬉しそうに答えた。
「うぐっ……ケホッ、ケホッ」
修祐はむせてしまったようだ。
「修祐お兄ちゃん、大丈夫?」
柚香は修祐のお顔を覗き込んで、心配そうに尋ねる。
「だっ、大丈夫です」
修祐は苦しそうに答える。
「ハッハッハ」
ハルさんは微笑ましく修祐を眺めた。
ちょうどその時。
ピロピロピロリン♪ ピロピロピロリン♪
と、柚香の所有する携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「晶乃からメールだ」
件名を見て、柚香は嬉しそうに叫ぶ。
「お友達?」
修祐は尋ねてみる。
「うん!」
「柚ちゃんと、中学入った頃から仲の良い子だよ」
ハルさんは加えて説明してくれた。
柚香はわくわくしながらメールの中身を開く。
《やっほー、ユズカ (^_^) 元気? 今日、調理実習でカスタードプリン作ったよ♪》
画像も添付されていた。
《元気だよ、アキノ(*^_^*)》
柚香はすぐに返信した。
晶乃は毎日のように、柚香に学校であった出来事とかを伝えてくれるらしい。
《プリントけっこう溜まってるよ。渡したいから、今日遊びに行っていい? 新管理人さんにもお会いしたいし》
十数秒後、その子からまたメールが届く。
《もちろんオッケー(*^。^*)》
またすぐに返信した。
それからさらに数分後、
ルルルルルルルルゥ♪ ルルルルルルルルゥ♪
今度はロビー壁際設置の固定電話の着信音が鳴り響く。
「柚ちゃん、先生からだよ」
ディスプレイに表示された電話番号を見て、ハルさんは伝える。
「はーい」
柚香は嬉しそうに駆け寄り、受話器を手に取った。
「もしもし」
『あっ、菰池さん。先生よ、元気にしてる?』
「はい。とっても元気です」
『なんだかいつもよりいいお声してるね。そういえば確か昨日、新しい管理人さんが来たんでしょ?』
「はい。すごくいい人でした」
『それはよかったわね。先生もそのお方にご挨拶したいから、今日お伺いしてもいいかな?』
「はい。もちろんいいですよ」
『楽しみにしてるわ。じゃあね、菰池さん』
電話の相手は柚香の担任、池ノ谷先生だった。
「修祐お兄ちゃん、今日の夕方、晶乃と担任の池ノ谷先生が来るって」
受話器を置いたあと、柚香は修祐に向かってこう伝えた。
「なんか気まずいなあ。制服に着替えた方が良さそうだ」
「学校内じゃないんだから、そんな堅苦しい格好する必要は無いさ」
ハルさんはにこにこしながらアドバイスした。
「普段着のままの修祐お兄ちゃんでも十分格好いいよ」
「そっ、そうかなぁ」
柚香に称えられ、修祐は照れくさそうな表情を浮かべた。
□
昼食後、修祐はハルさんに呼ばれ談話室へ。ここも和室だった。十畳の広さで、大きな漆塗り長方形ちゃぶ台と、それを囲むように座布団が八つ敷かれてある。ちゃぶ台の上には比較的新しいノートパソコンが一台。
「修祐ちゃん、パソコンで家計簿を付けてくれないかい? 今までずっと手書きでやって来たけど、パソコンの方が便利だと思って、家計簿ソフトをインストールしてたんだよ。先月分と今月分だけでいいから、写してくれないかね」
ハルさんは機嫌良さそうに、これまで使っていた家計簿手帳を修祐に手渡す。
「それくらいなら、一応、出来ると思います」
修祐は自信なさげに答え、パソコン前の座布団に腰掛けた。
起動中のソフト表示画面に、家計簿手帳の数値を見ながら水道光熱費や日用品費、通信費、交際費、食費、寮生から徴収した家賃などの収入支出額を慎重に入力していく。最近はずっと黒字が続いている。提携寮にしたことで、学校などから助成金や寄付金などが支給されるようになったためだ。鵙藤寮では、寮生が一人でも入寮してくれれば黒字となり運営は十分成り立つらしい。
「おう、ばっちりじゃないか。やるねえ修祐ちゃん」
ハルさんはとても喜んでいた。
「いえいえ、それほどでも。俺の高校、普通科なので簿記の知識全くないですよ」
修祐は謙遜の態度を示した。
「こぢんまりとした寮だからお金もあまり動かないし、簿記の知識は特に必要ないさ。家計簿の記入は、これから修祐ちゃんに任せるよ」
「えっ! いいんですか? 高校生の俺なんかがこのような、寮にとって非常に重要な業務に携わってしまって」
「もちろんさ。修祐ちゃんはとっても優秀な子なんだから、もっと自分に自信を持ちなよ。次はトイレ掃除と裏庭の草むしりをしてくれないかね?」
「はい、分かりました」
ハルさんから次の作業を頼まれると、修祐は快く引き受けた。彼が入居したことで男女共用となったトイレに入ると、ウォシュレット機能付き洋式便器後ろの棚に置かれたウェットティッシュを手に取る。
「そんなに汚れてないな。俺もきれいに使わないとな」
便器周りを拭いていると、
「……これは、触らない方が絶対いいよな?」
扉側隅に置かれた白色のサニタリーボックスが否応なく視界に入ってしまう。
それは無視しておいて、引き続き便器周りの清掃作業を進めていく。便器の中へ洗剤スプレーをシュッシュとふりかけ、ブラシで黄ばみを擦って水を流した。
そのあとは台所の戸棚から軍手とゴミ袋を取り出し、裏庭へ。
「ん?」
雑草を抜いている最中、修祐はぴくりと反応した。木の陰からガサゴソガサゴソと物音がして来たのだ。
どっ、泥棒?
修祐はびくびくしながら、林へと恐る恐る歩み寄る。
そこにいたのは、全身がブラウンヘヤーに覆われ、四本足、扁平なお鼻をしていた野生動物。
「イッ、イノシシ!?」
正体が分かると修祐は仰天した。
イノシシは修祐の声に反応したのか、ピクッと反応し修祐の方を向いた。
そしてトコトコ追いかけて来たのだ。
「うわぁっ!」
修祐は時折後ろを振り返りながら、必死に逃げ惑う。
イノシシはフゥフゥ鼻息を荒げながら、修祐を追いかける。
修祐は大浴場を通り抜け、廊下を駆け抜けロビーの方へ。
イノシシもあとに続く。
「おや、修祐ちゃん」
ロビーの掃き掃除をしていたハルさんは、修祐の方を振り向いた。
「おばあちゃん、イッ、イノシシが……」
修祐は逃げ惑いながらすぐ後ろにいるイノシシを手で指し示す。
「おやまぁ、また遊びに来たのかい」
ハルさんは爽やかな笑顔だった。
「あっ、あの、おばあちゃん。なんとかして、いただけないでしょうか?」
修祐とイノシシはダイニングテーブルの周りを何週も走る。
「おらに任せな」
ハルさんは冷静に、竹箒をイノシシのお鼻目掛けて突きつけた。
イノシシはビクッと反応し、ピタッと動きを止めた。
「山へ帰りな」
ハルさんがそう命令すると、イノシシは理解出来たのかくるりとターンし、大人しくロビーから出て行き裏庭の方へ向かっていった。
「ハァハァハァ……あっ、ありがとう、ござい、ました。まさかイノシシが、出るとは」
修祐は息を切らす。彼の目は点になっていた。
「ここではイノシシなんて日常茶飯事さ」
ハルさんは豪快に笑いながら言う。
「イノシシにはエサをあげちゃダメみたいだよ。あたし、中庭の鯉さんみたいにあげたくなっちゃうけどな」
柚香は残念そうに呟く。
六甲山地の麓にあるこの場所では、イノシシの出没は珍しくないらしい。
修祐は、次に任された風呂掃除と花の水遣りも快くこなしていく。
全ての作業を終えた頃には午後四時を少し回っていた。
「修祐ちゃん、すまなかったねぇ。重労働させ過ぎてしまって」
「いえいえ、とても充実した作業でした。楽しかったです」
申し訳なさそうにしていたハルさんに、修祐は満足げな表情で伝えてソファーに腰掛ける。
その時、柚香もソファーに腰掛けていて、教育系の子ども向けテレビ番組を楽しそうに眺めていた。
ハルさんからおやつに振る舞ってもらった高級芋羊羹を、修祐は柚香といっしょに味わいながらしばしくつろいでいると、ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴らされた。
「はいはい」
ハルさんが玄関扉を開け、対応する。
「こんばんは」
「菰池さん、来たわよ」
二人の来客に、
「おやおや、いらっしゃい」
ハルさんは笑顔で出迎えぺこりとお辞儀した。
「いらっしゃーい!」
柚香はすぐさま立ち上がり、嬉しそうに玄関へ駆け寄る。
来客は、池ノ谷先生と晶乃であった。
「修祐ちゃん、こちらが池ノ谷先生だ。もう一人がお友達の晶乃ちゃん」
「ワタクシ、二年三組担任の池ノ谷佑実子と申します。はじめまして」
「はじめまして、アタシ、白阪晶乃です」
池ノ谷先生と晶乃は修祐の方を向いて自己紹介し、ぺこりとお辞儀した。
「はじめ、まして。俺、この度、この鵙藤寮の、新しい管理人を短期のボランティアで勤めさせていただくことに、なりました。財田修祐と、申します」
修祐は舌を噛みそうになりながら挨拶し、深々と頭を下げた。
「かなり若いお方で、とても誠実そうなお方ですね」
池ノ谷先生は修祐のことを褒めてくれる。四〇歳くらいの女性。小顔でぱっちりした瞳、濡れ羽色に美しく輝く髪の毛をフリルボブにしており、とてもお淑やかそうな感じのお方であった。
「いえいえ、そんなことは……」
修祐はいつもの癖で謙遜してしまう。
「このお方が新しい管理人さんかぁ」
晶乃は修祐のお顔をまじまじと見つめる。晶乃は柚香より五センチほど背が高く、丸っこいお顔をしていて、後ろ髪はピンク地白の水玉ダブルリボンでお団子風にまとめられていた。
「あっ、どうも」
修祐は軽く一礼する。
「クリエイターさんっぽさを感じます!」
晶乃は興奮気味に彼の第一印象を伝えた。
「そっ、そうかな?」
「そう思うでしょ? 晶乃。修祐お兄ちゃんはあたしや晶乃と同じで小説や絵、描いてるもん」
柚香は嬉しそうに伝える。
「そうなんですか! 趣味が合いますね」
「そっ、そうだね。でも俺、全然結果は出せてないし」
「アタシも同じですよ。小三の頃から童話賞や児童文学賞を中心に投稿しているんですけど、一次選考すら通ったことがなくって」
屈託ない笑顔でしゃべる晶乃を眺め、
めちゃくちゃかわいいな。
と、修祐は思った。晶乃から感じられる初々しさに惚れてしまったのだ。
「小説や絵の創作は先生もとても素晴らしい趣味だと思うわ。先生も何か書いてみようかしら。ところで菰池さん、課題はちゃんと仕上げてるかな?」
「はい。当然出来てます」
池ノ谷先生からの質問に、柚香は笑顔でそう答えると一旦自分のお部屋へ向かい、言われた物を取りに行った。
「宿題を提出させてるんですね」
修祐はちょっぴり感心していた。
「はい。公立校とは違い、中学でも退学処分となってしまいますので」
池ノ谷先生は不登校の柚香のために、各教科の問題集や課題プリントを提出させているとのこと。そのため柚香の学力は特に問題ないらしい。技術・家庭科、美術、音楽といった副教科の課題もさせており、定期テストは保健室で受けさせているとのことだった。
「はい、先生。どうぞ」
柚香は戻ってくると、池ノ谷先生に言われた提出物を手渡す。
「ありがとう。菰池さん、一時限だけでもいいから、出席してくれたら嬉しいな」
「教室内には、入りたくないです」
池ノ谷先生がそう伝えると、柚香は暗い表情を浮かべてしまった。
「そっか。ごめんね。それじゃ、先生はそろそろお暇致するね」
池ノ谷先生はちょっぴり寂しそうに挨拶して帰っていく。
晶乃はこのあと二十分ほど、ロビーで柚香といろいろおしゃべりしてから帰ったのであった。
それからさらに一時間ほどして、
「修祐お兄さん、ただいま」
「修祐兄さん、はじめましてーっ。ワタシ、ヤスにゃんの親友の、桃尾茉子でーす」
ヤスミンが、茉子を連れて帰って来た。
「あっ、どっ、どうも」
元気よく挨拶され、修祐はまたも緊張気味になった。
「おう! 修祐兄さん、さほどイケメンじゃないところがまた親しみやすいわ~」
茉子は目をきらきら輝かせながら修祐のお顔を見つめる。
「そうか?」
修祐は思わず視線を床に逸らした。
「茉子、失礼なことは言っちゃダメよ」
ヤスミンは軽く注意する。
「分かってまーす♪ 幸岡先輩やヤスにゃんの言ってた通り、すごく誠実でいい人そうやね。あのう、修祐兄さん、似顔絵描いてもよろしいですか?」
茉子は通学鞄からB4サイズのスケッチブックを取り出し、お願いする。
「べつに、かまわないけど……」
「よっしゃっ!」
修祐がちょっぴり戸惑いつつも承諾すると茉子は大喜びし、4B鉛筆も取り出した。スケッチブックを開き、4B鉛筆を走らせる。
三〇秒ほどのち、
「はい、完成しました。どうぞ」
茉子は描いていたページをビリッと千切り、修祐に手渡した。
「えっ、もう出来たの!? しかもかなり上手い」
修祐は自分そっくりな似顔絵を見て、驚き顔になった。
「茉子さんは美術部に入ってるの」
「あっ、どうりで。あの、お礼に、桃尾さんの似顔絵、描いて、あげよっか?」
「描いてくれるんっすか! ぜひお願いします」
茉子は嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。
こんなに喜んでくれるとは。とってもいい子だな。中学の頃、休み時間に美少女キャラのイラスト描いてたらキモがって来た教養低そうなビッチ臭の漂う女共とは大違いだよ。さすがクースタスさんのお友達なだけはあるね。
修祐は楽しげな気分で茉子のスケッチブックと4B鉛筆を借り、ササッと描いてあげた。
「ワタシそっくりや。修祐兄さんも絵ぇめっちゃ上手いっすね」
「まあ、俺、将来漫画家になりたいなぁっともなんとなく思ってて。新人漫画賞に投稿出来るようなレベルの作品を仕上げれたことは一度もないけど」
「ワタシと同じやね。めっちゃ親近感が湧くわ~。漫研か美術部入ってます?」
「俺、部活は入ってないよ。中学の頃もね。みんなでわいわいやるの苦手だし」
「そうなんすか。まあ気持ちは分かるなぁ。修祐兄さん、ありがとうございました。ほなまたお会いしましょう」
茉子は満面の笑みでお礼を言って、ここをあとにした。
「明るい子だね」
修祐は素の表情でコメントする。
「休み時間中はけっこううるさいよ、あの子」
ヤスミンは苦笑いしながら伝えた。
それから少し時間が流れ、午後六時ちょっと過ぎ。
「ただいまぁー。南京町でゴマ団子とシューマイ買って来たよー」
佐奈江が帰ってくる。部活動には入っていないが帰りに三宮や元町へ寄ってお買い物をしてくることもたまにあり、その時はいつもこのくらいの時間に帰ってくるらしい。
寮生の三人が帰宅したところで、ハルさんは夕飯を作り始める。
佐奈江が買って帰った食材もダイニングテーブルに並べられた。
こうして今日も夕食の団欒が始まる。
☆
夜九時頃。
「修祐くぅん、明日までに提出しなきゃいけない宿題がいっぱいあるの。手伝ってぇー」
佐奈江がげんなりとした表情を浮かべながら修祐のお部屋へ押し入って来て、こんな要求をしてくる。
「それは、かまわないけど」
修祐は快く引き受けた。
「私、数学の問題全然分からなくて。27ページの問い六から問い八までが宿題なの」
佐奈江は数学ⅡBの問題集の該当箇所付近を指で押さえる。
それほど難しい問題ではないな。
修祐はそこを眺めてみて、出来ると直感した。
数学Ⅱの、図形と方程式に関する問題であった。
修祐はシャープペンシルを手に取ると、佐奈江の数学用ノートに問題をすらすらと解いていく。基礎から標準レベルの問題を解くことはた易いことであった。
「すごーい。修祐くんは〝数学の達人さん〟だね」
「いやぁ、べつにそんなことは……俺以上に数学出来るやつ同じ学年でも十数人はいるし」
「次はこれ、数Bの小テスト、間違えた問題を全部直して提出になってるの。修祐くん、私二問しか合ってないから大変だよぅ」
続いて佐奈江はそのプリントと数B用ノートを取り出し、修祐に手渡す。
小テストは一問一点の十点満点だった。分野は数列に関するものだ。
佐奈江の取得した点数は、わずか二点。
これは、さっきよりも基礎的で簡単だな。
修祐は、佐奈江の使っている数B用ノートにすらすらと解答を記述していく。
「あのう、修祐お兄さん、あまり佐奈江さんを甘やかさない方が……」
ヤスミンもお部屋に入って来て口を挟んだ。
「それも、そうだね」
修祐はハッと気付き、手の動きがぴたりと止まる。
「あぁーん、ヤスミンちゃん、余計なこと言わないでぇ。修祐くぅん、お願ぁーい」
「分かった」
佐奈江にせがまれると、心優しき修祐は断り切れず問題の続きを解いてしまう。
「もう、修祐お兄さんったら」
その様子を目にしたヤスミンは困惑顔だ。
「ありがとう修祐くん。助かったよ」
数学の宿題を完成させたのを確認すると佐奈江は礼を言って、修祐の手を握り締める。
「いやぁ、これくらいは……」
修祐の頬は少し赤く染まった。
「佐奈江さん、数学が出来ないと後々本当に困るよ」
ヤスミンは忠告する。
「大丈夫だよ。私、二年生から文系クラスに進むし、大学は受験で数学使わない文系学部行くもん」
佐奈江はのほほんとした表情で主張した。
「それでも、数ⅡBまではしっかりと学んどいた方が絶対いいと俺は思うよ。急に進路変更したくなった時にも対応しやすいだろうし」
「修祐くんがそう言うなら……私、数学も頑張る!」
「修祐お兄さんのご意見は説得力がありますね」
ヤスミンは感心する。
「いや、俺、ごく普通のことを言っただけと思うけど……」
修祐は照れくささからか少し俯き加減になった。
「ねえ、修祐くん、次は古文の宿題やって。徒然草を現代語訳にするの」
佐奈江は国語総合の教科書と、古文用のノートをそんな修祐の目の前にかざした。
「こらこら佐奈江さん」
ヤスミンは笑顔で注意する。
「古文は、ちょっと……俺、国語は苦手科目だし」
佐奈江のこの要求には、修祐は表情を曇らせた。
「あーん、困ったよぅー」
「ごめんね。役に立て無くて」
「修祐お兄さん、謝る必要は全く無いですよ。佐奈江さんがご迷惑お掛けしてすみません。わたしがちゃんとやらせますから」
「わぁーん、修祐くぅーん」
佐奈江はヤスミンに腕を引っ張られ、ヤスミンのお部屋へと連れて行かれた。
☆
それから一時間ほどが経った頃、
「やっと解放されたよう。なんとか出来てよかった。修祐くん、いっしょに寝よう」
佐奈江はくたびれた様子でヤスミンのお部屋から出て来て、ヤスミンといっしょに自分のお部屋へ。昨日と同じ配置で四枚のお布団を敷いた。
「眠い、眠い」
ほどなくして柚香がやって来て、お布団に潜り込んだ。
「ヤスミンちゃんは、まだ寝ないの?」
「わたしはまだ、やることがあるので」
「じゃ、先におやすみヤスミンちゃん」
「おやすみー、ヤスミンお姉ちゃん」
「おやすみなさーい」
ヤスミンは笑顔でそう言って、自分のお部屋へ戻る前に、
「修祐お兄さん、ちょっとだけわたしとお付き合いしてくれませんか?」
修祐のお部屋へ立ち寄った。
「いいけど」
修祐は快く引き受けてあげる。彼がヤスミンのお部屋へ足を踏み入れたのは今回が初めてだ。学習机の上はきちんと片付いていて、備えの本立てと本棚には動物・昆虫・恐竜・乗り物・天体・植物などの図鑑や学習参考書、教養系の読み物が多数並べられてある。ドーラが学業優秀な理由が頷けた。机棚には日本固有種として知られるオオサンショウウオ、ムササビ、ニホンザル、ニホンカモシカ、ニホンイシガメ、ニホンザリガニ、モリアオガエル、ニホンライチョウ。計八体の精巧なフィギュアも飾られていた。黒竹や浜木綿などの和風な観葉植物も窓際にいくつか飾られていて、中央付近に置かれた漆塗り座卓上にはテレビゲーム機も。二四V型液晶テレビもそれと向かい合わせに配置されていた。
ヤスミンはテレビ下にある収納ケースを引き出す。中にはゲームソフトが五〇本くらい詰められていた。テレビゲーム機用と携帯型ゲーム機用両方あり、RPG、アクション、音ゲー、学習用、パズルなどなど様々なジャンルが揃えられてあった。
「こちらへどうぞ」
ヤスミンに招かれ、修祐はテーブル横に敷かれてある座布団に腰掛ける。
「クースタスさんはゲームが好きなんだね」
「はい。日本のゲーム、特にアクションとRPGが大好きです。ハルお婆さんも時たまテレビゲームをプレイされますよ」
「へぇ。意外だ。あのお齢で」
修祐は少し驚いたようだ。
「ボケ防止に最適だからだっておっしゃられてたよ。修祐お兄さん、これ、いっしょにやりましょう。先週発売されたばかりのやつなんです」
ヤスミンが取り出したゲームソフトのジャンルはアクションだった。テレビゲーム機にセットし、電源を入れる。
「いいけど」
俺こういうファミリー層向けのゲームやるの、小学校の時以来だな。
修祐は快く引き受けてあげ、コントローラを握る。
「難しいな」
4‐4面の半分くらい進んだ所で落とし穴に落ち、ミスしてしまった。
「わたしもこの面、全然クリア出来ないんですよ。でもそれが魅力的です」
このゲームを三〇分ほど楽しんだ後、ヤスミンは別のソフトに取り替えた。
セーブデータを選択すると、和菓子店内の画面が表示された。
「これは、RPGかな?」
「はい」
「なんか、変わってるね。和風だ」
「普通RPGって架空の世界を舞台にするものですけど、このRPGは現代日本が舞台で、町の名前や山とか川とか駅とかの名前なんかも実在のと同じですよ。敵キャラもご当地に関連したのが登場してて、わたし今、愛媛県松山市内を旅してるんですけど、いよかんとか野球拳の踊り子とか姫だるまとかじゃこ天とかがモンスター化されてたわ。手に入る回復アイテムも坊っちゃん団子とか一六タルトとか母恵夢とか、ご当地ならではの実在するものになってます。魔王とかドラゴンとか、エルフとか騎士とか亜人獣人とかゴーレムとか定番のものも出て来ないですよ。魔法も召喚獣も一切使えません」
ヤスミンは生き生きした表情で楽しそうに伝えてくる。
「それは斬新だね。面白そうだ。俺、地理けっこう好きだし」
「わたし、剣と魔法がメインでファンタジー色の強い架空の世界が舞台な、ありきたり過ぎるRPGはあまり好きではないんです」
「そうなんだ。あの、クースタスさんが鵙藤寮に入った理由って、やっぱ和風な造りに惹かれてなのかな?」
「はい、それが一番の理由です♪ 展望台の和菓子を模ったあずまやは特に感激しました。それと、ハルお婆さんの人柄にもとても惹かれました。星菖を選んだのも、校舎や中庭が和風だったことに惹かれたからです。今や日本でもほとんど見かけなくなってしまった和式トイレも一部備えられていることにも魅了され、わたし、学校で用を足す時はいつも和式の方を使ってます。ところで、修祐お兄さんは、体育は、苦手ですか?」
「うん、かなり苦手だな。この間のスポーツテストの結果、全部平均以下だったし。通知表も中学時代は5段階の2しか取ったことがないよ」
「そうでしたか。わたしも体育大の苦手なんです。期末の保体のペーパーテストではいつも満点近く取ってますけど、実技はどうしてもダメなんです。気が合いますね」
ヤスミンは嬉しそうににっこり微笑む。
「そっ、そうだね」
修祐は少しだけ照れてしまった。
「中学の頃、体育の授業で習った剣道も全くダメでした。わたし、日本文化は好きですが武道は馴染めないです。相撲とか、見るのは楽しいのですが。佐奈江さんと柚香さんも体育苦手みたいですよ。その柚香さんのことなんだけど、わたし、学校行ってないこと、すごく心配で。小学校の時にいじめられて、みんなと同じ中学に行きたくないから、私立の星菖を受験したってわたしや佐奈江さん、ハルお婆さんに泣きながら話してくれたの。けど柚香さん、そこでもやっぱりクラスに馴染めなかったみたいで、不登校になってしまって」
ヤスミンは困惑顔で話題を切り替えた。
「中学生くらいの年頃の人間関係は複雑だからね。まあ、行きたくなければ、無理して学行く必要は、ないんじゃ、ないかな。勉強は独学でも出来るし」
修祐は若干緊張しているのか時々言葉を詰まらせながら意見を述べる。
「でも、やっぱり行かないよりは、行った方が絶対いいと思うの。わたしも小四の時に日本の学校に転校した時は、やんちゃな男の子にからかわれて、学校行きたくないなって思ってた時期があったから、柚香さんの気持ちはよく分かるんだけど……月に一、二回程度、二、三時限目の時間帯に保健室に登校して、ちょっとだけ過ごしてるみたいだけど、やっぱり教室でみんなといっしょに授業を受けて、学校行事に参加してもらいたいなって思うの」
「確かに。学校行事はその時しか体験出来ないからね。まあ、でも、白阪晶乃ちゃんっていう、仲の良いお友達もいるようだし、あまり心配することは無いと思うよ。学校の課題もきちんと仕上げているみたいだし。俺なんかプライベートでしょっちゅう付き合うような親友なんて一人もいないよ。学校にいる時だけちょっと会話する程度のものだよ。菰池さんのことだけど、保健室登校の回数を少しずつ増やしていくとかして、やがて教室へ入れるようになれればいいんじゃないかなっと、俺は思う」
「確かにいきなり教室へ入れというのは、柚香さんには酷ですね。でも、二学期までにはちゃんと教室へ入れるようになって欲しいなって、わたしは思うよ」
二人はそんな会話を交わしたあと、このゲームを一時間ほどプレイしたのであった。
「あっ、もう0時半過ぎてますね。修祐お兄さん、夜分遅くまでお付き合いして下さり、誠にありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして」
二人はゲームとお部屋の電源を切って佐奈江のお部屋へ向かい、静かに布団に潜る。
それから三分ほど後、
「あの、修祐お兄さん。起きてますかー?」
ヤスミンがまた、話しかけて来た。
「うん。何かな?」
修祐はすぐに応答する。
「一つ大事なことを言い忘れてました。ハルお婆さん、修祐お兄さんがここに来てくれたこと、すごく嬉しがってたよ」
「そうか。それは、光栄だな」
「ハルお婆さんにとって、修祐お兄さんは宝物のような存在だとおっしゃってましたから」
「俺が!?」
「はい。それには、ある理由があるからなんだそうです」
「どういった、理由なんだろ?」
「ごめんなさい、わたしも分からないです。でも、今年ももうすぐやって来る、あの日に教えてくれるそうです。では、修祐お兄さん、おやすみなさい」
「おっ、おやすみ」
ヤスミンから暗に伝えられた事、修祐は当然のように気がかりになった。




