第一話 謹慎食らっておかげさまで異国情緒もありの和風旅館へご招待!?
きっかけは五月下旬のある日、古文の授業中にうっかり鳴らしてしまった、たった一回のスマホ着信音だった。
「やばっ」
張本人、財田修祐は慌てて通学鞄から取り出し、すぐにアニソン着メロを止め電源を切ったものの、
「出しなさい」
教科を受け持つ三十代後半の女性教師に険しい表情で詰め寄られ一時没収され、職員室に呼ばれた挙句、一週間の謹慎処分を食らってしまったのである。
そんなわけでその日の放課後、夕方四時頃。親友のほとんどいない修祐は独りで不愉快な気分で帰り道を歩き進んでいくのだった。
よりによって独身拗らせていつも不機嫌そうにしてる、あの気難しいおばさんの時だったのはついてないなぁ。学年成績上位層な俺を謹慎処分にするなんて、酷い先生だよ。担任だったら軽い注意だけで済んでたはずなのになぁ。ML文庫もあの時間帯にメルマガ送って来なくても。
俯き加減でこんな不平不満を心の中で呟いていたら、
「いっ、てぇぇぇーっ!」
街路樹の枝にぶつかってしまい、額にジンジン痛みが走る。さらにその振動からか、この木の上からある物体が落下し彼の脳天をコツンッと直撃した。
「あいたぁっ!」
泣きっ面に蜂かよ。いったい何が落ちて来たんだ?
なんとも惨めな修祐は涙目で地面に目を遣る。そこにはなんと、いちごキャラメルのたくさん詰まった四角い菓子箱があった。ピンク色が目立つ可愛らしい柄だった。
なんでこんなものが木の上にあったんだ!?
修祐はそれを拾い上げ、怪訝な表情で見つめる。
次の瞬間、彼の身に予期せぬことが起きた。
「親切なお兄さん、ありがとうございます。私、さっきそのキャラメルちゃんを食べようと箱を開けようとしたら、カラスさんにパクッとくわえられていっちゃったんですよ」
いきなり背後から一人の女の子に、ゆったりとした口調で声をかけられたのだ。
「えっ、俺!?」
修祐は恐る恐る後ろを振り向く。そこにいた子は面長ぱっちり垂れ目、細長八の字眉、ほんのり栗色な髪を和風なアジサイ柄のシュシュで二つ結びに束ね、肩にかかるくらいまで下ろしていたのが特徴的だった。少し痩せ型で、服装は胸ポケットの付いた白地長袖ワイシャツに、えんじ色チェック柄スカート。移行期間中の制服姿と思われる。
「こんにちはーっ、はじめまして。私、星菖女子高等学校一年の幸岡佐奈江って言います。あのっ、藪から棒ですが、もしよろしければ、あなたのお名前聞かせてくれませんか?」
その佐奈江と名乗った子は修祐に顔を近づけ、にこやかな表情で問いかけてくる。修祐は緊張からか額から冷や汗がつーっと流れ出た。ドクドクドクドク心拍数も急上昇する。
「おっ、俺の、名前は、財田修祐、だけど……」
修祐は言葉を詰まらせながら思わずフルネームで答えてしまった。
「修祐くんっていうんですね。シュークリームが食べたくなっちゃうお名前ですね」
佐奈江は不○家のペ○ちゃん人形のように舌をぺろりと出した。
「……」
修祐はどう反応すればいいのか分からず戸惑ってしまう。
「修祐くん、キャラメルちゃんを救って下さり、本当にありがとうございました。私の大好物なんです、特にいちご味は」
佐奈江はにこやかな表情のまま、修祐が右手に持っていたキャラメル箱を掴み取る。そしてそれを肩に掛けていた通学鞄に仕舞った。
「どういたし、まして」
なんだ、この不思議な子は?
修祐はただただ呆然と立ち尽くす。
「その制服、淳緑高校、淳高のですよね?」
「うっ、うん。そうだよ」
「やっぱり♪ ますます気に入っちゃいました。何年生ですか?」
「いっ、一年」
「私と同学年ですね。あのっ、修祐くん。私から、ちょっとお願いしたいことがあるの」
佐奈江は急に真剣な眼差しになり、学ラン姿の修祐の目をじっと見つめてくる。
「なっ、何かな?」
修祐の心拍数はますます高まった。
佐奈江はちょっぴり俯き頬をほんのり赤らめて、すぅと息を大きく吸い込んだ。
そして、
「修祐くん、私、あなたに一目惚れしちゃったの。真面目そうで誠実そうで、賢そうで心優しそうなところに、すごく好感が持てたの。あのっ、これからいっしょに暮らして下さいっ!」
周囲に響き渡る大きな声で、なんと修祐に告白して来たのだ。
「えっ!? いっ、いっしょに、暮らしてって……」
修祐は当然のごとく動揺の色を隠せなかった。
「今から修祐くんを、私のおウチへご案内しまーすっ!」
「うわっ!」
そんなことはお構いなしに、佐奈江は右手をぎゅっと握り締めてくる。マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、修祐の手のひらにじかに伝わって来た。
「こっちです、こっちです」
「わっ、わわわわわ、ちょっ、ちょっと」
修祐は佐奈江にグイグイ引っ張られていく。
佐奈江の背丈は一五〇センチ台後半くらい。今年四月の身体測定時で一六四.三センチだった修祐よりも小柄だが、彼は完全に力負けしてしまっていた。
「あっ、あの、手を、離してくれないかな?」
「嫌です。せっかく出会えたのに。絶対離しませんっ!」
佐奈江は修祐の方を振り返りながらそう告げて、修祐の手をさらに強く握り締めた。
「そっ、そんな……」
下手に抵抗して痴漢だとか叫ばれでもしたら非常に困る、と危機感を抱いた修祐は佐奈江にされるがままにされるしかなかった。
ここは神戸市内とある文教地区の一角。
あれよ、あれよという間にマルーンの車体で知られる阪急電鉄の踏切を通り抜け、さらに北の方角へ。急な坂道を駆け上がりつつ閑静な住宅街を走り抜け、青々とした木々に囲まれた五十段ほどの緩やかな石段を駆け登らされ、ついには山がすぐ背後に迫った所まで連れて行かれた。
「ここでーす。私のおウチ♪」
佐奈江はようやく手を離してくれる。
「……りょっ、旅館?」
修祐はゼェゼェ息を切らしながら、彼のすぐ目の前に聳える建物を見上げた。
外壁は白漆喰塗り杉板張りで、出窓も見受けられる。屋根瓦は抹茶色。高級感漂う三階建て近代和風建築だった。
「立派な建物でしょ。さあ、修祐くん。どうぞこちらへ」
「わわわ」
修祐は再び佐奈江に右手を握り締められ、ズズズッと引っ張られていく。
「ただいまーっ!」
佐奈江は横開きの玄関扉をガラガラッと引くと、元気よく帰宅後の挨拶をした。
「おかえり、佐奈江ちゃん」
数秒待つと、奥から一人のお婆さんが現れた。
「お婆ちゃん、この淳高の男の子を、新しい管理人さんにしよう!」
佐奈江は修祐の右手を握り締めたまま、元気な声で伝える。
「へっ、へっ!?」
修祐は目を大きく見開いた。
「佐奈江ちゃん、そちらのお兄さん、かなり動揺してるよ。事情はちゃんと説明してあげたのかい?」
お婆さんはにこにこしながら二人のいる方へ歩み寄ってくる。
「あっ、いっけなーい私ったら。ごめんね修祐くん」
佐奈江はてへっと笑う。
「あっ、あの、ですね……」
修祐は棒立ちのまま、口をパクパクさせていた。
「お兄さん、修祐ちゃんって名前なのかい。汗ようけかいとるね。きつい坂上って来て疲れたろう? ちょっと休憩していきな」
お婆さんに手招かれる。
「いっ、いえ。その、俺は……」
修祐は慌て気味に断ろうとした。
「修祐くん、上がって、上がってーっ!」
「わわわわわ」
しかし佐奈江にまたも右手をぐいっと強く引っ張られ、無理やり上がらされてしまった。
修祐と佐奈江は玄関先で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
目の前はロビーとなっていた。
「修祐ちゃん、佐奈江ちゃん。ここへお座り」
お婆さんに案内されたのは玄関入って左側に見える、高級感ある桐座卓をコの字型に囲むように抹茶色のソファーが並べられてある場所。座卓のすぐ横には四六V型液晶テレビも置かれていた。右側には食事スペースなのか、わりと大きめの漆塗りダイニングテーブルと、それを囲むように木製椅子が六つ並べられてあった。
ソファーに修祐と向かい合うようにお婆さん、修祐のお隣に佐奈江が座る。
「修祐くん、こちらのお婆ちゃんのお名前は波々伯部ハルさん。お歳は九三歳だよ」
佐奈江は自慢げに紹介した。
「はじめまして、修祐ちゃん」
ハルさんは修祐に優しく微笑みかける。このお方は髪の毛こそ綿菓子のように真っ白であったが、顔にはあまり皺は無く背筋もぴんと伸びていた。身のこなしも機敏で声も元気溌剌としており、とても九三歳とは思えない若々しい風貌だった。
「はっ、はじめ、まして」
なんだよ、これ。新手のキャッチセールスか? だったら早く逃げないと……。
修祐はおどおどしながらも、ぺこりと頭を下げた。
「お客様ですかー?」
奥からもう一人、中学生くらいのヨーロッパ系外国人だろう女の子が現れた。三人のいる方へ歩み寄ってくる。
「そうだよ、修祐くんっていうの」
佐奈江は嬉しそうに伝えた。
この女の子の背丈は一五〇センチ台前半くらい。卵顔でおでこが広く、グリーンの瞳に縁無しのまん丸な眼鏡をかけていた。髪の色はクリーム色。和風な桜の花のチャーム付きりぼんで三つ編み一つ結びにしていて、見た目から優等生っぽさが感じられた。
「いらっしゃいませ、修祐お兄さん」
「あっ、どうも」
爽やかな笑顔で挨拶され、修祐は頭を少し下げて会釈した。
「修祐ちゃん、礼儀正しいねえ」
ハルさんは感心する。
「いえいえ。俺、それほどでは……」
修祐はすぐに謙遜した。
「修祐ちゃん、学ランは暑かろう? 脱いでリラックスしな」
ハルさんは笑顔で勧めてくる。
「いっ、いえ。俺、これでちょうどくらいですから」
本当は暑いけど、いざという時に逃げにくくなるからな。
修祐は警戒して、身に着けていた制服の冬服学ランを外そうとはしなかった。学校指定の通学鞄も左手に持ったままだった。
「どうぞ」
女の子がハーブティーと炭酸せんべいを座卓に運んで来てくれた。修祐の目の前にコトンと置く。
「あっ、ありがとう」
あとで高額請求されたりしないだろうな。
修祐は礼を言うもそんな不安がよぎり、手をつけようとはしなかった。
「わたし、ヤスミン・クースタスと申します。オーストリア出身です。私立星菖女子中学の三年生で、理科部と茶道部とかるた部に所属しています。日本語は三歳の頃から習っていまして、漢検準一級と日本語能力検定N1持ってます。わたしの日本語能力は一般的な日本人中学生よりも高い自信がありますよ」
この女の子はヤスミンというらしい。ちょっぴり照れくさそうに自己紹介をしたあと、ハルさんのお隣に腰掛けた。
「きみも、この旅館に住んでるの?」
修祐は恐る恐る質問してみた。
「はい。わたしと家族は五年前の三月に故郷から京都に移住し、わたしは中学に入学した時から家族と離れてここに住むようになりました。ここは、今は旅館ではなく星菖女子中学校・高等学校の生徒寮として利用されてるの。全校生徒一四〇〇名くらいいるうち二割程度が寮に入ってますよ。ただ、みんな同じ寮というわけではなく、いくつかの提携寮に分散させているんです。ここ『鵙藤寮』のようにこぢんまりとした寮から、百名以上収容出来る大きな寮までいろいろありますよ」
「そっ、そうなんだ」
ヤスミンの説明で、修祐は腑に落ちたようだ。
「そんで、おらがこの鵙藤寮の現管理人なのさ。修祐ちゃん、おら、見ての通り高齢だろ? 卒寿もとっくに過ぎていつポックリいくか分かんねえから、管理人の後継者となる若い子を探してたのさ。まあ、おらもまだまだ引退しないけど。少なくとも百まではね」
ハルさんはにこにこ笑いながら言う。
「お婆ちゃんは十五歳以上から七〇歳くらいまでの人を募集してたんだよ」
佐奈江は説明を加えた。
「学校のホームページに、求人広告を出そうかと思ってたとこなのさ」
ハルさんはさらにこう伝えた。
「そうなん、ですか」
修祐はぽかんとなる。
ミャーォ。
突如、奥からネコの鳴き声も聞こえて来た。
ほどなく四人の前に姿を現す。
白、黒、茶、三色の毛並み。三毛猫だった。佐奈江の方へとことこ駆け寄ってくる。
「この子は鵙藤寮のペットでマスコット的な存在の文治郎っていうの。私は文ちゃんって呼んでるよ。メスだけど文治郎、男の子の名前みたいで面白いでしょ。お婆ちゃんが子どもの頃大人気だった、お相撲さんの名前から取ったんだって。今四歳だよ」
佐奈江は嬉しそうに紹介する。
その文治郎と名付けられた三毛猫は、佐奈江のお膝の上にちょこんと乗っかった。佐奈江は頭を優しくなでてあげる。
「三毛猫は、ほぼ百パーセント、メスだよな」
修祐は的確に突っ込んだ。
「オスの三毛猫なんて、おらも九〇年以上生きて来たけど一度たりとも見たことねえな。ここは旅館として大正時代から長年経営してたんだけど、震災で一度全壊したんだ。建て直したさい元の姿を再現したんだけど、客足が震災以前に比べると大幅に減ってしまって経営が苦しくなってね。そんで、平成十年度からは星菖女子の提携寮として使うようになったのさ」
ハルさんはこの寮の沿革を簡潔に語る。
「震災って、阪神淡路大震災のことですね。俺がまだ生まれる前だな」
「あの日はたまたま休館日にしてて、宿泊客がいなかったのがまだ幸いだったよ。ところで修祐ちゃんは、あの伝統名門の淳高生なんだってね」
「はい。あの、じつは俺、本日一週間の謹慎処分食らっちゃって」
ハルさんから突然された質問に、修祐は正直に答えたあと俯き加減で打ち明けた。
「おやま、そうだったのかい、なら一層好都合じゃあないか。どんな理由でなんだい?」
「授業中に、うっかりスマホの着信音鳴らしちゃって。俺の高校、めっちゃ校則厳しいからそれだけでも謹慎処分事由になっちゃうんです」
「そうかい、そうかい。そんな理由でかい。おらもそうじゃないかって思ったよ。淳高の校則が非常に厳しいことは大昔から有名で、真面目で品行方正な子でも謹慎・停学処分になるのは珍しくないってこと、おらもよーく知ってるよ」
ハルさんはにこにこ微笑む。
「そうなんですか……」
修祐はちょっぴり唖然となる。
「おら、修祐ちゃんを喜んで採用するよ。まさに求めていた人材ぴったりだ」
ハルさんはにっこり笑いながらおっしゃった。
「えっ…………えええええええええええええええっ!!」
すると修祐は目を白黒させ驚愕の声を上げた。
「とりあえず、一月くらい試しに管理人体験をしてみないかい?」
ハルさんはとても嬉しそうに誘いかけ、修祐の肩をポンッと叩く。
「あの、それって、俺を、ここの旅館、ではなく寮の管理人として、雇うということ、なんです、よね?」
修祐は唇を震わせながら、言葉を詰まらせながら質問する。
「その通りさ。住み込みでね」
ハルさんはにこやかな表情で告げた。
「……ってことは、俺も、ここで、暮らせということなんですか?」
修祐はきょとんとなった。
「おう、鵙藤寮はかわいい子満載だよ」
ハルさんは笑いながら答える。
「修祐くん、鵙藤寮の新しい管理人さんになって、なってーっ」
「わたし、修祐お兄さんなら大歓迎ですよ。あの名門の淳高生ですし、かなり真面目そうなお方ですし」
佐奈江はもちろんのこと、ヤスミンもそれを強く望むような言葉をかけた。
「今日は木曜かいね。引越しの準備もあるだろうし、修祐ちゃん、ご両親の許可が取れたら、来週月曜から来てくれないかい?」
「えっ、あっ、はい」
修祐は思わず承諾の返事をしてしまう。
「やったぁ♪ 修祐くん、寮生はもう一人いるよ。中学二年生の菰池柚香ちゃんっていう子、呼んでくるね」
佐奈江はそう伝えると、ロビー隅にある昔ながらの箱階段を駆け上がり二階へ。
「柚香ちゃん、あの男の子が新しい管理人さんになってくれるよ。お顔見せてあげて」
「……」
佐奈江がお部屋の出入口を引いてこう叫ぶと、柚香という子はお部屋から出て来て、階段の所からロビーに向けてぴょこっとお顔を出す。無言のままぺこりと頭を下げて、すぐにお部屋へ戻っていった。
あの子か……。
修祐はその子と一瞬だけ目が合った。一五〇センチに届かないだろう小柄さ、丸っこいお顔とくりくりしたつぶらな瞳。ほっそりした体つきで、墨色の髪を水色リボンでポニーテールに束ねていたことが確認出来た。
「柚香ちゃんは人見知りの激しい子なの」
ロビーへ戻って来た佐奈江は手短に紹介する。
「あの、そのような、繊細な子がいるのに、俺のような、今日初めてここを訪れた者が管理人をして、大丈夫なのでしょうか?」
修祐は不安げに問うた。
「大丈夫だよ、修祐くん」
「柚香さんは、きっと修祐お兄さんのことを気に入ってくれると思いますよ」
佐奈江とヤスミンは自信たっぷりに言う。
「修祐ちゃんなら、柚ちゃんとも絶対上手くやっていけるさ」
ハルさんも同じく。
「そうで、しょうか? あっ、そういえば俺の高校、アルバイト原則禁止なのですけど」
修祐は不安そうな表情を浮かべた。
「今はそうなってるのかい。ならボランティア活動としてやったみたらどうかね?」
ハルさんは優しく微笑みかけた。
「そう、ですね。ボランティア活動は推奨してるみたいなので、学校と両親から、許可が取れれば」
「修祐くん、上手く説得してね♪ 健闘を祈るよ」
「うっ、うん」
佐奈江にウィンク交じりでお願いされ、修祐はよく考えずに引き受けて良かったかなっと感じたようだ。
*
「こんな場所だったんですか。俺んちから三キロないくらいだな。では、失礼します」
修祐はこのあとハルさんから鵙藤寮の見取図、アクセスマップ、仕事内容の説明などが記載された書類を受け取り、ここをあとにした。
まさか、こんなことになるとは……人生何が起こるか分らないものだな。寮生も女子寮モノの漫画に高確率で出てくる俺の苦手なビッチ系や酒豪で気の強い姉御肌の子がいなくて、俺好みの垢抜けない純真無垢な感じの子ばかりだったし、管理人体験やってみたいなって感じたよ。
修祐はこれまで十五年と数ヶ月の人生の中で最高とも言える高揚感を味わいながら、徒歩で自宅へ帰って行く。
☆
「ただいま」
夕方六時半過ぎ、修祐は鵙藤寮から四〇分くらいかけて自宅に帰り着くと、
「おかえり修祐、不良行為で謹慎になったわけじゃないんやから、気にしなさんなよ」
母が慰めの言葉をかけてくれた。
「うん、あの、母さん、父さん。俺、女子生徒寮の管理人やらないかって誘われたんだけど……」
修祐はそのあとすぐに恐る恐る両親に報告する。
「えっ!? どういうことなの?」
「女子生徒寮の管理人?」
両親は目を丸くしたが当然の反応だろう。
「帰る途中に、俺と同じ学年の女子高生にここに誘われて、それで……」
修祐はそう伝え、私立中高一貫校の理科教師である父にハルさんからいただいた書類を手渡した。
「本当に生徒寮の、管理人をするのか!?」
父はけっこう驚いていた。
「来週月曜からボランティアで一ヶ月ほどやってみないかって。この鵙藤寮っていう寮、星菖女子中・高の提携寮の一つみたい」
修祐がそう伝えると、
「星菖!? そこってなかなかの名門校じゃないか。そこと提携してる生徒寮なのか。危ない所じゃないし、誘われたんならやってみたらどうだ」
父の表情に笑みが浮かんだ。
「生徒寮の管理人って、高校生でも出来るの!?」
「現管理人の波々伯部ハルさんっていうお婆さんが大丈夫だって言ってた」
「修ちゃんはそのボランティア、やってみたいの?」
「うん、まあ。評定も上がって大学受ける時、推薦で有利になりそうだし」
「修ちゃんにやる気があるんなら、母さんは許すけど。でも寮の管理人さんって、生徒達の相談相手とかにもなってあげんといかんし、対人能力が相当いるでしょ。人付き合い苦手な修ちゃんが出来るわけないと思うわ」
母はかなり心配になったようだ。
「まあ母さん、ここを見ると修祐にとって良い社会勉強になるかもしれないじゃないか」
父は柔和な笑顔で言う。仕事内容が説明されてある書類には求める人物像:品行方正、素直で正直者、誠実、地道な努力を怠らず真面目で心優しい人。と書かれてあった。
まさに修祐のことだ、父は感じたのだ。
私立星菖女子中学校・高等学校は、父が勤めている学校のライバル校らしい。入学難易度も同じくらいではあるが、父の勤めている学校はスポーツ万能な活発系、星菖の方には真面目で大人しい文化系の子が多く集まる傾向にあるという。
そう聞かされた修祐は、より期待感が高まった。自室に入るとさっそくスマホで鵙藤寮の電話番号に連絡する。
『それはよかったよ。修祐ちゃんの学校にもおらの方から事情伝えておくから。じゃ、月曜日にね』
最初に出たハルさんと、
『修祐くーん、楽しみに待ってるからねーっ!』
続いて代わった佐奈江も大喜びしてくれた。
女の子にこんなに嬉しがられたのは生まれて初めてだよ。
修祐は電話を切ると、ちょっぴり感激しながらベッドに寝転がり、
けっこう広いんだな。
鵙藤寮の見取り図を確認する。
玄関があるのは南側。寮の一階、ロビーの奥には北に向かって廊下が伸びており、西側に台所と談話室、東側に共同トイレ、管理人室、書斎が南側から順に並んでいる。
廊下をさらに奥へ進むと両サイドに中庭が見えて来て、そこを十五メートルほど突き進むと平屋建ての別館へ辿り着く。そこは大浴場となっていた。
客室は本館二階と三階にある。各階四屋ずつの全八屋。どのお部屋も広さ十畳ほどの和室だ。寮生三人は二階の客室を利用しており、佐奈江が201、ヤスミンが202、柚香が203号室。生徒寮といえば相部屋がイメージされるが、ここでは珍しく一人一部屋ずつ用意されていた。
鵙藤寮の外観は大正三年【一九一四年】の旅館創業当時からほとんど変わりないものの、建て直すさい、建物の一部を旧来の木造から耐震性の強い鉄筋コンクリート造りに変えたらしい。
☆
午後八時頃、鵙藤寮。
「修祐くん、早く来ないかなぁ。楽しみだなぁ」
「とっても誠実で心優しそうな人だったわね。わたしも一目で気に入っちゃった♪」
佐奈江とヤスミン、そして柚香も、大浴場の湯船にゆったり足を伸ばしながらくつろいでいた。浴室には、一度に二〇人ほどは入れる大きな檜風呂が備え付けられてあるのだ。
「柚香ちゃん、新しい管理人さんになってくれる修祐くん、すごく良さそうでしょ?」
「……分かんない」
佐奈江の問いかけに、柚香は困惑顔でこう答えた。
※
「アイス、アイス。これからはアイスが美味しくなる季節だねえ」
佐奈江は風呂から上がり脱衣場で体を拭くと、そのまま台所に駆け込み冷蔵庫の前へ。中から抹茶味のアイスキャンディーを取り出しロビーへ向かい、ソファーに座ると同時にパクッと齧りつく。
「佐奈江ちゃん、修祐ちゃんが来たら、そんなはしたない格好のままうろついたらいけないよ」
ハルさんはにこにこ微笑みながら、抹茶アイスを美味しそうに頬張る佐奈江に優しく注意した。
「はーい」
佐奈江はてへりと笑う。バスタオルを一枚、膝上から肩の辺りにかけて巻いただけの姿だった。
「わたしも気をつけなくては」
「あたしも気をつける」
同じような格好でロビーに現れたヤスミンと柚香は、ちょっぴり反省する。
三人とも脱衣場へ戻りパジャマを着込んだあと、またロビーへ。
その途中、佐奈江はもう一度台所へ寄り、戸棚にあった鯖缶を持って来ていた。
「文ちゃん、エサだよ。おいでーっ」
ミャー。
佐奈江が鯖缶を開け床の上に置くと、文治郎が一目散に駆け寄ってくる。
文治郎は鯖が、ネコにはありがちだが一番の大好物なのだ。
「文ちゃん、美味しい?」
佐奈江がにこやかな表情で話しかけると、
ミャーンと、文治郎はとても幸せそうな表情で返事をした。
「そうか、そうか。鯖好き文ちゃんだねぇ」
佐奈江は文治郎のふわふわした胴体を優しくなでてあげた。
「佐奈江ちゃん、なかなかの逸材を見つけて来たね。いまどき滅多にいないよ、あそこまで純朴で人柄の良い子」
ハルさんは柔和な笑みを浮かべる。とても嬉しそうだった。
「私、一目見て不思議な魅力を感じたの。修祐くんは普通の人とはオーラが違うなぁって」
佐奈江はてへりと笑う。
☆
午後九時半頃。
「わたしのとこの寮、来週から新しい管理人さんが来るよ。ハルお婆さんも引き続き管理人は続けるけどね」
自分のお部屋へ戻ったヤスミンは、同じクラスの親友で自宅生の桃尾茉子という子に携帯電話で連絡した。
『本当!?』
その子がけっこう驚いていることが電話越しにでも分かった。
「もうどんなお方か拝見したんだけど、とても真面目そうで心優しそうな若い男の人だったよ」
ヤスミンは嬉しそうに伝える。
『若い男の人って! 大丈夫なん? 女子生徒寮の管理人を任せて』
「絶対大丈夫よ。ハルお婆さんがすごく気に入って採用を決めたんだもの」
『ハル婆ちゃんがっ! それじゃ、性犯罪起こしそうにないまともな人かな?』
「まともな人に決まってるわっ! なんてったって現役淳高生だもの」
茉子の浮かべた疑問に、ヤスミンは満面の笑みで自信満々に答えた。
□
「お母さん、来週からね、鵙藤寮に財田修祐くんっていう新しい管理人さんが来てくれることになったの♪」
『それはよかったね。佐奈江とっても嬉しそうね。声が弾んでるわ』
「うん! とっても嬉しいよ。お婆ちゃんもヤスミンちゃんも文ちゃんもすごく喜んでた。お婆ちゃんお墨付きのとってもいい人だから、柚香ちゃんもきっと喜んでくれるはずだよ」
佐奈江は城崎にある実家に携帯で連絡。
□
《アキノ、あたしと佐奈江お姉ちゃんとヤスミンお姉ちゃんの住んでる寮、なんか新しい管理人さんが来るみたいだよ。来週の月曜日から》
柚香も同じクラスのお友達、白阪晶乃に携帯メールで知らせた。
《池ノ谷先生、来週の月曜日から、鵙藤寮に管理人さんがもう一人増えるみたいです》
そしてもう一人、クラス担任にも異なる文面で送信した。
※
翌日金曜午後0時半頃、修祐はクラス担任からボランティア活動の許可が得られたという連絡を電話で受け取った。
淳高では謹慎処分中のボランティア活動は、教科の課題プリントをきちんと仕上げることを要件に認められているのだ。
ただし喫煙、飲酒、窃盗、暴力といった反社会的行動での謹慎処分の場合は不可となっている。さらに重い停学処分は尚更のこと。ちなみにこの事由での処分者は滅多に出ないらしい。




