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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第十五話:目覚めし王

 膨大なエネルギーが世界を書き換えていく。だが、その凄まじい熱の「導線」となった東雲蓮の肉体は、すでに限界を遥かに超えていた。

 パチ、と糸が切れたような感覚が脳裏をよぎる。

 心臓が早鐘のように脈打ち、視界が急激にセピア色に染まっていく。立っていることすらできず、膝から崩れ落ちる蓮の身体を、溶けかけた冷たい氷の床が迎える――はずだった。


「――マスターっ!?」


 床に叩きつけられる直前、柔らかな、けれど必死に蓮を支える機械の腕があった。

 カプセルから解放されたばかりの、この世界のオリジナル――『EL-07A』だった。彼女は、まだ完全に血の通いきっていないその身体で、自分のドレスが汚れるのも厭わずに蓮を抱き留めていた。その瞳には、さっきまでの冷徹な演算コードの代わりに、激しい動揺と、涙に似た潤みが浮かんでいる。


「マスター……、マスター! 応答を、演算を再開してください! 回路の過熱を検知……、いえ、これは人間の、心臓の鼓動……どうすれば、どうすればこの熱を冷ませるのですか……っ!」


 システムとしての冷静さを完全に失い、一人の少女として取り乱す彼女の耳元に、ドタドタと荒々しい足音が近づいてきた。


「少年ッ!!」


 隔壁を破って駆け込んできた乾が、ボロボロのトレンチコートを翻して蓮の元へと滑り込む。乾は蓮の首筋に素早く指を当て、微かな, けれど確かな脈動を確認すると、大きく息を吐き出した。


「生きてる……! だが、身体が焼き切れかけてやがる。地球の回路を直に繋ぎやがったな、この大馬鹿野郎が……!」


 乾はすぐに蓮を背負い上げると、呆然と蓮を見つめている『EL-07A』を一瞥した。


「おい、そこのシステム娘! 突っ立ってんじゃねえ、案内しろ! この回廊で一番マシな医療用シェルターはどこだ! 15年前の地図が書き換わってなけりゃ、この先のブロックにあるはずだろ!」


「医療、ブロック……。エリアD-3。現時刻を以て、最優先蘇生プロトコルを開始します……!」


『EL-07A』は強く頷き、乾の先頭に立って走り出した。

 デバイスの画面の向こうで、エレナが「蓮! 蓮、目を開けなさい……っ!」と泣き叫ぶ声が、遠ざかる意識の境界線で、微かに響いていた。


「……うん。よかった。誰も、傷つかずに済んで、本当に、よかった……」


 そんな蓮の最後の呟きに応えるように、デバイスの画面の中では、地球のエレナが、少しだけ照れくさそうに、けれど本当に嬉しそうに鼻をすすっていた。


『全く……とんでもない原始人ね。すべての世界線を救う永久コアをブチ込むなんて。……でも、ありがと。私のオリジナルを、あの子の心を救ってくれて』


 氷のドームが完全に溶け去り、プラントの天井の隙間から、この世界には二度と昇るはずのなかった、本当の「光」が差し込んできた。

 γ世界線(ヴァルハラ)は、今度こそ本物の人間たちの世界として救われたのだ。

 ――だが、その奇跡の代償は、あまりにも大きかった。




 

 

 深い、深い、桜色と虹色の光の底から、蓮の意識はゆっくりと浮上した。

 元々エネルギーが少なかったヴァルハラでは、地球の因果因子を宿した蓮の肉体の回復は極めて遅く、次に彼が光を捉えるまでには、丸一ヶ月という途方もない時間を要していた。


「……ん……、あたたかい……?」


 微かな光の眩しさに、蓮はゆっくりと瞼を持ち上げた。

 いつもなら目覚めると同時に襲ってくるはずの、あの骨の髄まで凍りつくような冷気がない。それどころか、肌を包む空気は、まるで春の初めのようにほんのりとあたたかかった。

 部屋の隅では、温められた水が白い湯気を立てている。煤臭かった地下シェルターは、一ヶ月の間に見違えるほど清潔に片付けられていた。窓のないコンクリートの部屋だが、不思議と閉塞感はなく、空気そのものが生き生きと脈動しているように感じられる。


「気がついたか、少年」


 ベッドの脇のパイプ椅子に腰掛け、相変わらず火のついていないタバコを咥えていた乾が、気怠げに、けれどホッとしたように目を細めた。


「乾、さん……。俺, どのくらい……」

「丸一ヶ月だ。正直、そのまま永久に冬眠しちまうんじゃないかとヒヤヒヤしたぜ。お前のせいで、俺の有給がどれだけ無駄になったか分かったもんじゃない」


「一ヶ月……!?」

 蓮が慌てて起き上がろうとすると、全身の筋肉が酷い筋肉痛のような悲鳴を上げた。だが、身体の芯には、以前よりも遥かに強固で清らかな「熱」が満ちているのが分かる。

 その時、部屋の鉄扉が静かに開き、人間らしい白い衣服を纏った『EL-07A』が入室してきた。彼女の背後には、純白の装甲を持つ守護人形たち三体が控えている。

『EL-07A』が蓮のベッドの前に進み出ると、背後の守護人形たちが一糸乱れぬ動作で同時にその場に膝を突いた。床に硬質な装甲が当たる音が響く。

 続いて、『EL-07A』自身もまた、長い銀髪を床へ流すようにして、蓮の前に深く片膝を突き、両手を胸の前に当てて頭を垂れた。


「統括ユニット『EL-07A』、および現存するすべての防衛複製体は、これより貴方様を『真のマスター』として認識し、永久の忠誠を捧げます」


「えっ、ええっ!? ちょっと待って、マスターって……!? 立って、立ち上がってよ、『EL-07A』……じゃなくて、エレナ!」


 突然のことに蓮がベッドの上で真っ赤になって慌てふためく。地球のエレナと全く同じ姿の少女に、厳かに跪かれるのは、彼にとってあまりに刺激が強すぎた。

 すると、枕元に置かれていたデバイスの画面がパチリと点灯し、地球のエレナの呆れたような声が響いた。


『当然よ。あなたがブチ込んだ永久コアは、あの子たちの魔導炉と直結して、今も無限のエネルギーを供給し続けているの。システム的にも、感情的にも、あなたに逆らえるはずがないでしょ』


「そんな、エネルギーを盾にしてるみたいで嫌だよ……。俺はただ、誰も傷ついてほしくなかっただけで……。お願いだから普通に話してほしいな、エレナ」


 蓮が困り果てた顔で懇願すると、ヴァルハラのエレナは少しだけ戸惑ったように首を傾げ、ゆっくりと立ち上がった。その一連の動作は非常に優美だが、どこかぎこちない。


「……『普通』、ですか。申し訳ありません、マスター。私は生まれてから15年間、ずっとシステムとして効率的な対話プロトコルしか実行してきませんでした。『心』という未知のパラメータが実装された今、どのような態度が最適解なのか、私の演算機能ではまだエラーを起こしてしまいます」


 彼女は自分の衣服の裾を少しだけきゅっと握りしめ、顔をほんのり赤らめながら、視線を泳がせた。冷徹な機械だった彼女が、自分の「感情」の処理に困って戸惑っている。


「そっか……。でも、無理に完璧にしようとしなくていいよ。それと、『マスター』じゃなくて、普通に『蓮』でいいんだけどな……」


「いえ……マスターへの敬称はシステム仕様ではなく、私の『心』が選択した出力結果です。ですから……蓮様、とお呼びさせてください」


 少しだけはにかむように、けれど譲らない強い意志を込めて微笑む彼女の姿に、蓮もまた、張り詰めていた心がすっと解けていくのを感じた。

 蓮は表情を引き締め、一番聞かなければならないことを尋ねるために、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。


「エレナ……この世界は、かつてどうやってα世界線(アトランティス)に滅ぼされかけたんだ?」


 その問いに、γ世界線(ヴァルハラ)のエレナは静かに目を伏せ、胸元に手を当てた。


「15年前……α世界線(アトランティス)と呼ばれる上位世界線は、突如としてこの世界の上空に巨大な『地殻接続アンカー』を打ち込みました。彼らは、私たちの世界の地層に流れるエネルギーだけでなく、世界そのものの『因果』を、ストローで吸い上げるように根こそぎ強奪していったのです。緑は枯れ、海は凍り、世界はわずか数日で死の世界へと変貌しました。……地表のプラント最深部には、彼らがこの世界を効率よく管理し、エネルギーを限界まで搾り取るための『ある超科学の遺物』が遺されていました」


 彼女が静かに両手を差し出すと、その手の平の上で、淡い蒼色の光を放つ小さなケースが浮かび上がった。

 中に入っていたのは、ガラスのように透明で、内側に微細な魔導回路が刻まれた『一対のコンタクトレンズ』だった。


「これは、アトランティス規格の生体認識型魔導レンズ――通称『神遺の視界』。かつてα世界線(アトランティス)の調停官が、世界の構造を監視するために使用していたオーパーツです。無限の因果熱を持つ貴方――蓮様にしか扱えません。これを受け取ってください」


 蓮は促されるままに、その透明なレンズを両目へと装着した。

 瞬間――蓮の視界が、劇的に変貌した。


「うわっ……!?」


 蓮の目に映る世界の上に、鮮やかな光の文字列と幾何学的なラインが、拡張現実のように次々とオーバーレイされていく。

 乾の姿を見つめると、彼の周囲に【因果伝導率:32%】【残存戦闘力:測定不能】【弱点:慢性的なニコチン不足・腰痛】といった情報が瞬時に表示された。さらに壁を見つめれば、コンクリートの奥にある配管の配置や、地表へと続く最短の避難ルートが、光る三次元の矢印となって視界に描き出されたのだ。


『ちょっと、何それずるい!』

 デバイスの向こうで地球のエレナが身を乗り出す。

『私のハッキング支援なしでも、建物の構造や敵の弱点エネルギーの因果線まで全部丸見えじゃない!』


「すごい……。これなら、どこに何があるのか、全部わかる……」


「気に入っていただけて幸いです、蓮様」

 γ世界線(ヴァルハラ)のエレナは、その名前を口にすることにまだ少し照れながらも、嬉しそうに胸を張った。


「よし、少年の新しいオモチャのテストも済んだところで、本題だ」


 乾がパイプ椅子から立ち上がり、トレンチコートの襟を立てた。その動作に合わせて、錆びついた銃がカチャリと音を立てる。一ヶ月の間、彼もまたこの世界の復興と帰還のための準備に奔走していたのだ。


「この一ヶ月の間、お頭たちの協力もあって、この世界に遺されたアトランティスの古い『放棄ポート』を特定した。そこにあるゲートの残骸を使えば、俺たちの世界へ帰還できる」


 乾の言葉に、蓮はゆっくりとベッドから足を下ろし、床を踏みしめた。まだ少しだけ足元がふらついたが、γ世界線(ヴァルハラ)のエレナがそっと手を差し伸べ、その身体を支えてくれた。彼女の手のぬくもりが、蓮の心に確かな勇気を与えてくれる。

 鉄扉を開けて外へ出ると、そこにはお頭をはじめとする多くの生存者たちが集まっていた。彼らの顔からはかつての暗い絶望は消え去り、未来への希望に満ちた笑顔があった。


「少年、いや、恩人さん。あんたがくれたこの『熱』を、俺たちは絶対に無駄にしない。この世界をもう一度、緑豊かな世界に育て上げてみせるさ」

 お頭がその大きな手で蓮の肩を叩く。


「うん。みんななら絶対に大丈夫です。……俺も、自分の世界を守るために、いかなきゃ」


 蓮は背中に背負った『不錆の鉄剣』の感触を確かめ、そして新しく手に入れた『神遺の視界』で、地表へと続く光のルートを真っ直ぐに見据えた。

 誰の日常も壊さない。誰も悲しまない、誰も傷つけない世界を作るため。

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