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クロノスフィア  作者: 遙 カナタ


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第一話:考古学マニアの憂鬱と、一万円の球体

「……チタンにしては銀色が鈍い。タングステンにしては質量が足りない。隕鉄(いんてつ)独特のウィドマンシュテッテン構造も見当たらない、と」


 ピンセットの先でつまみ上げたその『球体』は、夕方の斜陽を浴びて、どこか油膜のような不気味な鈍色(にびいろ)の光を放っていた。


 東雲(しののめ) (れん)の自室は、およそ男子高校生の部屋とは思えない奇妙な物品で溢れかえっている。

 棚には、ペルー政府が公式に否定した宇宙人のミイラ(の精巧なレプリカ)、水晶のドクロ(お土産用のガラス製)、そして壁には世界各地の未解決遺跡の地図がピン留めされていた。


 高校二年生の夏。周囲が受験勉強や部活、あるいは青い春の甘酸っぱいイベントに身を投じる中、蓮が全精力を注いでいるのは「世界の裏側」の考察だった。


「出品者の説明文には……『エジプト・ギザ台地の未公開地下遺構から出土。年代測定不能の未知の合金』。……まぁ、真っ赤な嘘だろうけどな」


 パソコンの画面に表示されているのは、ネットオークションの取引完了画面だ。

 落札価格、送料込みでジャスト一万円。

 メッセージの日本語はどこか怪しく、評価欄には「詐欺」「ただの鉄クズ」といった罵詈雑言が並んでいた。普通なら絶対に手を出さない。だが、出品画像に映るその球体の「複雑な幾何学的ライン」を見た瞬間、蓮の指は勝手に『今すぐ落札』をクリックしていたのだ。


 大きさはゴルフボールより一回り大きいくらい。

 重さは約300グラム。

 表面には、髪の毛ほどの細さの溝が、まるで緻密な電子回路のように縦横無尽に走っている。もしこれが古代エジプトの遺物なら、完全に歴史がひっくり返る。


「おい、蓮! またそんなオカルトのゴミ買って! あんた来年受験生なの分かってんの!?」


 階下から、母親のいかにも生活感に満ちた怒声が響いてくる。

 一瞬にして、部屋の中のロマン溢れる空気が霧散した。


「分かってるよ! 息抜きだよ、息抜き!」


「息抜きで一万円の鉄クズ買う高校生がどこにいるの! 早く降りてきて夕飯の手伝いしなさい! 今日はあんたの好きな唐揚げなんだから!」


「すぐ行く!」


 蓮はため息をつき、ピンセットを机に置いた。

 夢から現実に引き戻される瞬間が一番堪える。彼は眼鏡のブリッジを押し上げ、机の上の球体に視線を戻した。


「……まぁ、やっぱりただの文鎮か。現実は非情だな」


 自嘲気味に呟き、球体を片付けようと右手の指先で直接触れた、その時だった。


 ――チリッ。


 冬場のドアノブに触れた時のような、鋭い静電気が走った。

「痛っ……!?」

 蓮は思わず手を引いた。

 しかし、異変はそこから始まった。


 カチ、カチ、カチカチカチカチカチ――。


 部屋の片隅にあるアナログ時計の秒針が、狂ったような速度で逆回転を始めたのだ。

 同時に、天井の蛍光灯が激しく明滅を始める。ブー、という耳鳴りのような低い電子音が鼓膜を圧迫し、スマホの画面は砂嵐のようなノイズで埋め尽くされた。


「な、なんだ……地震か!?」


 いや、違う。揺れているのは家ではない。『空間』そのものが歪んでいる。

 机の上のペン立てからシャーペンがふわふわと浮き上がり、蓮自身の身体も、まるで宇宙空間に放り出されたかのように重力を失っていく。


 そして、その中心にあるのは、紛れもなく一万円の球体だった。

 表面の幾何学的なラインが、見たこともない鮮烈な「燐光りんこうの青」に発光している。ラインに沿って液体のような光が駆け巡り、球体がごとりと自転を始めた。


 オカルトマニアとしての知識が、脳内で警報を鳴らす。

(これは偽物なんかじゃない。本物の、歴史を、いや世界を崩壊させるレベルの――)


 バキィッ!!!


 空間がガラスのように割れる音がした。

 蓮の目の前、机の真上の空間に、直径50センチほどの「漆黒の穴」がポッカリと出現した。

 光すら吸い込むような絶対的な黒。だが、その輪郭だけは、ネオン管のような紫色の光が激しく火花を散らしている。


「うわああああっ!?」


 蓮は椅子ごと後ろにひっくり返った。

 床に背中を打ち付けながらも、目はその「黒い穴」に釘付けになっていた。


 穴の向こう側から、強烈な風が吹き抜ける。それはオゾンと、焦げた回路のような、嗅いだことのない未来の匂いがした。

 そして――。


 ゴトッ。ガシャーン!


 その穴から、何かが蓮の机の上に勢いよく落ちてきた。

 ペン立てをなぎ倒し、ノートを巻き込んで床へ転がり落ちる。


 直後、黒い穴は「シュン……」という、炭酸水の泡が弾けるような呆気ない音を立てて、完全に掻き消えた。

 浮いていたシャーペンが床に落ち、蛍光灯の明滅が止まる。

 時計の秒針は、何事もなかったかのように、カチ、カチ、と規則正しいリズムを刻み始めた。


 静寂。

 ただ、蓮の荒い呼吸音だけが、西日の差し込む部屋に響いていた。


「……夢、か……?」


 冷や汗を拭いながら、蓮はゆっくりと身体を起こした。

 そして、自分の足元を見る。


 そこには、さっきまで存在しなかった『物体』が転がっていた。

 それは、一見するとスマートフォンに見えた。

 だが、現代の最新鋭の機種と比べても、明らかに異質だった。


 厚さはわずか1ミリほど。完全に透明なガラスの板のようでありながら、触れると金属のような冷たさと硬さがある。角は丸みを帯びており、うっすらと淡い桜色の光を放っていた。


「……スマホ? いや、ディスプレイそのものか……?」


 蓮が恐る恐るその端末を拾い上げた、その瞬間。


『――警告。時空間転移共鳴を確認。本端末は「世界線:ベータ・3」の因果律限界線を突破しました。現在地、地球・アジア地域、西暦2026年と推定。現在、ベースプラントへの帰還ルートは完全に遮断されています』


「喋っ……!?」


 機械的な、しかし驚くほど滑らかな女性の合成音声が端末から響いた。

 蓮が硬直していると、端末の画面(透明なガラス板)が激しく点滅し、音声のトーンがガラリと変わった。今度は、明らかに感情を持った「生身の少女」の声だ。


『……って、えええええええええ!? 嘘でしょ!? ちょっと待って、私の最新型マルチデバイスが消えた!? ログを見て……え、西暦2026年!? 原始人の時代じゃん!! 嘘、最悪! 今月の給料3ヶ月分一括払いで買ったばっかりなのにーっ!!』


「げ、原始人って誰のことだ、コラ」


 あまりに理不尽な物言いに、蓮は恐怖を忘れて思わずツッコミを入れた。

 すると、端末から「ひゃっ!?」と短い悲鳴が上がる。


『な、何!? 誰の声!? 音声ログが同期されてる……まさか、現地の原始人に拾われたの!?』


「原始人原始人うるさいな! 2026年だぞ! 令和だぞ! ちゃんと電気も通ってるしインターネットもあるわ!」


『令和? インターネット? 何それ、聞いたこともない古代言語……あ、待って、カメラ同期するから動かさないで!』


 透明なガラス板から、突如として数条の光の線が伸びた。

 それが空間で結像し、蓮の目の前に『3Dホログラム』を形作る。


 そこに現れたのは、一人の少女だった。

 年齢は蓮と同じか、少し下くらい。透き通るような銀色の髪をツインテールにしており、瞳は深いアメジスト色。身にまとっているのは、衣服というよりは、身体のラインにぴったりとフィットした白い発光スーツのようなものだ。


 そして彼女の背景には、天を衝くような幾何学的な超高層ビル群と、その間を無数の「発光する乗り物」が飛び交う、圧倒的な超未来都市の光景が映し出されていた。


 ホログラムの少女は、画面を凝視し、絶句した。


『……え。本当に人間? 服を着てる……火も使えそうな顔してる……』


「当たり前だ! 誰がマンモスの肉食ってると思ってんだ!」


『でも、信じられないわ……。脳内にデバイスも埋め込んでないし、空間ディスプレイも使ってない。なんて未開な環境……。あ、自己紹介が遅れたわね。私はエレナ。西暦500年、大帝国アトランティスの「時空動力研究所」で第二種特級研究員をやってる、エレナ・ヴァレンタインよ』


 蓮の思考が、一瞬でフリーズした。


「……は? 西暦、500年?」


『そうよ。どうかした?』


 エレナと名乗った少女は、不思議そうに首を傾げた。


「いや、おかしいだろ! 西暦500年っていったら、こっちの世界じゃ日本は古墳時代、ヨーロッパは中世の始まりで、電気どころかまともな医学だって……」


『あー、やっぱりね。世界線が違うんだわ』


 エレナは納得したようにポンと手を叩いた。


『あなたのいる世界線は、科学の発展が極端に遅いルート(ハズレ世界線)なのね。私たちの世界線では、紀元前に超エネルギー「エーテル」が発見されて、西暦元年の時点ですでに月面都市が完成してたの。今の西暦500年は、これくらいハイテクよ』


 彼女は自慢げに、背景の超未来都市を指さした。


「西暦500年で……月面都市……」


 蓮は頭を抱えた。

 オーパーツは未来人が作ったものでも、宇宙人の遺産でもない。

「自分たちとは全く異なる歴史を歩み、異常な速度で進化した『別の世界線』の日常品」。それが、何らかの理由で時空を超えて落ちてきたゴミ。


「じゃあ……俺がオークションで買ったこの金属球は……」


 蓮が机の上の、いまだに青く光る球体を指さすと、エレナはホログラム越しにそれを覗き込み、顔を真っ青にした。


『ゲッ!! それ、うちの研究所が先週失くした「次元破砕駆動炉のコア」じゃないの!? なんで原始人がそんな危険物持ってるのよ! 下手したらあなたの部屋ごと次元の彼方に消し飛ぶわよ!?』


「はあああ!? 危険物!? これ一万円で買ったんだけど!?」


『今すぐそこから離れなさ――』


 エレナが叫んだ瞬間、机の上の球体が、先ほどよりも一層激しい、不穏な赤紫色の光を放ち始めた。

 部屋の床が、今度は明確にグラグラと揺れ始める。


「離れろって言われても、ここ俺の部屋なんだけど! どこに逃げればいいんだよ!」


 蓮は机から飛び退きながら叫んだ。

 赤紫色の光は脈動するように強さを増し、部屋の壁紙が静電気でビリビリと音を立てている。浮き上がったシャーペンが、空間でパキッと音を立てて真っ二つに折れた。凄まじいエネルギーの密度だ。


『ちょっと待って、今そっちのエネルギー数値を解析するから!』


 エレナはホログラムの中で、空中に現れた半透明のキーボードを猛烈な速度で叩き始めた。彼女の銀髪のツインテールが、焦りで激しく揺れる。


『嘘、嘘でしょ……! コアの安全弁が完全に固着してる。このままだとあと三分で臨界点に達して、あなたの家を中心とした半径1キロメートルが「時空の歪み」に飲み込まれて消滅するわ!』


「半径1キロって、この住宅街が丸ごと消えるってことかよ!? 笑えない冗談はやめろ!」


『冗談に見える!? こっちだって、買ったばかりのデバイスがブラックホールに飲まれるかもしれないのよ!』


「そっちの心配はそこかよ!」


 蓮は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、必死に頭を回転させた。

 オカルトの知識、物理の知識、これまで読んできたありとあらゆる文献の記憶を漁る。だが、現代の科学の教科書に「次元破砕駆動炉の止め方」なんて載っているはずがない。


「なぁ、エレナ! そっちから遠隔操作で止められないのか!?」


『無理よ! 通信リンクは繋がってるけど、物質的な干渉アクセス権限が世界線の壁に遮断されてるわ! そっちのローテクな世界にあるもので、物理的にコアの回路を遮断するしかないの!』


「物理的に!? どうやって!」


『コアの底面を見て! 幾何学ラインが集中している中心に、直径2ミリくらいの小さな「あな」があるはずよ。そこに伝導性の高い物質を突き刺して、内部の『エーテル結晶』を右に90度回転させて固定して!』


 蓮は意を決して、激しく発光する机ににじり寄った。

 熱気のような、それでいて肌を刺すような冷気が交互に押し寄せてくる。

 言われた通り、球体の底面を凝視すると――あった。確かに、回路の結節点のような場所に、針の先ほどの小さな穴が開いている。


「穴はあった! でも、伝導性の高い物質って……金とか銀か!? そんなもの都合よく部屋にあるわけ――」


『何でもいいわよ! 原始人の世界なんだから、銅とか鉄の細い針金みたいなものがあるでしょ! 急いで、あと一分半よ!』


「鉄の細い針金……針金……」


 蓮は部屋中を見回した。

 工具箱は親父が管理していて一階の物置だ。今から取りに行っていたら間に合わない。

 その時、蓮の目が、床に散らばった勉強用の文房具に留まった。


「――これだ!!」


 蓮が手を伸ばしたのは、ルーズリーフを綴じるための、金属製の『ペーパークリップ』だった。

 表面にビニール被膜のついていない、むき出しの鉄製のクリップ。


『何それ? そんな歪な金属片で大丈夫なの!?』


「うるさい、これしかないんだよ!」


 蓮はクリップを力任せに指で引き伸ばし、一本の真っ直ぐな針状に変形させた。

 指先にクリップの冷たい感触が伝わる。しかし、球体に近づけると、誘導電流のせいかクリップ自体がじんわりと熱を帯び始めた。


「やるぞ……!」


『信じてるわよ、原始人の男の子! 角度は垂直に、思い切り刺して!』


 蓮は眼鏡を押し上げ、照準を絞る。

 赤紫の光が部屋を限界まで照らし、今にも空間が爆発しそうな高音のキーンという音が響き渡る。


「おおおおおおおっ!!」


 蓮は引き伸ばしたクリップの先を、球体の小さな穴へと突き立てた。


 ガチリ、と手応えがあった。何かの細かな歯車に噛み合ったような感触。


「刺さった! ここから右に90度だな!?」


『そう、そのまま回して! 硬いけど頑張って!』


 蓮はクリップの端を両手で掴み、右へとひねった。

 信じられないほど硬い。まるで固まったコンクリートの中でネジを回しているかのような抵抗感だ。クリップの鉄線が、蓮の力に負けてグニャリと歪みそうになる。


「しまっ――折れる――!」


『負けないで! そこで止めないと、二人とも消滅よ!』


「うおおおおおおおおおっ!!!」


 蓮は歯を食いしばり、手の皮が破れるほどの力でクリップをねじ込んだ。


 カチリ。


 明確な、電子的なロック音が部屋に響いた。


 その瞬間。

 部屋を埋め尽くしていた赤紫色の光が、嘘のようにスーッと収束していった。

 空間の歪みが戻り、浮いていたルーズリーフがパサパサと床に落ちる。

 球体は元の鈍い銀色に戻り、ただの重い金属の塊として、机の上にごとりと転がった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 蓮はその場にへたり込み、激しく上下する肩を落ち着かせようとした。

 手のひらには、クリップが深く食い込んだ赤い跡が残り、じんわりと汗がにじんでいた。


 しばらくの沈黙の後、床の透明な端末から、パチパチパチと小さな拍手の音が聞こえた。


『すごーい! まさか本当に止めちゃうなんて。見直したわ、原始人。あなた、未開人のわりには手先が器用なのね』


 ホログラムのエレナが、感心したように腰に手を当てて笑っていた。


 蓮は床に寝転がったまま、天井を仰ぎ見て、深い、深い、ため息をついた。


「……助かったから言うけどさ。次から俺を『原始人』って呼んだら、このコアとかいう鉄クズ、粗大ゴミに出すからな」


『えっ、ちょっと待って、それは困るわ!』


 世界線を超えたオカルトマニアの少年と、お隣の世界線の天才(ポンコツ)科学者。

 二人の出会いは、世界の崩壊のカウントダウンと共に、最悪の形で幕を開けた。

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