13.変化
『甲斐も裏切られたことあるんだね』
くだらない。そう思いながら、彼女の言葉が頭を離れなかった。
まるで、自分も一緒だと言いたげな、その言葉。腹が立つ。
こないだ、電車の中で彼女が妖力を使った時、榛名が言っていた。彼女は、母親から虐待を受けていたのだと。その母親は自殺し、彼女は自分のせいだと思っているから、仕方がなかったのだと。
愛する母親からの裏切り? だからなんだ……。
『私は、裏切らないよ、甲斐』
それでも、彼女の言葉が胸に響く。魂から発せられた嘘偽りのない声だった。
『甲斐。待ってよ、甲斐』
懐かしい声が、頭に蘇った。愛おしく、切ない記憶。その声を思い出してしまったのは、愛瑠のせいだ。本当に、腹が立つ。
『大好きだよ、甲斐』
止めようとしても蘇る記憶に、甲斐はため息をついた。
ガーディアンとしての初めての任務。高校生として、その地に住み、妖魔と戦う傍ら出会った人。まだ自分は若く、未熟で、そして、人間というものに免疫がなかった。
『甲斐、一緒に帰ろう』
人間と必要以上にかかわりを持ってはいけない。そう言われていた。
だけど、彼女の笑顔に心を奪われ、いつの間にか、恋人と呼ばれるような関係になっていた。
その日、学校から帰宅する途中、二人の前に、妖魔が現れた。彼女を助けるために、戦った。愛する人を守るために。
だけど……。
『ひっ』
妖魔を倒して、地面に這いつくばったままの彼女に手を差し出した時――
彼女はその手を拒んだ。自分を見る恐怖の目。
それは、妖魔を見る目と同じだった。
「ったく……」
ずっと心の奥に封じていた記憶が蘇り、その痛みに、甲斐はため息をつく。
その後は、人間とは深いかかわりあいを持つことなく任務に没頭した。けれど、人間は互いに裏切り、憎み、醜い争いを繰り返す。徐々に、彼らを守ることがバカバカしくなっていった。
なぜ、人間を守るのだろう。自分は何のためにここにいるのだろう。虚しくて、やりきれなくて。
そして、ガーディアンであることを放棄した。人間を守ることから、逃げ出した……。
「お前のせいだ、バカ」
オオトカゲを愛おしそうに撫でるあいつに悪態をつく。
『可哀想に。痛かったね。でも、大丈夫』
大丈夫なものか。お前に何が分かる。人間のくせに。
「どうせ、いつの日か、お前は斗真と榛名を裏切る。その日を、楽しみにしておいてやる」
甲斐は誰ともなく、つぶやいた。
夏も終わるというこの季節に、奴は現れる。
「ひぃっ!」
カサカサと壁を横切る黒い物体に、愛瑠は固まった。
目を離した隙にいなくなったら、いつどこから再び現れるのか恐怖に怯えながら過ごさなくてはならない。かといって、丸腰のまま奴とは戦えない。
よし……。
「これは、緊急事態だ。あれを使うしかない」
愛瑠はそう言って、Gに刺激を与えないよう、そろりと手を伸ばした。
その時、パシュッと空気がはじける音がして、Gの姿が跡形もなく消えた。
「お前、今、妖力使おうとしただろ?」
「きゃぁっ」
低い声に驚いて後ろを振り返ると、腕を組んだ甲斐が自分を見下ろしていた。
「きゅっ急に現れないでよ⁉」
声を上げて、彼を非難の目で彼を睨むも、「お前から不穏な空気を感じたんだ」と甲斐は睨み返してきた。
そこへ、
「何かあったのか、愛瑠?」
愛瑠の声を聞きつけ、部屋を覗き込んだ斗真と榛名が、甲斐の姿を認めて、表情を硬くした。
「甲斐……ここで、何している」
「あ、あぁ、大丈夫。ゴキちゃんが出て、ちょっと騒いでいただけ」
「なんで、甲斐が出てくる必要があるわけ?」
「妖力を使いそうな素振りを見せたから、先に俺が駆除しただけだ」
「違うっ! 妖魔が出た時の護身用に買っておいた催涙スプレーを使おうと思っただけだし!」
慌てて事情を説明する愛瑠に、甲斐が肩をすくめる。
「紛らわしい真似するな。ったく、なぜ、俺が害虫駆除をしなければならない。どうせなら、さっさと妖力を使ってくれ。そうしたら、お前を処分して天界に戻れる」
甲斐がため息交じりに言うので、
「人間にこの世の理を破れとは、ガーディアンとは思えない発言だな」
と愛瑠は、腕を組み斜めに見据えながら、甲斐の言い方を真似して言った。斗真が「似てるし」と言って笑い転げる。
甲斐が怒りでプルプルと体を震わせている。
「ほら、愛瑠も斗真も、そのくらいにしておきなよ」
榛名が呆れた声で二人を諌めると、
「お前ら。来週の期末テスト、覚えておけよ」
と、甲斐が捨て台詞を吐いて踵を返した。
「ひっ卑怯だぞ!」
愛瑠と斗真がその背に叫ぶ。甲斐は振り返ると、ニヤっと不敵な笑みを残して立ち去ってしまった。
「お前のせいだぞ、愛瑠!」
「斗真だって、乗ってきたじゃないか!」
いつものごとく始まった愛瑠と斗真の言い合いは気にせず、榛名は別のことを考えていた。
「甲斐、変わったな」
「変わったって?」
「うーん……。なんて言うか、きっと、昔の甲斐なら、黙って愛瑠が妖力を使うのを待ったと思うんだよね。下界を嫌う甲斐にとっては、愛瑠が禁を侵して処分されてしまった方が都合いいはずだから。それなのに、わざわざ、愛瑠のことを止めに入った」
「あいつ、私に惚れたかな」
愛瑠が顎に手を添え、渋い顔をしながらつぶやく。
「ない、ない」
斗真が突っ込む。
「結構、あるかもよ」
榛名が真面目な顔で答えたので、愛瑠と斗真が一瞬目を合わせて、
「いや、ないでしょ」
と声をハモらせた。




