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閑話:双子の少女

 幸薄の少女達に、幸福あれかし!



 ――彼女らは、奴隷であった。


 両親と暮らした暖かな記憶は遥か遠く、覚えている限りでは住んでいた村が焼け、人間が押し寄せ、そして気が付いた時には二人は鎖で繋がれ牢屋に入れられていた。


 そこから先の記憶は――痛みと恐怖に彩られた、苦痛一色の記憶。


 なまじ、魔族という人間よりも丈夫な種族として生まれたため、死に直結するような酷な扱いを受けても人間の子供より長生きしてしまい、物心付いてからの日々は全て、粗末な食事と適当な扱いでも死ぬことがない、便利な奴隷としての極限の日々である。


 幸せなどそこにあろうはずもなく、もう何度生きることに絶望し、冥界への道を考えたことだろうか。


 ただ……偏に彼女らがその選択肢を取らなかった理由は、彼女らが双子であったためだ。


 自分が死ねば、もう片方がさらなる苦痛、二人分の苦痛を背負うことになるのは目に見えていたし、だからと言って二人揃って死ぬには、彼女らはお互いを大事に思い過ぎていた。


 互いに、生きて欲しいと、そう願っていたのだ。


 故に、地獄から逃れることは出来ず、絶望しか存在しないとわかっていても、苦痛の一日を生きるのだ。


 ――そんな生を歩む中で、いつからか彼女らは、泣くことをしなくなった。


 感情を、表に出すことをやめた。


 寄り添い、小さく丸くなることで、寒く冷たい床の上での生活をやり過ごし、希望など一片も存在しない今日とそして明日を、何も感じなくなってしまった壊れ掛けのココロと共に生きるのだ。


 そして、その日もまた、彼女は妹と共に色の消えた一日を過ごし――。



   *   *   *



 いつもより、何だか心地が良いと感じる微睡の中で、その意識が少しずつ覚醒していく。


 ――暖かく柔らかいベッドの感触に、柔らかいランプの明かり。


 目覚めた彼女が最初に感じたは、その二つだった。


 最初、いつもの醜い男のベッドの上かとも思ったが……どうも、違う。

 

 あの鼻に突く臭気が漂っていないし、何よりこのベッドはあの男の使用していたものより、さらに上等な品物のように見える。


 ふと隣を見ると、彼女の双子の妹がおだやかな寝息を立てて眠っており……だが、その妹の姿に、少女は多大な違和感を受ける。


 寝起きで茫漠としている頭を必死に働かせながら、まじまじと妹の様子を眺め、違和感の正体を探っていく内に――やがて彼女は、そのことに気が付く。




 妹の、身体全身に刻まれていた傷と、自分達が「物」であるという意識を常に植え付けられていた首輪が、無くなっていた。




 違和感の正体はそれだけじゃない。


 いつも身に付けていた襤褸切れのような貫頭衣を彼女は着ておらず、代わりにまるで、遠い日に聞いた物語のお姫様のように、学など皆無に等しい自分でも品が良いと感じるとても綺麗な布で作られた服を身に纏っていたのだ。


 と、次に彼女は、自身の身体を見下ろし――。


 ――同じだ(・・・)


 彼女自身の身体からもまた、付けられた無数の傷が全て跡形もなく消え去っており、触れた首にはいつもそこにあった革の感触は存在せず。

 そして、妹と同じく、自分がこんなものを着ていいのかと不安に思ってしまう程作りの良い服を、彼女もまた身に纏っていたのだ。


「…………?」


 わからない。


 いったいこれは、どういうことなのか。


 困惑が彼女の頭の中を満たし、どうにか状況を把握しようと周囲をキョロキョロ見渡していた――その時だった。




「――お、目が覚めたか」




 ふと聞こえて来る、その声。


 そちらへと視線を向けると――そこに立っていたのは、黒髪の、普通の(・・・)青年。


 そう、普通の青年。


 歳は若く、顔立ちは整っている方だが、特に珍しくもなんともないありきたりな青年だ。


 髪色だけは、見たことのない色をしているものの……しかし、彼女が接して来た者達の中では、最も珍しい部類の存在だった。


「……だれ、ですか?」


 そう、感情を奥底に押し込んだかのような声音で問い掛ける少女に、黒髪の青年は彼女らのいるベッドの隣に置かれた椅子に腰を下ろすと、優しげな表情を浮かべ、口を開いた。


「俺は、ユウだ。君の名前を教えてくれるか?」


「……なまえは、ない、です」


「……無い?」


 怪訝そうな表情でそう聞き返す青年に、彼女は言葉を続ける。


「なまえをよばれたことは、ありません。なので、なまえは、ありません」


 自分を呼ばれる時は、「オイ」とか「そこの」とか、指を指されるだけで名前を呼ばれたことはない。


 昔は、何か名前を呼ばれていた気がしなくもないが……どちらにしろ、もう思い出せない遠い記憶だ。 


「……なら、君らの故郷は?」


「わかりません。もう、何もおぼえてないです」


「……そうか」


 そう答える彼女に、青年は痛ましげな表情で少女のことを眺める。


 ……本当に、珍しい人だ。


 こんな顔をする者に、果たして今まで出会ったことがあっただろうか。


 彼女の見て来た大人とは、彼女らがどんなに泣こうが喚こうが叩くことをやめず、むしろさらにゲラゲラと笑って痛いことを繰り返すのだ。


 その彼の様子を不思議な思いで眺めながら、今度は少女の方から、青年へと問い掛ける。


「ユウ、さま。ここは、どこですか?」


「そうだな……ここは俺のアジトだ。俺が、君達を誘拐してここに連れ来た。帰りたくとも、前に君らが住んでいたところは吹き飛ばしたから、もう無いぜ?」


 わざと戯けるようにそう言う青年に、少女は首を傾げて口を開く。


「じゃあ……あなたは、わたしのつぎの、ごしゅじんさまですか?」


「いいや、違う。俺は、君達を無理やり誘拐した悪いヤツだ。だから、主人なんて大層なモンじゃない。様なんて付けて俺を呼ばなくていいんだ」


「……ですが……そうしないと、なぐられてしまいます」


「君みたいな可愛い子、殴りなんてする訳がないさ。――ほら、俺は誘拐犯の犯罪者だ。言ってみろ、『くたばれクソ野郎』って」


「え、あ……で、ですが……」


「いいって。それを言ったところで、君のことを殴りもしないし、怒りもしない。絶対だ。ほら、言ってみろ」


「…………く、くたばれ、く、くそ、やろう」


「声が小せぇぞ? もっと、ムカつくヤローに言う感じで!」


「…‥く、くたばれ、くそやろー!」


「ワハハハ!!そうだ、それでいい!」


 少女の罵倒に、青年は何故か、楽しそうに快活な笑い声を上げる。


 そして、からからとひとしきり笑ったところで、彼は少女へと口を開いた。


「そう、そうやって、嫌なことは嫌って言っていいんだ。やめてほしかったら、やめてってな。何もかも人の言うことを忠実に聞く必要もない。――もっと(・・・)好きに生きて(・・・・・・)いいんだ(・・・・)


「――――っ」


 好きに、生きる。


 それは、何度彼女らが夢見て、そして諦念の奥底にしまい込んだ、果てしなく遠い(・・・・・・・)願望であっただろうか。


 ――本当に、そんなことが、可能なのだろうか。


 いつもの、心が壊れかけの彼女であれば、そんな夢のまた夢など絶対に信じないのだが……しかし、目の前の青年の醸し出す雰囲気から、彼女の心は少しずつ精彩を取り戻し始めていた。


「……と言ってもまあ、ネアリアぐらい自由になられてもちょっと困るんだがな……いや、アレはアレで、可愛いもんだから別に構わないんだが、あの口の悪さが移るのはあんまりよくないだろうし……」


 と、何やら呟いてから、少女が自分のことを見ていることに気が付いた青年は、「何でもない」と苦笑を浮かべて首を左右に振り、それから少しだけ真面目な表情を浮かべ、彼女へと言葉を放つ。


「――そうだな……君と、その子は……君とその子は、一度、もう死んだ(・・・・・)


「……しん、だ?」


「そうだ。君らが前にいた屋敷を俺が吹き飛ばした時に、君達もまた、一緒にそこで死んだんだ」


「…………」


「だからここにいるのは、その子達とは全く違う、小さく可愛い、ただの双子だ。真っ白で、真っ新で、生まれたばかりの、赤子のような双子」


 ――そうか。


 自分達は、一度死んだのだ。


 ここにいる自分は、『奴隷として生きた双子の姉』ではなく、ただの『双子の姉』。


 だから、この身体に傷はなく、妹の身体にもまた傷はなく、そして二人とも首輪を付けていない。


 そういう、ことなのだ。


「君は……まるで宝石みたいな、綺麗な赤い瞳をしている。だから――『ルヴィ』だ。君は、生まれたばかりの、魔族の少女、ルヴィ」


「――ルヴィ」


 その単語――自分の名前だというその単語を呟いた瞬間。


 ジワリと。


 胸の内に生じる、暖かい感覚。


 それは、遠い日の故郷の記憶を思い出す時に感じるものと、同じ感覚だ。


「そして、隣のその子は、大空のような、綺麗な青い瞳だ。だから――『瑠璃』。魔族の少女、ルヴィの双子の瑠璃」


「るり」


 自分の妹は――るり。


 その言葉の意味はわからなかったが……でも、綺麗な響きだと、彼女は思った。


 きっと、眠ったままの妹もまた、気に入ることだろう。


「どうだ? 響きがちょっと似ちゃったし、それが嫌だったら、また色々と考えてみるけど……」


「……いや、じゃ、ないです」


 ふるふると、少女は力いっぱい、その心境を示すように首を振る。


 そう、嫌なんかじゃない。


 その名は、新しく(・・・)生まれ出でた(・・・・・・)自分達へ送られた、初めてのもの。


 それは、彼女にとってすでに、妹の存在と同じと言えるぐらいの、尊い宝物なのだ。


「――そうか」


 青年は、嬉しそうに笑みを浮かべてそう言うと――突然ハッと何かを思い出したかのような表情を浮かべ、何やら空中で指先を動かし始める。


「忘れてた、お腹減ってるだろ? シャナル――ウチのメイドさんに頼んで、美味いスープを作ってもらったんだ。ルヴィと、瑠璃がもっと元気になったら、さらに美味いもん作ってくれるってよ」


 と、そう言った彼の手元に――スッ、と突如として出現する、黄金色の、湯気の立つスープ。


「うわぁ……!」


 思わず、口から漏れる感嘆。


 香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、忘れていた空腹が自己主張を始め、ぐぅとお腹が鳴る。


「……ユウ、さまは――」


「様なんて付けなくていい。俺のことは、そうだな……『おにいさん』とでも呼んでくれ。あ、『おにいちゃん』でもいいぞ?」


 ニヤリと笑った彼に、少女はしばし口を開いたり閉じたりさせてから、やがて躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「……おにい、さんは、まほうつかい、なんですか?」


「いや、魔法のようなものが使えるってだけだ。――これ、スプーンな。あ、それと当然ながら、それは君だけの分だ。瑠璃の分のスープは別でちゃんと用意してあるから、遠慮せずに食べていいぞ」


 そして、少女は青年が伸ばすスープの皿をおずおずと受け取ると、そこに入れられていたスプーンを手に取る。


 まじまじとスープの皿を見詰めてから、椅子に座る青年の方を一度見ると、コクリと頷く青年。


 少女はそこでやっと、スプーンで皿の中身を(すく)い――それを、口に含んだ。


「どうだ?」


「……おいしいです」


「そうか。よかった」


 暖かな、青年の言葉。


「……おいしい、です。……う、うぅ……うぐっ……」


 唐突に、彼女の瞳から溢れ出す液体(・・)


 それは、後から後から溢れ出し続け、(とど)まることなく少女の頬を伝う。




 胸の奥底から込み上げる感情を抑えることが出来ず、しゃくり上げ始めた少女――ルヴィの隣で、青年は優しげな表情を浮かべ、いつまでもそこに佇んでいた。



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