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ROSA  作者: 藤 子
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微笑の仮面8

 こんな気分は、いつぶりだろうか。

 体は軽く、奥底から力が枯れることなく沸き起こっている。

 今なら空でも飛べそうな気分だ。


「ヴァンパイアって、詐欺師よね」


 腕を組み、壁にもたれて見守っていたフィーナが、呆れた声を上げた。

 ティティーヌはたっぷり血を奪われ、すっかり脱力してクレイにもたれかかっている。


「私が彼女を愛しているのは事実だよ」


 にっこりと微笑み、クレイはティティーヌを抱き上げた。その優れた鼻と耳が、近づいてくる何者かの気配を鋭く察知する。フィーナも蛇のミシェルも、まだ気づいてはいなかった。


「さて、今度は君の出番だ。もう一度メデューサの素晴らしい能力を見せてくれるかい?」


 クレイはあくまでも気づかない振りを通し、最大の敬意を払ってフィーナに頭を下げた。ほんの一瞬、フィーナは躊躇いつつも、近づいてティティーヌの頬に手を添える。虚ろな眼差しで完全に意識が飛んでしまっている彼女の顔を自分に向かせると、フィーナは互いの目をしっかり合わせた。一瞬にして、ティティーヌの石像が完成した。


「やはり君の腕は素晴らしいね」

「抵抗もしない相手を石化するなんて、メデューサなら誰でもできることよ」

「そんなことはないよ。これがサーガなら、こうスムーズにはいかなかっただろう」


 兄の名を出され、フィーナはぴくりと反応した。


「侮辱する気?」


 自分はどれだけ貶していても、他人が兄を貶すのは許せない。彼女は瞳に怒りを滲ませた。普段のクレイならば、うまい言い回しで回避し、彼女をなだめるところだが。


「それだけ有能だと言ってるんだよ。サーガに比べて、君は利用しやすいしね」

「なんですって?」


 クレイはわざと棘のある言葉を吐いた。


「今回は特に、大いに活用させてもらったよ。君の情報にも、その能力にも。私一人でも充分だったけど、君のお陰でより効率良くことを運べた」

「私を……裏切るつもり?」


 フィーナの瞳の色が、再び鮮やかな橙へと変化する。

 すぐに気づいてクレイは、視線をフィーナの口元へとずらした。


「私には通じないよ、フィーナ。メデューサの能力は、互いの視線が合わなければ発揮されない。そんなことは常識中の常識だ」


 視線が合うことさえなければ、メデューサも無力な人間と変わらない。唯一蛇を操る力が残っているが、この地下でミシェルは使えないとクレイは悟っていた。分身を解放(・・)すれば地下牢は破壊され、自ら生き埋めになりかねない。フィーナがそれに気づかないほど鈍感ではないことも、分かった上でのことだった。

 となれば、有利なのは間違いなくクレイの方だ。しかも今はティティーヌの血をもらい、ヴァンパイアの力が普段の二倍にも三倍にも増している。


「ここから先は、君がいては足手まといなんでね。もうすぐ到着する『彼ら』の足止めをしてもらうよ」


 言いながらクレイは素早くベストの内ポケットから何かを取り出した。それをフィーナに向けるのと、『彼』が叫ぶのはほぼ同時だった。


「ティティーヌ!」


 ヴィドックだった。駆けつけた彼の目の前で、フィーナが石に変化した。


「一番に着くのはリュシアンかと思ったけど、やはり狼の足には敵わなかったらしいね」


 クレイは石化したティティーヌを抱えながら、未だに余裕の笑みを浮かべている。


「……フィーナまで裏切ったのか」


 沸々と怒りを滲ませるヴィドックに、彼は無邪気に目を丸くした。


「とんでもない。私は最初から彼女と組んでなんていなかったよ? ヴィドック」


 心外だと大袈裟に嘆き、ふと優しい眼差しをフィーナに向けた。


「彼女はとても優秀な道具だったよ。もう少し使ってもいいかと思ったけど、何しろ心が未熟だ。その欠点だけは直らなかった。非常に残念だけど、別の道具に変えることにするよ」

「ティティーヌを……、返せ」


 低い声で脅しをかけるヴィドックに、クレイはくつくつと笑みをこぼす。


「返せ、か。君はティティーヌの何なんだい? 彼女を引き取り、面倒を看させたのはリュシアンだろう。彼が言うならともかく、君がその台詞を言うのはおかしくないかい?」

「御託を聞くつもりはない。さっさとティティーヌを放せ」


 ヴィドックの肌を、銀色の毛が覆っていく。骨格が歪み、鋭い牙がちらつき、人間から狼へ変化しようとしていた。


「おやおや。気の短い人だ」


 それでもクレイは余裕を見せている。一種族の次期頭首でもあるヴィドックが、本気で怒りを向けてきても、彼は呑気に変化の様子を楽しんでいた。

 ヴィドックの服が裂け、艶やかな毛並みの太い足が現れる。ぴんと尖った耳がぴくぴくと動き、喉の奥から呻るような低い威嚇の声が辺りに響いた。


「君のその姿を見るのは久しぶりだね、ヴィドック。やはり美しい」


 クレイは目を細め、心から感嘆のため息をついた。


「でもね、残念ながらその姿になっても今の私には敵わないと思うよ?」


 野性の狼より、ひと回りもふた回りも大きな狼を前に、クレイは穏やかに微笑んだ。


「そんなに剥きになって、よっぽどティティーヌが大事なんだね。……でも、石になった彼女を、私が軽々と持っている時点で気づかないようでは、君はまだ人狼の頭首にはなれないよ」


 そう言って、彼はヴィドックの更に後ろへと視線を流す。


「そうは思わないかい? リュシアン」


 ひと足遅れて到着したリュシアンは、かすかに息を上げながらも信じ難い思いで目を見開いた。


「まさか……、ティティーヌの血を飲んだのか?」


 その言葉に、ヴィドックがクレイへと飛び掛かった。クレイはすかさず身を反らしながら、ヴィドックへと笑顔で告げる。


「危ないなぁ。私がうっかり彼女を落としたらどうなるか、君にだって分かるだろう? ヴィドック。彼女が砕けてもいいのかい?」


 脅しをかけられ、ヴィドックは歯痒そうに呻り声を上げた。クレイがティティーヌを抱えている限り、手出しは不可能だ。

 リュシアンは目だけを動かしてその場を見回し、素早く状況を把握した。狭い地下牢の隅に、石化したキティとフィーナの姿があった。フィーナはクレイと組んでいたようだが、どうやら仲間割れが起きたらしい。


「……フィーナまで石に変えては、ティティーヌをさらっても意味がない。大人しくあきらめろ」


 メデューサの味方がいなければ、石化したものを元に戻すことは不可能だ。どんなにヴァンパイアの力が増したとしても、血によって得た能力は持続時間が限られている。再び血を飲むことができなければ、クレイの力は衰え、他のヴァンパイアとの差は元に戻る。そうなれば、リュシアンやヴィドックに勝算があることは考えずとも分かることだった。

 しかしクレイは、おかしそうに笑っている。


「甘いね、リュシアン。頭はいいのに、昔からいつも詰めが甘い」


 言いながら、愛おしそうに石になったティティーヌを見つめた。


「ヴァンパイアにもいろんなタイプがいるように、メデューサにもいろんなメデューサがいるんだよ。もらうものさえもらえば、わけも聞かずに引き受けてくれるメデューサがね」


 知人はなにも、フィーナとサーガだけじゃないと告げながら、クレイはティティーヌに頬ずりをした。

 ヴィドックの毛並みが逆立っていく。

 そこに、サーガも到着した。


「フィーナ!」


 彼は妹の姿を見るなり声を荒げ、鋭い目つきでクレイを睨んだ。

 敵が増えても、クレイが動じる様子はない。彼は片手でティティーヌを脇に抱えると、もう一方の手でフィーナを持ち上げた。そして堂々と足を進め、ヴィドック達の間を通っていく。


「私を石化するかい? サーガ」


 両脇に二体の石像を抱えながら、クレイは正面からサーガと対峙した。後ろにはリュシアンとヴィドック。前にはサーガ。挟まれてはいても、危機感はまったく感じていない。


「君には無理だろうね。意味もなく力を封じてるんだから。もし発揮したとしても、その拍子に私が手を放して、フィーナを落としたら大変だ。大事な妹を死なせたくはないだろう?結局、君も彼らと同じ、私に手を出すことはできないんだよ」


 おかしそうに笑いながら、クレイは通り過ぎた。サーガは顔を歪め、過ぎていったクレイを振り返る。


「必ず取り返す。もし妹に何かしてみろ。その時はお前を殺してやる」


 地上への階段に足を踏みかけながら、クレイも振り返った。


「こんなひねくれた妹がそんなに大事かい? 元はと言えば、フィーナは自業自得だ。自ら私を誘ってきたのだからね。君なら分かるだろう? サーガ」


 サーガの脳裏に、先日の出来事が蘇る。

 この屋敷に来た当日、疑惑を抱いたクレイの話に進んで乗っていったのはフィーナ自身だ。その場にいたサーガも、それは見ていた。なのに、自分は呆れて離脱を示し、フィーナを止めようとはしなかった。


(あの時に止めていれば)


 こんなことにはならなかった。ティティーヌが奪われ、リュシアンとヴィドックがこんな思いをすることもなかった。


(俺の、せいで)


「分かったようだね。そう、妹がこんな状態になってしまったのは、君のせいなんだよ、サーガ。君は兄失格だ」


 兄、失格。


 サーガは大きく顔を歪めた。

 昔、自分の能力を封じるきっかけとなったある事件。

 あの事件が起こった時、彼は誰よりも自分を責めた。周囲も、自分自身も、『兄失格』だと罵った。強いトラウマとなった言葉を改めて突きつけられ、彼は苦痛の叫びを上げた。


「うあああぁぁ――――っ!!」

「サーガ! 落ち着け!」


 リュシアンの静止も聞かず、彼はひたすら叫ぶ。クレイはおかしそうに笑い続けていた。


「兄妹揃って未熟だね。やはり同じ血が流れているだけのことはある。所詮君らはその程度というわけだ」


 一人うなずいて納得すると、彼は踵を返した。外に繋がる階段を上り、扉の入り口で足を止める。


「クレイ、待って!」


 アンリが駆けつけた。バーンズも一緒だ。


「アンリ? なぜ……」


 こんな時にと、苛立ちを募らせるリュシアンには答えず、アンリはクレイだけを見つめていた。彼の代わりに、バーンズが報告をした。


「彼女のことをクレイ様に話したのは、アンリ様です。クレイ様が自らご主人様を疑って探っていたわけではございません」

「なんだと?」


 振り返るリュシアンに恐怖を感じたアンリは、逃げるようにクレイの元へ駆け寄った。


「ああ、そういえば。引き取ってやる約束だったね、アンリ」


 穏やかに微笑んで見下ろすクレイに、一番困惑したのはバーンズだった。


「……アンリ様?」


 バーンズは、アンリがクレイにバラしたことしか聞いていない。その理由としては、慕っていた相手に隠し事ができなかったからということだった。しかし、クレイの言葉が本当ならば、アンリはクレイと取り引きをしたことになる。


「なるほど。そういうことか」


 すぐに察したリュシアンが、憎々しげにアンリを見つめた。傍らでヴィドックも低く呻っている。アンリは強い怒りを向けられ、押し潰されそうになりながらも声を張り上げた。


「こんなところ! もう沢山なんだ! 僕はクレイのところに行く! 拾ってくれたことは感謝してるけど、これ以上自由を奪われるのはごめんだ!」


 必死にリュシアンを見つめ、クレイにしがみつきながらアンリは叫んでいた。


「だ、そうだよ」


 クレイは石化したフィーナをその場に下ろすと、優しくアンリの頭を撫でた。


「せっかく拾って育ててやっても、結局は無駄な苦労だったねぇ、リュシアン。だから言っただろう? 出来損ないはどんなに努力しても出来損ないだって」

「…………え?」


 クレイの言葉に、しがみついていたアンリが硬直した。目を見開き、ぎこちなく見上げる彼に、クレイは優しく微笑み続けている。


「ひとつ、いいことを教えてあげよう、アンリ。私は出来損ないが嫌いなんだよ。それから、うるさい子供もね」


 いつもアンリに見せていた笑顔で、アンリが大好きだった笑顔で、クレイはアンリを階段から突き落とした。


「危ない!」


 抵抗もできずに頭から落ちたアンリを、助けたのは意外にもリュシアンだった。


「これほどの裏切りに遭ってもまだ助けるとは、君は本当にお人好しだねぇ。だからいつまで経っても『二番』なんだよ、リュシアン」


 軽い口調で話しながら、クレイは傍らに置いたフィーナをも突き落とす。アンリを庇って動けずにいたリュシアンに向かって。石の固まりとなったフィーナが落下した。


「っく!」


 砕ける前に、サーガが身を挺してフィーナを受け取る。階段の上に躊躇うことなく飛び込み、両手で妹を抱えると派手に地下へと滑り落ちた。


「誰が……、死なせるかよ!」


 背中を強く打ち、擦り傷を作りながらもサーガはしっかり妹を守った。


「お見事」


 頭上から、弾んだ声と共に拍手が聞こえる。


「元々そんなお荷物を持ち帰るつもりはない。フィーナの役目もここで終わりだ。頼まれずとも返してあげるよ」


 そう言うと、クレイはひらひらと手を振って外へ出て行った。


「意識を手放す瞬間、ティティーヌは君を呼んだよ、ヴィドック。でも彼女はもう私のものだ。残念だったね」


 くすりと、嘲笑と言葉を残して。

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