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/ごめんあそばせ

 閉じた瞼は開かなくなって、段々と返答が鈍くなっていきました。

 男の人の肌に直接触ったことなんてほとんどありませんけど、この冷たさは尋常ではないと存じます。


 まるで、ナガツキが、死んでしまったみたいです。



 どうしたらいいのでしょう。


 まず脈拍を取るイメージがありますが、やり方が分かりません。脈がどうなっていれば、その次に何をすればいいのかも分かりません。

 ショックを受けた時は気を失う演技をして、駆け寄ってきた殿方に脈拍を取られて寝かせられるもの、なんて大時代な作法だけを知っている世間知らずな私。


「ナガツキ」


 その名前は、まだ正しく発音できません。最初は何度か注意されましたが、私は発音を直せなくて、そのうちに諦められてしまいました。

 それがとても悲しくて。出来なくていい、出来ないのが喜ばれるのですと言われて、私に求められているものを知ったときのことを思い出しました。


 だから毎回、少しずつ発音を変えて、ナガツキの顔色を伺った。


「憎いと申し上げましたが」


 言葉に出してから、気付いた。

 普通の人には『気取っている』『何様のつもり?』と言われてしまう言葉遣いだった。


 二度目の生では自由に生きるのだと決めた。けれど18年間着てきたドレスの脱ぎ方はもう忘れてしまったのでしょう。


 これが自然だ、これが普通だと思い込んで口にする言葉には、むしろ嘘が多かった。


 それでも今は、『普通の言葉』で言いたい。


「あなたのこと、嫌いじゃないから」


 生気の失せたナガツキの表情には、何の変化もありません。


「大丈夫だって言ったけど、大丈夫じゃなかったわ。強がってるせいで余計に気を遣わせてるのも分かってた。分かってたけど、認めたくなかった」



 勝手な都合を押し付けて、自由を奪って、挙句にこれ。

 私が一番嫌っていた、周囲の人たちと同じだ。でも仕方ないかもしれない。そういう生き方ばかり、見てきたのだから。お父様もお兄様も、何も教えてくれなかったのだし。


 恨まれるのだろうな、と思う。


 私も、この世界に来る前は随分恨んだ。兄に当たったりもした。惨めな最期だったと思う。


「ナガツキの顔は綺麗だね」


 恨み辛みだけで人を殺せそうなほど心乱れた私は、きっととても醜い顔でこの世界に来たことだろう。そう、お母様みたいに。


 ナガツキはこの世界に来る前に、どんなことがあったのだろうな。何も聞いてない。私のやりたいことを主張するばかりだった。そういうのを一番嫌ってたはずなのに。


 ――ナガツキのことを考えていると、言葉から重たい装飾と、澄ましたアクセントが外れていく。


 必死で取り繕って、話しかけるたびに自分の言葉を確かめて。そんな努力が少しは実を結んだのかな。


「ねえ、死なないよね?」


「ナガツキ、私」


 聞こえていないだろうけど、私は――。


                 ◆



「初めましてこんにちは。アタシはメリーベル・リシュタンベルジェ。好きな料理はコカトリスの刺身。――で、あんたら何こんな場所で乳繰り合ってんの?」


 やってきたのは、目付きの鋭い女性でした。襟首の立った迷彩服。頭にも迷彩柄のスカーフを巻いていました。手には真っ赤な刀のようなものを持っています。

 眉毛を見れば赤色。この世界でも赤毛の人に対する差別があるのでしょうか。そう考えますと、少し嫌な気分になります。


「乳繰り合ってません」

「じゃあなんで身体重ねてんの? 薬盛って一方的に襲ってる場面か? 良い趣味してんな」

「違います! これはナガツキの身体が冷たいから……いえ、それより! 魔物を倒したと思ったら、急にお倒れになって! 」


 メリーベルは私とナガツキをじろりと見てから、こちらに歩いてきました。


「見せてみろ。物理的な方も、魔力的な方も、大体なんとかできっから」


 刀のようなものを地面に突き刺した後、私の腕を掴んで有無を言わさずどかしました。


「傷は、ねぇな。魔力切れこじらせまくっただけじゃねーの? どういう状況?」


「分かりかねますわ……」


 急に問いかけられて、出てくる自分の言葉遣いが嫌。


「倒れたあと、何かやったか?」

「何もいたしてません」

「じゃ、とりあえずそこの犬肉食わしてみっか。中途半端な焼き方だよなー、表面だけ焦がして、マジで無駄。もったいなさすぎ。それでも食堂の一員かっての」

「はい?」

「そこに転がってる包丁、お前らのだろ。もし盗品だって言うなら……」

「私のものです!」

「ならいい」


 刀を抜いてその場で軽く振り、焼け焦げたバスカヴィルに向かうメリーベル。


「お前ら、こっち来たばっかみたいだから教えてやる。ゆるほわ食堂にヒットポイント制はねえ。たとえつまようじだろうが、頸動脈に刺されば死ぬ。人によっちゃ刺さらなくなってることもあるがな」


 肉の焦げた部分を削ぎ落としながら、「まぁ当然、血抜きもやってねえよな。死ね」と吐き捨てる。


「そんで、その包丁に付いてる攻撃力ってなんだか分かるか?」


「魔力へのダメージ比率」


「知ってるじゃないか。そういうことだよ。物理的にはどうってこと無いが、魔力的にヤバい攻撃ってのは結構ある」


 言われて気付いた。ちゃんと聞いて回ったはずなのに。


「レベル差が大きい状態で――」

「ああ。掠っただけで魔力持ってかれて死にかかることもある。でもって、魔力が無くなりすぎると、生命活動に影響が出る。ほっとくと死ぬ」


 皮を削ぎ落とされて肉の塊になったバスカヴィルを片手でつかんで掲げれば、血が滝のように流れ落ちていきます。


「他の連中は魔力を休息補給できるアイテムを用意しておいたり、専属のヒーラー連れてたりするが、うちらは簡単に魔力を回復できる。食えばいいんだよ、魔物を。死んだら魔力抜けてっちまうから、相当鮮度が良くないと意味ないけどな」


 肉から流れ出た血は、すぐ下でゼリー状になっていきます。スライムに似た質感。


「でもって食べ慣れると段々魔力が感じ取れるようになってきて、地脈の乱れや魔物の発生が早めに分かるようになったりする。そのうち魔力ゲージが見えるようになる。よそは元から魔力が見えたり、その上物理攻撃力と魔力攻撃力が別々に見れたりするんだが、ゆるほわ食堂は適当なんだ。あと初心者の対応やりたがるサレナもクソ適当だ。あいつは基本の大切さが分かってない」


 血のゼリーが沸き立ちます。昔理科の実験で、水が沸騰するところを見たときに近いです。


「初心者への加護もは、クランに入って見えるステータスが減るのはまずかろうとゆるほわに合わせたって聞いたが、余計な気遣いなんだよなあ……。うちの馬鹿精霊に気を使う必要ないっての」


 肉を上空へ放り投げて、赤い刀を手に掴みます。血のゼリーの中に落ちるまでに肉がバラバラになっているのは、映画でも見ているようでした。


「まああれだ。上手いもん食えば経験値も入るし、魔力の扱いや知覚も伸びる。ものによっちゃステータスも上がる。まあうちらのステータスは飾りだが……とにかく魔物を倒したら喰え。それがうちの基本だ」


 ぼこぼこと音を上げて蒸気を吹き出す血のゼリーの中で、肉が煮えていきます。


 これが……異世界の料理。


「それを食べれば、ナガツキは元気になる?」

「知らん。なるといいな。魔力不足の他にゃ心当たり無いから、食べて治らなかったらアタシはお手上げだ」

「そんな……」


 


「ところで、お前に言っておきたいことがある。一つ、挨拶と自己紹介は人と人の基本だ。アタシが名乗ったんだから、お前も名乗れよ」

「チェルシー」

「苗字は?」

「モンタギュー」


 メリーベルは煮立った血と肉を見つめたまま、さして興味も無さそうに聞き流す。

 それでいい。私も、自分の姓はあまり好きじゃない。音のすわりが悪いと思う。


「そしてもう一つ。人が死ぬとき、最後まで残ってる感覚は聴覚だ。心臓止まって動けなくなっても聞こえてたりする。実体験だから間違いない。つまり死にかかって朦朧としてる奴に向かって話しかけるのはある意味じゃ正しいわけだが……」


 全部ナガツキに聞かれてるってこと!?


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