ゴチになります
加盟祝いに、一食奢ってくれるらしい。
自分はゆるほわ食堂には入らないから、とチェルシーは断った。
サレナさんはふわふわした表情で何度も誘ったが、頑として断り続ける。
やがてサレナさんは、深呼吸をしてから、少し真面目な顔になって言った。
「チェルシーを返せってお兄さんがうるさいのよー。いつまでも引き留めていくわけにもいかないし、ねー?」
チェルシーはバツが悪そうに謝った。
「兄がご迷惑をおかけしてすいません」
頭を下げるチェルシーに、間を開けずしてサレナさんは次の言葉を続ける。「お兄さんの前で、チェルシーちゃんだけ食べてなかったら、私がなんていわれるかなー」
元からチェルシーの身長が引くのもあって、頭を下げるスペースは少ない。俯いて首から上だけ傾けたら、もうほとんどテーブルに顔がくっついている。そこから一段階下がったチェルシーの頭は、机にぶつかることになった。ごちん。ごめんなさいの言葉が途中で切れ、代わりに「あうっ」と情けない声で結ばれる。
「お姉さんのためだと思って、食べていって」
かくして、チェルシーは白旗を上げたのだった。
その後、サレナさんはチェスターにも夕食を勧めた。今はお金を温存しておきたいからと断るチェスターに、お金はいらないと言ってのけるサレナさん。
そういうわけにはいかない、と即答するときの表情はどこかチェルシーに似ていて、やっぱり兄妹なんだなと思った。
そのあと、「みんなでご飯するのに、チェスターくんだけ仲間外れなんて、チェルシーちゃんに私が恨まれちゃうわ。優しい子だからねー」とチェルシーを引き合いに出されて折れるところまで、なんとなくチェルシーのときに似ている。
いずれお金は返しますから、と言ってそこだけは譲らなかったところも、兄妹で同じだった。
というわけで、食堂だ。
外から見た時には、元の世界の食堂とそっくりだと思った。けど、入ってみるとそれが間違いなのに気づかされる。
まず、メニューが無い。店内に張られた紙や、ホワイトボードもどきがお品書き代わりだ。どれも手書きのイラストなのを見るに、この世界に写真は無いのだろう。
客たちは、あれだこれだと店内の絵を指して注文する。また、他の客の食べている料理を指して「あいつと同じのを、大盛りで!」などという注文をしている者もいる。「すっぱくて柔らかいアーベンな!」とか、曖昧な注文も聞こえてくる。これがゆるほわ食堂のゆるほわたる所以か……。
なお、その後も観察を続けたところ「すっぱくて柔らかいアーベン」は魚のマリネを指していると分かった。
料理の名前や説明、値段はウェイトレスを呼び出して聞く形式。でも大声で聞くと、隣の客が「ああ、それは……」と説明を始めたりもする。最初から、目当ての料理を食べている人を探して聞いていることもある。
なるほど、賑わっているように見えるわけだ。自然と客同士で話し合うようになっている。
「じゃ、好きなもの頼んでー」
さて、どうしよう。
とりあえず白黒イラストの料理は無しだ。色を確認しないで頼むと何が来るか分からない。
たとえば、身の色がセルリアンブルーな魚。着色料をぶちまけたんだろうかってレベルで青い。アメリカのケーキでももうちょっと自重するってくらい、はっきりした青。皮ならともかく、加熱した魚肉が青色なんて聞いたことがない。ゲテモノは好きな方だが、この世界の味付け基準も分からないままアレに突撃する勇気は無い。
なお、食べている当人は満足げだった。
周りに習って、他の客に話しかけて味や値段を聞いてみるのは俺にはちょっと無理。レストランで初対面の人に話しかけるとか、慎ましい日本人の感覚からすると苦行だ。
同じ理由で、他の客が食べているものを頼むのも避けたい。「あれと同じのを」って注文から、指差した先の客と仲良くなっている光景も多い。
「決まったー? 決まったら言ってねー。とりあえず私は」
「もうちょっと見て回りたいです」
「俺も、まだ決められないです」
「僕はチェルシーと同じのにします!」
せっかくだから少しでも値段が高いものを選ぼうか、なんて貧乏くさい発想が出てしまう自分が恥ずかしい。
この店で一番高いのを頼む……無理だ。どうみても俺のキャラじゃない。
「ナガツキくん随分キョロキョロしてるねー。そんなに珍しい? いろいろあるけど、うちのクランが一番元の世界に近い感じだと思うんだけど」
「ええ、まあ。こんな感じの食堂は、初めてですから。ところで、おすすめとかあります?」
「みんなおすすめだよー。どれ頼んでも美味しいから」
何度か、周りの人が食べているのを見て、あれを頼みたいので対応する張り紙を探そうと試みたが、見つからない。大きな葉っぱに包んだ厚切り肉……イラスト書きやすそうな感じのメニューなのに見つからない。香辛料が鼻をくすぐる。あれの張り紙どこだよ!
チェルシーとサレナさんの方は決まったらしい。自動的にチェスターも決まる。そろそろ俺も決めなくては……!
いい加減、周りの良い匂いでお腹が空いてきている。焼肉を食べた時は、もう今日一日分まるまる食べたと思ったのに、今はもうお腹が鳴りそうだ。
「決まったー?」
「あ、はい」
何故食べ物の注文一つでこうも緊張しているんだろう。
サレナさんが呼び止めたウェイトレスがやってくる。サレナさんはシェフのきまぐれセットとのこと。そんなメニューあったのか。
あ、ウェイトレスさんと目が合った。俺か。俺の注文が求められているんですか。
「えと、あれで」
「私も、同じのをお願い」
「僕もチェルシーに同じです!」
サレナさんから、せっかくなので別なのを頼んでちょっとずつ分け合ったら?との提案があったが、チェルシー・チェスターともに「そんな、はしたない」と一蹴。
三人で同じものを頼むことになった。
運ばれてくるのを待つ間に、チェルシーがホワイトボードもどきについて質問した。指で触れるだけで書いたり消したりできるのに、どうしてペンも置いてあるのか、と。
答えはなんとも異世界感あふれるもの。なんとあのホワイトボード、魔力で書ける板なのだとか。人によって魔力の扱いに得意不得意があるので、魔力を上手く扱えない人のためにペンがあるのだという。
「ゆるほわ食堂も魔力が使えるんですか? 魔力を扱えるのは、魔物と魔術師系クランだけだって思ってたんですが」
「何もスキルツリーにあることしかできないわけじゃないのよ。何もゆるほわ食堂に所属してなくたって、みんな料理くらいできるでしょ? それと同じよ」
「他職の専門技能も、練習すればできるようになるんですか? チェルシーも練習すれば魔法剣できますか?」
「できるんじゃない? 努力した本職には劣るだろうけど、大体のことはやってみればできるわよー」
「良かったねチェルシー! 円卓議会に入ったあと、僕が魔法剣教えてあげるからね!」
チェルシーが返答に困ったところで、タイミングよく料理が運ばれてきた。