37話「楽しい時間は唐突に終わりを迎える」
「んもー! お姉ちゃん信じられない! 年頃の女の子が学校でざこ寝する!?」
早朝。まだ学校に登校するには早い時間。彼女――神城水樹は学校へと足を運んでいた。
もっとも、彼女が今いるのは普段通っている中学校ではなく、義姉である美雪が通っている高校だ。水樹は、姉からの頼みごとで彼女の着替えを持ってきたのだ。
「いや、ほんとごめん。朝早いのに持ってきてくれてありがとう……一番長い睡眠時間を取るにはこうするしかなかったんだよ……」
「だからって……」
「マットはあったから大丈夫! 掛け布団は保健室から借りたから大丈夫!」
「そういう問題じゃないよーっ」
「シャワーも部室棟のやつを借りるから大丈夫! 生徒会長権限で!」
「そういう問題じゃな……それはそれで問題だよ!」
危うく流しかけた姉の言葉にツッコむ水樹。美雪は、それを笑って冗談だと告げた。
朝食と着替えとタオルは、水樹が持ってきた。これで一応、美雪が普通に登校してきたことと何ら変わりがない状態にはなる。
しかし、だからと言って、女子としてそれはどうなのだろう、と水樹は疑問を持たざるを得ない。
「はぁー、私一旦帰るね。文化祭始まったらまた来るから。ちゃんとシャワーだけは浴びるんだよ! 絶対だよ!」
「姉に対する信頼なさすぎじゃない?」
ここまで念を押されると、まるで自分に入る意思がないようではないか、と美雪は悲しくなってくる。普段どんな目で見られていたのだと。
水樹は、小さく手を振ると生徒会室からそっといなくなる。
それを確認した美雪は、彼女から渡された袋に手を突っ込んだ。とにかく、今はお腹が空いている。彼女は昨日、ろくに食事を取らないまま倒れるように寝てしまったのだ。
空腹で目が覚めなかったあたり、よほど疲れが溜まっていたらしい。
袋の中から、食べ物が入っていそうな小さなビニール袋を取り出し、逆さまにひっくり返す。
パンやオニギリ、飲み物が数個入っていた。どれも美雪の好みのチョイスであることは、流石妹であると言ったところだろう。
「ん? レシートの裏に何か」
一緒に入っていたレシートの裏に、文字が書いてあることに気付く美雪。それを読むためにレシートをひっくり返した。
『無理して体壊さないでね』とだけ、可愛らしい丸みを帯びた字で書いてある。他でもない、水樹の字だ。
(可愛いやつ)
文字を隠すように2つに折りたたんだレシートを、美雪は制服のポケットに入れた。このまま袋と一緒にゴミにしてしまうのはもったいないと思ったようだ。
入院で水樹に心配をかけた分、もうこれ以上心配をかけるわけには行かない。
「さーて、体壊さない程度に頑張るぞ~」
小さくそう呟いて、美雪はパンを頬張った。
「お帰りなさいませ~、ご主人様ッ」
「お、お帰りなさいませ……」
生徒会長と文化祭実行委員長による文化祭開始宣言があった直後。
各クラスで催される出し物が一斉にスタートした。あるクラスは劇。あるクラスは占いの館。あるクラスはお化け屋敷。
そして、出し物の大半が飲食店で占められていた。廊下は少し移動すれば違う匂いが漂い、歩いているだけでも嗅覚的に料理を楽しむことが出来る。もはや匂いのテーマパーク化している。
ここ、明斬優花や夕陽丘ヒナタが所属するクラスも、数ある飲食店の1つだ。
彼女たちのクラスの出し物は、メイド喫茶。入り口の上には、でかでかと『メイド喫茶・地獄絵図』と書かれた看板が掲げられていた。
地獄絵図という言葉は、男もメイド服を着ていることに由来する。男も女もメイド服に身を包ませているという、ある意味男女平等を具現化したようなこの喫茶店は、まさに地獄絵図と言うに相応しい。
デザインはクラスの女子で出しあい、それをヒナタがまとめ、形にしたというモノになっている。伊達に制服をフリフリ増しに改造しているわけではない。もちろん、男もサイズが違うだけでまったく同じデザインだ。
そんな、ヒナタの趣味が全開のような衣装に身を包んでいる優花は、料理場から店の中を見渡して感心している。
「意外に人多いね。やっぱり、メイド服が珍しいのかな」
「そうだね。というか、純粋に可愛いメイドさんに会いたい人が多いんじゃな……ふあぁ……」
言葉を最後まで発することもないまま、ヒナタは大きなあくびをし、目に浮かんだ涙をゴシゴシと擦る。
そんなヒナタの様子を、優花は不思議そうに見ていた。
「ヒナタちゃん、もしかして寝不足?」
「う……ん、まぁ、寝不足だね……文化祭が楽しみすぎて寝れなかった」
「あはは、ヒナタちゃんらしい」
遠足を楽しみにする子供のような理由に、優花は口元を抑えながら笑う。
優花の笑顔につられてヒナタも力なく笑う。昨日受け取った手紙のせいで、ヒナタの内心は、正直メイド喫茶どころではないのだ。
手紙のことが気になりすぎて、目の前の事にまるで集中できない。普段のヒナタなら、このメイド服でテンションを上げ、生き生きと接客をしていただろうに。
ちらりと、また無意識に時計を見てしまった。時計の針はさっき見た時から数センチも動いていない。
「……? なんでさっきから時計を気にしてるの?」
優花に顔を覗きこまれ、ぎょっとするヒナタ。
手紙には、『このことは誰にも言わず』と書かれていた。つまり、感づかれた時点でアウトなのだ。
魔王である一輝のこと。どこかで監視をしていて、ヒナタ以外が一緒に来るようなら、待ち合わせ場所に来ない可能性がある、とヒナタは考えいた。
だから、迂闊に相談もできない。
「い、いやぁ、ヒナタも早く文化祭の店回りたいなぁって思って……あと休みたい」
だからヒナタは、あくまでいつも通りに答えるしかないのだ。
「どうしてもしんどいなら、保健室に行っても大丈夫だよ? なんだったら、千加ちゃんに頼んで休みを早くしてもらうことも」
「あっ! そ、それはいい!」
思わず力強く否定してしまうヒナタ。
休みがズレると、一輝に会いに行く時間ができなくなってしまう。それだけは避けたかった。
「あ……そう。無理だけはしないでね」
「う、うん。気をつける」
「んー、怪しいなぁ。ヒナタちゃん、何か私に隠してない?」
その言葉に、ヒナタの心臓は跳ね上がるように動悸を早めた。バクバクとした音が耳元で鳴っているようで、周りの音が聞こえづらくなる。
優花は、じとーっとした瞳でヒナタを見る。優花はそこまで深刻な事だとは思っていない。だから、平静を保っていれば大丈夫なはずなのだ。
「え、そんなことは……あっ! い、いらっしゃ……じゃなかった、お帰りなさいませご主人サマー!!!」
とはいえ、相手が優花であるため、とてもその空気に耐えられなかったヒナタは、即座に優花の近くからエスケープした。
その様子に優花は首を傾げるも、深く追求しようとは思わなかった。特に重要なことではないだろうと、判断したのだ。
「お帰りなさいませご主人様。お一人様ですか?」
気を取り直して、改めて接客に入るヒナタ。入ってきたのは、1人の女の子だった。
「……はい。えっと、優花ちゃんいますか?」
ボサボサで長い髪の毛を左右に揺らしながら店内を見渡す少女。水色の髪の毛は、雑にツーサイドアップにまとめられている。キョロキョロと動く瞳は、重そうなマブタで半分ほどしか開いていない。
服装も、適当に取り繕ったような印象を受ける。
その様子に、ヒナタは戸惑いつつも、『知り合いかな?』と思い、厨房の方にいる優花へと声をかける。
「えっと、優花~。ご指名のご主人様ですが」
「私?」
まさか厨房に引っ込んでいる自分が使命されるとは夢にも思っていなかった優花は、きょとんとした表情のまま厨房から現れた。
しかし、その表情もすぐに笑顔へと変わる。
「ルミちゃーん!」
「来たよー、優花ちゃーん」
「「いえーい」」
ハイタッチを決める2人。今日は、休日――自宅警備員のルミは毎日が休日だが――なので、中学生も来れるのだ。
それよりも、引きこもりのルミが出てきたという珍しさもあった。優花が指名がくるとは思っていなかったのは、まさか本当にルミが来るとは思っていなかったからだ。
その状況を端から見ていたヒナタは、戸惑いつつも尋ねる。
「優花の知り合い?」
「うん。一輝の妹」
「えっ!! かずきゅんの!! っていうか、あいつ妹いたの!!!!」
思わず大声で叫んでしまったヒナタ。一輝とはある程度長い付き合いだったが、妹がいるのをヒナタは知らなかった。
「うん。一輝捜しの一環で、毎日ルミちゃんと会ったり連絡してたりしたから……その時に、文化祭のこと教えたの」
「マブダチの優花ちゃんのお誘いということで、久々に家から出た次第であります」
「一輝から連絡とかは?」
「まったく。まぁ、お兄ちゃんのことですから、そのうちひょっこり帰ってくるんじゃないですか? 優花ちゃんも、探してばかりいないでちゃんと休んで下さいよ」
「うん。わかってる」
「とまぁ、お兄ちゃんのガールフレンド以前に、優花ちゃんとは古い知り合いかつお友達なのです」
「へ、へー」
兄が行方不明なのに、やたらメンタルの強い妹だなぁというのが、ヒナタがルミに抱いた第一印象だ。
まじまじとルミを見渡すヒナタ。あまり一輝には似ていないなぁと思った。
「なになにー? 織田の妹さんが来てるの?」
ふと気が付くと、数人のクラスメイトが優花たちに近づいてきた。
先ほど大声を出して驚いてしまったため、店内にいるクラスメイトたちは、ヒナタの言葉しっかりと聞き取っていたのだ。
店の入口に、次々と暇になったクラスメイトたちが押し寄せる。
「へー! あいつ妹いたんだー!」
「かわいいー!」
「全然織田に似てないなぁ」
「何歳? っていうか、何年生?」
「あいつ、妹おいて行ったのか」
「突然旅に出ちゃうお兄ちゃんなんてもって、妹さんも苦労してそうだね」
「はい。困ったお兄ちゃんです」
ルミは、さらりと答えたが、ヒナタは内心ヒヤヒヤしていた。
一輝の行方不明は、このクラスでは、自分探しの旅ということになっている。そのことを妹が知らないのではないかと、その話題が出た時に気付いたが、どうやら杞憂だったようだ。
優花がちゃんと説明していたのだろうと、予測する。
(……ん? 待てよ。『一輝』の妹として考えてたから気づかなかったけど、『魔王』の妹ってことは、あの子も魔族なんじゃ……)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
目の前にいる小さな少女が、変身して悪事を働く。そんなふうにはとても見えなかった。
だが、ルミが魔族であるということは間違いないだろうとヒナタは考える。
もしかすると、一輝がヒナタが約束を守っているかどうかを確認するために放った密偵ではないか、とさえ思えてきた。
(……うーん、とにかく、今は下手な動きはしないほうが懸命かもね)
最終的に、やはりヒナタはそういう思考に落ち着くのだ。
「さて、せっかくなんで、何か食べて行きましょうか」
クラスの壁から開放されたルミが、優花に連れられて席に座る。
ルミが座った場所が厨房の近くなので、ソースの香りだったり食べ物を焼く音だったりと、他のどの場所よりも食欲をそそられる要素が濃い。
優花がメニューを渡し、ルミがそれを受け取った時だった。
「あ! あーーっ!! ルミちゃん!!!!」
一際大きな声に、その場にいた全員が声の出処に注目する。声の出処は廊下、教室の開いた窓からだ。
身を乗り出すように、まっすぐルミを見ている。
その少女に、ルミは見覚えがあった。
「えと……神城さん……でしたっけ?」
首をかしげながら、廊下にいる少女、神城水樹の名を呼ぶルミ。
名を呼ばれた水樹は、これ以上ないくらい嬉しい表情を浮かべた。クリクリとした瞳をらんらんと輝かせていた。
「そうだよー! 私の事覚えていてくれたんだ!! 学校全然来ないから心配してたんだよ!!」
「あぁ、そういえば学校なんてありましたね……っていうか、ずっとそこから話すつもりですか」
「あっ、ごめん! つい!」
ルミに指摘されて、ようやく、神城水樹は教室の中に入ってきた。
一直線にルミの目の前にまで迷いなく歩く水樹。
ルミの前に到着するなり、彼女はルミの両手を握りしめた。
「久しぶり! 元気そうでよかった!」
「あ……はい、どうも……です」
温度差に戸惑うルミを置き去りにして、水樹はどんどんと話を繰り出した。よほど、ルミに会えたことが嬉しいらしい。
「文化祭で会えるなんて奇遇だね! あっ、そうか。お兄さんの文化祭だもんね」
「うん……ていうか、お兄ちゃんと面識あるんだ」
「うちのお姉ちゃんとルミちゃんのお兄さんが知り合いなんですよ。そんなことよりルミちゃん! ここで会ったが百年目!」
「なんでしょう。あたしここで敵討ちにでもあうんでしょうか」
「せっかくだし、一緒に文化祭周りましょう!」
「いや、別に……優花ちゃんに会ったら帰るつもりで……」
「ま゛わ゛り゛ま゛じょ゛う゛!」
「ガチ泣き! はー……わかりましたよ……お兄ちゃんにも、友達は大事にしろと言われてましたので」
やれやれと困った表情のルミとは正反対に、水樹は満面の笑みを浮かべた。
「では、いきましょう!」
「え、ちょっ、いー、まー、かーらーーーーー」
水樹に手を引かれ、ルミはあっという間に廊下の先へと消えてしまった。最後の方のルミの言葉は、優花たちにはもう聞こえていなかった。
ルミが座っていた机の上には、行き場を失ったメニュー表が寂しそうに置いてある。
「ルミちゃんが友達と一緒に文化祭回れるようだし、よかった」
「いいんだ……」
優花の嘘偽りない笑顔に、ヒナタは『本当にあれでよかったのかよ』と疑問を持たざるをえない。
水樹が美雪の妹であることは知っているヒナタは、彼女の行動力を観て姉の姿を重ねた。やはり、姉妹だと似るらしい。
ルミが現れてからの嵐のような騒がしい時間は、あっという間に過ぎた。それを経て、ヒナタの眠気はその嵐に飛ばされたようになくなっていた。
「優花ちゃんと、ヒナタちゃん、休憩入っていいよー」
時間は13時前。せかせかと動いていると、あっという間に交代の時間はやってきた。
クラスメイトたちが、名残惜しそうにしながらも交代の知らせを告げる。それに反応したヒナタは、さっさと裏の方へと消えた。
料理担当の優花はというと、ちょうど注文された焼きそばの料理にとりかかったらしく、休憩にはもうしばらくかかるらしい。
「ごめん優花。ここにいても邪魔になるし、先に休憩行っちゃうよ」
「うん、ごめんね。あとで合流しよう」
ヒナタは表面上は優花に気を使っていたが、内心では好都合と思っていた。
優花と一緒に行動していては、一輝との約束の場所に不自然なく1人で行くのは困難だ。今までどうやって約束の場所に行こうかと悩んでいたが、どうやら無駄に終わったらしい。
罪悪感はある。黙って行く事に、優花に対してなんの感情もわかないと言えば嘘になる。だが、下手に優花にも事情を話して、一輝と接触する機会を失うほうが、よっぽどダメだと思った。
だから彼女は、誰にも告げずに1人で行くのだ。
「ねぇ、夕陽丘さん。夏川さん観てない?」
「へ? 天音ちゃん? そう言われてみれば、いつの間にかいなくなってるね」
ついさっきまで一緒に接客をしていた天音だが、ふと目を離した隙にいなくなっている。交代の時間はまだだというのに。
お手洗いではないだろうか、と思うも、誰にも告げずにいなくなるような少女でないことはここにいる誰もが知っている。
故に、彼女がいないのは不自然としかいえなかった。もっとも、急いでいるヒナタからすると些細な問題なのだが。
「ヒナタいまから休憩だから、校内回りながらついでに探して、見つけたら声かけとくね」
「うん。よろしく」
「それじゃぁ、夕陽丘ヒナタ。休憩に行ってくるであります」
数人の、「いってらっしゃい」の声に送られて、ヒナタはメイド服のまま廊下を闊歩する。
1人一着あるメイド服は、宣伝の意味も兼ねて、休憩時間中も着用するようにと、クラス会議で決まっていたのだ。
歩くだけで目立つ。すれ違うたびに視線がヒナタへと集まった。それは、今のヒナタにとってはリスクでしかない。
特に、文化祭という部外者も入ってくるイベントだ。他校の生徒が出会いを求めて来ることも珍しくない。そんな中で一際目立つメイド服だ。声をかけるネタまで提供しているようなものなのだから、ヒナタを呼び止めるものは少なくない。
もっとも、大体の男子の視線は全体のメイド服の直後、その膨らんだ胸へと注がれるのだが。
それが分かってしまうだけに、嫌悪感も倍増する。
(あー、やだやだ……どいつもこいつも馬鹿正直に。もっと、一輝みたいに目の前で胸揺らしたら赤くなって顔を背けるくらいの純粋さを持つべきだね)
胸なんて大きくてもなんの役にも立ちやしない、と美雪に聞かれたら殺されそうな言葉を吐きながらツカツカと進む。
途中で声をかけられても、極力無視して進んだ。
(っていうか、どんだけ声かけられるんだよ! モテモテか! モテ期か! ここに来てモテ期か! んあー! メイド服のせいもあるんだきっと!! はぁー、自分で自分の首絞めてる感じ……)
何を隠そう、メイド喫茶を提案したのも彼女だ。さらに言うと、このメイド服の案をまとめたのも彼女だ。
声をかけられる要素の原因がほぼほぼ自分なのだ。そりゃ、自分で首を締めていると考えても仕方がないだろう。
コソコソと隠れながら……なんてことをしても目立つが、とにかく、なるべく周りを拒絶しながら小走りで廊下を突き進んだ。
途中、美味しそうな匂いが漂う場所も通る。面白そうな出し物をしているクラスの隣も通る。お腹も空いたし、興味もある。
だが、そんなものには一切目もくれない。
そうこうしていると、ようやく彼女は体育館倉庫に約束の時間ほぼピッタシに到着した。
体育館の裏側にある小さな小屋。文化祭の手もそこまでは伸びておらず、まったく人の気配がしなかった。
(いつもなら鍵がかかってるのに……南京錠が壊れてる)
扉の前に立って、足元に転がっている南京錠が目に入った。ヒナタにどうぞ入ってくださいと言っているようなものだ。
すー、はー、とヒナタは大きく深呼吸をくり返す。興奮する気持ちを抑え、頭の中を整理する。何を聞こうか、どう聞こうか、最初に何を言うべきか。
それは、たったの数秒の出来事だ。だが、随分と長い間そこで考え事をしていたような気分になる。
ようやく決心が着いて、ヒナタは倉庫の扉を開けた。錆びついた鉄の冷たい温度が手に伝わる。ガラガラと老朽化がにじみ出るような軋む音を立てながら扉は開かれた。
真っ暗な狭い空間。そこに、ヒナタが開けた部分だけ光に照らされる。
「か……一輝……いるの?」
恐る恐る声をかけるヒナタ。しかし、その奥から返事は返ってこない。
扉を開けっ放しではマズイと、ヒナタは自主的に扉を閉める。再び闇を取り戻す倉庫だが、彼女はここの蛍光灯のスイッチの位置を知っているのだ。
手探りでボタンを探り当て、パチンと押した。
照らされる倉庫。だが、そこに人影はまるでない。
「……?」
疑問に思いながらも、奥へと進むヒナタ。隠れている? 寝ている? そんな考えが浮かびながらゆっくりと歩を進めた。
場所を間違えた、時間を間違えた。そういった考えが浮かんだ所で、足を止める。
もう一度よく確認しようとポケットから手紙を取り出した。
「フハ、フハ、フハ。本当に1人で来ておるのぅ」
「……ッ!!!」
突如背後から聞こえた聞き覚えのある声に、ヒナタは慌てて距離をとった。
しかし、狭い体育館倉庫。すぐに倉庫内のモノに阻まれ、ヒナタは行き場を失ってしまう。
壁に背を預けるヒナタの瞳には、1人の魔族の姿が映っていた。忘れもしない、忌まわしき九頭龍。
「アグリネット……っ!!」
暗闇に浮かぶ不気味な笑顔。仮面のようなその白い顔は、ニヤニヤとした表情を崩さないままヒナタを見ている。
かつて、ヒナタ自身に一輝を殺させようとした張本人。ヒナタが忘れるはずもない。
「貴方がここにいるってことは、この手紙は罠だったってわけ」
「そうだ。その手紙は我輩が準備した。安心しろ。織田一輝が魔王であることは事実だ」
「……馬鹿にして……ッ!」
ぐしゃぐしゃッと手紙を力の限り握りつぶすヒナタ。血がにじむのではないかというくらい拳に力を入れるヒナタの表情は、かつてないほどキレている。
「フハフハフハ、そう怒るな。もはやそんな手紙のことなどどうでもいい。お前がここに来たということが重要なのだ」
「何?」
「お前、本当に『誰にも言わず、1人でここに来た』な」
「それがどうしたの」
「何故だ?」
笑いをこらえるようなアグリネットの問いに、ヒナタが答える義理もない。だが、何が目的かは知るべきなのだ。
だから、その問に答える。
「手紙にそう書いてあったから。下手に相談したりすると、一輝と会話する機会を失うと思ったからよ」
「違うな」
アグリネットは否定した。即座に、きっぱりと。
ヒナタの眉がピクリと動く。
「違うんだよ夕陽丘ヒナタ。お前が誰にも相談しなかった理由。それは手紙にそう書いてあったからじゃあない」
より口角の上がった口で、アグリネットはヒナタに考える時間を与えるように、言葉を溜める。
しかし、ヒナタは特に考えるような素振りも見せない。ただ。アグリネットが口を開くのを待っていた。彼は、肩をすくめて息を吐く。
そして、たっぷりの悪意を含んだ言葉を吐き出した。
「お前は……織田一輝を独占したかったんだ」
「なっ!? ち、ちがっ」
「フハフハフハ、違わない。お前は魔法少女の中で、唯一織田一輝の正体を知る人間だ。織田一輝は魔王。それを知るのは自分だけ。だから、自分だけが彼の理解者になってあげられる。自分だけが、彼の苦しみを理解できる。そう思っていたんだ」
「違う!」
「優越感に浸れただろう? 織田一輝が選んだのは、ガールフレンドの明斬優花ではなく他の誰でもない、自分であった。そのことに喜びを感じていたんだろう?」
「違う!!!! そんなんじゃない!!!!」
大声で否定するヒナタだが、彼女の言葉など聞こえていないと言わんばかりに、アグリネットは言葉を繰り出す。
「自分だけが、彼に選ばれた、彼の側にいることを許された人間。彼は自分を見てくれていた。自分が正体に気付いていることに気付いてくれた。通じている。この世界で、一番彼の心に寄り添っているのは自分。そんな独占欲にまみれた優越感があったんだろう」
「違う違う違う!!! 黙れぇええ!!!」
ヒナタが、魔装戎具を取り出し、変身しようとした時だった。
異変に気づいた。
(体が……動かない……)
それは、前にも体験した出来事。目の前のアグリネットの魔術。
体は硬直し、変身することもできない。かろうじて口が動く程度だ。
「相談しようと思えばできたはずだ。監視があったとして、その目を掻い潜って知らせる手段もあったはずだ。だが、お前はそうしなかった。何故か。我輩の言ったことが正しいからだ」
「……」
「お前が、織田一輝という人間に好意を寄せていることも知っている。織田一輝にガールフレンドがいることも知っている。だからこそ、あの日、お前に魔王の正体をあえて見せた」
「……っ!」
「結果、お前はその情報を独占し、隠し、あまつさえ今回の手紙のことさえ伏せた。どうだ? 友人を欺いた気分は。友人である恋敵を出しぬいたと感じた気分は」
「もぅ……ヤメて……」
「明斬優花は魔王を恨んでいるが、自分は魔王である織田一輝も受け入れられる。そう考えただろう? 織田一輝に関して優位に立てていると悦にも浸れただろう。親友を見下した景色は、さぞかし爽快だっただろうなぁ」
「ちがう……そんなんじゃ……ないの」
動かぬ体でも涙は流れる。
ヒナタは、否定するも、完全には否定しきれない自分がいることに、余計悲しくなった。
「フハ、フハ、フハ。お前の『闇』、見つけた」
常に不気味な笑みを浮かべていた表情は、さらに歪んだ笑みを浮かべる。狂った笑顔だ。
アグリネットの狂気的な笑顔が、ヒナタの網膜に焼き付いた。
次回更新は、1月8日(土)です。




