第十七話 舞台
注意:流血・残酷描写有
おぞましい純粋な力を見た。
かろうじて外枠だけを残し、上から圧倒的な力で破壊された馬車の木枠から零れるように血が滴っている。
血に塗れた馬車を目の前にして人々に言葉は出てこなかった。
圧倒的な血臭。
それは自分たち人間が「捕食される側」であることを否応なく突きつけてくる。
だが誰もが足を竦ませていた時、檄を飛ばしたものが居た。
「何をしているっ直ぐに騎士団に事の次第を伝達しろっ」
「はっはい」
「他の者は子爵家へも伝令!同時に他の貴族の方々へも伝令を飛ばして注意をするよう申し上げるのだ!」
子爵家の初老の執事だった。
教会の司祭教育を受けたことのある彼は魔物との相対に対する知識があった。
彼の迅速な指揮のもと速やかに報告はなされ、魔物の侵入は騎士団の知るところとなったのである。
だがこの時に子爵家の執事たるリュペルは決定的なミスをした、貴族が多く集まっている「ヴァンハール伯爵家」に真っ先に伝令を飛ばすことを指示しなかった、一点においてだ。
歴史にもしもなど存在はしない。
だがこの時に、伝令が夜会が開かれている場へ直接行っていたら。
あるいは避けられたかもしれない悲劇は存在した。
*****
ものの数十分も経たないうちに騎士団の詰所は混乱と憶測とが渦巻いた。
それもその筈、指揮するべき最高責任者の不在。
突然の魔物の襲撃情報と予測の域を出ない壊れるはずのない結界の破損。
彼らに突きつけられた現実は重い。
先の魔物との戦争で失われた命の代わりに補充された新兵たちは経験も浅く。
それを何とか熟練した兵たちが抑えてはいるのだが。それにも限界はあろうというものだ。
騎士団詰所では魔物が群れとなって押し寄せ続けているという噂まで、この時は生じていた。
完全に流言の類だが兵たちの不安を煽り冷静な判断を失わせるには充分な劇薬である。
マリエルはその混乱の中でいてシルヴェストの副官である職務を果たそうと方方に指示を与えていた。
「第一級戦闘態勢!これは訓練ではない!!」
「シルヴェスト隊長に伝令を飛ばせっ!!」
「迅速に"騎獣"の装備も整えろ!敵は"翼アルモノ"だ!!」
幾つもの指示を与える間に各隊長たちに装備を整えさせてるが、完了の報告は未だに無い。
「こんな時にっ」
少し前ならシルヴェストも一緒に居たのだから、その時に事件が起これば対処も早かったであろうという考えが浮かんでマリエルは眉を寄せた。それが自身の甘えだと理解していた。
「居ないからこそだろうが」
唇を噛みしめ、そして彼は控えていた下士官の腕を掴んで尋ねた。
「俺の"騎獣"は準備は出来ているのか」
「はい、出れます」
緊張を孕んだ空気に汗を滲ませてこたえた下士官にマリエルは了解の返事を言わず踵を返した。
足早に自身の"騎獣"に乗り、軍を鼓舞し先陣を切るために彼は駆けた。
*****
時を同じくして騎士の詰所が混乱の渦にある中、ヴァンハール伯爵家は未だ宴の最中にあった。
その夜会場の広大な庭の端で蠢く影がある。
それは厚手の外套を羽織った三人の人間たちだった。
彼ら全員、文様の刻まれた陶磁で出来た入れ物を持っている。
少なくとも宴に来た出で立ちではない。
「手早く済ませよう」
一人が指示する、声だけだと若く感じる声だ。
「こんなもの本当に"魔のモノ"は好むのか」
「猫にマタタビと一緒だ、考えるな」
女の声も交じり、一体彼らが何を目的として集まったものかは判別がつかない。だが、
「早く壺の中身をぶちまけて奴等を呼び寄せろ」
さっきの若い男が幾分苛立たしげに言って、彼らは一様に頷き、壺を地面に叩きつけた。
耳障りな音と共に、ビチャリと赤黒い液体が地面に毒花のように咲く。
甘ったるい腐臭が辺りに漂い、彼らは鼻を外套でおさえた。
「可哀相なことをしたけれど、これも仕方がない」
女の声は赤黒いものに向かって憐れみを向けた。
「必要な犠牲だった、急な事だったが前から用意していて良かった」
今度は幾分年配の声だ。
「シルヴェストは殺さなければならないのだから」
若い男の声が冷徹に響いた、その瞬間、パキッと誰かが枝を踏みしめる音がした。
「誰だ!!」
外套の人間たちは誰何する声と共に動き、枝葉の影から尻餅をついている小さな影を見つけた。
「…お前は」
「知っているのか?」
「さっき会ったばかりだ」
「だが見られたからには仕方がない、奴等を呼び寄せる"撒き餌"になってもらおう」
異常な事態に震える子供を三人は囲い、彼等の手には鈍い輝きを放つ剣があった。
*****
『パーティーやってるんだろ?そこまで行って沢山貰おうぜ』
そう金髪の幼馴染が言った時、彼はちょっと不安だった。
だって以前、たまに会ったことのある貴族の人間は皆が皆、冷たかったからだ。
貴族たちの居る庭に向かった幼馴染達が心配で心にずっと雲がかかっていた。
大事な妹にあげる喜捨は厨房裏から貰えたし、あとは二人を連れて帰れればいい。
きっと妹はお腹を空かせて自分を一人ぽっちで待っているから早く帰ってやりたい。
そばかすシュカとお転婆クルガは厨房で会ったメイドさんに遊んでもらっていた。
二人ともお母さんが居ないから甘えただ。
彼にも母はもう居なかったけれど、彼には病で死別した母の記憶があるから素直に甘えることも出来なかった。
だから二人を迎えに行くと言えば、シュカとクルガも彼を見送った。
それがこんなことに巻き込まれるなんて思わないじゃないか。
胸に突き刺さった剣が灼熱のように熱い。滴る血が視界を焼く。
「畜生」と言ったつもりが腹から零れる血が咽喉から溢れて音にはならなかった。
悔しい。
本当に俺ってついてないんだ。
スラムで生まれた落ちた時から運は無いって分かっていたけれど。
それを嘆いたことはなかった…だって小さな妹がいた。
自分を全部受け入れて、自分がいなきゃ生きていけない幼い妹がいる。
そうだ、俺、帰んなきゃいけない、のに。
涙が溢れる。
こんな理不尽に俺は殺されるのか。
こんな簡単にモノみたいに、殺されるのか。
『にいちゃ』
お前が腹一杯になって笑う顔を今日は見られると、思った、のに。
ヒュウッと息が零れる。
生き、たい。
その一心で自分の胸に剣を突き立てている男の外套をルンは握りずらす、と男の顔が露わになった。
夜会の明かりが飛び交う幻想的な庭で。
「あ、んたは」
ルンの瞳が見開かれる、
涙が一筋零れ、
哀れなほどに細い手が地面に力なく落ち、
彼は事切れた。




