第十五話 歯車
ルフィスがカイルの治療を終え、広間へ戻ろうと回廊で一人になったところで呼び止める声が響いた。
「王太子殿下でいらっしゃいますか」
何時からそこに居たのか、伯爵家の家令の少年が立っていた。
「そうだが?」
「王太子様宛に教会から手紙が届きました。」
失礼しますと一礼して折り目正しく少年は、懐から蜜蝋で封をされた書を差し出す。
それを受け取り、素早く宛名を確認して王太子は微笑んだ。
「有難う、下がっていいよ」
「はっ」
そう言っても、そのまま頭を下げ続ける少年に苦笑を零して、ルフィスは今度こそ足を広間へと向けた。
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紅の絨毯は靴音すら響かない。
ルフィスの耳に遠くで楽団の鳴らす音が届く。
歩きながら読み進めた書状には、ルフィスの予想を超えた報告がなされていた。
最後に流麗な筆跡で書かれた名をもう一度確認し、手紙を手の中へ畳んだ。
教会の大司祭である者の名は間違いがない、王太子という立場から何度か目にしたものだ。
確認しなくてはならない、そうだとしたらこの国を大きく揺るがすことなのだから。
聖女よ
ルフィスは感情のままに言葉を紡ぐことを抑えた、どこに耳があるかなど分からない。
それが事実であるというなら。
利用させて貰おう
それは統治するものとして当然の選択であり。
ルフィスが決然とした意思で一歩を踏み出した。その瞬間に彼の手の中で白の封筒が燃え、それは灰塵となって回廊の片隅に落ちたのである。
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ルフィスが広間に到着した丁度その時は、シルヴェストとレクトフィリアが2曲目を踊っている場面であった。
ルフィスはシルヴェストとダンスホールの中央で踊っている少女を見て、目を細めた。
薄汚れて灰色と思ってしまった自分の浅はかさに心の中で舌打ちが零れそうだ。
だがこうして改めて見ると、あの髪は白銀。
その可能性が低すぎて排除していた、おそらく此処にいる貴族は気付いていない。
自分だけがこの場でジョーカーを握っているとルフィスは正確に理解していた。
悠然と歩を進める、ダンスホール中央にいる二人の元へ。
貴族たちのざわめく喧騒が大きくなってゆく。
「私とも踊ってほしいな」
そして王太子はレクトフィリアに微笑んだ。
レクトの隣りのシルヴェストは幾分か訝しげにルフィスを見ている。
その親友の視線が何を物語っているのかも知っているが今はそれを話す時でないと正確に理解していて。
ルフィス・フォン・ハイウルフ王太子は完璧な所作で礼をはらい、レクトフィリアにダンスを申し込んだ。
そして歯車は人の数だけ組み合わさり、カチカチと噛み合わさりながら回る。
後にこの帝国の運命を決定付ける事件は静かに五階層のある一角に生じた。
灼熱のマグマが薄いガラスに注がれて破裂するような嫌な音を立てて、ハイウルフ帝国の結界にヒビが入ったのである。
魔は身近にこそある。
人なる身には知るべくもなく。
人々は夜会に興じ、やがてその結界は徐々に亀裂を深めていった。
この日のことが書かれた歴史書には「血の夜会事件」という名がつけられている。
それはだが現実にその場に居合わせた人間からすれば、一言で済むものでは決してなかった。
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周りの貴族たちの喧騒もレクトは仕方がないと思った。
レクトの目の前には白の夜会服を優雅にまとった王太子がレクトを柔らかく誘導して、踊ってくれている。
シルヴェストと違うのはレクトの拙さに、王太子であるルフィスが合わせていることだろう。
踊りとは違う、御ままごとのようだけれどレクトには丁度良かった。
「カイルは大丈夫ですか?」
話す余裕が出来る。
レクトの言葉にルフィスは飾らない笑みを浮かべ、レクトの頭上から穏やかな声が降ってきた。
「大切なのかい」
その言葉で正確にカイルは大丈夫だと理解したレクトは肩の力を抜いて、微笑んだ。
「カイルは私のお兄ちゃんみたいな存在なんです」
「兄…」
ルフィスがそう言えば瞳を輝かせる子供に、眩しさを感じた。
「血は繋がってないですけど、一等大事なんです。」
この素直さが少し、ちょっぴりだけルフィスには羨ましかった。
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『兄上』
一瞬のうちに思い出されるのは遠く異国の地にいる弟。
父王に瓜二つの金髪碧眼の弟。
ルフィスは広い宮殿で気付けば一人だった。
母が物心つく前に亡くなって、仲良くしていた母の祖国から来たという騎士も放逐された。
一人っきりなって初めて世界が見えた。
『今日は剣術をなさいましょう』
『あれが王妃と…』
『今日は帝王学を、』
『あの髪の色など、陛下に』
『騎士と密通し…淫売の…』
ありとあらゆる周りを囲む大人たちの声が耳に残っている。煌びやかな宮殿でルフィスは一人だった。
『兄上』
その中で弟だけは変わらず、陽だまりの様に自分に接した。
憐憫かと心が冷えて距離を置こうとしたのに、弟は変わろうとしなかった。
人が人に対するに、変わらないということが、どれだけ奇跡的なことか後で知った。
気付くのはいつも手遅れになってから。
『兄上』
今は異国に留学中の弟に自分がどれだけ救われたかしれない。
…たとえ今は袂を分かっていようと。
だからルフィスはレクトに心からの笑みを返した。
「君たちが幸せであるよう祈ろう」
それが叶わぬ願いでも。
その祈りを自らで壊そうとも。
この瞬間、ルフィスはレクトフィリアとカイルの二人の幸せを願ったのだから。
この一瞬は確かに真実なのだ。
レクトのはにかむような笑みにルフィスはそう信じた。




