第十話 価値観
シルヴェストはそのまま転がっている子爵を放置してレクト達の元へやってくると、その場で裾が汚れることも厭わずに屈みこんだ。
そしてレクトに身を預けて幾分、グッタリしているカイルの手首に触れた・・・さっきまで、この場で貶められたスラムの子供に触れた。
「伯爵?」
「なにを?」
周囲からの疑念の声に、シルヴェストはただ一言、「触らなけりゃあ治療は出来ねぇだろうが」と紡ぐ。
それにざわめきが大きくなった。
汚いものに触れることすら穢れと感じる貴族にとって、シルヴェストの言葉はどこまでも異質に響く。
彼等にとってそもそもスラムの人間は治療する必要はない、死んだらおしまいなのだ。
否、人間でもない、ただの家畜のようなものなのだ。
そんな価値観がごくごく普通である世界の中で、シルヴェストという人間は、彼自身の良心によって立っていた。
レクトも青灰色の瞳を見開いて、目の前でシルヴェストの端正な顔を驚きをもって見つめた。
日本という世界から来た自分じゃないのに、身分とかそういったものをあっさりと飛び越える目の前の人の存在が信じられなくて。
でも飛び切り嬉しくて、それでも言葉にすることも出来なくて見つめた。
そんなレクトの視線に勿論、シルヴェストは気付いて大きな手でレクトの銀髪をくしゃりっとかき混ぜた。
「そんなに目を見開いてっと目玉落ちるぞ、ちび」
悪役の様に口の端をあげて笑う。
けれど彼の瞳にたたえられた光は柔らかくて、その冬の空のような透きとおった蒼の瞳は綺麗だとレクトは思うのである。
そしてシルヴェストがカイルに手を翳して何事か口の中で言葉を紡ぐと、カイルを銀の優しい光が包んだ。
「魔法?」
カイルを抱きしめながらレクトは目の前の光景に息を飲む。
「軽い痛み止めだ」
だがそれを起こした張本人は大したことは無いとでもいう様にアッサリと言うと。
少し表情を和らげたカイルをみて、「俺より治療に長けた奴がいるから屋敷へ来い」と言って、そのまま手を伸ばし、カイルとレクトをそれぞれ片腕ずつに抱き上げた。
*****
ざわめきが聞こえる。
あちらこちらで貴族たちが囁きあっている。
けれどレクトはその声がもう気にならなかった。
さっきは階層を上がったことに罪悪感すら感じさせた周囲の声が、気にならなかった。
理由は分かってる。
レクトは自分を軽々と抱き上げる人を見上げた。
彼の漆黒の髪がサラサラと流れてる、人波を自然に切り裂いてゆく圧倒的な存在感を放つ彼は、苛烈なまでの蒼の瞳で前を見ていた。
あったかい。
抱き上げられて接するシルヴェストの体温はあったかかった。
レクトは抱き上げられ目の前のシルヴェストの服の裾をぎゅっと掴んだ。
そんなレクトのしぐさにシルヴェストは僅かに瞳を和ませて、二人を屋敷の中へ連れて行くのだった。
「緑の癒し手」と二つ名を持つ自身の親友に二人を診てもらうために。
漆黒の夜会服をまとって英雄・シルヴェスト・フォン・ヴァンハールと彼に抱き上げられた二人の喜捨服をまとった浮浪児。
彼らが通った後にはさざ波の様に貴族たちが囁く声が広がっていった。




