第一回 優秀な人を口説く最悪の方法
優秀な外部人材に「うちへ来ないか」と声をかけた中間管理職の私。
ところが返ってきたのは、採用担当者には聞かせられないほど正しい質問だった。
会社に入れば、本当にやりたい仕事ができるのか。
一緒に働きたい人と、働き続けられるのか。
物語は、ひとつのスカウト失敗から始まる。
優秀な人材を口説く最悪の方法は、正直になることである。
私はその日、最悪の方法を選んだ。
「うちに転職する?」
プロジェクト定例が終わったあと、私は協力会社の佐伯さんに聞いた。
佐伯さんは三十代半ばの女性で、仕事が速かった。
速いだけではない。
こちらが「検討します」と言ったとき、その検討が本当に必要な検討なのか、決めたくないだけなのかを見抜いた。前者なら期限を聞き、後者なら黙って次の議題に進んだ。黙り方に慈悲があった。
会議で誰かが「認識合わせをしましょう」と言えば、
「何について、誰と誰の認識が違っていますか」
と聞いた。
たいてい、誰の認識も違っていなかった。違っていたのは「決めたくない」という一点だけで、その点については全員の認識が完全に一致していた。
おかげで会議が短くなった。
おかげで一部の社員から嫌われていた。
会議を短くする人間は、会議の中でしか存在を確認できない人間にとって、存在の危機である。
大変優秀だった。
「社員になれば、もう少し長くこのテーマを見られるし。待遇も、たぶん悪くない。たぶんだけど」
「たぶんなんですね」
「給与を決めるのは私じゃないから」
「仕事を決めるのも?」
「それは、まあ」
佐伯さんは少し笑った。獲物を追い詰める笑いではなかった。すでに追い詰め終わったあとの、事務的な笑いだった。
「〇〇さん、ミルクシェイクの話って知ってます?」
「朝、車で通勤する人がミルクシェイクを買うやつ?」
「そうです。人はミルクシェイクという製品を買ってるんじゃなくて、『退屈な通勤を片づける』という用事のためにミルクシェイクを雇ってる。ジョブ理論。クリステンセンの」
「経営学勉強してるんだ」
「発注元と話が通じないので」
ひどい理由で正しい勉強をする人だった。
「転職も同じなんですよ。私は御社という製品を買いたいんじゃない。『〇〇さんたちと、この仕事をちゃんとやる』という用事のために、御社を雇いたいんです」
「うん」
「で、御社はその用事、片づけてくれますか。プロパーさん、異動ありますよね」
「ある」
「〇〇さんがここに居続ける保証は」
「ない」
「私が入社後この部署にいる保証は」
「ない」
「つまり御社は、私の雇いたい用事を、入社した瞬間に片づけられなくなる可能性がある。そういう製品ですよね」
まったくその通りだった。
キャリアの幅。多様な経験。長期的な成長機会。会社が人事説明会で使う言葉なら、いくつも知っていた。二十年も勤めていると、そういう言葉は勝手に体内に蓄積される。健康診断では検出されないが、確実に肝臓のあたりに溜まっている。
どれも口から出なかった。
「希望は出せるよ」
「通るんですか」
「通ることもある」
「福引きみたいですね」
福引きなら、まだ回す権利は自分にある。
私はそれを言わなかった。言えば、もっと正確な比喩に修正されるからだ。
その夜、全社員宛のメールが届いた。
件名は「全社組織改編説明会のご案内」。
本文の一行目に「過去最大規模」とあった。
過去最大は、私の記憶では三年ぶり四回目だった。
【本章の経営学】クリステンセンの「ジョブ理論 」
顧客は製品を買うのではなく、片づけたい用事のために製品を「雇う」。採用も同じである。候補者が雇いたいのは会社ではなく仕事だ。仕事を保証できない会社は、用事を片づけられないミルクシェイクである。誰も二度は買わない。




