第1話:高嶺の花
男が女より身体が大きく、喧嘩っ早いのは、他の男との戦いを経て、何かを掴んでいく人生を歩んでいくためだと、子供の頃に死んだ親父は良く言っていた。
俺は、物心が付いたころには、家計を支えるために働いていた覚えがある。
弟や妹たちが独立して、世話に充てていた金は全部お袋へ回せるようになった。でも、お袋は俺の今後の人生を心配して、嫁探しの資金にしろ、と言い出した。腰も曲がりだしてるのに大丈夫かよって思ったが、お袋にしては珍しく、首を縦に振らないから、俺は折れてその提案に乗ることにした。
興味がなかったのかと言われると噓になる。あれは確か、4年前、俺が16歳の時だった。
姉貴の嫁ぎ先の知り合いを紹介してもらって、何回か会ったりご飯を食べに行ったりした。同い年の女の子だった。
話も合って、フィーリングは悪くなかったと思う。けれど俺の条件が良くなかった。率直に言えば、うちが貧乏だったのが悪かった。向こうの親が反対してきて、縁談はオシャカになった。
その知り合いも責任を感じたのか、その後も何人か女性を紹介してもらった。しかし、俺の懐が寒いことがわかると、本人や周りが避けていくという経験が続いて、そのうち、諦めてしまった。
ショックだったのは事実だが、世の中はそういうものだということも悟っていたので、泣くことはなかった。俺は早くから働いていたから、大人の理屈というものを子供の頃から触れてしまっていた。裕福な子供たちが、机に向かってペンを走らせたり、同世代の奴らと遊んで、未来へ想いを馳せる間に、俺は今日を凌ぐための稼ぎを如何にして得るか、ということに知恵を巡らせていたのだ。
女を見ないようにしてから、俺はなおのこと、懸命に働くことにした。仕事はキツイが、体が疲れると悩む暇もなくなる気がして、悪い気分ではなかった。金を持っていけば、家族からも感謝されるし、報酬の札束を握るたびに、俺の汗と血が形になった気がして、魂が震えたのだ。
支えるものがいなくなると、肩の荷が下りた気分だったが、一方で焦りのような感情もあった。働くべき理由がなくなってしまう気がして。
お袋の提案は、そういう意味では救いだった。今の俺なら多少の余裕があるし、結婚を考えるのに年齢もちょうどいい。街で一張羅を買って、姉貴に教えてもらった、夜のパーティへ繰り出したのだった。
会場は街の一番大きなレストランだった。4階建てのデカい屋敷の一角で、建物はこの街を取り仕切っている実業家の持ち物らしい。
受付の女性に話しかけると、誰かの紹介で来たのか訊かれた。姉貴の名前を出すと、トランプのカードを1枚持たされて、1階のホールに通された。
俺の受付のすぐ後に、見るからに金持ちそうな男も来ていた。そいつは俺も知ってる街のお偉いさんの名前を出してきた。すると受付の口調がえらく丁寧になり、2階に通されていた。まあ、世の中なんてそんなものだよな。
ホールには色々な男女が2~30人はいて、大体同じ割合で居た。極端に金持ちそうな奴はいなかった。いや厳密にはいたのだが、老紳士・老婦人という感じで、あれはあの辺でくっつくのだろうと思った。
問題は、俺と同世代と思われる男たちだ。パーティの始まる前だったが、すでに女性たちに囲まれ、笑いの一角となっている奴らがいた。容姿も優れていて、いかにもモテそうな雰囲気だ。
そこまでの強者でなくとも、肌や髪の艶が良い男たちは、俺よりもはるかに輝いているように見えた。幼いころから、土や汗に包まれっぱなしだった自分が、間違えてここに迷い込んだ、野良犬のように思えてしまった。
さっきの受付の女性が会場に現れると、パーティが始まった。会場に椅子とテーブルが運び込まれる。先ほど配られていたカードのスートと数字に応じて、着席できる場所が決まってるらしい。俺のカードは「クラブの5」だった。
会場に大きなテーブルが2つと、小さいテーブルがその周りに8つほど置かれる。小さなテーブルには椅子があり、4人が座れるように配置されていた。俺は左側の椅子に座ると、右隣りは別の男、前とはす向かいは別の女性になっていた。皆、何となく、頑張って今日は綺麗にしてきました、って感じで、服装の雰囲気が似通った4人だったので、安心した。
他のテーブルを見ると、大体4人が同じような見た目になるように調整されているようにうかがえた。主催側が気を遣ってくれたのだろう、と思ってありがたかった一方で、たいてい、俺たちより綺麗な身なりをしている奴らばかりだったので、複雑な想いだった。「隣の芝生は青い」だと言えば、それまでかもしれないけれど。
茶とお菓子が出されて、「お喋りの時間」が始まった。
姉貴からは仕事や趣味などの話が出来るようにしておくと良いと聞いていたので、自己紹介を挟みつつ、そんなネタを女性たちに話していった。1人は寂れたカフェのウェートレス、もう1人は貧しい農家の娘のようだ。兄弟や姉妹を支えていた、という話をしたら結構食いつきがよく、2人とも同じような苦労をしていると言って、思いがけず盛り上がった。
隣の男は、額や頬を中心に、ボツボツした傷跡があり、陰気な感じだった。こういう雰囲気に慣れていないのか(まあ、俺も人の事は言えないが)、俺や女性2人の会話に対して、曖昧な笑みを浮かべているだけだった。
そんな姿を見て、少し心が痛んだので、思わず何度か話題を振ると、辛うじてこう答えた。
「俺も、大工の仕事を始めようと思ってて……。出稼ぎで、田舎からこの街にやってきたんです。……生まれたところは……」
中々に悲惨な生い立ちだったようで、所々は濁してきた。顔の傷は昔流行した病気によるものだろう。弟も同じように跡が残ってしまったから分かった。表情を作るのにも苦労しているように見受けられた。
4人の中で、暗い空気が流れ始める。俺は焦り、気持ちを切り替えようと努めたところで、家族の顔が思い出された。
お袋の期待と、親父の言葉を思いだすと、勝手に声が大きくなった。それに乗るように女性たちも声が明るくなっていく。
中々に良い感触だ。そう思い始めたところで、「席交代」の時間になった。
受付の女性から指示が出て、男たちが別のテーブルへ移らされる。俺はその陰気な男と別れ、他の席へ移動した。
他のテーブルは、まさに次元が違った。話題は社交界がどうとか、街の役所や軍役での、出世自慢とか、そんな内容だった。横にいた男がそう言いながら、目をギラつかせると、応えるように、女性たちの瞳も、まるで宝石を見たかのように輝く。
もっとも、そんな反応を嫌がる奴も男女ともいて、そういうのは余裕を持っている雰囲気だったので、本物の金持ちか、俺みたいな素寒貧なのかなって思った。
「ロータスさんはどんなことをされていたのですか?」
女性の一人に聞かれたので正直に答えると、一瞬の沈黙が流れた。それを破るように、男の方で話題を変え、後は誰からも、何も聞かれなかった。
その後も何回かテーブルを代わり、同じように場を白けさせ続けた。
まあ、そんなもんだよな。頭では分かってるが、俺は密かに、拳をポケットの中で握りしめていた。
ああ、やっぱり最初の席のような配慮は必要だったのかもな……と思った。
一通り席を回ると、パーティは立食形式に変わった。中央のテーブルに料理やワインが並べられて、各自取り分けつつ歓談していくという訳だ。
俺は真っ先に、最初に出会った女性2人を探した。
農家の子はすでに他の男につかまってて、話し込んでいる様子だった。あの目は知っている。金と欲望に心を溶かされた奴の特有のものだ。こう言うとゲスいかもしれないが、あの子の方が可愛かったので、男たちのアプローチが強いのも、頷けた。ウェートレスの子は俺の方を探していたのか、目が合って、話すことが出来た。
彼女はパンジーと名乗った。
「この場は初めてですか?」
「ええ。姉貴に勧められて、来たんです。……覚悟はしてましたけど、金持ちが多そうで参りました」
「私も、家族からうるさく言われてて、勤め先に相談したら紹介してもらった感じです。……あの、どんなことをお相手選びとして大事にしていますか」
「そうですね。まずは話が合うかどうかと……。正直、俺は裕福じゃないけれど、一緒に人生を歩んでいって良いと考えている方と会いたいですね」
「なるほど。気持ちの部分って大事ですよね。……さっき、横にいた男性にお話を振ってましたね」
「え?……ああ、あれは思わずって感じでしたね。弟も昔、同じ病気になってたんで」
「あれを見て、お優しくて良いなって思ったんです。……なんというか、ここは奪い合いって感じで、あそこで気を配れる方はほかに居ませんでしたから」
ドクン、と俺の心が高鳴るのが分かった。だが、それを理性で押さえつけた。
「……俺は確かにそう見えるかもしれません。間違いないのは、やっぱり金の事です……。正直、楽はさせられないかと」
「……ちょっと前まで、付き合ってた人が、お金持ちだったけれど、だいぶ年上で、神経質な人だったので、ちょっと懲りてるんですよね。……手を出されることはなかったですけど、こだわりが多くて大変でした」
「……一応、弟や妹たちはもう家に居ないので、稼いだ金は母親と、これからの家族に使えるなと思ってます」
「良いですね。……農家さん、でしたっけ?」
「いや、大工です」
「ああ、ごめんなさい。どちらも素敵です。手を見せてくれませんか」
彼女に俺のマメだらけの手を差し出した。握って来るかな、と思ったがそこまでは行かなかった。
「温かそう……。一生懸命お仕事されていそうですね」
「……あの、良かったらですけど……。今度、食事とか……」
「はい。……ぜひお願いします」
そのまま2人で話し込んで、パーティの時間は過ぎ去った。
帰り道はすっかり夜だったが、満天の星空だったので、俺は彼女へ言った。
「良い星ですね」
「え?……ああ、私は月の方に目が行ってました」
なるほど、夜空は満月が浮かんでもいた。カニの姿が見える。
「カニですか?私には女の人の横顔に見えます。……あ、帰り道逆ですかね。それでは、また」
一人で帰ったが、何だか道が明るかった。ここまで星は輝くものだっただろうか。
……女の人の横顔、か。あまりピンと来ないな。どう見てもカニだろ。
一瞬そう思ったが、次の食事でどこに行くか、そんなことに思いを巡らせることにした。
職場に思いがけない顔があった。
アザミと名乗ったのは、あのあばた面の男だった。この現場に、新人として迎え入れられたのだ。
俺を見るなり、アザミも驚いた表情をしていた。
そういえば、あの時、大工の仕事を始めたと、話していたっけ。
少し小柄だが、家では農家だったというし、肌のせいでわかりにくいのだが、俺より2,3歳若いので、体力にはそこまで問題はなさそうだった。
足りないのは、やはり技術だ。この職場では、新人に甲斐甲斐しく構う奴は少ない。チンタラしていたら怒鳴り散らかし、仕事は頭ではなく体に叩き込むようにして身に着けていくんだ。大けがをするようなヘマをしていたら、ぶん殴ってでも止めさせる。それはもう、犬っころの躾と何も変わらない。いや犬の方がちゃんと面倒見てもらってるんじゃないかと、時々思う。
俺はずっとこの仕事をしているから、こういう現場について、あまり違和感を覚えたことはなかった。でも新入りが次々に辞めていくのを見ると、多分キツいんだろうなって、喉仏が出てきて、声が変わってきたあたりから思うようになった。
さて、アザミだが、当然のように、洗礼を受けていた。手際が悪いので、親方や先輩たちの怒号が止むことはなかった。
あいつにも悪気がないのは分かるが、まずはすぐに泣くのを止めりゃいいのに……って思った。泣くと、手を止めているとか、許してもらえるとか考える人が多いからな。
あんまり上の人たちの機嫌を損ねるのも問題だと思った俺は、アザミに仕事の段取りをそれとなく教えていくことにした。実際、要領は悪くないようなので、教え甲斐はあった。
昼飯の時間になって、俺は自分で拵えた弁当を、1人で食っていたのだが、アザミが話しかけに来た。何だか、本当に犬みたいだ。
「さっきは……ありがとうございました」
「ああ。初日だから慣れてないのは分かるが、まあ、地道に取り組んでいけよ。……なんで大工なんかやってるんだ?」
「街で働こうと思って、雇ってくれたのがここだったんです。大工さんだったら、技術が身に着けられますから、良いと思って」
「なるほどな。技術は仕事を続ければ問題ないが、肝心なのは、気持ちのところだな。……お前、あそこまで怒鳴られたことないだろ?」
「はい、びっくりしました。……厳しいとは聞いていましたけれど」
「反応を見ていたらわかるぜ。怒られ慣れてないって。家を支えるんだろ。技術が欲しいんだろ。何が何でもしがみつくんだな」
「は、はい……」
アザミは俺の眼差しから、目を逸らしながら言った。ああ、こういう所でキレられるんだろうなって思った。
そういえば、とそいつは言いだした。
「パーティにもいましたよね。……何か成果はありましたか」
パンジーが、急に頭に浮かんだ。
「え?……まあ、それなりにな」
「それなりって……?」
「……来週会う約束をした子が、1人いるよ」
「そうなんですね。羨ましいです。……俺はダメでした」
「それは大変だったな」
そう答えた俺の声は、どこか弾んではいなかっただろうか。そこまでいかなくても、ああやっぱりな、という気持ちが籠ってはいなかったか。
「ロータスさんはなんか、男っぽくてカッコいいですから……上手く行くわけですよね。俺は醜男だし、金もないし、気も弱いし……」
そう言われると、悪い気はしなかった。同時にこの男の態度も鼻につくようになった。
「今までもフラれまくってるけどな。今回も上手く行くかわからんぞ?お前も気を落とすな」
「ロータスさんがダメだったら、俺なんてもっとダメですよ」
なんだかイラっとしてきたが、同時にこいつが哀れに思えてきた。
「……まあ、若いんだから、自信を持てよ。……そうだ、仕事や趣味などの話が出来るようにしておくと良いぞ。それで今の子から約束を取り付けられたんだ」
「……そうですか」
「ああ。あとは、話が合うかどうかと、一緒に人生を歩んでいって良いと考えている方なのかを見分けるんだ。それで上手く行くと思う」
「……でも何度もフラれてるんですよね」
「まあ、そうだな。……」
「これから上手く行く保証もない、と」
「ああ……」
「……俺だって、そんなの、何百回とやってるし」
ついに、アザミは、俯いて、膝を抱え込んでしまった。
俺はなんてことを言ってしまったのだろう。食欲がすっかりなくなってしまった。
その後、俺は一層こまめに、アザミの仕事の面倒を見ていた。帰り際、親方に干渉しすぎだって叱られてしまうほどに。
気持ちを寄せられている人がいる俺と、いないあいつ。
優越感がなかったかと言われれば嘘になると思って、親方の説教の言葉は、いちいち響いて聞こえた。
パンジーは同い年らしいので、酒を入れても問題ないようだったが、最初はお茶をしに行くことにして、1週間後に会う約束を取り付けた。
当日、あの一張羅を羽織って、喫茶店の前で待ち合わせた。俺の方が先に着いたが、20分ほどして彼女もやってきた。
今日の彼女の服装は水色のワンピースだった。前のパーティではピンク色の服だったっけな。
「ごめんなさい、待ちましたか?」
「ええ、20分くらいですかね……」
「今日の服を考えていたら遅くなってしまって……申し訳ないです」
そこまでこだわらなくても良いけどな、って思ったが、黙っていた。
店に入る。今日は彼女の生い立ちの話が多かった。
「私、下にきょうだいが4人いて、一番上なのですけど……、最後の子を産んだ時に、母が亡くなったので、お世話は私がやっていました。父は働きっぱなしで。もう、皆大きくなったから、そこまで干渉しなくて良いのですが、あのような苦労は繰り返したくないですね」
「確かに……俺も嫁さんや子供は何とか食わせなきゃなって思ってます」
「父も体に鞭打って仕事してました。……ロータスさんのお手も、この前見た時傷も多いなって思って。痛くないですか?」
「それは、小さいころからなんで、慣れてますよ。……油断したら指ちょんぱだから、そこは用心してますが」
「まあ、怖い。私、大事な人に、傷ついてほしくないのですよね……」
その言葉は、やたらとグサッときた。良い意味でも、悪い意味でも。
「何だか、残酷ですよね。椅子に座ってるだけで、父以上に稼いでる人もいるのが。もちろん、そういう職も苦労は多いと思いますけど」
2階に通されたあの男を思い出した。
「……やっぱり、そういう男の方が魅力的ですかね」
「……すみません、暗い話ばかりで。そうだ……ご趣味は何かありますか?」
わざと話を逸らしてきたな、と思ったが、俺は答えた。
「そうですね。昔から、手先は器用なので、ちょっとした工作とか、園芸は得意かな。後は絵もたまに描きます。……絵具は高くて買えないけど、鉛筆でたまにスケッチなんかを」
「へえ、さすがは大工さんですね!」
思わず顔が綻んでしまった。
「……ありがとうございます。貴女の趣味は?」
「私も時々絵は描きますね。祖父が道具をそろえていたので、それを使ってました」
「どんな絵を?」
「街並みや川沿いの風景を描くのが好きで……たまに、妹を連れて楽しんでます」
「へえ、良いですね。……俺はもっぱら、田園風景を描くことが多いかなあ。今度、この辺りの風景も描いてみたくなりました」
「私、美術館に行くのも好きなんですよね。……ロータスさんは見に行くとしたら、鉛筆の絵を?」
「1回だけ、昔母親と行ったことがありますけど、それっきりですね。……見る分にはこだわらないと思います」
俺は勇気を出して続けた。
「あの、今度会うときは、あそこの美術館とかどうですか……?」
彼女からOKをもらい、何とかこの日のデートを乗り切った。
いや、乗り切ったという言い方は変だな。でもどうして、ここまで疲れているのだろう。
昨日の仕事の疲労が残っているのか。いま、お茶代を全部負担したからか。
大事な人に、傷ついてほしくない。
さっきの言葉が、頭をぐるぐるめぐって、落ち着かない。
こんな日はあの店だ。夕飯はあそこで食べることにした。
その店は、よそからやってきた陽キャっぽい男が、仲間と一緒に始めたものだった。
元々あった、潰れたレストランをその男が買い上げて、数か月と経たないうちに、人気の店に蘇らせた。辺鄙な場所にあるのに、大したものだ。
色々と店の男たちと話がしたくなったので、客がはける時間帯を狙い、夜遅くに行った。
満員という訳ではなかったが、店にはちらほら人がいた。カウンターに2,3人、テーブルにカップルやグループが3,4組いた。
店主の男はカウンターの中にいた。目が合うと、気さくに挨拶してきた。
「よう、ロータス!久しぶりじゃねえか。あの時のボトルは、ちゃんとキープしてるぜ」
「ああ……ありがとう」
「今日は休みの日だろ?珍しいな。大概、仕事の終わった夜に来てたけど……」
「仕事じゃない。……まあ、ちょっと喋りたくなったんだ」
「そういう日もあるよな。アテはどうする?チーズ好きだっただろ。良いのが入ってるから、そいつはどうだい?」
「じゃあ、それで頼むよ」
俺はカウンターに腰を下ろした。キープしていたウォッカを注ぎながら、店主は言った。
「女だろ?」
俺は絶句してしまった。なぜわかった……?
「顔に書いてあるぜ。……フラれたのか?」
「いや、そういう訳じゃない。……ただ、狙ってる子が、イマイチ話が合わない気がしてて……」
さっきのデートの内容を掻い摘んで話した。酔いが俺の舌を滑らせていくようで、余計なことを言わないか冷や冷やしていた。
「なるほど。……多分だけど、彼女も気はあるんだと思う。会う約束も出来てるし。でも、ぶっちゃけると、……金だな。そういう面で、長く付き合っていくとなると、どうかな……って、考えてるのだろう」
「嬉しかったんだ……俺の手や仕事のことを褒めてくれたのが」
「まあ、お前はマジメな奴だよ。今はしんどいかもしれんが、きっと将来は俺なんかよりよっぽどいい暮らしをしてるだろうし、その辺を分かってくれるかどうかだな」
「どうだろう……。子どもの頃より、稼ぎは増えているけど。そこのところを、話していけば、何とかなるかな。……兄さんも儲けてるんじゃないのか?ここまで人が来るんだから」
「いや、お前が思うほど、贅沢は出来てない。……ちょっと切り詰めないといけない事情もあるからさ」
「経営ってそんなに金がかかるんだ」
「まあ、そうだ。……今後の作戦はあるのか?」
「来月、誕生日が控えているそうだから、プレゼントでも渡そうかと……」
「そうか。相手からしたら、知り合ったばかりで、ちょっと重いかもしれんから、そんなに高くなくて良いと思う」
「確かに。ネタが思いついたら、また相談するよ」
「この店の稼ぎ、1年分とか論外だからな」
「え?」
「いや、なんでもねえ。とにかく、無理すんなってことだよ」
「……兄さんも、フラれたり、恋愛でキツイ思いをしたことってあるのか?」
店主は目を背けつつ言った。
「まあ、あると言えばあるが……おい、フレッド!30人にフラれた自慢話をロータスに披露しろ!」
店の奥から、店主より大柄だが、ちょっと抜けた感じの男が出てきた。店主の友人で、店員のフレッドだ。
ウォッカのカクテルが、何だか急にマズくなった。
「フレッドは良い。……なんか、真剣に話せない」
店主は手を叩いて笑い出した。フレッドはキレながら俺に噛みついてくる。
「おい、ロータス!チェリーのくせにイキがってるんじゃねえ!どうせフラれたって言っても、たかだか数人だろ?」
「……お前とは、付き合い方の濃さが違うんだよ」
「こ、この野郎……。まあ、そうやって俺とレスバ出来るってことは、何だか大丈夫そうで良かったよ。……本当にヤバいときは、そんなことやってる場合じゃないからな」
ニヤニヤしながら、店主が口を挟んできた。
「フレッド……。この前、ナンパしたら、即ビンタされたんだろ?」
「ちょ、兄貴!違いますよ、顔面にハイキックですよー」
「いや、それ、もっとダメだろ……。ロータスはそんなことないだろ?」
「ああ。流石に手を出されたことはないぜ」
ぐびりと杯を傾けつつ言うと、フレッドは狼狽しながら言った。
「ほら!ロータスにマウント取れなくなるから、勘弁してくださいよー」
フフフ、と俺も笑っていた。問題は何も解決していないのに、何だか心は軽くなってきた。
その晩は、良い夢を見た。喫茶店では感じられなかった居心地の良さは、きっと、ウォッカの酔いが手伝っただけではなかったのだろう。




