第10話「はくしをかざる黒の龍」
人生において理解が追いつかない状況というものはある。
例えば、自分はそこにいるハズなのに意識だけが漂白されていくとか、力を込めているはずの手足が地面と同化したみたいに動かないとか。
今の僕にとってそれらは全て当てはまるのが悪いニュースだ。
「……………………」
もうどれくらい時間がたったかわからない。
まるで喉に綿でも詰められたようだ。
気管が詰まってまともに息ができないし、これほどの訓練を原作キャラたちはしていたのだろうか。
もしそうだとしたら凄すぎる。
こんなの毎日やっていれば精神なんて毛ほども持たない。
数時間にも及ぶ訓練の影響もあったのだろうか、そこら中が隆起した地盤は夕焼けに染まっていた。
自分の心臓の音しか聞こえなかったが、横に倒れているせいか次第に聴覚は機能を取り戻していく。
きっとそれほどまでに僕は疲労しているのだろう。
…………………ああ、とんでもない改善点だ、これは。
なにせ僕が目指すのは最強である。
原作の主人公には味方がいたのだが、今の僕は悪役なのだ。
無条件に背中を任せてくれる人材なんていないし、いたとしても金で雇った傭兵くらいなのだ。
しかしそれゆえに良い収穫だった。こんな肉体を持っていても魔力の操作すら出来なければ、やはり原作に割り込んでも多少成果を残して死ぬだけである。
おまけにこの体はブラックボックスだ。悲しい過去なぞ名前のない悪役にはないが、出生を暴かれた時点で世界中を敵に回すことになる。
であるならば、それだけに気を付ければいいことだ。
死ぬほどきつい鍛錬だとしても、ライオットに話をつけたのは正しい判断だった。そこはいいニュースといえよう。
こんな疲労困憊でも動けるようになれば御の字。
近くにいるだろう子供たちの愉快な声から意識を手繰り寄せ、沈んでいくだけの感覚を叩き起こしていく。
「うむ。今日はこれで終わりですな。皆、よく頑張りました」
あのお爺ちゃんが満足気にそういっているのだろうか。
やけに気分が良さそうな声色である。
だが僕の体はピタリとも動かない。
悪役のスペックは確かに僕が思っていた以上に、頼りないものらしい。それでもなんとか立ち上がって、一人で歩いていく為に地面へと足をつける。
だって、こんなにやっても力の制御なんて掴めていない。
慣れが必要なのか、それとも、別の方法があるのか。
原作でも誰かが魔物を喰らっていれば参考書扱いできたのだが、これは前例のないことだ。
このままでは明日も、そのまた明後日も騎士たちに一撃も与えられず僕は精魂尽き果てるだろう。
「……………………」
さて、草木が囁いている音からするに風が吹いている。
目の前にたつ騎士たちの影もおぼろげだが、周囲の音だけはよく聞こえるのだ。
それに息ができないだけで体も動かせるようになった。
ただ、このまま負けてたまるか、なんて張る必要もない意地を張っていた最中のことである。
「 ?」
ちょっと待ってほしい。
一瞬にして、騎士の誰かが僕の視界を塞いだのだろうか。
………………変な空が見えるのだ。
手を伸ばせば、自分がありんこサイズだと錯覚してしまうほど果てのない空洞。
決して届くことのない筈のそれが懐かしい。
上の空から僕を覗いてくる黄色い光が数百個、あって、閉じた口があって、僕の身もすくんで、骨さえ凍らされたみたいな感じ。
いや、それもちょっとおかしい。
だって僕はあそこから来たはずだ。
この頭部だけで空を覆い隠すほどの巨大な龍は、おびえるようなものではない。
…………実家にいるような安心感。
それが変だと思う自分もどっかに消えた。
ふとほほえんでしまって、あたまのなかがふわふわととけていく。
しかし、気づけば頭が固まってしまった。
上下感覚がなくなったこの空間には、白い光が点在している。
視界の奥には上を見上げている少女が一人。
相手がこちらに気づいている節があったからか、それとも、その少女だけには会いたくなかったからか。
なんにせよ我が家に新しい客が迷い込んだような感じだ。
白光みたいな髪を束ねて、ボロ雑巾を縫い合わせた服を着ている。
夜の星々を埋め込んだような瞳。
しかし両目の光なんて抜け落ちており、頬も体もげっそりと痩せている。
……………………………少女が本来の健康体であれば、女神も裸足で逃げ出すほどの美貌を秘めているだろう。
ただ少女がそれを誇ることはない。
そこにいて、僕に足先をむけるだけ。
また僕が継続的な飢餓に陥ったことがないせいで、それが少女の出せる精一杯の声なのだと理解できなかったのか。
僕に対して手を伸ばせば「 」なんて開いた口から息を吐く少女だ。
…………?
なにを言っているのか、まったくわからない。
ただきっと夢を見ている。
それだけしかわからない。
あと、ついでに気が付けば僕は知らない天井を見上げていた。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
……………………僕はどこにいるのだろう。
酷い夢を見ていた。
そんな言葉を頭に浮かべてみるも、先ほどの疑問の答えなんて一つだと相場が決まっている。
ライオットは嘘なんてつかない質らしいし、騎士たちはもともと市民の味方だ。
僕はまるで馬を乗せられたような重たい体でベッドから上半身だけを起こす。
もう夜中なのか窓の外は真っ暗だ。
……………それで何かを思い出させるようでも、脳味噌が食い止められているように記憶を引き出せない。
身元もわからない僕が市民だと判定されていたことは幸いだが、ついびくりと肩を跳ねさせてしまった。
理由は簡単だ。
いつやってきたのか、真横に訪れたライオットが突然と声を上げたからである。
「おはよっす」
「うわッう!!?」
「元気っすね。よかったっすよかったっす」
ライオットは木製の床を歩いていくと、何事もなく部屋を去っていくのだ。
意味不明である。
文句の一つもいえないのは癪だし、そもそもライオットは僕と会話をしたくないのだろうか。それならそうと理由を知りたいものだ。
「あの、なんで事前に訓練とか教えてくれなかったんですか!!?」
もうどうにでもなれー、みたいな空気は数時間前から消えている。
ただこれは密かな不満を晴らすような行動なのだ。
彼の地雷を踏まないように気を使っていたのだが、それすら忘れてつい頬を膨らませてしまう僕である。
すると、あのオールバックは視線を泳がせることもなくこう告げるのだ。
「この世界は説明のつかない理不尽の連続っす」
ライオットはふんすと鼻から息を出せば、たくましい両腕を組んでそういった。
それも踏まえて鍛えてやろう、ということらしい。
自分で考えさせるバイトの店長みたいだ。
しかし現に僕は原作介入は一人で頑張らないといけない。
それゆえにありがたい教訓ではある反面、もう平穏とは縁遠い心境である。
まあ、そんな中でも楽しみを見つけるのが重要なのだろう。
「あとここは騎士たち用に作られた宿っす。自分と一緒に回ってみるっすか? 設備は自由に使っていいらしいっすよ?」
あのライオットが今日の夜ご飯何食べる?なんて調子で、僕にそう聞いてくるのだ。
そろそろこの調子にもなれないといけない。
眠気から込み上げるあくびを噛み締めると、涙目でベッドから床に足を付いた僕である。
「……はい。お願いします。あと僕っていつから気絶してました?」
今思い返すに、なんとか立ち上がった辺りから記憶がないのだ。
変な夢を見ていたという結果だけは曖昧と思い出せるのだが。
「もう立ち上がれないって、なった瞬間に立ち上がった瞬間っすね。百戦錬磨の騎士たちもゾッとしてたっすよ? 君はやばい奴だって」
「…………褒めてます?」
「もちろん。なにせあの厳格な騎士たちが表に感情を出すなんて、滅多にないことなんすよ? これはすごいことっす。君は戦闘の才能、バリバリにあるっすよ」
……………………ふへへ。
そんな急に褒めるのはやめてほしい。肩に入っていた力が抜けきって、だらしなく頬を緩めてしまうではないか。
だが、瞬時にパンッと蚊を叩き潰すみたいに頬を叩いた僕である。
……………………これこそライオットの術中かもしれない。
完全に信頼するのは駄目だ。ちょうどいいラインを引いて、お互いに利益があるような関係を築かねばならないのだ。
なぜなら、土台がないとそもそも信頼関係なんて積むことはできないからだ。
そんなことを思っている間、現状における最適解が思い浮かんだ。
ピコーンと僕の頭が電球になった感じである。なんかズレた例えだと思うけど、とにかく思いついたのだ。
「ライオットさん。ご飯ってもう食べました?」
「んいや、まだっすね。外食にでもいくっすか。飯くらいおごるっすよ。カード届けてくれたし、」
「え!? いや、その…………」
どうしようか。
現代日本の食文化をここで発揮しようと思った策が、もう倒壊しかけている。
だが死中に活あり。
ライオットは懐に手を入れれば、ふと立ち止まってそそくさと体中をまさぐるのだ。
「あ、あの~。さ、財布。俺の財布みてなっすか~?」
「!!」
涙を目元の端に溜めていたライオットである。勝ったと思わざるを得ない。
「すみませんっす。いや~俺、昔から大事なものなくすし、宿の鍵とか財布とか、紐をつけてもなくなるんす…………姉にも怒られてばっかりで…………」
ライオットが情けなく猫背になる最中、即座に僕の脳内で生まれたドット絵のRPGゲーム選択肢。
『戦闘』『魔法』『逃亡』『道具』『特技』の中から最速で『特技』のコマンドを押しまくる。
「はははは仕方ないですね!!キッチンをお借りしましょう!!」
「え。ま、なんか嬉しそうっすね」
ライオットは困惑している。しかし僕はこの機を逃さんと勢いよく、身を乗り出すのだ。
「『はい』!! じゃなくて『いいえ』!! 僕、料理できるので! 仕方ないですね、財布ないなら! というか財布が自分からどっか行ったんじゃないですか!? ならライオットさんのせいじゃないです!! 僕がおいしいのたくさん作ります!!」
しかし、君が料理するんすか、なんてことを加えるライオットだ。
当たり前である。
盛大な落とし穴にはまっているような気もしなくもないが、もういい。小さなことで悩む暇などないのだ。
数分後、ライオットに案内されるがままキッチンにつく。
またお客様は空腹なので、サイズが合わずともカウンターに置いてあったエプロンを装着するのだ。
ここは好感度を稼ぐチャンスである。
騎士たちからも魔法についてアドバイス聞きたいし、彼らの分も作るとしよう。
この世界は機械文明が発達していない為、前世にて電気で動いていた器具はないように思えるが、安心なされ機械の代わりに魔導という技術が存在するのだ。
故に、賢い先人たちは魔力で動く冷蔵庫など既に開発しているのである。電球に似た照明もそれだ。今この屋敷を包んでいるのは蝋燭でもなく、魔力を消費して起こる光なのだ。
キッチンの奥にある冷蔵庫を開いたところ、野菜や肉類、おまけに卵だったりワインも常備しているときた。
バターもあるし、小麦粉だってあれば塩コショウもある。
であるならばホワイトシチューぐらい、僕が大量に作って見せようとも。
お米はないので傍にあったフランスパンに漬けて頂くとして、目をつぶって”ありがたや”と手の平を擦り合わせてしまう。
下心満載だが今は生き残るため躊躇いなどない。
ライオットさんのおっちょこちょいを過ぎた特性に、遺憾ながら感謝申し上げます。ええ誠に。
「急いでも2時間ほどがかかるので、それまで待っててください。おつまみが欲しいなら、倉庫から………………」
まだ財布を探しているのだろうか、ライオットは足先だけ残して机の下に潜り込んでいる。
というか僕は今、怪力のはずだ。
冷蔵庫だって前世みたいに簡単に開けられたではないか。
知らぬうちに意外と鍛錬の成果が出ているのだろうか、そうとなればテンションも上がってくる。
「すんませーん、なにかいったっすかーー!!?」
「ああいえなんでもーー!!」
この楽観的な思考を外すために紅く染まった頬を両手でつまむと、駆け足みたいに足を付く僕である。




