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11,言葉に出来ないままの別れ


 聖女――それは、約三百年を周期に現れ、国が自然災害や感染病、凶暴な害獣や魔獣といった様々な要因で悩まされる時代に、神から力を分け与えられ生まれる存在。

 聖女の力は凄まじく、幼い体では与えられる力に耐えられないことから、十六歳の誕生日にその力に目覚めると言われている。

 神から力を授かった象徴として、瞳が神々しい黄金に輝くのだそう。

 私は聖女など童話で聞く架空の存在だと思っていたが、本当に歴史上実在したのだという。

 ライが孤児院を出る時に聞いた、国内での不作や天災、害獣や魔獣の出没の頻度から、この数年、そろそろ聖女が誕生するのではと貴族の間では噂されていたらしい。


「それがまさか、君とはな」

「…………」


 私は、こんな時でなければ間違いなくはしゃいでしまうくらい体が沈み込む、フカフカなソファに座らされていた。

 公爵様の執務室は落ち着いたシックな部屋で、華美さは控えめだが、実用的で重厚感のある家具が置かれている。

 私は公爵様から鏡を手渡され、恐る恐る覗き込んだ。

 平民にしては少し珍しい青みがかった銀の髪に、ありふれた茶色の瞳をしていた――はずなのに、私の瞳は先程の光を吸収して発光しているような、宝石のように煌めく金色の瞳に変わっていた。

 聖女かどうかはともかく、私に何らかの変化があったのは疑いようがなかった。


「きっとディア嬢の正しい誕生日は今日だったのだろうな。十六歳になり、力に目覚めたのだろう。可哀想だが聖女は見付かり次第、国に報告し大神殿に送るのが決まりだ。心の準備のために時間を稼ぐことが出来たとしても、良くて数日程度だろう」

「じゃあディアは……」

「国の中心部、王都の大神殿に行ってもらうことになる」


 公爵様の言葉に、ライはガタッと荒々しく立ち上がった。

 しかし公爵様に文句を言うのは違うと分かっているようで、ライは絞り出すような声で懇願する。


「……なんとか、なんねぇのかよ」

「こればかりは無理だ。お前は元より、私だってディア嬢を救ってやれるほどの準備など整っていない」

「でも、それじゃあコイツは……っ!」

「私とて、こんなことになるとは予想だにしていなかった。平民から聖女が生まれることも、それがまさかディア嬢になることも……。流石に私でも、どうにもしてやれん」


 公爵様はきつく目を瞑り、首を横に振る。

 ライは「なんで……っ」と悔しそうな声を漏らし、肩を震わせていた。

 自分の話のはずなのに、まるで遠い世界のことのようだ。

 まだ現実が受け入れられていないせいか、私は頭が働かずぼんやりとしていた。


「ディア嬢。匿ってやれるなら匿ってやりたいし、出来ることなら逃がしてやりたい。だが、この街から光が上がった話は、私の元にもすぐに届いた。きっと噂は瞬く間に広まるだろう。大神殿から迎えが来るのも時間の問題だ。そんな君が街から消えたとなれば、私は勿論、領民達にも批難が向き兼ねん。領主として、それは認めてやれんのだ。分かってくれるか?」

「……はい」

「その上で酷なことを言う。だが、覚悟しておくのと何も知らずに行くのでは、少しは違うだろうからな……。王都に行けば、君にとって辛い日々が待っているはずだ。こことは違い、王都に住む貴族連中は平民を同じ人とも思っていない奴が多い。それに聖女は貴族令嬢から生まれるものだとばかり考えられていたから、平民の君が聖女に選ばれたなど信じない者も多いだろうし、間違いなく多くの嫉妬や憎悪を向けられることになるはずだ」


 公爵様の言葉に、回らない頭のまま想像してみた。

 きっとライを追いかけ回して私を睨んでいた女性なんて可愛らしいと感じるくらい、冷たく優しくない世界が待っているのだろう。

 私と仲良くしてくれる子供達も、温かく迎え入れてくれる領民達も、私を守ってくれる院長や公爵様も、そして……ライも居ない場所。


「わ、私が聖女なんて……凄いなぁ! 聖女って何が出来るんだろう。王都で頑張れば、この街の人達の力にもなれるのかな。あはは……」


 私は薄ら笑いを浮かべ、努めて気にしていないように振舞う。

 声は震え、表情も強ばっているに違いないが、それでも懸命に強がってみせる。

 だってもう――ここを離れなければならないと決まってしまったのだから。

 ライはぐしゃりと顔を歪めて、再び私を抱き締めた。

 声にならない嗚咽と、肩が冷たくなっていく感覚。


 (ライ、泣いてるの……?)

 

 初めて会った日以来、ライの涙は見ていなかった。

 自分が孤児院を出る時も、過去を話していた時にも泣かなかった、あのライが……。

 

「なんで……! なんでディアなんだよ……っ!」


 きっとライは聖女の話を聞かされていたのだろう。

 そろそろ現れるかもしれないと。

 強く、そして大きくなった手が私に必死でしがみついている。

 指が体に食い込んで痛いほどに。

 私を惜しんでくれているのだと、その痛みすらも嬉しくて、けれどそれと同じくらい胸が張り裂けてしまいそうだった。


「――私、頑張るね。この街の人達が、みんな飢えないように。病気にも、かからないように……」


 ――遠くから、祈っている。

 

 どうかみんなが幸せでありますように、と。

 この目で見続けたかった世界を瞼の裏に思い浮かべて、みんなが笑って暮らせるように、私がこの国を……何よりこの公爵領を守ろう。

 その祈りは優しい光となって、領地に降り注いだ。


「王都に……大神殿になんざ行かせたくねぇよ! なんで……、なんでだよ!! 俺を置いていかないでくれ……。ディア……っ!!」


 私も、行きたくないよ――ライ。

 思いは音にはならず、胸の奥へと沈んでいった。


 


 ライの願いも虚しく、その三日後、王都の大神殿から仰々(ぎょうぎょう)しい馬車がサグラードの街にやって来た。

 誰が聖女に選ばれたのかとにこやかだった神官達は、公爵様に紹介され現れた私を見て、あからさまに顔を(しか)めた。

 冷笑。軽視。侮蔑。

 貴族や富豪の娘ですらない、平民の、それも親すら居ない孤児の娘を見下ろす目。

 一瞬にして顔色を変えた神官に腕を掴まれ、私は連行されるように馬車へと連れられた。

 公爵様は「我が領地で誕生した、大切な聖女様だぞ!」と言ってくれたが、神官はそれを聞き流すように笑みを浮かべ、公爵様にはへこへこと手揉みをして頭を下げている。

 その間も痛いくらいに強く腕を取られたままの私は、聖女と言うよりも罪人みたいな扱いだと悲しく笑う。

 その様子を見ていた街の人達は、憤るような悔しそうな表情ばかり。

 街から聖女が選ばれたというのに祝える雰囲気でもなく、私の身を案じる視線が何とか私の心を支えていた。

 

 孤児院の子供達や院長、トゥルガの人達やそこでお世話になった公爵家の使用人や兵士達、買い物の時にオマケしてくれた色々な店の人達も、みんなみんな見送りに来てくれた。


 

 ライだけは――来ていないけれど。

 

 

 公爵様から先に「ライは王都の神官達に顔が知られてはいけないんだ」と聞かされていた。

 これもまた何か理由があるのだろう。

 公爵様の言いつけをきちんと守って、ここには来なかったようだ。

 

(ライは来なくて正解だったなぁ。こんな姿を見たら、大神殿の神官相手でも激昂しただろうし……)

 

 この瞳になってから、公爵様は私をお屋敷に泊めてくれ、迎えが来るまでずっとライと一緒に居させてくれた。

 別れの時間が必要だろうと、公爵様が側に居させてくれたのだ。

 あのライが私を気遣うように、その間ずっと寄り添ってくれていた。

 けれど迎えが来たと言われても、結局私は最後まで離別を受け入れることなんて出来なかった。

 きっとライだって同じだったのだろう。

 

 ――私が何をしたっていうの?

 この街から出ていきたくないのに。

 聖女なんて望んでもいないのに。

 ライともう会えないなんて、そんなの……そんなの嫌だよ……。

 

 そう思うのに、繋いでいた手は無言で解けていく。

 私はライから遠ざかるように前に進むしかなく、心と体がバラバラに千切れていくようだった。

 行きたくないのに進む足。

 振り返りたいのに前を向く体。

 どちらもサヨナラと言えず、私達の距離は開いていった。


 そして今――。

 みんなに最後の別れを言う時間も、公爵様に頭を下げることすらも許されず、私は追い立てられるように馬車へと乗せられる。

 この街から切り離されて、夢の時間は終わりだとでも言うように。

 ガチャリと重たい音を立て、扉は閉ざされた。



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