第108話
5月6日、金曜日。私にとってはとても長く感じたゴールデンウィークが終わった。
屋上でみっともなく泣いてしまった私は少しだけ幻影さんと話した後、彼女と別れて生徒会室に来ていた。スマホに来てほしいと連絡が来たからである。
「教室に行く前に来てもらって悪かったわね」
「いえ、私もあの後何があったのか気になっていたので……」
生徒会長の席に座っている音峰先輩は謝りながらも微笑んでいた。一歩間違えたら世界が滅んでいた事件が何事もなく、解決したのである。トリガー能力によってカリスマ力が高まっている彼女であっても嬉しさを隠しきれていない。
「そうね……何から話そうかしら」
彼女の前で立ったまま、気にしていないことを伝える。それを受けた彼女は事の顛末を伝えようと視線をずらし、壁に掛けられた時計を見やった。
時刻は5時半。登校時間には随分と早く、時間はそれなりにある。シャワーを借りることを考えたら30分から1時間というところか。
「影野様、どうぞ」
「あ、うん。ありがと」
いつの間にか私の傍に立っていた長谷川さんに座るように促され、講義で使っていた席に腰掛けた。まだ数回しか座っていないがこの部屋ではこの席が私の定位置になりそうである。
「まずはお礼を言わせて。あなたのおかげで長谷川は生き残れた。それに隔離世も守ることができたわ。本当に、ありがとう」
音峰先輩はお礼の言葉と共に深々と頭を下げる。その拍子に柔らかい朝日が彼女の金髪で反射し、キラリと光った。
「そ、そんな! 顔を上げてください!」
小心者である私はそれだけで心がキュッと締まり、反射的に叫んだ。
結局、最終的に私にできたのは肉壁となってヤツラの猛攻をやり過ごしたことだけ。作戦も長谷川さん頼りだったし、お礼を言われるほどのことではなかった。
「影野様」
口早にそう告げるとそれを咎めるようにピシャリと私の名前を長谷川さんが放つ。どこか怒気が含まれたそれに思わず、息が止まる。
「あなた様は実行可能な作戦を一瞬で考え、お嬢様とシノビ様を説得し、手遅れになることを食い止めました。それだけでなく、イレギュラーにも冷静に対応し、どれだけ傷つこうとも決して諦めず、立ち上がり続けました」
「は、長谷川?」
有無を言わさない。そう肌で感じるほど、彼女の言葉には覇気が込められていた。私だけでなく、音峰先輩も彼女の様子に少しだけ動揺しているようだ。
「その全てが私を守るためだったのは傍で守られていた私が一番知っています。たとえ、命の恩人であるあなた様であってもこの件に関してその事実を認めないことは許しません」
「あ、はい……すみませんでした」
「……失礼いたしました。しかし、私は影野様に命を救われ、感謝しているのです。それだけは知っていただきたかった」
そう締めくくった長谷川さんは『お茶の用意をいたします』と茶器が乗ったワゴンへと向かう。
「……ふふ。怒られちゃったわね」
「は、はい」
「でも、私も長谷川の意見に賛成よ。自分のことを必要以上に蔑むのは私たちの悪い癖ね」
「……そうですね」
私はこれまで何も成せず、流されるように生きていた。
音峰先輩は生まれの重圧に負け、奮い立てない自分を嫌っている。
似た者同士である私たちは苦笑を浮かべて笑いあう。
うん、彼女の言う通り、これは悪い癖だ。
――だから、自分を信じてください。腕力でもいい。スピードでもいい。何でもいいのでこれだったらできると信じられる何かを見つけてください。
あの満月の夜、飛来森で紡がれた幻影さんの言葉。
まだ、心の底から信じられるものは見つかっていないけど、これからは少しずつ自信をつけて幻影さんに胸を張ってこれだ、と伝えたい。
「さて、じゃあ、事後処理の話だけれど――」
それから音峰先輩はわかりやすく私が気を失った後のことを教えてくれた。
まず、校内に侵入したヤツラは宣言した5分で駆けつけてくれた幻影さんが瞬く間に殲滅した。戦っていた音峰先輩もシノビちゃんも瞬きをする間もなく、消えたせいでポカンとしてしまったそうだ。
隔離世の崩壊は私の作戦通り、音峰先輩がヤツラを引きつけ、引きつけられなかった個体をシノビちゃんが撃破していくことで防げたようだ。提案した身としては上手くいってよかった。
そして、校内を逃げ回っていた私たちだが、あの緑色の陣のおかげで生き残ることができた。あれがなければ私と長谷川さんは今頃、ヤツラに殺されていただろう。
「長谷川に話を聞いたけれど……まさか傷を一瞬で治す力なんて吸血鬼の能力は規格外ね」
「そうですね、死んでも生き返るなんて今でも信じられません」
私はあの時、確実に死んでいた。その後も脳を貫かれたり、心臓を潰されてもなかったことになったのであの力は本物だ。
私は弱い。昨日の戦いで嫌になるほど思い知らされた。
最弱の吸血鬼。前に思ったことだが、私にお似合いの言葉かもしれない。
そんな私なのでこの先、ヤツラと戦うことになった場合、この蘇生能力には何度もお世話になりそうである。
「……待って」
しみじみと考えていると何故かキョトンとしていた音峰先輩が待ったをかけた。何だろうと首を傾げていると長谷川さんも作業の手を止めているのに気付く。
「今、なんて言ったの?」
「え? えっと……死んでも生き返るなんて今でも信じられないって」
「死んだってどういうこと? その力は傷を治すものではないの?」
「傷も治りますけど多分、あの力の本質は【蘇生】です」
――私はッ、ここで死んだら、死んでも死にきれない!!
死んでも死にきれない。それがあの時、抱いた私の想い。
だから、後悔がある限り、死んでも私は蘇生する。何度だって立ち上がる。
何もない私は命ぐらい捨てなければあの人の隣に立てないだろうから。
「蘇生……本当に規格外なのね」
「ですが、傷が治るとしても痛みはあります。無茶はなさらないでください」
「あ、それなら大丈夫です。何故か痛みもなかったので」
そういえば、どうして痛くなかったのだろう? 蘇生能力が発現する前から痛みを感じていなかったため、無痛は蘇生能力と関係ないとは思うのだが。
「痛みを、感じない? それは今も?」
「多分、ですけど……シノビちゃんの修行の時、殴られても痛くなかったので」
「……」
絶句。音峰先輩たちはまさにそんな表情を浮かべていた。確かに痛みを感じなかったり、蘇生能力は規格外だと思うが便利なので私としては嬉しい力だ。
「もう少しその力について調べた方がいいわね。幻影様にも聞いてみたら?」
「そう、ですね……あとで聞いてみます」
幻影さんの意見も気になるし、仮にも相棒なので私の現状を伝えておくべきだろう。
「さて……問題のあなたの今後なんだけど」
「ッ――」
そうだ、すっかり忘れていた。
ゴールデンウィーク中に音峰先輩から認められなければ裏の世界から手を引く。昨日の騒動のせいで頭から抜け落ちてしまっていた。
「昨日の騒動はすでにストライカーに伝えたわ。幻影様からの口添えもいただいたから信憑性も高い」
「……」
「前代未聞の騒動だったからさすがに本部からの返答はまだ来てないけれど……私はあなたを認めます」
「っ!! それって……」
「影野さん、正式にあなたを生徒会庶務に任命します。これからも一緒に戦ってくれますか?」
その言葉を耳にした瞬間、私の心が震えた。
あの日――この街に来ようと決心した日から少しずつ、本当に少しずつ私は変わっていく。何もできなかった頃よりも、ずっといい方向へ進んでいる。
これからも私は歩き続ける。どんなことが起きようとも、あの人の隣を目指して――。
「……はい!!」
だからこそ、たった1か月後に現実を思い知らされるなど露知らず、私は力強く頷いたのだった。
これにて第二章、完結です。
1年にも及ぶ投稿でしたが、無事に完結できてよかったです。
なお、この先の投稿はしばらく延期させていただきます。
第三章も書くつもりですのでよろしくお願いいたします。




