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ブラッディ・トリガー  作者: ホッシー@VTuber
第二章 ~真夜中の仮面舞踏会~
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第107話

 ドロリとした何かが口に注がれる。私はそれを自然と受け入れ、コクコクと喉を鳴らして飲んでいく

 甘い液体。ずっと、啜っていたい蜜。

(これ、は……)

 揺蕩う意識の中、気づいた。多分、この液体を飲んだのは初めてじゃない。

 そうだ。これまでに私は何度かこれを飲んだことがある。

 甘くて、美味しくて、ずっと飲んでいたい何か。

 私は夢中になってそれを飲む。

 そして、トントンと背中を叩かれた。もうおしまい、と子供を諭すような優しい手つきに素直にそれから口を離す。

(だ、れ……)

 飲み終わった瞬間、ふわふわしていた意識が再び、沈み始める。

 最後に感じたのは――安心してしまうような誰かの温もり。

 それに包まれながら私はゆっくりと意識を手放した。








「……」

 目を開けるとあの古ぼけた扉の前に立っていた。今にも壊れそうで、どこか懐かしくて、全く見覚えのない不思議な扉。

 少しだけ予感はしていた。むしろ、これはチャンスだと鼓動が早くなる。

「……よし」

 覚悟を決めた私は躊躇いもなくドアノブを握り、扉を開けた。

 そこは少し前に来たことのある古い小さな部屋。簡素なベッドとそれに敷かれたボロボロのシーツ。部屋の隅には小さなタンス。そして、ベッドの反対側の壁に設置された小型のブラウン管テレビ。

「―――――」

 そして、ベッドの上には小さな女の子――幼い頃の私にそっくりな吸血鬼が手を振っていた。ニコニコと嬉しそうに笑う彼女に少しだけ力が抜けてしまう。

「久しぶり、かな」

 声をかけると吸血鬼はコクコクと頷き、ポンと自分の隣を叩いた。ベッドに座れ、と言いたいのだろう。私はそれに従って彼女の隣に腰掛けた。

「―――――?」

「あー……ごめん、やっぱり聞こえない」

「――……―――!」

 小さな口を懸命に開けてパクパクと何か言う彼女だったが相変わらず声は聞こえない。そのことを謝ると一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに笑みを浮かべる。気にしないで、と言いたいのかもしれない。

(それにしても……)

 前に来たときは突然のことであまり観察できなかったが、やはり吸血鬼は幼い頃の私によく似ている。違う点は血のように紅い目だろうか。

 いや、今の私も目が紅くなることがあるので全く違うとは言えないだろう。

 そう考えながらチラリと小型のテレビへ視線を向ける。前回は私を背負いながら飛来森を歩く幻影(ファントム)さんが映っていたが画面には何も映っていない。外の様子を映すのに何か条件が必要なのだろうか。

「えっと、質問してもいい?」

「―――」

 気を取り直して本題に入るために吸血鬼に問いかける。ここにいられる時間は有限だ。少しでも情報が欲しい。彼女も特に問題ないようですぐに頷いた。

「君は……吸血鬼、なんだよね?」

 私の質問に彼女は首肯する。まぁ、こればっかりは予想できたので驚かない。本題はここからだ。

「死んだ私の手を掴んでくれたのは君?」

「――!」

 次の質問をすると吸血鬼は満面の笑みを浮かべて私の手を握った。まるで、自分のことのように喜ぶ姿を見て私の予想は当たっていたとわかる。

(やっぱり……)

 頑張ったね、と言いたげな彼女の様子に私は確信した。

 吸血鬼は私に手を貸してくれている。一切の企みなどなく、ただ純粋に私を助けようとしてくれている。何の確証もないのにはっきりとそれがわかってしまった。

「どうして……助けてくれるの?」

 気づけば私はそんな疑問を彼女に投げかけていた。聞きたいことはたくさんあったはずなのにそれらを差し置いて問いかけていたのだ。

「……」

 吸血鬼はニコニコと笑って私を見つめる。何も言わず、ただこちらを見ているだけ。答えるつもりはないようだ。

「……そっか」

 彼女の真意はわからない。だが、敵ではないことだけは確かだ。それがわかっただけでもよしとしよう。

「うっ……」

 その時、不意に眩暈を覚えた。そして、少しずつ意識が遠のいてく。前回と同様、ここにいられる時間は限られているらしい。

「あの……緑色の陣も君の力なの?」

 最後の力を振り絞って一番気になっていたことを口にした。

 幾何学的な模様が刻まれた緑色の円形の陣。死んだとしてもそれらを全てなかったことにして蘇生する不死の力。

 そう、それこそ太陽や銀などの弱点でしか死なない吸血鬼(バケモノ)のような力だ。

「―――? ――――!」

 最初はキョトンとした吸血鬼だったが、すぐに笑みを浮かべて何かを話した。でも、残念ながらその声は届かない。

(も、う……駄目……)






 ――その力を大切にしてあげてね。






 最後にどこか優しげに言葉を紡ぐ幼い女の子の声が聞こえたような気がした。












「ん……」

 ゆっくりと目を覚ます。最初に見えたのは真っ白な天井。まだ見慣れないそれはゴールデンウィーク二日目に私が寝泊まりした保健室のものだ。

(どうなって……)

 のろのろと体を起こし、周囲を見渡す。保健室のベッドは白いカーテンで仕切られ、特にわからなかった。窓の外から鳥の鳴き声が聞こえるだけだ。

「……」

 体の調子を確かめる。お腹には穴は開いていないし、斬り落とされた右腕も問題なく動く。それどころか、徹夜した翌日なのに体にダルさもなく、不気味なほど調子は良かった。

 近くにスマホなどの私物はなさそうなので仕方なく、ベッドから降りておそるおそるカーテンの外の様子を伺う。

「誰も、いない?」

 保健室に人影はなかった。ちらりと時計を見れば時刻はもう少しで朝の5時になるところ。昨日の戦いは夜の11時に始まったはずなので6時間ほど寝ていたらしい。

(そっか……あの戦いはたった5分の出来事だったのか)

 ほとんど私の世界に入っていたからか、随分と長く感じた。ましてや、私は何度も死んでいる。あの緑色の陣がなければ私はもちろん、長谷川さんも死んでいただろう。

「……」

 昨日の夜は色々あった。あったはずなのに、冷静に状況を整理する自分がいて。

 それがどこか居心地が悪く、私の足は自然と屋上へと向かっていた。






 朝方の学校は静寂に包まれている。そのせいで私の足音が廊下に響くように鳴った。

 私が崩した天井や渡り廊下はすっかり元通り――いや、隔離世(カクリヨ)のおかげで崩れていたことはなかったことになっている。本当にあんな戦いがあったのか、と考えてしまうほどヤツラの痕跡は残っていない。

 誰もいない明るい学校は初めてなのでのんびりと歩いて屋上を目指す。だが、特に誰とも会わなかったせいで意外と早く目的地に着いてしまった。

「……」

 ガチャリ、と音を立てて屋上に続く扉を開ける。そして、眩い光に目を細めた。

「……はぁ」

 目の前に広がったのは朝日に照らされる音峰市の街並み。その場でぐるりと見渡せば飛来森も相変わらず街のど真ん中にそこにいた。

 どこかいつもより綺麗に見える街を眺めていると不意にふわふわとした感覚が体を包み込む。

 本当はあの時、私は死んでいて、この景色も、この感覚も、全て走馬灯のようなもので、無に還る最後の時を過ごしている。

 そんな馬鹿げた妄想を抱いてしまうほど、今の私には現実味がなかった。

【おはようございます】

 しかし、私の目を覚ましたのは目の前に浮かんだ青白い文字列。そう、あの5分の間、ずっと見たいと思っていた希望の証だった。

幻影(ファントム)さん……」

 振り返ると彼女はいつの間にか私の後ろに立っていた。吸血鬼の五感ですら察知できないほどの隠密行動にまだ全然追いつける気がしないと、と改めて思い知らさせる。

【体調はよさそうですね】

「は、はい、おかげさまで」

 幻影(ファントム)さんの言葉に掠れた声で答えた。そんな胸の奥から言葉を吐き出したような声に彼女はどこか不思議そうに首を傾げる。

【何かありましたか?】

「ぁ……えっと……」

 彼女の問いにしどろもどろになってしまう。私自身、この感覚に戸惑っているのだ。言語化しようにも上手く言葉が出てこない。

「その……本当に、勝ったのかなって」

 何とか絞り出した答えはそんな何とも言えない感想だった。でも、私の心の整理をする役には立ったようでふと思い立つ。

(あ、そっか。私……)

 命をかけてでも何かを成し遂げたいと願い、全力で抗って、勝利をつかみ取った。

 榎本先生の時みたいに強制されたわけじゃない。私がやりたいと自分で首を突っ込んだ。自分の意志で変わりたい、と。信念を貫きたいと前へ進んだ。

 そんな経験、一度もしてこなかった。しようとも思わなかった。

 ずっと、流されて、諦めて、侮辱されて――死んだように過ごしたあの頃。

 それしかして来なかった私が初めて真正面から運命に逆らい、未来を掴んだ。

 そう、これまで私は生きていて一度も――成功体験をしたことがなかったのである。

【影野さん】

 初めての経験に茫然としていると再び青白い文字が目の前に浮かぶ。顔を上げると幻影(ファントム)さんはいつの間にか手が届くところまで近づいてきていた。

「あ、の……私……」

【あなたがいなければ長谷川さんは死んでいたでしょう】

「ッ……」

【よくやり遂げましたね】

「ぁ……」

 その言葉を目にした瞬間、視界が歪んでいく。




 ああ、そっか。私、できたんだ。守れたんだ。やっと、誰かの役に、立てたんだ。




「私、頑張りました」

【はい】

「頑張ったんです……死んでも、死にきれないって……死んじゃ駄目だって。死んだら長谷川さんも死んじゃうって……」

【はい】

「そしたら、生き返って……無我夢中になって、時間を稼いで……」

【あなたがいたから私が間に合ったんです。被害がゼロで済んだんです。誇りに思ってください】

「ッ――」

 子供のような心の吐露に幻影(ファントム)さんが相槌を打つ。そして、最後の文字を見てとうとう、私の目から涙が零れ落ちた。

「ぁ、あああ……あああああああああ!!」

 そうだ、私はやり遂げた。やり遂げたんだ。

 長谷川さんも、音峰先輩も、シノビちゃんも、幻影(ファントム)さんも――私も生きている。生きて、朝日を見ている。生きて、憧れの人(あなた)の前で泣いている。




 ――私はッ、ここで死んだら、死んでも死にきれない!!




 吸血鬼に問いかけられ、私が願ったこと。

 後悔したまま、死にたくなかった。

 誰も守れずに、死にたくなかった。

 何も成せずに、死にたくなかった。

 あの人の隣に立てるまで、死にたくなかった。

 彼の抱えている何かを知るまで、死にたくなかった。

 そんな想いが溢れ、あの緑色の陣が私を蘇生させた。

 そうだ、あの時、私は死に抗った。

 そのおかげで私は、ここにいる。

 どんなに惨めでも、無様でも、みっともなくても、情けなくても……私は、私たちは生きている。生きて、生を喜んでいる。

 それがどうしようもなく、嬉しかった。

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