第106話
目を、開けた。
まるで、最初から目覚めていたように気づけば廊下の天井を眺めていた。
「か、げ――」
少しだけ眼球を彷徨わせればこちらを見下ろして目を丸くしている長谷川さんがいた。半壊したゴーグルの向こうから彼女の目が顔を覗かせている。
何が、起きた?
今、どういう状況だ?
私は、どうなった?
駄目だ、わからない。上手く思考がまとまらない。
でも、確かなこともある。
(私は、死んだ)
そう、死んだ。私はあの時、確かに死んだのだ。
そのはずなのに、どうして私は生きている?
(何が起きてるかわからない……わからない、けど!)
体を起こして意識を集中させ、私の世界に入ってから周囲を見渡す。幻影さんの矢によって一掃された廊下はすでにヤツラで溢れかえっている。東棟廊下もその例外ではない。
(死んでからそれなりに経ってる?)
しかし、幻影さんが来るまで1分を切ったところで私は死んだはずだ。長谷川さんのゴーグルが壊れている様子から戦いもあったのだろう。
予想以上にヤツラが集まるのが早かった?
それとも、幻影さんの到着が遅れている?
いや、そんなことはどうでもいい。
今、私がすべきことは何も変わらない。
「長谷川さん!」
廊下に座り込んでしまっている長谷川さんを抱き上げ、廊下の壁に向かって投げた。そう、幻影さんの矢で半壊させた壁へ。
「影野様ッ!?」
投げられながら彼女は私へ手を伸ばし、壁へ激突。そのままその向こうの空間へと消えていった。ついでに廊下に転がっていた二丁の拳銃も放り込んでいく。
(確か、正面玄関の横は倉庫になってたはず)
倉庫の扉は正面玄関に繋がるものしかないため、逃げ場はない。だが、少しの間なら時間を稼ぐことができる。少なくとも廊下にいるよりは安全だ。
もちろん、壁の穴から侵入できるため、このまま放置すればヤツラによって倉庫も埋まる。
でも、大丈夫。そのために私がいる。
「―――――!」
私の復活にこちらを警戒していたヤツラだったが我慢の限界が来たのだろう。私に向かって一斉に襲いかかってきた。
「……」
再び私の世界に戻り、ヤツラの動きを観察する。両方の廊下からの挟み撃ち。私たちが必ず避けようと決めていた構図。
どちらか一方から襲われていたのならどうにかできただろう。だが、私の世界にいたとしても同時に対処するのは不可能だ。
「――ッ」
それがわかっていながら私は正面から襲ってくるヤツラを右拳で殴り、吹き飛ばす。吹き飛んだ個体は周囲にいたヤツラを巻き込んで倒れ伏した。
そして、たった今、振るった右腕が廊下に落ちる。東棟廊下から襲ってきた個体に切り飛ばされたのだ。見ればその個体の尻尾の先端が薙刀のような刃物になっている。
「すぅ――」
右腕が落ちていく中、短く息を吸う。痛みはない。廊下にボタボタと私の血が滝のように落ちていく。
そんな赤を上書きするように足元に緑に輝く円形の陣が広がった。
「――はぁ」
短く息を吐き、私の腕を飛ばした個体の頭に右拳を叩きつける。予想以上に力が入っていたのか、その頭が弾け飛んで青い血が廊下に飛び散った。
だが、その隙を突かれ、正面玄関前廊下の方から鋭い針が無数に飛んでくる。庇うことすらできず、私の体は針によって貫かれていく。
(あ、死――)
その1本が私の頭を射抜いた。ぐちゃりと嫌な音が耳に滑り込んでくる。続けざまに左胸に穴が開き、大量の赤が廊下を染めた。
即死。再び、私は死んだ。死んでしまった。
(ま、だ……死ねない)
そうだ、私は死ねない。死にたくない。死んでいる場合じゃない。
「私、はッ!」
死なんかが私を止められると思うな。
死んだ程度で心が折れると思うな。
だって、私は――。
(絶対に、長谷川さんと一緒に生き残るんだ!!)
――私はそれだけのものを背負ってここに立っているのだから。
次の瞬間、足元の陣が瞬き、体が再生する。
いや、再生なんて生易しいものではない。最初から傷などなかったように私の体は元に戻ってしまった。唯一、残ったのは飛び散った紅い血だけ。
「―――――!!」
傷が治った私を見たヤツラは雄たけびを上げながら次々と私へ襲い掛かる。
比較的小さな個体を掴み、倉庫の穴へ向かったヤツラへ投げた。その隙に左足を掴まれ、握りつぶされ、視線がガクンと揺れる。
左足を失ったせいでバランスを崩し、何も抵抗できないまま、真上から落ちてきたヤツラの下敷きになった。
「う、お、おおおおおおお!!」
だが、足元の陣が輝き、体が再生した私はその個体を持ち上げて東棟廊下へと放り投げる。数体の個体が圧死したのを見た刹那、目の前が真っ赤に染まった。
「ぁ……」
ズルリ、と顔から何かが溢れる。輝く足元を見ると私の脳の一部が落ちていた。どうやら、隙を突かれて頭が弾けたらしい。
「ッ――」
それでも、私は死なない。真っ赤に染まった視界はすぐに戻り、いつの間にか治っていた左足で叩きつけるように踏みしめ、崩れ落ちそうになる体を支える。
そして、その間に右脇腹がなくなった。おそらく、鋭い牙を持つ個体に食い千切られてしまったようだ。
「関係、ないッ」
瞬きをする間に右脇腹は治り、私の肉で口を真っ赤にした個体を蹴り飛ばす。蹴られたヤツラは窓を叩き割って中庭へと消えていった。
「ガッ」
それを見届ける前に喉に強い衝撃を受け、口から大量の血が吐き出される。そのまま体を持ち上げられた。歪む視界の中、巨大な腕を持つヤツラが私を見てニヤリと笑う。
「くっ」
脱出を試みようと大木のような腕を殴るが上手く力が入らず、びくともしない。その間に私たちの横を数体のヤツラが通り過ぎていった。
(ま、ず……)
私は死なない。どれだけ傷を付けられても、脳を潰されても、首を折られても、足元の陣がある限り、蘇生する。
でも、動きを止められてしまったら倉庫を守ることができなくなってしまう。このままでは長谷川さんが危ない。
(首を千切ってでも――)
「……はは」
そう思って顔へ両手を動かそうとした瞬間、私はそれを見て笑みを浮かべる。
【お待たせいたしました】
その青白い文字を読み終える前に廊下にいたヤツラが塵となる。一瞬だけ見えたが廊下にいたヤツラは例外なく彼女の矢で貫かれていた。
そして、舞う塵の中、廊下の向こうに見覚えのある黒い幻影が立っている。
(よかった……間に合った……)
来てくれた。私の憧れの人が助けに来てくれた。それを実感したせいか、自然と目に涙が溜まっていく。
「あぐっ」
しかし、安堵した束の間、私を持ち上げていた個体も消えてしまったのでそのまま廊下に落ち、間抜けな声が漏れる。その衝撃で溜まっていた涙は引っ込んだ。
【怪我は】
足元の陣によって潰された喉が治る中、廊下で倒れている私に駆け寄ってくれる幻影さん。しかし、目の前に浮かんだ文字は不自然に途切れていた。彼女を見上げるとジッと私を見つめている。
【怪我はなさそうですね】
「……はい」
彼女の言葉にどう答えるべきか悩んだ後、ただ頷くだけにした。詳しい話をする前に現状を把握することが先だ。
「っ、長谷川さん!」
フラフラする体に鞭を打って体を起こし、倉庫の穴へ視線を向ける。そこにはちょっとよろめきながら壁の穴から出てくる彼女の姿があった。
「おかげさまで無事です。ですが、影野様は……」
「私も怪我、は……」
安心したせいだろうか。ふらつきが大きくなり、立っていられなくなる。受け身すら取れず、廊下に倒れてしまった。
「影野様!?」
意識が遠くなる中、半壊したゴーグルを投げ捨てて私へ駆け寄ってくる長谷川さんと――。
「……」
――観察するように私を見下ろす幻影さんが見えたような気がした。




