第103話
影に背中を切り裂かれた私は無理やり長谷川さんを庇ったこともあり、その場で倒れ込んでしまう。しかし、すぐに発砲音がして視界の端ですでに見慣れてしまったヤツラの残骸である塵が待った。おそらく、長谷川さんが影を倒してくれたのだろう。
「影野様、大丈夫ですか!? くっ……」
頭上から長谷川さんの焦ったような声が聞こえる。それからすぐに苦しそうな呻き声と共に連続で銃声が廊下に轟いた。チラリと東棟の廊下側を見てもヤツラの姿はないので玄関の方からヤツラが集まってきたのかもしれない。
(い、そいで……立ち上がらないと……って)
長谷川さんが戦っている。このままでは弾切れを起こした時点でリロードをする暇もなく、ヤツラの波に飲み込まれてしまう。私が動かなければ二人ともここで死ぬ。
そう思って体に力を入れた時に体の異常に気づいた。
「……」
一瞬、ふらついたが私はすぐに立ち上がる。それを見た長谷川さんはゴーグルを付けていてもわかるほど安心したように肩から力が抜け――ヤツラと戦うために私が彼女に背中を向けた瞬間、小さく息を呑んだ。
「動かないでください!」
「……」
「影野様!?」
「すぅ……」
後ろから聞こえる長谷川さんの言葉を無視して息を吸う。
たったそれだけで影に切り裂かれた背中に肉の割ける感覚が走る。それと同時に気持ち悪い液体が肌を伝う感触。意識を集中しているからか、ぽたぽたと廊下に私の血が落ちる音が聞こえる。
「そんな大怪我ではまともに動くことなど――」
「――大丈夫」
息を吐くついでに言葉を遮り、私は私の世界に入る。全ての動きが遅くなった景色では西棟や正面玄関の方からこちらへ向かってくる無数のヤツラの姿があった。天井を破壊した音で外から校舎に入ってきているのかもしれない。
(やっぱり、玄関の天井を壊さないと私たちは……)
幻影さんの矢は残り一本。ヤツラを殲滅してから天井を破壊しに行くことはできない。
なら、やることは一つ。ヤツラを蹴散らして矢を放てる位置に辿り着くしかない。
「――ッ」
重心を低くして一気に前へ突っ込む。ブチブチと背中から筋肉の繊維が千切れる感覚が伝わり、顔を歪めた。
でも、構わない。そんな不快な感覚だけでは私は止まらない。
「はあああああああ!」
そんな雄叫びを上げていたことに気づいたのは先頭にいたサルのような顔を持つヤツラを殴った瞬間だった。私に殴られたその個体の頭は弾け飛び、胴体は後ろを走っていたヤツラを巻き込みながら吹き飛んでいく。
「ッ……」
もちろん、私も無事ではない。背中の違和感は大きくなる一方だし、いつの間にか寒気がする。少しでもミスれば死が待っている緊張感のせいだろうか。
いいや、関係ない。違和感も、寒気も、緊張感も。今は無視して全力で前に進むしかないのだから。
両手が鳥の翼のように羽毛に覆われている犬のような個体が私を殺そうと右翼を振るおうとしている。サルの体に巻き込まれずに済んだのだろう。
それを視認してから身をかがめることで回避。そのまま、足を払ってその場で転ばせた。
「ガッ」
しかし、その後ろから何かが飛んできて左肩を強かに撃ち抜かれる。衝撃に顔を歪ませれば、転ぶはずだった犬の体を貫通して細いツルが私の体にまで伸びていた。犬が塵になるとその向こうにはニタニタと笑う右腕が植物のツルでぐるぐる巻きになった骸骨の姿。
(それ、でもッ!!)
鋭く尖ったツルだったが幸運にも貫通するほどではなかったらしく、私は後ろへ倒れる体を右足を廊下に叩きつけるようにして踏ん張る。そして、引き戻されそうになったツルを右手で掴み、思い切り引っ張った。
まさか引っ張られると思わなかった骸骨は驚いたような表情を浮かべながらその体を浮かす。骨だけの体だからバランスを崩しながらでも簡単に引き寄せられそうだ。
「こ、のっ!!」
こちらへ向かってくる頭蓋へ左拳を金槌を振り下ろすように叩き込む。たったそれだけで骨だけの頭は砕け、ツルごと塵となった。
「がふっ」
無理して戦っているからだろうか、胸の奥から吐き気がこみ上げて抵抗する暇もなく、それを吐き出した。びちゃびちゃと落ちたのは黒く濁った血の塊。影の一撃はもしかしたら内臓にまで届いていたのだろうか。
「影野様、無茶でございます!」
それが見えたのか、カランと小さな音がした後、長谷川さんの悲鳴のような声が廊下に響き渡った。こんな状況でもリロードを怠らない冷静さには脱帽する。
「……」
彼女の声を無視して私は一歩だけ前へ出る。だが、それを妨げるように瓦礫の雨が私を襲った。どうやら、腕力に自信のあるヤツラが私を殺すために廊下に落ちていた瓦礫を拾って投げつけたらしい。
私の世界へ逃げ込めば冷静にかわすことはできるだろう。だが、そうすれば後ろにいる長谷川さんが瓦礫の雨に撃たれてしまう。
「ぐっ」
仕方なく、両腕を交差するようにして顔を守り、瓦礫の雨をその身に受けた。
小さな瓦礫でもこれほど数が多ければ両腕だけでは守り切れない。私の足、腹、胸、肩、頭を撃ち抜き、その衝撃で思わず、二歩ほど後ろに下がってしまう。
「ッ!?」
瓦礫の雨をやり過ごした直後、両腕の隙間から見えたのは剣の切っ先だった。咄嗟に左へ体を倒れ込ませたが動くのが遅かったようで私の右腹が深く切り裂かれる。鮮血が弾ける中、トドメを誘おうとこけしに剣の柄を刺したようなヤツラが追撃を仕掛けてきた。
だが、その剣が届く前に銃弾がこけしの脳天を貫く。チラリと後ろを見れば東棟の廊下へ右手の銃を向けながらも左手の銃で私の援護射撃をしてくれた長谷川さんがその場で片膝を付いていた。怪我をしたわけではなく、射撃の精密さを高めるために可能な限り、態勢を動かさないようにしているらしい。
しかし、廊下の中央を崩したとはいえ、中庭から廊下へ侵入してくるヤツラもいる。東棟の廊下も放っておくわけにはいかない。長谷川さんの援護は望めないだろう。
「すぅ……はぁ……」
ドクドクと全身が心臓になってしまったように体のいたるところで脈を打つような感覚。相変わらず、寒気はするし、傷を負った場所から血が流れていくのも肌で感じる。
でも、それだけなのだ。
最初は勘違いだと思った。アドレナリンが分泌しているだけだと思い込もうとした。
だが、背中を切り裂かれても、左肩を撃ち抜かれても、瓦礫の雨に撃たれても、右腹を剣で切られても――痛みを感じないのだ。
こんな状況だから脳が痛みをカットしたのか、それとも私が壊れてしまったのか。痛みを感じない原因は不明だが、今の私には好都合だった。
「ああああああああああ!!」
天井から落ちてきた蜘蛛のようなヤツラを蹴って中庭へと追い出す。だが、蹴り出した蜘蛛が返ってきて押しつぶされそうになり、慌ててその場でバックステップ。おそらく、中庭から廊下へ入ろうとしていたヤツラによって押し返されたのだろう。その証拠にその窓から4本腕を持つ異形な存在が顔を覗かせた。
「っ……」
その個体は少しだけ他のヤツラより圧が強い。だが、長谷川さんが何も言わないので低級扱いなのだろう。
「すぅ……はぁ……」
小さく深呼吸。駄目だ、心を強く持て。ここで折れたら全てが終わる。
(だから、前を見ろッ!!)
そして、額から流れる血を制服の袖で拭い、私は覚悟を決めてまた自分の世界へと潜り込んだ。




