第102話
廊下の天井を穿った青白い矢。それを見届けながら私の体は滑るようにその場を通り過ぎる。幻影さんの矢は放っても反動がないため、吸血鬼の脚力で跳躍した慣性がまだ生きていたのだ。
「うぐっ」
そして、背中から廊下に落ちないように強引に体を捻ったところで勢いがなくなり、廊下に体を強打した衝撃で声を漏らす。多少の痛みを覚悟していたが、アドレナリンが分泌されているのか、痛みはなかった。
だが、そんな疑問も背後から凄まじい轟音とヤツラの絶叫が鳴り響いたことですぐに吹き飛んでしまう。更にその音は一瞬ではなく数秒ほど続き、中庭の方へと流れるように音の発生源が移動してからやっと聞こえなくなった。
急いで体を起こし、後ろを振り返るとそこはまさに瓦礫の山。私が放った矢が廊下の天井を砕き――いや、2階、3階と貫いて廊下を崩壊させたのだ。また、中庭へ続く渡り廊下は支えとなる廊下が崩壊したことで連鎖するように崩れ、中庭も瓦礫で酷いことになっていた。
(よかった……上手くいった)
そんな予想通り――いや、想定以上に上手くいった光景を見て私は思わずホッと安堵のため息を吐く。
廊下を幻影さんの矢で砕き、崩壊にヤツラを巻き込みつつ、進路を塞いで足止めをする。
それこそ屋上で私が長谷川さんに伝えた作戦だった。
もちろん、問題はいくつもあった。
まず、崩壊させる場所。天井を壊し、進路を塞いでも反対側の廊下からヤツラは襲ってくるし、中庭から窓を通って廊下へ侵入してくる。それはどうしても防ぐことはできない。
重要なのはヤツラが廊下に入り込むアクセスポイントを潰すことだ。
私が矢を放った場所は渡り廊下や階段の正面である廊下の中間地点。そこで天井が崩れた場合、どうなるか。そう、廊下だけでなく、渡り廊下や階段を塞ぐことができるのだ。
正直、渡り廊下が連鎖的に崩壊したのは想定外だったがこれでヤツラが東棟と西棟の移動する方法はぐるっと廊下を通ってくるか中庭を突っ切って窓から侵入するしかない。ヤツラの足止めとしては十分すぎるほどの成果だ。
次に矢を放つ角度。崩壊に巻き込まれないように矢を放つには離れた場所から斜め上を狙うようにすればいい。しかし、そうすると入射角が斜めとなり、2階、3階の崩壊ポイントがずれてしまう。そのせいで瓦礫の積み上がり方が甘くなり、上階にいるヤツラが廊下に開いた穴から飛び降りて下に降りてくる可能性がある。
だが、真上に向かって矢を放てば1階、2階、3階の天井を破壊し、その瓦礫は全て一か所に積み上がる。そうすれば2階の廊下に開いた穴を積み上がった瓦礫が塞いでくれるかもしれない。少し不安要素はあったものの、斜め上に矢を放つよりもヤツラを足止めできる可能性が高いのは確かだった。
そして、タイミング。廊下を崩壊させて進路を塞ぐだけなら西棟でも東棟でもどちらでもよかった。しかし、幻影さんの矢は3本しかなく、崩壊させるだけに使用するのはもったいない。それに加え、廊下を崩壊させた後、態勢を立て直す前にヤツラに襲われるのは極力避けたかった。
そのため、西棟から東棟へ向かい、正面から襲ってくるヤツラを撃破。そして、後ろにいるヤツラを崩壊に巻き込めば今後、動きやすくなる。そんな考えで立ち回っていたが長谷川さんの二丁拳銃による殲滅力と音峰先輩がヤツラを引きつけてくれていなければここまで上手くはいかなかっただろう。
最後の問題は矢を放つ私だった。後ろから襲ってくるヤツラを崩壊に巻き込むことを考えるとタイミングを合わせて廊下を崩壊させなければならない。また、立ったまま真上に向かって矢を放てば逃げ遅れる可能性もあった。
そこで考えたのが移動しながら矢を放つ方法だ。吸血鬼の脚力で廊下を蹴り、疑似的な低空飛行をしている間に天井へ体を向け、放つ。そうすれば矢を放った直後に跳躍の慣性によって私の体はその場から離脱。私が通り過ぎた頃に廊下が崩れ落ち、私を追いかけていたヤツラがそれに巻き込まれる。幻影さんの矢に反動がないこと。私の吸血鬼特有の身体能力がなければできなかった強引な作戦である。
「影野様!」
廊下の崩壊に巻き込まれないように先に中間地点を超えた長谷川さんが私の方へ駆けてきた。その頃には周囲の状況も確認し終えていたので立ち上がる。
「ご無事でなによりです」
「うん、目印ありがとう」
途中、彼女には廊下の中間地点の天井に弾痕を残してもらうようにお願いしていた。飛んでいる最中に矢を放つ関係上、左右は見られないし、通り過ぎてしまったらその時点でおしまい。そんな状況で正確に中間地点を撃ち抜く自信がなく、長谷川さんに目印を付けてもらったのである。あの動きが遅くなる世界なら苦もなく、目印を狙い撃ちできるからだ。
「いえ、影野様こそお見事でした……この後は?」
「予定通り、正面玄関も塞ぎに行こう」
運よく瓦礫は1階の廊下の天井よりも高く積み上がっている。これで東棟の廊下は完璧に塞いだ。そのため、ヤツラの侵入経路は西棟から正面玄関前を通って東棟へ来るか、中庭から直接乗り込むしかない。
中庭は問題ないだろう。窓から向こうの動きは丸見えだし、残弾がある限り、長谷川さんが処理してくれる。
問題は正面玄関だ。今の騒動で外にいたヤツラが玄関から校内に入ってくるかもしれない。だからこそ、同じように幻影さんの矢を使って正面玄関を塞ぎ、幻影さんが来るまで西棟や中庭から廊下に侵入してきたヤツラを倒す。そうすれば残り数分程度なら持ちこたえられるはずだ。
「残り時間は?」
「ちょうど2分を切りました」
残り2分。その時間が過ぎても幻影さんが来る確証はない。でも、私たちは彼女を信じて待つしかないのだ。
「じゃあ、長谷川さんは廊下の角で左右を警戒しつつ、西棟から来るヤツラを優先的に倒して。その間に私が玄関まで行って矢を撃ってくる!」
「かしこまりました」
長谷川さんが頷いたのを見て私は駆け出した。まずは西棟から東棟へ向かってくるヤツラを倒す。その後、隙を見て矢を放てば玄関を塞ぐ程度の崩壊は起こるだろう。それに今回は上階のことを考えなくていいので離れた場所から玄関の天井を狙えばいい。先ほどの無茶な作戦よりも簡単だ。
そう、簡単だった。だから、私は油断していたのだろう。何事にも想定外のことが起こる。その可能性を考慮していなかった。
(よし、あの曲がり角を曲がればすぐだ!)
最初に放った矢が廊下の突き当たりの壁を破壊し、足元は小さな破片が散らばっている。ヤツラを巻き込んで放ったからか、廊下の壁は完全に崩壊しておらず、原型を留めていた。これで壁に開いた穴からヤツラが廊下に侵入してくることはないだろう。
そんなことを考えながら曲がり角を曲がる。そして――視界の端で何かが蠢いた。
「――ッ」
反応できたのは奇跡だった。もしかしたら幻影さんの修行のおかげで殺気に敏感になっていたのかもしれない。
顔を仰け反らせながら思考速度を加速させた私の頬を黒い影が掠る。その影は顔らしきところに目や耳などの部位はなく、しなるように伸びる薄い体を持っていた。その右手には鋭い鉤爪。そう、正体は――。
(まさか、なんで!?)
――影。影の中に身を潜め、近くを通りかかった獲物の隙を狙うヤツラでござる。
飛来森で私を襲ったヤツラの正体。まさかこんなところで遭遇するとは思わず、息を呑んでしまった。おそらく、影に潜るという特性しか持っておらず、体は脆いため、低級扱いされているのだろう。
(でも、かわした! かわせた! あとは隙ができたところを――)
殴れば倒せる。そう思った瞬間、曲がり角から長谷川さんが出てくるのが見えた。そして、影の鉤爪は真っすぐ彼女へと向かっている。このまま放置すれば確実に長谷川さんは影の鉤爪で殺されてしまう。偶然とはいえ、一瞬の隙が致命的となり、私は奥歯を噛みしめた。
(ううん、違う。影の狙いは最初からッ)
きっと、この影はずっと私たちを見ていたのだ。そして、私よりも長谷川さんが脅威だと認識し、彼女を確実に仕留めようとこの瞬間まで身を潜めていたのである。飛来森で幻影さんやシノビちゃんではなく、私を狙っていたため、殺す順番を考える程度の知性はあるのだろう。
(どうする?)
全力で動けば長谷川さんを突き飛ばすことは可能だ。しかし、周囲よりも速く動いている状態で彼女に触れたら傷つけてしまう。それに突き飛ばせたとしてもその後、影がその隙を狙わないわけがない。
だが、影の方をどうにかしようにも私は鉤爪をかわしたせいで態勢を崩している。態勢を立て直し、攻撃を加えようとした時点で鉤爪は長谷川さんの体を捉えているだろう。
肝心の長谷川さんはこちらを見ておらず、真っ直ぐ角へ向かっている。私が角で左右を警戒して欲しいとお願いしたせいだ。私が余計な指示を出さなければ彼女なら影の潜伏にも気づけただろう。
(どうする……)
時間は少ない。思考を加速させていたとしても時間が止まるわけじゃない。悩んでいる間も影の鉤爪は確実に長谷川さんに近づいている。
(どうする!!)
迷っている時間はない。
怪我させることを覚悟して長谷川さんを突き飛ばすか。
無謀だと知りながらも影に攻撃を仕掛けるか。
それとも――長谷川さんを見殺しにするか。
「ぁ、ああああああああ!」
時間が引き延ばされた世界で私は絶叫しながら強引に体を動かし、後ろへ飛ぶ。着地のことなど何も考えていない出鱈目な跳躍。目指す先は一つ。
「ガッ」
飛び散る鮮血。襲い掛かる衝撃。カッと熱した棒を押し付けられたように熱くなる背中。生きてきた中で感じたことのない不快感に喉の奥からそんな音が漏れた。
「ッ……影野様!!」
やっと影の存在に気づいた長谷川さんが掠れた声で私を叫んだ。
突き飛ばせない。攻撃を仕掛けられない。見殺しなどもってのほか。
だから、私は――。
――長谷川さんと影の間に飛び込み、鋭い鉤爪を背中で受ける選択をした。




