第100話
北高の屋上には西棟と東棟それぞれに校内へ入る塔屋が存在する。また校舎の構造上、階段は渡り廊下の正面にあるため、自然と屋上の中央辺りに立っていた。
「……」
塔屋の扉を開け、音を立てないように中に侵入した私たちは周囲にヤツラがいないか、数秒ほどかけて警戒する。校舎の中にもそれなりの数が侵入しているようで時々、呻き声や何かを引っ搔く音、ガシャン、と物が壊れる音がしていた。
(ヤツラは屋上に来ようとしてない……なら、まずは可能な限り、ヤツラに見つからずに2階まで降りる)
このまま階段を降りれば正面に3階の渡り廊下が見える。つまり、廊下の左右、正面からヤツラに見つかる可能性があるのだ。
きっと、そこが最初の難関。見つかってもそこでおしまい、というほどのミスではない。しかし、見つからない方がこの後の動きに支障がないため、長谷川さんに目配せして彼女の先頭に階段を慎重に降り始めた。
(長谷川さんの話ではぱっと見、ヤツラの強さは低級……毒をまき散らすイカや爆発する鶏のような厄介な相手はいない)
ヤツラにはある程度のランク付けがされているらしい。
例えば、飛来森で出会ったゴブリン。あれは特殊な能力がないため、低級。サイクロプスもただでかいだけで低級の中では上位なだけでそこまでの敵ではない。
むしろ、イカや鶏のような特殊な性質を持っているヤツラの方が厄介であり、ランクも上がっていく。
もちろん、そのランクはただの指標であり、鵜呑みにして痛い目をみるトリガーもいる。それでも戦う際、参考になる譲歩であることには間違いない。
そして、長谷川さんのゴーグルはランクも提示してくれる。だからこそ、ヤツラに見つかった時にその強さを把握するため、彼女の先頭にして階段を降りているのだ。
「ッ……」
階段の中腹まで来たところでいきなり長谷川さんが足を止める。即座に意識を集中させ、世界の時間を引き延ばした。
(……いた)
少しだけ姿勢を低くすると東棟の廊下に何かが動く影が見えた。こちらに気づいた様子はないものの、このまま進めば見つかってしまう可能性がある。
「……」
「……」
制止すること5秒。東棟の廊下を歩いていたヤツラはそのまま奥の方へ行ってしまった。すかさず、私たちは階段を降りきって2階へと向かう。
このまま見つからずに行けるか――そう思った矢先、下の方からドスドスと聞き慣れない足音が聞こえた。少しずつ音が大きくなっていることから階段を昇っているようだ。長谷川さんはどうする、と言わんばかりにこちらを振り返って指示を待っていた。
(引き返す? いや、そのまま3階でヤツラに見つかる方が悪手。なら……)
「すぅ……はぁ……」
小さく息を吸い、吐く。そして、左手首に巻かれたミサンガを一撫で。
大丈夫。私たちならできる。だから、前へ進む。
覚悟を決めた私はコクリと頷いた瞬間、手すりを乗り越えて一気に下の階へと落ちた。私が降り立った先にいた犬がそのまま二足歩行しているようなヤツラ――コボルドが私の存在に気づいて雄叫びを上げようと口を開ける。
「――ッ」
その瞬間、上から二発の発砲音。弾丸に撃ち抜かれた化け物は青い体液をまき散らしながら塵となって消滅する。上を見上げれば手すりから身を乗り出すように二丁の拳銃を構えた長谷川さんがいた。彼女がコボルドを倒してくれたのである。
「長谷川さん!」
銃声は校内に響き渡った。すぐにヤツラが集まってくる。でも、目標だった2階に辿り着いたため、私はわざと声を張り上げて両腕を上に伸ばす。
「失礼します」
そう言って彼女は手すりを乗り越えて私の方へ落ちてきた。吸血鬼の腕力で彼女を受け止めてそのまま階段へ降ろし、なにふり構わずに私を先頭に階段を駆け下りる。
「前方、低級です!」
1階へと向かっている最中、銃声を聞きつけたヤツラが階段を昇ってきた。数は3体。ゴブリンとコボルド、翼が鋭く硬質化している二足歩行のドードーのような鳥。
「ゴブリンはやる!」
そう言いながら私は右腕を引く。3体の中でゴブリンが僅かに先行していたからだ。今まさにゴブリンが持っていた棍棒を振り下ろそうとした時、意識を集中させた。
(大丈夫……最低限の戦闘ができると判断した幻影さんを信じろ!!)
瞬間、紅い塗料をぶちまけたように視界が真っ赤に染まる。右腕に込めた力が爆発的に膨れ上がるのを感じながら階段を蹴った。ベクトルは斜め下。ほとんど落ちるような軌道を描き、私の体はゴブリンの懐へと潜り込んだ。
「――ッ」
全力で右腕を振るう。ぐしゃり、という感触が右拳に伝わると共にゴブリンの頭部が潰れた空き缶のように潰れた。それとほぼ同時にコボルトと鳥の額に穴が開く。長谷川さんの銃弾だ。
初めてヤツラを倒した。そんな感動、抱く暇はない。右拳に付着した青い体液を振り払いながら階段の踊り場に着地する。この階段の下は西棟1階、渡り廊下前だ。
「後ろから敵!」
しかし、ヤツラも黙っているわけではない。ここから1階と2階からヤツラが一気に押し寄せる。とにかく、挟み撃ちされないように一刻も早く1階へ降りなければならない。
「入れ替わる! 前の敵を倒して!」
私は足を止め、長谷川さんを先に行かせる。上を見れば彼女の言うとおり、数体のヤツラとそれ以上の数の足音が聞こえた。
「すぅ……はぁ……」
再び、深呼吸。後ろをチラリと見れば長谷川さんが階段の中腹付近で1階から襲い掛かるヤツラを倒してくれていた。なら、私は2階から来るヤツラの足止め。
(一撃で倒しちゃったら塵となって消えちゃう……よし)
「――――――!」
階段の踊り場で重心を低くし、構えると同時に先頭を走っていた右腕が異常に発達した異形な人型のヤツラが襲い掛かってくる。人型とはいえ、肥大化した右腕のせいでどのような攻撃を仕掛けてくるか咄嗟に判断できない。
なら、私の時間へ引きずり込む。わかるまで考え続ければいいだけだ。
意識を集中させ、世界の時間を引き延ばした。ゆっくりとなった世界で目の前のヤツラは私を殺そうと迫っている。
右腕を振るう? それとも足? 体当たりの可能性もある。
どれだ? どうやって攻撃してくる?
見ろ。見ろ。見ろ。見ろ。
攻撃には必ず起こりがある。
右腕を振るうなら右腕を引く。
足で蹴るなら足を上げる。
体当たりなら姿勢を更に低くする。
だから、焦るな。じっくりと観察しろ。そうすれば絶対に――。
「――ッ!」
引き延ばされた世界でヤツラが目と鼻の先まで近づいた時、その異形は口を開いた。その先に見えたのは先端が鋭く尖った舌。そして、その舌を射出。本来の時間であれば一瞬で私の頭蓋を粉砕するほどの速度だ。
でも、今の私は感じている時間が違う。迫る舌をしっかりと捉えながら僅かに頭を傾けて回避。そのまま、右手を広げて一気に前へ押し出す。
掌底。私の手首に近い肉厚の部分が異形の顔面を捉え、後方へ突き飛ばした。引き延ばされた世界で普段と変わらない速度で放たれたその一撃は異形の体を軽々と吹っ飛ばし、その後ろから私を襲うとしていたヤツラを巻き込んで壁に叩きつけられる。
「影野様!」
その時、一階を下まで降りた長谷川さんの声が耳に届く。そして、倒れているヤツラを踏み殺しながら迫る他のヤツラが次々に彼女の銃弾で屠られていった。本当に彼女の射撃能力は惚れ惚れするほど正確だ。
「ありが――くっ」
お礼を言おうと下を見れば長谷川さんの後ろから迫る拳が見える。どうやら、東棟の廊下から腕を伸ばし、ガラスを突き破って襲い掛かったようだ。長谷川さんも後ろからに奇襲に気づいていたようだが銃口を向ける前に殴られてしまう。
咄嗟に時間を引き延ばしてあらかじめ長谷川さんから貰ってポケットに入れていたボールペンを手に持ってそのまま投擲。吸血鬼の腕力+引き延ばされた世界で普段と変わらない速度で投げられたそれはくるくると回転しながら宙を駆け、拳を打ち砕いた。その凄まじい破壊力にボールペンも耐えられず、粉々に砕けてしまう。そして、拳を砕かれたヤツラを長谷川さんが銃弾で撃ち抜き、無効化する。
「ありがとうございます」
「こちらこそありがとう」
階段を駆け下り、西棟1階渡り廊下前に辿り着いた。私たちは短くお礼を言い合った後、廊下の左側――第一体育館方面へ向かって予定通りに駆けだす。
次に目指すのは反対側の校舎、東棟の渡り廊下前だ。




