赤い末期
「思い知らせてやるよ。この俺『ベルザード・ヴァルザード』が、お前にはデクシア――『デクシア・フェル・ヴァルザード』の名は重過ぎるってことをな」
「――っ!」
「はあっ!」
吠えるようにそう言い販った瞬間、地を蹴ったベルザードが一瞬でデクシアに肉薄し、その槍を最上段から叩きつける。
雷のごとき斬撃を大鎌で受け止めたデクシアだったが、その破壊力を完全に受け止めきることはできず、苦悶の表情を浮かべる。
「く……っ」
斬撃の圧力に加えて槍へと注ぎ込まれた魔力が迸る雷光となってデクシアの身体に傷をつけ、赤い血を噴き出させていく。
その拮抗を受け流し、後方へ飛びずさったデクシアを視線で追うベルザードは、槍の刃から斬撃に乗せて黒い波動を奔らせる。
「反天の力!」
これまでとは違う威圧を感じたデクシアは、それを理解すると同時に渾身の力を纏わせた大鎌の斬撃でそれを迎撃する。
「く……っ」
しかし、ベルザードの力はデクシアのそれを圧倒的に上回っている。
その力がもたらす破壊が、己を存在ごと引き裂かんとしているのを感じ取ったデクシアは、身体が捻じれ、血が噴き出す痛みに歯噛みする。
「そのまま存在ごと抹消してやろう」
(クソ……使うしかないか)
彼我の力の差を見せつけられたデクシアは、不敵な笑みを浮かべるベルザードを睨みつけ、苦渋の決断を下す。
自らが持つ奥の手――切り札を行使するべく、意識を自分の中、奥深くに沈めていく。
自分の魂の力である真紅の魔力のさらに奥底。その中に眠る「漆黒」へとその意識を潜り込ませていく。
「……何をする気だ?」
その様子を見ていたベルザードは眉をひそめる。
悪魔の力である「魔力」はその悪魔の魂そのものから放たれる力。そのため力は常に中から外に向かっている。
しかし今、ベルザードの見ている前で、デクシアの力は外側から内側に向かって収束していっていた。
それが何かベルザードには分からないが、デクシアが何かをしようとしているのは間違いない。
「――いくぞ」
「きゃあっ!」
「!?」
デクシアが今まさにその力を解き放たんとした瞬間、恋詠の悲鳴が響き、その発現を遮る。
弾かれたように背後を振り向いたデクシアは、無数の人型に集られている恋詠と麻衣の姿を視界に捉える。
「麻衣!」
「恋詠……うっ!」
黒い人型の異形に抑え込まれた麻衣に手を伸ばし、声を張りあげた恋詠だったが、その叫びも空しく目の前で友人は意識を刈り取られてしまう。
「チィッ」
気を失った麻衣を担ぎ上げた黒い人型が足元に広がった影のような闇の中へその存在がゆっくりと沈んでいく。
「麻衣!」
「させるか!」
悲痛な声を上げる恋詠を横目に、デクシアは大鎌に魔力を纏わせ、麻衣を抱えた黒い人型へ攻撃を加えんとする。
「目の前の敵に気を割き過ぎるからこうなる」
「――っ!」
瞬間、背後から聞こえてきたベルザードの言葉に、デクシアは思わず息を呑む。
不覚にも恋詠と麻衣に意識を取られてしまったデクシアが振り向くよりも早くベルザードの振るう青龍刀を思わせる槍の刃が打ち付けられる。
「ぐあっ!」
回避しきれずその斬撃を受けたデクシアは苦悶の声を上げて地面を削りながら吹き飛ばされ、校舎に激突して粉塵を巻き起こす。
「黒須君!」
デクシアが鮮血をまき散らしながら吹き飛ばさるのを見て取った恋詠は、反射的に自身にとって最も慣れ親しんだ名前を叫んでしまう。
「そっちの人間もついでに持っていくか。何しろ、貴重な資源だからな」
「資源? ――っ!?」
ベルザードの口をついて出た言葉の意味を理解するどころか、考える時間もなく、恋詠に黒い人影が殺到してくる。
強靭な膂力を持つ腕が恋詠を押さえつけ、成す術もなく引きずり倒されてしまう。
「い、いや……っ」
自分を囲む表情すらない黒い人型に言い知れぬ恐怖を覚えた恋詠は、声を引き攣らせる。
「!」
瞬間、飛来した大鎌が恋詠を拘束していた人型を両断する。
それを見て視線を向けた恋詠が視線を向けると、その大鎌の持ち主であるデクシアが無防備で黒い無貌の人型に囲まれていた。
(助けてくれたの? でも、私の所為で……)
自分を守るため、武器を無くしてしまったデクシアの姿に恋詠は、罪悪感で胸が締め付けられる。
だが、そんな恋詠の視線の先で、デクシアは自身に向かって遅いかかる人型達を、拳や蹴りによって撃破していく。
「すご……」
武術や体術など知識はないが、恋詠が目を奪われたのは、デクシアがみせる純粋な戦闘力だった。
目にも止まらぬ速度で動き、その一撃は容易に人型を破壊し、その身に纏わされた力が欠片も残さずに取り込んでいく。
それはまさに人の領域を超えた戦い。悪魔の戦いというべきものだった。
(見てる場合じゃない。私も何かしなきゃ)
デクシアの姿に一瞬意識を奪われていた恋詠は、我に返ると周囲を見回し、先ほど投擲された鎌に駆け寄る。
戦うことはできないが、せめて自分のために手放してしまったこの武器を返そうと考えた恋詠は、その柄を握って、力任せに持ち上げようとする。
「くっ、嘘、重……っ」
しかし、デクシアが投擲した大鎌はあまりにも重く、恋詠の膂力では持ち上がるどころか、微動だにする気配すら感じられなかった。
「ハアアアッ!」
そんな恋詠の悪戦を尻目に、デクシアの手のひらから放たれた魔力の奔流が人型を呑み込んで消滅させる。
その力はデクシアの意思によって生きているかのように宙を奔り、大鎌を抜こうとしていた恋詠に迫っていた人型すらも容赦なく食い尽くしていく。
「やはり、この人形では足止めも難しいか――ム?」
魂喰の力によって人型の存在を存在ごと消滅させるデクシアの姿を一歩離れた場所から見ていたベルザードは、その双眸に剣呑な光を宿す。
(こちらに近づいてくる気配。――これは、あいつらか。デクシアを探してやってきたわけだ)
ベルザードが捕らえたのは、自分達の元へと向かってくる無数の気配。
それがデクシアの仲間であることを知っているベルザードは、一瞬だけ沈黙して小さく嘆息する。
「デクシア一人だけならまだしも、あいつら全員を相手にするのは少々分が悪いな。――仕方がない。その人間は諦めるか」
デクシアの仲間達全員と戦うのは不利だと判断したベルザードは、恋詠を連れ去ることを即座に諦める決断を下す。
「だが、これ以上邪魔されるのはごめんだ。お前にはここで消えてもらう」
しかし、何もせずに退くことなどできないと考えたのだろう。――ベルザードの双眸には、明確な殺意が宿っていた。
そしてベルザードが手を翳すと、誰もいない空間が歪んでいく。
「この異界を作り出していた〝反天〟の力を、この世界を滅ぼすために使う。この意味がお前なら分かるな?」
ベルザードの言葉と共にどの魔力が世界を侵食し、世界が黒く歪み、周囲に広がっていた景色が闇となっていく。
「な、なに、これ……!?」
目の前で起きる信じ難い現象に狼狽する恋詠とは対照的に、デクシアは小さく歯噛みしてベルザードを睨みつける。
敵意を剥き出しにしたデクシアの視線に嘲笑を向けて応じたベルザードは、不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「この異界にある全てのものが滅び去る。お前たちと共にな」
これから訪れる運命をデクシアに告げたベルザードは、自身の足元から生じた闇の中へとゆっくり姿を消していく。
「逃がすか!」
それを見て取ったデクシアが渾身の魔力を放つが、それは闇に染まった世界によってかき消され、ベルザードへと届くことはない。
魂喰の力を以てしてもこの滅びゆく世界を喰らい尽くすことができないことを確信したベルザードは、デクシアに向けて最後の言葉を手向ける。
「さらばだ、デクシア・フェル・ヴァルザード。我がかつての主」
「クソ……っ」
ベルザードの存在が完全に消失したのを見て取ったデクシアは、速足で恋詠の元へと駆け寄ると、地面に突き刺さったままになっている大鎌を引き抜く。
「俺から離れるな」
「――っ」
そう言って恋詠の腰に手を回して抱き寄せたデクシアは、大鎌に自身の魔力の全てを注ぎ込んで力の限りに振り下ろす。
滅びに染まっていく世界に向けて突き立てられた大鎌の刃が入ってきた時と同じように空間を破壊しようとするが、その力は闇の前に阻まれてしまう。
「ぐ……お、オオオオオッ」
世界を滅ぼす闇に抗わんと全霊の力を振り絞るデクシアだったが、その力と大鎌の刃は徐々に押されていく。
(このままじゃ、この世界と共に消される)
歯噛みし、このままでは世界と共に闇に呑まれて滅びるしかないと直観したデクシアの脳裏に、過去の記憶がよぎる。
何のために戦うのか、自分がなすべきことは何なのか――その思いを奮い立たせ、ここで死ぬことなどできないと奮起したデクシアは、一つの決断を下す。
(もう、使うしかない)
滅びる世界そのものである闇が迫ってくる恐怖に震える恋詠を抱く腕にわずかに力を込めたデクシアは、決死の思いで自身の切り札――禁じ手ともいえる奥の手を行使する。
「オオオオッ!」
「……え?」
瞬間、恋詠は自身の目に映る世界が一瞬にして塗り替えられるのを見た。
今まさに自分達を呑み込まんとしていた漆黒の闇が、それとは異なる漆黒に塗り潰され、滅びゆく世界が滅ぼされていく。
闇が闇に塗り潰され、まるで世界が作り変えられたような感覚に抱かれた恋詠が不思議な浮揚感に導かれて視線を落とすと、自身の身体が半分消滅していた。
(か、身体が……)
まるで闇に溶けるように、下半身が闇に消えているのを見て取った恋詠が、瞠目した瞬間、横から伸びてきた腕が半分になってしまった身体を抱き寄せてくれる。
「すまない」
「――っ!」
闇に消え、自らが死に呑まれることを理解していながら、恋詠は己の目に映るものを前にしてその恐怖を完全に見失っていた。
恐怖すら感じない安らかな死――まるでゆりかごに抱かれたような心地よさと安心感すら感じられる終焉の時の中、恋詠は真紅の髪と瞳をなびかせるデクシアの姿に心を奪われていたのだ。
(綺麗……真っ赤な髪と瞳)
優しく見守るような瞳で自分を見つめてくれるデクシアと視線を交錯させた恋詠は、自然と頬を綻ばせて微笑みを浮かべる。
なぜそんな表情を浮かべることができたのかを考えることすらなく、恋詠はデクシアの腕の中で死の闇に抱かれ、永遠に覚めることのない眠りについたのだった。




