悪魔の名前
「く、黒須君……?!」
夕日を受けて輝く白銀の髪を風にたなびかせ、自分の前に佇む最推しの人物の姿に、恋詠は信じ難いものを見る面持ちで呟く。
自分が推すキャラクターそのものの姿をした人物が窮地を救ってくれた。その事実は、恐怖に竦んでいた恋詠の乙女心をときめかせるのに十分すぎるものだった。
先ほどまでの恐怖など嘘のように――否、だからこそ熱を帯びて昂る高鳴りを感じながら視線を向ける恋詠に、白銀色の髪の少年が肩越しに振り向く。
「そこでじっとしていろ」
ただ淡泊に述べられたその言葉に、恋詠は不思議と心が安らぐような安心感を覚える。
その言葉に対する答えなど期待はしていなかったのだろう。
ただ告げるべき言葉を告げた白銀色の髪の少年が手を横に伸ばすと、その影から黒い波動のようなものが迸り、青年の手の中に収束されて白銀の大鎌へと変化する。
「なっ!?」
目の前で起きた信じ難い現象に息を呑む恋詠と麻衣の視線を背で受けながら、大鎌を手にした少年が地を蹴る。
瞬間、風すらも置き去りにするような速さで駆け抜けた少年は、無数の黒い人型に向かって突進し、白銀の大鎌を一薙ぎする。
その大鎌の一閃で三体の黒い人型の異形が一瞬で真っ二つに切断され、同時に土くれのようなモノになってその場に零れ落ちる。
「すごい」
人間であったならば超人と称されるであろう動きで少年に襲いかかる人型が、大鎌の一閃によって瞬く間に塵になっていく様子に、恋詠は思わず感嘆の声を漏らす。
瞬く間に、全ての人型を屠った白銀の髪の青年は、そんな二人には目をくれず大鎌の切っ先を何も無い中空に向けて口を開く。
「しばらく見ないうちに変なモノを扱うようになったな。探したぞ」
「――やはり、人形では力不足だったか」
その言葉に応じるかのように、白銀の大鎌の切っ先の延長線上にある空間が陽炎のように歪み、一人の男が現れる。
そこから現れたのは、血のように赤い衣を纏い、肩にかかるほどの長さを持つ紫紺色の髪を持った精悍な面差しの男だった。
人形を思わせるどこか現実味のない整った顔立ちに、身長百八十センチほどにもなろうかという長身に、細身ではあるが、筋肉質の引き締まった浅黒い肌の身体。
何より、その頭部に山羊のそれを思わせる黒い角を持ったその男は、空の上に立ったまま白銀色の髪の少年を睥睨する。
「久しぶりだな、『デクシア』」
「主人の名前を呼び捨てか? 偉くなったもんだな。『ベルザード』」
「デクシア」と呼ばれた白銀の髪の青年の言葉に、「ベルザード」と呼ばれたもう一人の男は小さく口元を歪める。
「もうお前を主と呼ぶ必要は無いだろう? それに呼ばれたくも無いと思っていたんだが?」
嘲笑するように言うベルザードの言葉を無言で受け止めた白銀色の髪の少年――「デクシア」は、大鎌の切っ先を向けたまま鋭い口調で言う。
「『0‐AXIA』を返してもらおうか」
「……断るといったら?」
デクシアの言葉に、ベルザードはわずかに眉を細めてわざとらしく肩を竦めてみせる。
ベルザードの言葉にデクシアは口元に笑みを浮かべ、視線の先に居るベルザードに抑制された静かな強い口調で答える。
「力づくで返してもらうだけだ」
デクシアの言葉に、ベルザードはその整った眉をひそめて不快感を表す。
「――“もう一度”殺されたいのか?」
(もう一度……?)
まるで「一度殺されたことがある」というようなベルザードの言葉に、恋詠は怪訝な表情を浮かべる。
その言葉の意味する事は恋詠には知る由も無い。しかし、その意味が理解できるデクシアとベルザードの間に、刃を研ぐような緊張感が奔ったことだけはりかいできた。
「やってみろ!」
ベルザードの言葉を聞いたデクシアは大鎌を一気に振り払うと地面を強く蹴り、ベルザードに向かって一直線に飛びかかる。
助走をつけたわけでもなく、ただ強く地面を蹴って飛び上がっただけに過ぎないはずなのに、デクシアの跳躍はそれだけで三メートルにも及ぼうかというほどに高く、その速度は放たれた矢のように疾かった。
その脚力悲鳴を上げるように砕けた大地から発せられた音が恋詠と麻衣の耳に届くころには、空中に舞い上がったデクシアの姿は、すでにベルザードに肉薄していた。
その速度はまさに電光石火。まるで影を置き去りにし、大気を貫くような凄まじい――常識を逸脱したものだった。
「クク」
しかし、デクシアの攻撃にも瞬時に反応したベルザードは、白銀の大鎌の刃が自分を捉えるより速く指先を鳴らす。
するとベルザードの周囲に黒い渦が一瞬にして無数に発生し、その中から先程までとは比較にならないほど大量の黒い人型の異形が無数に現れる。
「邪魔だ!」
それを見て取ったデクシアが強い口調で言い放つと、白銀の大鎌の刃から真紅の力が迸る。
真紅の力を纏った銀閃が軌跡を残し、黒い人型を両断すると、その肉体を刀身――真紅の力が取り込んでいく。
「『魂喰』――容赦ないじゃないか。いきなり全力の魔力の斬撃とは」
「お前の魔力は相変わらず不味いな」
それを見て取ったベルザードが不敵な笑みを浮かべると、デクシアは挑発するようにして言う。
「それは光栄だ」
そんなデクシアの言葉を嘲笑に付したベルザードは、その手に生み出した黒い――否、黒とは異なる邪悪な色の炎を放出する。
螺旋状に渦巻く魔色の炎をデクシアが真紅の魔力を宿した大鎌の切っ先で切り裂くと、飛び散った魔力の炎が大地を焦がし、焼き払った場所を凍てつかせる。
「火なのに、凍った!?」
凍てついた炎を見た恋詠は、見たこともない現象に驚愕して目を見開く。
「ほう。うまく躱したな。――なら、これはどうだ?」
魔力の炎を砕かれたベルザードは不敵な笑みを浮かべると、新たに生み出した魔色の炎を巨大化させていく。
そうして生み出されたベルザード自身の身の丈よりも巨大な火球は、太陽のようにその頭上に鎮座し、それを構成する黒に近い魔色がの炎がその威を示すように煌々と燃え上がっていた。
「喰らえ」
ベルザードが軽く手を振ると同時に黒火球が放たれ、デクシアに向かって一直線に放たれる。
「――チッ」
大気すら焼き尽くさんばかりの熱量が込められた黒太陽が弾丸のような速度で迫ってくるのを見て取ったデクシアは、背後に庇った恋詠と麻衣を一瞥して小さく舌打ちをする。
もし回避しても、その火球が炸裂すれば生じた熱量がただならぬ被害をもたらし、脆弱な人間の少女二人を灰すら残さずに消滅させてしまうことは確実。――つまり、デクシアにはこの攻撃を回避することはできなかった。
「ハアアアッ!」
瞬時に判断を下したデクシアは、全霊の力を解放して大鎌の斬撃を見舞う。
天を裂くような魔力の斬撃が奔り、黒火球と激突した瞬間、空間が歪み、生じた莫大なエネルギーの余波が誰もいない世界を舐めるように焼き尽くしていく。
「く……っ」
「――お前の魂喰は、相手の力を自分の力として吸収する能力。だが、今のお前の力では俺の力を完全に吸収することはできない。後ろの人間共を見捨てれば回避くらいはできただろうに」
拮抗し、空間を歪める力の波動の中、黒太陽を相殺しきることができずに歯噛みするデクシアを睥睨し、ベルザードが嘲笑するように言う。
(そんな……私たちの所為で……っ)
ベルザードの言葉を聞いた恋詠は、衝撃で吹き飛ばされないように踏みとどまっているデクシアの後ろ姿を見て息を呑む。
恋詠の目に映るデクシアは、黒太陽から生じる莫大なエネルギーに焼かれ、その身体を凍てつかせていた。
「舐めるな!」
魂喰ですら吸収しきれないベルザードの魔力。その力を受けて傷を負うデクシアは、その痛みを吹き飛ばすように咆哮を上げる。
渾身の力と共に振りぬかれた大鎌の斬撃によって黒火球が砕け散り、その力が空中に花火のように散って消滅する。
「く……っ」
何とか黒火球を破壊したデクシアだったが、その身体には相殺しきることのできなかった力で刻み付けられた傷が刻み付けられていた。
倒れそうになる身体を大鎌を支えにして踏みとどまったデクシアは、しかし全く戦意の衰えない双眸で不敵な笑みを浮かべているベルザードを睨みつける。
「悪魔なのに人間を守ろうとするとは……だからお前は出来損ないなのだ」
「あく、ま……?」
デクシアを嘲笑するベルザードの言葉に、恋詠と麻衣は言葉を失う。
「悪魔」――その単語が意味するところが分からない者などそうはいない。
神話や空想、創作物で良く聞くその名を持つモノがこの世に実在しているなど、恋詠や麻衣には信じ難いことだった。
しかし、今目の前にいるデクシアとベルザード。そして、黒い異形を見れば、これまで信じてきた日常と常識が崩壊する幻想的な事実を認めなければならないように思われた。
「たった一発で無様なことだ。――次も守れるのか?」
その言葉と同時に、ベルザードが生み出した魔色の闇が暗黒に輝き、それが身の丈にも及ぶ青龍刀を思わせる巨大な槍を形作る。
それだけではなく、周囲に生じた影からは先ほどとは比べ物にならない数の黒い人型が出現し、デクシアに庇われている麻衣にその標的を定めていた。
「く……っ」
その状況に歯噛みし、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるデクシアを睥睨し、ベルザードが冷ややかな面持ちで言い放つ。
「思い知らせてやるよ。この俺『ベルザード・ヴァルザード』が、お前にはデクシア――『デクシア・フェル・ヴァルザード』の名は重過ぎるってことをな」




