硝子に出来ること
ジュニアスクールからハイスクールまで、十年ほど野球をやった。親の薦めで始めたが、これが存外楽しかった。
やる楽しみを見つけたら、観る事も楽しくなった。ドームの天井に届く特大ホームランには胸が踊り、外野からホームまで一直線に届く送球に目を丸くした。その感動が、彼をより野球の世界に熱中させた。結果、ハイスクールでは強豪校から声が掛かり、三年時にはスタメン入りも出来た。
そんな野球少年だった彼を絶望させたのは、監督の何気ない一言だった。
『アルバートは、走攻守の三拍子揃ってるからな』
監督は褒めたつもりだったのだろう。それは分かる。
しかし、『三拍子が揃っている』。それはつまり、『飛び抜けたものが無い』という事だ。
アルバート・レイノルズが理想としたのは、怪物じみた特性を持った選手たちだった。彼らのようになりたいという想いで、今日まで野球を続けてきたと言っていい。
しかし、その彼を待っていたのは、それまでと同じ自分だった。『器用』『何でも出来る』。褒め言葉として使われてきたそれらの言葉こそ、レイノルズの自信を砕くハンマーだった。
何より好きで得意を自負していた野球でも、彼は取り柄のない男だった。
*
「種が分かった……ですか?」
今レイノルズの目の前には、『同類』がいる。自分の中に理想を映した鏡を持った男が。
コピーという能力を持つレイノルズは、必然人間観察に長けていた。だからこそ、アキラが自分に近しい事がすぐに分かった。
無能ではない。むしろ組織の中では一人いてくれると有り難い。よく言えばユーティリティプレイヤー、悪く言えば器用貧乏。
アキラとレイノルズの違いは、割り切りだ。
レイノルズは既に心から、器用貧乏な己を受け入れている。『偽装の理想』という能力が発現したのが何よりの証拠だ。アーシェラもといノール・ハイルーフという老人の『理想』に共感したから、理想を映す鏡を取り替える事が出来た。
だがアキラは、そこに至っていない。鏡の向こう側へ行くべく足掻いている。
ならば先達として、完全な挫折をくれてやる。
「それなら試してみますかい?」
レイノルズは全身の刃鱗を切り離し、周囲に浮遊させた。
レイノルズの刃鱗鎧は二層の刃鱗で構成されているため、一層目を切り離しても無防備にはならない。しかし、爆砕鱗で破砕した箇所は暫く修復されないため、そこだけはレイノルズの私服が覗いている。要するに弱点となるのだが、彼はリスクより手数を優先した。
そもそもこの戦いに、本気で勝ちに行く必要などない。
レイノルズが手を振るうと、三方向からアキラに向かって刃鱗が殺到する。その数は優に百を超える。
アキラが後ろに跳び退いたのを、軌道を操作して更に追う。夥しい数の刃に追われても、アキラの表情は崩れない。
「それなら……」
刃鱗の動きが変わった。刃鱗の群れが五つに分かれ、アキラの真上と左右、前後にそれぞれ展開される。不完全な形だが、アキラの周囲を円上に取り囲んでいた。
脳の奥から響くような頭痛を堪えつつ、レイノルズは刃鱗たちをアキラに向かわせた。
「っと……!」
これで全身を刻んで終わり。
そう踏んだレイノルズだったが、アキラはそれを超えた。
アキラから見て左斜め後ろ。そこに空いていた群れ同士の隙間から、包囲から逃れていた。
だがレイノルズの刃鱗は、彼の命令ある限りアキラを追い続ける。アキラのいた場所を通り過ぎた刃鱗たちは、ほぼ一団となってアキラに襲いかかる。
対してアキラは逃げる足を止めーー野球のバッティングのようなフォームで、薙刀を乱暴に振るった。
「ここだァァ!!!」
薙刀の刃が、先頭を飛んでいた五つの刃鱗とぶつかった。
大蛇丸の威力では、刃鱗に傷は付けられない。だが衝撃が与えられれば、必然軌道が変わる。
先頭の刃たちがアキラの横に流されるとともにーー後ろの群れが全て、アキラを避けるように流れていった。
「やっぱりそういう事か……よっ!」
刃鱗の群れを避けて、アキラがレイノルズに肉迫する。
「まさかバレちまうとはねぇ……飛翔鱗の絡繰り。こりゃ、エリアルドの旦那に頭下げねぇと」
飛翔鱗を見たアキラが最初に抱いた『有り得ない』という直感は正しい。事実、飛翔鱗は百を超える刃鱗ひとつひとつを遠隔操作する技ではない。
ではどうやって、膨大な数の刃鱗を制御しているのか。その答えは、エリアルドが『親と子』と呼称する仕組みにあった。
大量の刃鱗のなかで、レイノルズが実際に遠隔操作していたのは、僅か五つ。これでも相当な高等技術だが、事実飛行する刃鱗のなかで、レイノルズの意志が介入していたのは、全体の五%も無かった。
では残りの刃鱗はどうやって動かすのか。答えは、『指定した刃鱗に追従する』という簡単な命令を与える。無論、他の刃鱗とぶつからない位置関係を事前に調整する必要があるため、言葉ほど簡単ではないが。
つまり、使用者が直接操作するごく少数の『親』と、親に追従するだけの無数の『子』。これらを配置することで、大量の刃を飛ばしていたのだ。ならば先頭を行く親を弾き飛ばせば、後ろの子達も同様に弾かれる事となる。そうなれば後は、群れを避けて進めばいい。
五つの親は、レイノルズが操作できる最大数。弾かれた親たちの態勢を立て直そうとする間、僅かな隙が生まれた。魔術師であるアキラなら、その隙は充分な勝機となった。
瞬きする間もなく、レイノルズの眼前までアキラが迫る。薙刀を構え、守りの無い箇所へ向かって突きを繰り出した。アキラに武術の心得は無いが、それでも魔術師の強化された身で繰り出されるそれは、途轍もなく速い。
しかしレイノルズは、便利屋として多くの経験を積んだ魔術師だ。
「がっ…………」
レイノルズが自身から新たに放った二つの刃鱗が、それぞれアキラの左腕と右脚に、深々と突き刺さっていた。
「飛翔鱗のタネを暴いたのはお見事ですが……刃鱗のコントロールは、いつでも切り替えられるんでさぁ」
アキラの後方では、それまで飛び回っていた刃鱗が宙に浮いていた。弾かれた刃鱗を引き戻すのでは間に合わないと判断したレイノルズは、身体に纏っていた刃鱗へ、操作対象を切り替えたのだ。
自らが流した血の海に、アキラの身体が沈んでいく。
彼の刃は、レイノルズに届かなかった。とはいえ、レイノルズは内心『油断し過ぎた』と反省していた。刃鱗の操作切り替えも、実のところ間一髪で間に合ったものだった。
「……らしくねぇや。ちょいとムキになっちまった」
レイノルズの周りに、分離した刃鱗たちが次々と戻っていく。百以上の刃鱗たちは、一つも間違える事なく、最初に収まっていた場所に戻って行った。そして再び二層、ところにより一層の刃鱗鎧が形成される。
「……あ?」
そこでレイノルズは、異変に気付いた。
刃鱗の様子がおかしい。
「お前の……言うとおりかもな……」
血溜まりの中から声が聞こえた。
倒れ伏したアキラの目が、レイノルズを見据えていた。
「オレは維月姉ぇと釣り合う『鏡』にはなれねェ……ただの硝子ってのも……そっちの方が似合うかもな……。けどなァ……」
そこでようやく、レイノルズは異変の正体を突き止めた。
刃鱗が、一つ多い。
「硝子でも……人の命には届くんだぜ……!」
アキラがしてやったりとばかりに笑うと同時、レイノルズの腹部から鮮血が噴き出した。




