泣き出しそうな空の下で
『尖兵だと……つまり、犯人はアーシェラってことか』
「そういうことになりますね。とりあえずこいつらを突破して白峰とホンファの所へ向かいます」
純は籠手とグリーブを装着すると、手近にいた獣型の尖兵の頭部を踵落としで粉砕した。浮遊型二体が彼にレーザーを照射するも、小さく右にステップして回避。右足が地面に着くと同時に跳躍し、撃ってきた浮遊型の片割れを殴り飛ばすと、もう片方を後ろ回し蹴りで破壊した。
一体あたりの力は到底純の相手が務まるようなものではない。しかし、十体以上の個体が階段への道を防ぐように動いている為、厄介なことこの上ない。
「邪魔だ……!」
跳びかかってきた蟷螂型の鎌を籠手で弾きながら悪態を吐くと、通信機から三船の声が響いた。
『こちらβ。支部長、僕たちもαと合流した方が良いでしょうか』
『そうだな、下手人が分かった以上、調査は後でも良いだろ。βは周囲を警戒しつつ、αと合流だ。離れるなよ』
『了解しました。行こうか』
『おっす!』
『応!』
三船達が指示を受けたのを耳にし、安堵する。仮にアーシェラの魔術師が出たとしても、六人では負けるはずがない。
そう思ったのも束の間。
『本部、どうやらそちらへ行けるのは後になりそうだ。こっちにも尖兵が湧いている』
『なるべく早く片付けるから、そっちも気を付けてくれぃ! ぬぅん!!』
東条の力強い声が響き、通信が終わる。
「……くそっ」
純は毒づきながら蟷螂型尖兵を鉄屑に変えた。
*
純と交信している間、ホンファは部屋の四隅に炎を置いて周囲を照らして部屋の内情を把握していた。
先の爆発によって彼女のいた箇所が崩れ、下の階の部屋に落ちたようだ。悠のおかげで怪我らしい怪我は無いが、この部屋は恐らく、純が入ろうとして鍵が掛かっていた部屋。
先ほど、純が『海の匂い』と形容したものの源は、間違いなくこの部屋だ。何故ならこの部屋は――。
「海水で満たされている……?」
部屋にはホンファの足首程度の深さで海水が貯まっており、南西方向の角のみ砂が盛られていた。それはまるで十二畳ほどの広さで再現された『海』だった。
これを仕掛けたのはアーシェラであることは間違いない以上、早く部屋を出た方が良い。そう考えて扉の鍵を開けようとした瞬間――。
「ッッ!!!」
水中から出てきた『何か』が足に絡みつき、そのまま後ろに引かれる。予期せぬ方向からの衝撃に前へ倒れ、すぐに体を仰向けに翻す。その瞬間、彼女の視界に映ったのは『錨』。五十センチ程の蒼い錨が叩き潰さんと迫り来る。驚愕しながらも右に転がり回避する。水面を錨が叩くと同時に立ち上がると、後方で人の気配を感じた。
「え~~、今の避けるの? ムカつくんだけど~~」
そこに居たのは、一人の少女だった。
その手に鎖で繫がれた錨を持つ、褐色肌に水着のような服装。体型こそ明らかにホンファより年下だが、「短く整えられた金髪もあって、『海と共に生きてきた』というような印象を受ける。
ホンファが仕掛けた炎に照らされた少女の顔は、見るからに不満げだ。
「『マリーン』が攻撃したんだからちゃんと潰されてよね、ルール違反だよ」
「ルール? 何でアタシがわざわざアンタ達のルールに従わなきゃなんないのよ」
ホンファは、一瞬で彼女こそが今回の主犯――アーシェラ――の一人であると察した。
無駄話をするつもりは無い。心の底から湧き上がるような憎悪の念を煮えたぎらせながら、槍を構える。
「だって、マリーンはあなたより上だもん、ヒトモドキのおねーさん」
「誰に口利いてるのかしら? 身の程を弁えなさい、肉袋のメスガキが」
マリーンと名乗ったアーシェラの少女が鎖を引き上げるのと、ホンファが駆け出すのはほぼ同時だった。
*
「……ふぅ」
悠は、己以外誰もいない室内で座り込んでいた。周辺には不燃ゴミと化した無数の尖兵が転がっている。
自身の左腕に目をやる。何度見ても、『折れている』以外の判断は下せなかった。
先ほどの爆弾は、おそらく魔力由来のものだろう。そうでなければ、この破壊力に説明がつかない。
悠はあの時、ホンファをかばう形で前に出て、峰で押し出す形で爆弾を弾いた。その直後に盾で身を守ったのだが、その盾はあっさりと破壊され、壊れた盾の破片に左腕が直撃したのだ。
それに、もう一つ不可解なことがある。
それは、部屋が『綺麗過ぎる』ことだった。
あれだけの爆発なら、普通は部屋ごと完璧に吹き飛ぶ。近くにいたホンファ、純も無事で済むはずがない。
しかし、実際は壁が壊されて隣の部屋と繋がってこそいるが、それ以外に目立った損傷が見当たらない。現実にも指向性のある爆弾は存在するが、あのレベルの火力を持つ指向性爆弾など、脅威以外の何物でもない。
そして、その下手人は、近くにいる。
「操り人形は壊れましたよ。そろそろ出てきたらどうでしょうか」
悠が声を掛けると、崩れて上が見える天井から一人の男が出現した。
「旧人などあれで充分だと思ったが……煩わしいが、良いだろう」
白い軍手を身に着けた赤茶色の髪を持つ男は、軍手の裾を交互に引っ張りながら冷徹な瞳で悠を射抜いた。
「新世界への引鉄は、我々が引くのだ。旧人はお呼びでない」
*
「これで粗方片付いたな」
「そうっすね……疲れた……」
建物のエントランスで三船、東条、アキラの三人は尖兵を全て片付けていた。東条が暴れ、二人がフォローするという戦法を取り、結果として全員無傷で済んだが、時間的にはかなりのロスだ。
「瀬良さん、αの三人は無事ですか?」
『ええ、三人とも無事ですわ。ただ、白峰さん、ホンファさんの二人はアーシェラと交戦中とのことです。急いで救援をお願いします』
「了解!」
「どうする、部隊を分けるか?」
「そうですね、東条さんはホンファのサポートへ。僕と霧島は滝本の方へ行こう」
「承知した。では――」
向こうの建物へ移ろうとした瞬間、三人は一斉にエントランスの一点を見た。
そこから物音がしたからだ。音の発信源にいたのは、一匹の『蛇』。ライトを当てなければ気付かなかったであろう漆黒のボディを持つそれは、牙を剥くと同時にアキラへと跳びかかった。
「させん!」
東条が跳躍コース上に自らの斧を置き、蛇の道を阻んだ。斧にぶつかり跳ね返されたそれは、よく見ると無機質な皮膚を纏っている。
蛇は東条たちが攻撃に移行する前に素早く体を闇へと溶かしていった。
「今の蛇、何か変じゃなかったっすか?」
「うん、なんとなく生物らしくないように見えた」
「つまり、機械だとでも?」
「可能性としては、あると思います」
三人が蛇について議論していると、今度は階段の方から足音が聞こえた。
「貴方がたは、『奇跡』を信じるでしょうか」
男の声が聞こえると同時、電気が止まっているはずの室内に灯りが点いた。視界が確保出来たと同時、声の主の姿も明らかになる。
教会の神父が着る『キャソック』を身に纏い、首からロザリオを提げた初老の男。彼の両手には二匹の蛇が絡みついている。
「その蛇……お前が飼い主か?」
「飼い主……というよりは『預かり主』といった感じですね。何しろ、生き物ではありませんので」
「生き物でない、ということは尖兵か」
「その通り。察しが良くて結構です」
男は笑顔を浮かべ、拍手をする。その得体の知れなさが、三人の警戒レベルを更に引き上げる。
「それで、何が狙いだ? あの大学生や警官達を殺したのは、お前なのか?」
「殺したのは、私ではありませんよ。『この子達』と私と道を共にする信徒達です」
男が再びニッコリ微笑むと、両手の蛇が彼の体を離れて行く。それと同時に男は右手を天に翳し、何かを呟き始めた。
「天にまします我が主よ。願わくは御名を崇めさせたまえ。御国を来たらせたまえ……」
*
廃棄区画内での戦闘が、計四か所で同時に行われる。
アーシェラが何故ここに来たか、その目的は分からない。分かることはただ一つ。『彼らは、本気で殺しに来ている』ということだけ。
今にも泣きだしそうな空の下で、死闘の幕が上がる。




