負けず嫌いの戦友
純とホンファの模擬戦闘、と呼ぶには余りにも多大な熱量を持った死闘は互いの信念をぶつけ合った末、終局へと近づいていた。
状況的にはリーチの差で純が防戦を強いられていた。しかし、ホンファの刺突は躱され、次第に『手刀』によって弾かれるようになっていた。
「……凄まじいな、これは」
別室のモニターで試合を見ていた維月が言葉を漏らす。モニターからは内部の音声が聞こえないものの、そんなことはこの場にいる誰も気にしてはいなかった。
「魔術師の試合とは、大体こんな感じなのか……」
「いや、あんだけバチバチやってんのはあんまりねぇよ。純の熱がおかしいってのとあのホンファって娘が同類なだけだな」
維月の問いに答えたアキラもまた、モニターに釘付けとなっていた。何しろ純もホンファもアーシェラに匹敵するレベルの魔術師。自分とは次元の違うやり取りに目を奪われていた。
しかし、この場で最もその闘いを真っ直ぐに見つめていたのは、彼らではない。
「山崎さん、さっきから一言も喋ってねぇ……」
愛花は試合が始まってから今まで、一切の声を上げる事なくそれを見ていた。ただ、時々膝の上に置いた両手を、まるで何かに耐えるかのように胸元でグッと力強く合わせるだけ。
「純のことをちゃんと見ていたいんだろうな……」
「格闘家の嫁ってこんな感じなのかね……」
普段なら慌てふためく筈の『嫁』という例えを意に介さず、彼女はモニターを真剣な眼差しで見つめていた。
*
反撃に転じる隙を与えない熾烈な攻撃を繰り返すうち、頭部に受けたダメージの影響もあってホンファは肩で息をするようになった。このままではこちらが先に倒れる。その前に決着を付けようと、ホンファは純から『自ら離れた』。
徐々に対応されてきている現状、普通に攻めるだけでは勝てない。そこで彼女が選んだ行動は、『四神幻槍』を変形させることであった。
「終わらせるワ……『閃玄砕牙』!!」
*
突如壁まで大きく後退したホンファが、『閃玄砕牙』による突撃を繰りだしてきた。
勝負を仕掛けてきた彼女に、純はその場で右手を突き出すことで応えた。
杭の反動を用いた跳躍で回避してもいいが、追白虎月を攻略された今は、その場合も彼女は閃玄砕牙を使い続けるだろう。ならば、逃げ続けるよりあえて杭で受け止める方が良い。
尤も、彼女の全力を此方の全力で受け止めることに興味を覚えるのもあったが。
彼我の距離が急速に縮まっていく。純が杭を出そうとした瞬間――。
「それも悪くないケドネ……」
ホンファは閃玄砕牙を変形させ、急ブレーキをかけると迅速に純の横へ回り込んだ。彼も戸惑いながら後を追い、体を回転させるもその時、右脚に焼けるような痛みが走る。
「がっ!?」
ここに来て、太腿に受けた傷が響いた。
苦痛に阻害され、反応が遅れた純にホンファが肉薄する。その手に握られていたのは、追白虎月。
彼女の狙いは、閃玄砕牙の加速を完全には殺さずに方向転換、その加速力を生かして短い、すなわち取り回しに優れる追白虎月で確実に止めを刺すこと。
「言ったでショ? 勝つのはアタシだって」
彼女の凶刃が純の首筋に迫る。勝敗は決したかと思われた時――。
「グッ!?」
強烈な頭痛と共に視界が歪んだ。頭にダメージを受けながら激しい機動を行った所為だろう。それによって手元が狂い、本来首筋を貫くはずだった穂先は彼の前方へ逸れる。
直ぐに態勢を立て直して今度は心臓を穿たんとするも、その隙を純が見逃すはずはなく、ホンファの視界が何かに阻まれる。彼の手が、ホンファの顔を掴んだ。しかしその直後、彼女の槍が純の左胸と接触する。ここに両者、相手を確実に殺せる状態となった。
決着まで、残り一秒未満。純がホンファを貫くが先か、ホンファが彼の心臓を破壊するのが先か。
実力、想いの強さ。そのどちらをとってもこの二人に差は無いと言っていい。その二人の決着は。
*
決め手となったのは、速さ。
本人の機動の速さではない。必殺が、『必殺となるまで』の速さだ。必殺の必殺たる所以は、相手の生命活動を確実に止めることにある。最後の瞬間、二人の状況は必殺一歩手前だったが、それが真に相手を殺すまでは時間差があった。
素の機動力ではホンファが純を上回っていた。一度態勢を崩してからでも再び切り返して左胸へ穂先を刺せたのは、男性にはない女性の身体的柔軟性、しなやかさがあってこそのものだろう。
しかし、『杭打ち籠手』が射出される際の速度は、時速三百キロを超える。発現までのタイムラグはあるものの、それは彼女の槍が胸の皮膚と接触した時点で既にクリアしている。動く敵ならばともかく、この場での決着を確定した相手との速さ比べなら、負ける道理は無かった。
心臓まであと数センチ。そこまで突き進んだところで、倒れる持ち主について行くかのように槍が抜ける。
滝本純VS劉紅花。最終的に激戦を制したのは、『護る』想いを背負った貫通者だった。
*
「……負けタ」
ホンファが天井を仰ぎながら呟く。その声はどうにも感情が読み取り辛い、棒読みとも言える声色だった。純は彼女の感情を読めず、とりあえず倒れたままのホンファに手を差し伸べる。黙って手を取り起き上がったホンファは、少し悔しそうだが、それ以上に爽やかな表情をしていた。
「あと数センチだったけど、負けたワ。……いい勝負だったワ」
「ああ。一つ何かが違っていたら、勝敗は逆転してたかもしれなかった。それより、なんで嬉しそうなんだ?」
「え? いや、考えたらアタシ、今まで『完全に』互角の相手が協会にいたことが無かったのヨ。白峰はまだ遠いし……悔しいケド。だから、アンタと戦ってると嬉しくなってきたのヨネ」
白い歯を見せてニッと笑うホンファ。純が彼女からこの時受けた印象は、『戦いを楽しんでいる』というものだった。それは純にとっては理解の及ばない概念であり、思わず聞いてしまう。
「なあ、もしかして楽しんでないか?」
「ン? 何ヨ、アタシが戦闘狂って言いたいワケ?」
心外だ、と言わんばかりに明らかに不機嫌になるホンファ。
「アタシは闘うのが好きな訳じゃないワ。闘いはあくまでアーシェラを殺す為の手段でしかないし、それを楽しむ気概は持ち合わせてないノヨ。アタシはね、『強くなる』のが好きナノ。何もない貧弱だったアタシの手が、あの化外共を討てる力を持つようになったんだカラ。でもこんなもんじゃないワ。もっと強くなって、何れはアイツラを殲滅してやるのヨ」
右手をグッと強く握るホンファの姿に、純はかつての己を重ねた。
かつて自身の卑小さ、虚弱さに限界を超える程の嚇怒を抱いた彼は徹底的に自己を心身共に鍛え上げた。維月も最初驚いていたように、今の純は過去の容貌とは似ても似つかない。昔馴染みの者たちからも『誰もノーヒントではわからない』と満場一致で思われている。
だからこそ、戦うことを楽しむのは理解出来なくても、強くなることが楽しいことは大いに賛同出来る考えだった。
「そうか。よく分かるよ。俺は――」
「『大事な女』のため、デショ? さっきそう吼えてたじゃナイ」
「おい、女と言った覚えはないぞ……」
「ああいう場面でいう『ひと』ってのは、イコール女って相場が決まってんのヨ」
ニヤニヤと、今にも肘で小突きそうな顔をしたホンファに何か気恥ずかしくなり、言葉に詰まる純。
「まあいいワ。アンタの事も幾らか分かった訳だし、改めてこれからヨロシク。アタシらでアーシェラをブチのめしマショ」
「ああ。それには同感だ」
復讐という黒い目的を持ちながらもフレンドリーさを持ち合わせるホンファに軽い戸惑いを感じながらも、彼女がそっと手を差し出した手を取り友好の握手を交わす。
「まあ、次に勝つのはアタシだけどネ」
「へえ? 言うじゃないか。確かに俺が次に勝てる保証は無いけど、そっちが勝つかどうかもやってみなければわからないだろう?」
「イヤ、アタシが勝つワ。アタシにはまだ伸び代があるからネ」
「それを言えば俺にもあるだろう」
「そう。じゃあまた戦ル? 明日」
「明日!? まあいいけど」
「決まりネ! 精々首を洗って待ってなサイ」
「何処でそんな言葉を覚えるんだ」
もしかすると、彼女はかなり負けず嫌いなのかもしれない。
そう思いながらも、純は内心新たな戦友の存在を嬉しくも感じていた。




