ぐみの実の訓練場 ─9─《追加参加者達 屋上にて》
華が眼を覚ますと、屋上、温室の中は、夜に覆われていた。
そして、異質な空気。
ピリッと肌に刺す様な、二重結界が、張られている。
足元に居る筈の、白狼の奏はおらず、瑠璃色の猫、美鈴の姿は無い。どうやら、温室の外に弾き出され、意識を奪われている様だ。
この異常事態に、平賀アンリも、気が付いて、ピリリと緊張感を滾らせた。
足元に咲いていた花も、姿形を消している。
残されたのは、単なる地面だ。
大量に出てくる汗。
訳も分からず怖くて、華の膝小僧が、嗤っている。
「これは、武者震いとかでは無いな。ただただ、ヤバイとしか、言いようが無いな」
空恐ろしいと、アンリが、身を強張らせている。
「ねぇ、アンリさん。オレ達は、『何』を相手にしないと、いけないんですか?」
温室の中央で、華がアンリと、背中合わせに立っている。
場の空気は冷え切り、冷気さえ、漂いそうな、雰囲気だ。
「こんな『逸話』がある。産まれながらに、『悪魔の種』を持つ、赤ちゃんの話、さ。ある程度の魔力が満ち足りて、一定の『条件』を満たせば、その『種』は『発芽』する、と」
「何ですか、それ……。もはや、ホラーの領域ですよ!? 知ってますけど。本で読んだから。でもそれは、他の『誰か』が、魔族を召喚し、失敗。それから、浮遊した、それの『魂』が、適格者が居ないと、揃わないって、そんな、偶然」
華がハッとした。
そうだ。
考えられるとすれば、蓮も、既に、『何か』の『想定外』に巻き込まれ、そちらは、決着。
……残りの『得たいの知れない何か』が、温室へと、やってきたケースだ。
あくまで想像だが、蓮と相まみえた者は、前もって魔族を呼び、不発。
その浮遊した、魂が、『誰か』に、入った、と。
だとしたら、この『筋書き』をした者は、かなりの、陰湿さだ。
すとんっと、まるで、舞い降りたかの様な、人物は、アンリが、良く知る、無邪気な少年だった。
黒い軍服姿に、カワセミ色の瞳をした少年が、ふっと、唇を開いた。
「……アンリ様は、信じてくれますよね? オレは、大切な『歌さん』を、殺しては、いないって!」
橘直に、詰め寄られ、一瞬、アンリが、答えに詰まった。
が、直ぐに、頭を振った。
「……ああ。アレは、敵の戦略だ。かなり高度な技術、否、異能と呼ぶべきかで、直に、『幻覚』を見せたんだ。おそらくだが、歌は、あの戦いの前に『殺されていた』んだ。死者を残酷にも、自由自在に『動かし入れ替え』関わる、全ての人の心を、ズタズタにしたんだ!!」
まだ可能性の話ではあるが、アンリが、直の心を静めるべく、慎重に、言葉を選んだ。
ここにはいない、人物が、配慮して、直の記憶を消したのだが、どうやらそれは、悪い方向へと、転換してしまった。
「……酷いですよ。オレには、悲しむ気持ちさえ、故人を偲ぶ事すら、権利すら、ないと?」
「違う! そうじゃないんだ、直。あの状況では、直の精神が持たなかった。だから、仕方無く……血に染まる娘の姿を、偽物とは言え、脳裏に焼き付けたままは、嫌だろ? お前は、昔から娘を、慕っていた。だから……」
苦渋の決断だった。
今にも泣き出しそうなアンリを見て、直が、低く低く、笑い声を上げた。
「勝手に何もかも、一人で決め付けて、オレの気持ちを知った上での『仕打ち』なら、なお、たちが悪いよ! かと言って、あんたに、この激情は、ぶつけられない!! 悪いのは、記憶を消した奴と、全ての黒幕だ」
直が、軽く、アンリを突き放すと、小さく、独りごちている。
ズズッと真っ黒な『光』が、直の体を包み込むと、放射線状に、黒光りが、放たれた。
片脚を引きずるアンリを、咄嗟に庇って、後ろに退くと、華が、勇気を振り絞って、直と、対峙した。
「……アリスは、好き好んで、記憶を奪ったりはしない。アイツなりに、見ず知らずのお前を、助けようとしただけ、だ。オレも……大事な人の事を、忘れさせられていたから、お前の心情は、少しは、理解出来るよ」
「余計なお世話だよ。例え傷付いたとしても、オレは、どんな歌も、覚えていたかったんだ!」
バシッと、無数の光が、飛んできて、華の四肢が、傷だらけになった。
「仮に全てを覚えていたとして、お前は、直ぐに、『死』を、受け入れられたの、か? だって、好きだったんだろ!」
瞬時に、直の、覇気が薄れた。
迷いが生じている。
「今は、思い出したとしても、ある程度の時間を置いたから、受け止めようと、必死に、もがいているんだろ? 八つ当たりしないと、遣り切れないから。だが、実際のところ、目の前で、好きな人が死んだら、耐えられるのかよ? 想いが深いなら、後追いも、考えられたんじゃないか? 好きって、そんな単純な気持ちじゃなくて、どこまでも、純粋なものだろ! オレだって、あの場で、忘れた期間が無ければ、立ち直れたかも、危うい……。アリスは酷い奴だけど、優しくもあるんだよ。たぶん……」
アリスを擁護する訳では無いが、華が、懸命に、暴走しかけた直を、その心を、慰めようと、躍起になった。
ふらっと、倒れかかる直を、華が、受け止めようした時、物凄い熱量の黒光りが、片腕を掠めた。
「くだらない事を、ごちゃごちゃと。許す許さ無いじゃ無く、オレは、『オレ』を踏み躙る、『全て』が、容認出来ないんだよ。……優しく無い世界なんか、必要無いじゃないか。歌は居ない。その『事実』は、変わらないんだ。ならもう、全部、壊してしまっても、構わない? だろ」
パリンと、自暴自棄、いや、全てを手放した直の中で、悪魔の『種』が、発芽した。
もはや、我を失った直を止める事など、誰にも、出来なかった。
かなり強力な黒い光の大きな球体が、直の両手の中で、生まれ出でると、華に向かって、放たれた。
万事休す。
そんな言葉が、華の中に浮かんだ時、
『誰か』の声が、聞こえた。
反転。
華の頭上を、光の光線が、一直線に、駆け抜けた。
「たくっ。手の掛かる、弟分なんだから。やっぱり、私が側に居ないと、ダメね」
茶目っ気たっぷりに、温室に、するりと入ってきたのは、まさかの、蓮だった。
どうしてと、問う前に、鉄剣を手にした蓮が、まだ覚醒したばかりの、直を、電光石火の一撃で、鳩尾を打ち、昏睡させた。
いよいよ、訳が分からない華が、片脚の怪我や、全身の怪我のせいで、意識を、手放した。
煌々と、夜空に現れた月明かりを浴びて、蓮がやっと、気を抜いた。
「この一瞬を待ってたんだな」
治りきらない片脚を、松葉杖で支えながら、アンリが、気絶した直を、見下ろしている。
「大急ぎで駆け付けて、結界が、弛んだから、その隙に。魔族に『変化』したばかりの直は、隙だらけでしたから」
蓮が、他の回復術士から預かった、霊符で、直の額に貼り付けると、人の姿に、戻っている。
「そりゃあ、特級クラスの……別の者の『力』を、借りたのか」
「ええ。ある『少年様』のね。そもそも、こんなに早く、アリスの異能の力が、解ける筈は無いし、他者の『介入』によるものですよ」
積もる話は後でと、言わんばかりに、二重結界が、完全に解かれると、アリス達もやってきた。
アンリが訪れた、一人の『少年様』に、びっくりおののくのだが、それについては、また、後日。
長い長い夜は、ようやく、朝日を迎えそうであった。
……今回の騒動は、一応の『決着』をした。
そして、新しい『幕が上がる』のだ。




