episode8 祝福の誕樹
十の春。
本来なら王都の大聖堂で受けるはずの成人の儀を私は辞退した。この村では私ひとり、来年はアニーひとり。村が二度に分けて費用を出すことはできない。出来たとしてもそれは無駄であるとミュリアは理解していた。
儀式を受けない子供は辺境の土地では全く珍しくはない。
王都までは3日ほど掛かるようだ。
その間に折角共に冬を越えれたというのに病に掛かったり、ぎっくり腰が悪化したら大変だろう。
この村の誰よりも今の暮らしを私は守りたかった。
ひとりだけ栄誉を受ける道をわざわざ選ばなくてもよかったのだ。
その決断を、誰より先に見抜いたのは神父さまだった。
「……内緒ですよ?」
軽くウインクをして笑う声は柔らかく、
しかしその眼差しには深い敬意が宿っていた。
「かたちは無くとも、魂の齢は祝うべきです。」
儀式の日――
私は母が用意してくれた真っ白なワンピースまとい、教会の中央に立つ。
木の床、古い長椅子、天使像。
どれも変わらないはずなのに、
まるでここだけが世界の中心であるかのように
静寂が満ちていた。
神父さまが聖書を開き、
深く、揺るぎない声で聖句を唱え始める。
――聖句(創世)
《はじめに、大いなる息があった。
息は光を孕み、光は大地を孕み、
大地は命を孕んだ。
息は天をめぐり、
天は十二の座をひらき、
そこに神々は降り立った。
海はポサーレを抱き、
森はアルティナを宿し、
陽はアルヴォスを歌い、
恵みはセメティアを迎えた。
世界は色を持ち、
色は祈りを持ち、
祈りは血潮となって満ちた。
よって今、ここに歩みの名を与える。
この魂、息の継承者なり。》
私は跪き、目を閉じ、手を組む。
まぶた越しに光が満ちてゆく。
目を開いたとき――
小さな教会は光の庭に変わっていた。
薄桃、翠、淡金、乳白の精霊たちが
ひと粒ずつ降りてきて、
花びらのように私のまわりを巡る。
髪に触れ、袖を撫で、
まるで祝福の輪舞のように踊る。
息が震え、胸があたたかく揺れた。
私は祝われてよかった存在なのだ”
そう理解したとき、胸の奥で何かがひとつ外れた。
――ふ、と景色が滲む。
前世のあの日。
冬の夜、成人式の日。
制服のまま閉店間際のコンビニに立ち、
自動ドアが開くたびに
振袖の色と笑い声が冷気となって胸に刺さった。
祝われるあの子たちは、
私の向こう側の世界にいる人間だった。
蛍光灯に照らされた私は、
ただの影のようだった。
――その子がいま、報われている。
光が涙より先に、私を抱いた。
精霊の光は胸へと吸い込まれ、
灯果の灯と同じ場所へ静かに落ち着いた。
「ミュリア」
神父さまの声は静かに厳か。
「あなたは精霊に、大変好かれています。好かれる理由を宿す魂です」
続く言葉は宣言だった。
「これは贈り物ではなく、継承。
あなたが歩む道を間違うことがなければ、決して灯りが勝手に消えてしまうことはないでしょう」
私は胸の前で手を組み直し、
ゆっくりと、しかしはっきりと答えた。
「……はい」
儀式が終わり、家族のもとに帰りましょうと神父さまに促され、ずいぶんと軽くなった扉を開く。
外気がひと筋、ぬるく頬を撫でる。
村の人々が道の両端に立ち、
花を空へと放していた。
ひらひらと舞い降りる色は
さっきまで教会で舞っていた精霊の軌跡に
そのまま重なるようだった。
「ミュリア」
「おめでとう!」
「おめでとう」
「いつもありがとう!」
私は胸の奥から震えながら思った。
ああ――私は、生まれてきてよかったのだ。
そこに、母が花束を抱えて立っていた。
「おめでとう、ミュリ」
その声を聞いた瞬間、
涙は崩れるように溢れた。
今度は逃げない。
拒まない。
誇りを抱いたまま、泣ける。
この手で――
後悔しない人生を歩くために。




